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帰宅後まっ先にパソコンを立ち上げ、身支度をして再びパソコンに向かった。
僕の開設したブログ―――「放課後殺人部」は一日にひと桁しか訪れる人のいない超のつく過疎ブログだ。そしてそのひと桁というのも、痛々しいブログ名に惹かれた好奇心旺盛な人や偶然迷い込んだ人が大半だろう。
少し物寂しい気もするけどそれはそれでかまわない。もともとこれは僕が自分の暇つぶし用に作ったものであって、他人に見せる為のものじゃないんだ。作っておいて言うのもなんだけど、フィクションであってもこんな悪趣味な文章を定期的に読みに来る人間の気がしれない。
人間観察の一環なのだから、もっとフランクに銘打っていれば印象も違うだろうけどね。
ブログに書かれていることは、ペンネームだけのプロフィールと好きな洋楽のジャケットを引用した壁紙、そしてひとりの人が誰かに殺されるまでを綴った三人称の物語―――つまりは本文だ。
これが僕の創作物であるということは最初に記載している。分類も小説になっているし、他人への恨み晴らしと間違われることはないだろう。
もちろんこんなブログのことは誰にも話していないうえ、僕の身分を特定できるような要素は何も書いていない。
それもこれも、飽き性の僕が飽きたときにすぐにでも捨ててしまえるようにするためだ。
消すつもりこそないけれど、こんな異常趣味を身近な人間に知られてしまえばさすがに人間関係に支障が出るし、これから出会う人たちにはなおのこと。
「殺人の妄想を書くのが日課です」なんて履歴書に書いて笑顔で迎えられるのは、その手の病院か僕を凌ぐ上級者の集いくらいだろう。
僕が今までに書いた人たちは誰も彼も身近な人たちがモデルだ。
その人の性格や人当たりに癖、生い立ち、外見、交友関係などを踏まえて、その人の最期にたどり着く。
その誰もが最終的には、身近な誰かに殺されてしまう。
それは事故であったり、一瞬の憤りであったり、同情であったり、そして恨みであったり。
あっけなく逝ってしまう人、苦しみながら命を絶たれる人、納得して眠りにつく人と心情も多種多様だ。
今までに書き終えた物語は、6つ。
全員にはモデルと同様のイニシャルが割り当てられ、殺人を犯す側の人間はいつも現実にはいない「誰か」だった。
その誰かは僕の知っているモデルの人間関係に入り込んでいて、モデルの本質が一番反映される人物となる。
これは意識して作ったルールじゃないんだけど、なんとなく書きながら自然と生まれた法則だ。
殺す側の人間まで現実と同調させてしまうと、物語を広げるのが難しいし、なによりさすがに彼らに申し訳なかった。バレたときのリスクもぶくぶくと太り始めるだろう。
モデルとなる彼らはいつも「被害者」というわけだ。
毎日顔を合わせている人もいるし、仲がいいわけでなくとも亡くなるのは寂しいものと僕が無意識に感じているのかもしてない。
殺しているのが僕自身なのだからおかしな話だけどね。
そう、それで連続殺人犯の僕が人を殺し始めたきっかけだけど、そんなに大したことじゃない。
気になる女子がいたんだ。
隣のクラスにいた、御船愛。
恋愛感情とかじゃなくて、蚊帳の外から僕が見ていただけだったんだけど、彼女はお人好しな人間だったと思う。それでいてある程度リーダーシップもあり、見た目も大人びていて申し分なかった。特別人気ものではなかったにしても気持ちにやたら余裕をもった雰囲気の人という印象。
僕はそんな彼女に他の誰とも違う、どこか不思議な魅力を感じていた。
「恋だね」と友人はそんな僕を茶化したけど、なんというか、触れ合いたいというよりは事実そうしたように遠くから眺めていたいと思わされた。
一見はどこにでもいる女子高生だけど、何故かどうしても彼女が苦しいとか悲しいとか、負の感情を抱いているところが想像できない。これまでに見てきた中にはいないタイプの人間だった。
そういうところに、興味をもったんだ。
唐突に、だ。僕は思いつく。
もし、彼女が死んでしまうとしたら、誰かに殺されてしまうとしたら、一体どんな状況だろうか。一体どんな経緯だろうか。それが分かればきっと御船愛という人間がわかる気がしたんだ。
それから一晩かけて、僕は思いつくままに文章を書き上げる。
その中で彼女は何度も危機に陥るが、まるで死ぬ気配がない。想像の中ですら殺すのに手間取った。そうして最後の最後で、途方もなく大きな力に押しつぶされて彼女のその命は失われてしまう。
そんな内容だ。
執筆を終えた後、僕はその独りよがりな達成感とちっぽけな優越感に浸り、同じように他の人間のことも書いてみたくなった。
そうしてこのブログを立ち上げることになったのだ。
眠気に目をこすっていると口をこじ開けて欠伸が押し出された。
ベットの上で転がっている腕時計は11時付近を示している。
ここからはそのあとのお話。
僕は一ヶ月ほど前からブログを更新していない。
その頃は、ブログを開設して既に半年近く経っていただろうか。
身近なモデルが居なくなってしまったことと、様々なパターンを書き尽くしてしまったこと。単純に飽き始めていたのもあって、毎日の更新が3日に一度になり、やがて週一へ。
それで、暇つぶしの乗り換えを考え始め、本屋に立ち寄って帰ったその日だ。
クラスの友人から回ってきたメールが僕に、目を背けられない事実を伝える。
生徒がひとり死んだ。
死んだのは、御船愛だった。
死因は失血死で、首筋に傷があり、あっけなく、綺麗な顔で冷たくなっていたらしい。
抵抗した様子はないものの、傷の位置や形から殺人の可能性が高いと言われている。場所は人気のない河原で、発見されたのは20時頃だと。
翌日学校では集会があり、翌週まで自宅待機が命じられる。
僕はその日からブログを何度も読み返し、書くのを躊躇った。
洒落にならない。こんなにも彼女が、御船愛があっけなくいなくなるなんて思えなかった。僕には信じられなかった。
大切な人でも、愛する人でもなかったけど、何故か大きな喪失感に包み込まれ、悩む僕を馬鹿にするように世の中はこの事件を忘れようとした。
同時に、御船愛は僕の思っているような人間ではなかったということを分からされる。
自分の他人を観察する行為が急にアホらしくなって、不謹慎にも僕は大きな大きな敗北感を与えられていた。
それがきっかけだろうか。僕の人間観察である殺人ブログは最後の一手が抜けていることに気づく。
僕のこの遊びには答え合わせが抜けていた。
僕の知っている彼らと、本当の彼らは違うのかもしれない。それを検証する手段は、おそらくひとつしかない。
しかしその時は、走りかける狂気を奥歯で噛み潰して喉の奥へと追いやった。
深呼吸をして、左手を人工の光にかざしいろいろと、反省するうちに眠りに落ちた。
くだらないことを考えたのはそれっきりで、事件の約一ヶ月後の一昨日には、僕自身も冷静にその頃のことを振り返るくらいだった。
結局、彼女は本当はどんな人間だったのだろうか。僕の見ている周りの人間は、本当に僕の知っているような人間なのだろうか。
それだけをときどき考えて、もとの日常の箱庭を歩き回る。
油断して、なんにも気負いせずに訪れる冬に気を配りながら毎日を過ごす。
だから、一昨日学校で見つかった殺人予告は完全に不意打ちだったわけで、こうして再び更新されないブログを今日も読み返すわけだ。
そして何度読んでもその殺人予告が、僕の想像したある人間の最期に類似しているように思えてならない。
事件はまだ、終わっていないのだろうか。
僕のこの趣味は、独り歩きして続いてしまうのだろうか。
呑み込んだはずの狂気が、胃の奥で熱を帯び始めた。
ありがとうございます!
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