序
森でクライドは倒れていた。
「胃が痛い……こうなったのも、すべてあの王子のせいだ」
馬上で胃を抑えながら、呪いの言葉を吐くものの状況は良くなるばかりか悪くなる一方だ。
クライドがこうしてここにいるのは、主の密命を受けフレデリック侯爵に会うためだ。
「どうしてこう面倒なことばかり、いつも……いつも。それなのに、すべては俺の胃が悪いからだとのたまう……」
悪態を付くのも精一杯で、もうその気力すらもクライドからは奪われている。
「この胃の弱さは生まれつきか……それとも王子に出会って苦労したせいか……」
答えはクライドにも誰にもわからない。
何せ、クライドと王子は同じ年。生まれた時からご学友という道が決まっていた。つまり正しく言い換えれば、生まれた時からクライドは苦労していたということだ。
宰相家の跡取り息子――そんなやんごとなき家柄のクライドだが、世間では王子に振り回される不幸な子息として有名だった。
「このまま、命令を果たせなかったら……どうなるのだろう」
目はすでに霞んできている。落馬する危険性があるため、馬から降りる程度に頭はまだ働いているが、とても目的地までは行けそうにない。
「そうだ……薬、くすり……」
クライドは出がけによく効く薬だと、手持ちの薬を根こそぎ王子が入れ替えてくれていたのを思い出す。
力を振り絞って荷物を探る。そして、ようやく見つけた希望の薬であるはずのものに、クライドはとどめを刺された。
「……恋に効く…………かも。本製品は媚薬ではありません。気休めですが――ってどうしてこんなものが!」
叫んで体力を消耗したクライドは近くにあった木の根元に体を預ける。横になっていれば、いずれは良くなるだろう。何せ、死ぬほどのものではない。死ぬほど痛いが。
矛盾した思いを抱えながらクライドは静かに目を閉じる。木漏れ日の差す森は涼やかな風が時折吹いて気持ちがいい。
ここはフレデリック侯爵の領地の一角。
実はクライドは目的地にもう足を踏み入れていた。それでも正しくは到着と言えない。フレデリック侯爵家の敷居をまたぐには、この森を越えなくてはならないのだ。
「どうしてこんなに領地が広いんだ」
半分は寝言だが、半分は本音。
クライドはそのまま痛みのために意識を失った。
草木が揺れる音だけが静かな森に響く。浮かび上がらない意識の中で、クライドは柔らかい何かに触れた。
「んっ?」
「大丈夫ですか?」
かけられた声にクライドは返事をしなかった。どうせ空耳だと思ったからだ。
だから、体がふわりと浮いた感じがしたのも、乱暴に投げられた感じがしたのもすべて痛みが見せる幻覚だと思い込み目を覚ますことはしなかった。




