デジャヴュ
冬の訪れが近い事を感じさせるある寒い夜だった。オレは何の気なしにテレビを点けっ放しにして、部屋で本を読んでいた。
夕方ぶらりと立ち寄った古本屋で、安さに惹かれて買ってきた文庫本は、値段の割には悪くはない短編集だったが、その日はなぜか内容に没頭する事ができなかった。
時おりテレビの声が耳に残る。
「俺はいいがクリスティーは助けてやってくれ。彼女は何も知らないんだ」
「助けるかどうかは上が決める事だ。俺はただ連れて来いと命令されただけでね」
陳腐なセリフだ。どうやら三流のスパイ映画らしい。
オレは苦笑しつつ台所から缶ビールを持って来て、テーブルに置き、しかしすぐに飲むような事はせず手をつけずにタバコに火を点けた。
(ま、深夜映画だから仕方ないか。こんなもんだろ)
そう自分で自分を納得させて本の続きを読み始めた。
どれくらいの時間がたったのだろうか?タバコは数本がすでに吸殻になり、夜の寒さは耐えがたいものとなってきた。
暖房を入れようと立ち上がった時にビールの事を思い出し、エアコンのスイッチを操作してからビールを手に取った。
火の気のない部屋にあったせいか、ビールは今冷蔵庫から取り出したばかりのように冷たかった。プルタブをちぎり取り、一気に流し込みながらふとテレビを見ると、なにやらクライマックスらしい。
主人公らしき男に銃が突きつけられ、ヒロインらしい女がその光景を狼狽しながら見ている。
「俺はいいがクリスティーは助けてやってくれ。彼女は何も知らないんだ」
「助けるかどうかは上が決める事だ。俺はただ連れて来いと命令されただけでね」
思わずビールを飲む手が止まった。
どこかで聞いたセリフだ。しかもごく最近……。
急いで時計を見やる。午前1時53分。
さっき聞いたのは何時だった?
オレの気のせいか?
それとも映画が回想シーンに入っているのか?
奇妙な感覚を覚えながらも、飲みかけのビールを置いて、再び本を手に取った。
しばらく静かな時が続いた。聞こえてくるのは色あせた映画のセリフと、時代遅れのエアコンの鈍い音だけだった。
ビールを飲んだ事もあり、徐々に暖かくなってきた部屋で少し眠くなってきた時、いきなり甲高い電話の音が鳴った。
誰だ一体、こんな深夜に……。どうせたいした用事ではあるまい……。
少しうんざりしつつもコール4回で受話器を取った。
「もしもし?」
「私、トライアンフビジネススクールの斎藤と申します。はじめまして」
「はあ……。はじめまして」
「早速ですが、貴方は現在大学生でいらっしゃいますよね?」
「そうですけど、あの……今何時だと思っている……」
「今回お電話を差し上げたのは……」
おいおい、なんでこんな深夜に勧誘の電話がかかってくるんだ?
しかもこっちの話を聞こうともしない。これじゃ苛立ちを隠しながらも丁寧に応対したオレが馬鹿みたいじゃないか。
やれやれ……。
少し不快な気持ちになりつつ、タバコに火を点けた。残り3本か……明日の朝までは充分もつな……。
電話の向こうではまだ何か説明している。しかしもはやそんな話に集中する気はない。適当に相槌を打ちつつも聞き流してテレビの方に視線を向けた。相変わらず映画が流れている。
「俺はいいがクリスティーは助けてやってくれ。彼女は何も知らないんだ」
「助けるかどうかは上が決める事だ。俺はただ連れて来いと命令されただけでね」
!?
おかしい……。
このセリフを聞くのは何回目だ?
一体、今は何時だ……?
辺りを見回して腕時計を探した。アナログ式の時計の針は、1時53分を指している。そう、さっきと同じ時間だ……。
時計が止まっているのだろうか?あいにくと秒針はついていない。
「あの……」
礼儀を知らない勧誘の相手にこういう事を聞きたくはないし、そもそも話などしたくないのだが仕方がない。
「お話の途中すみませんが、今何時か分かりますか?教えてくれたら嬉しいのですが……」
「…………」
しばらく沈黙が続いた後、電話の向こうから聞こえたのは甲高い女の声ではなかった。
「俺はいいがクリスティーは助けてやってくれ。彼女は……」
ガシャッ!
これ以上聞く必要はなかった。受話器を乱暴に叩きつけ、心を冷静に保とうとした。
これは……何だ……?
誰かのいたずらか……?
改めて時計を見ようとする。しかしあるべき場所を手でまさぐっても、肝心の時計に触れる事はなかった。
(おかしい……。さっきそこらに置いたはずなのに……)
リモコンを手に取りテレビのチャンネルを変える。4チャンネル、6チャンネル、9チャンネル……。
どこを回しても写るのは同じシーン、同じ映画だ。あろう事か、普段は何も写らないチャンネルでも同じ映像が流れている。
「俺はいいがクリスティーは助けてやってくれ……」
「俺はいいがクリスティーは……」
「俺は……」
テレビを消そうとしたがリモコンが効かない。気のせいか、音声はだんだん大きくなるようだ。
「俺は……」
「俺は……」
「俺は……」
「俺は……」
テレビの電源スイッチを直接押しても映像は途絶えない。オレは最後の手段として、意を決してテレビのコンセントを引き抜いた。
ブンッッ…………。
テレビは……消えた。
オレは荒い息をつきつつその場に座り込んだ。そして、胸の動悸が次第に遅くなるのを感じながらタバコに手を伸ばした。
火を点けて煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。そしてその煙を見るともなしに眺めながら考える。
今のは一体何だったのだろう?
何の悪戯なのだろう?
いくら考えても答えは見つかりそうになかった。
(しかし、とりあえずは終わったのだ……)
ホッと安堵の息をつき、タバコの残りを見るともなしに見る。
3本か……。
!?
ちょっと待て……3本?さっき確かめた時も3本じゃなかったか?
その時突然消えたはずのテレビが点いた。
「俺は……」
「俺は……」
「俺は……」
今までに無いボリュームで同じセリフが続く。耳をふさいでも直接脳に響くように同じ音が流れる。
「俺は……」
「俺は……」
「俺は……」
同じ映像が頭の中でぐるぐると回る。それはしだいに混じりあい、もはや何の映像だか分からなくなった。絵の具をぶちまけ、かき回したような色彩、それが刻一刻と変化し、奇妙な画像を作り続ける。
「やめろ!もうやめてくれ!」
そう叫んだ直後に意識が遠くなり、オレは暗い闇の中に落ちていった。
……ゥン……ゥゥン……ブゥゥン……。
聞きなれたエアコンの音が響く。目を開けるとそこはいつものオレの部屋だった。
(夢……か…………?)
どうやら本を読みながら寝てしまったらしい。ビールも飲んでいた事だし。
おそらくは暖房が効きすぎていたせいで、あんな悪夢を見たんだろう。
辺りを見回し、普段と変わらぬ自分の部屋にいる事を確認し、ホッと息をつく。
点きっ放しだったテレビでまだ深夜映画をやっているところを見ると、寝たと言ってもそう長い時間ではないらしい。
ビールに手を伸ばすと、飲みかけのビールもまだ冷たかった。残りを一気に飲み干し、時計を手に取る。
1時……53分…………。
「俺はいいがクリスティーは助けてやってくれ。彼女は何も知らないんだ」
「助けるかどうかは上が決める事だ。俺はただ連れて来いと命令されただけでね」
まだ、終わっていなかったのだ。