第66話 遺言
それからおよそ3週間ほど、おれは戦いのために身体を慣らしていた。夜はユリハやグラと飯を食っていたが、日の差している時間は常に刀を振ったり瞑想をしたりしていた。
混沌神との戦いで痛めた肉体を回復しながら、神聖力を身体中に循環させていたのだ。サタンと戦うには神聖力が必要だった。あの災害に立ち向かうには。
ほどよい緊張感の中、おれの心は少しずつ震え上がっていた。強者との戦いというのは、よほどの状況でもない限りは楽しいものだ。例えばそれが世界の命運を分ける戦いだとしても、相手が大切な人の仇だとしても、その瞬間の高揚感は憎しみを上回る。
それは人によるものだろうから、おれは戦闘狂なんだろうな。そりゃそうか。昔は大した意味もなく力を求めていたぐらいなのだから。
だが今回に関して言えば、高揚感だけでなく、少しばかり恐怖による震えもあった。なぜかは分からない。正直死ぬのは大して怖くはない。これまでに死ぬ以上の苦しみは味わってきたから。
では何に対して恐怖しているのか。それはサタンが計り知れないほどの力を有しているからだろう。かつて命を賭して打ち破った第二の魔神・“傲慢”のルシフェル、彼は封印から解放された直後というだけあって、全盛期とは程遠い実力だったようだ。
そしてそんな彼を凌駕するのが第一の魔神・“憤怒”のサタンだ。肩書きに踊らされるつもりはないが、獄境で見た彼女の力の片鱗は、それだけでおれやルシフェルを遥かに超えていることを理解させられた。
おれが今まで、そしてこれから戦っていくであろう全ての者の中でサタンは言葉の通り最強なのだ。今までの経験を全て無に返すほどの力。だからこそ恐怖しているんだ。
……たぶん。……いや、これこそ“緊張”と表現すべきか。だが、失うものもないから純粋に戦いを楽しめる。こんなことは今までなかった。せっかくならとことん楽しんでやろうじゃねぇか。サタンもそれを望んでいるんだ。
「…………行くか」
闇に包まれた空が微かに赤みがかると同時におれは瞑想を終え、横に置いた刀を腰に差して城を後にした。
一歩一歩を確かに踏み、獄境へと繋がる転移門へと向かった。獄境の城に寄り、ユリハとフリナにこれからサタンと戦ってくるということを伝え、サタンの下へと向かった。
そこは天を貫くほどに高く聳えた山脈に囲まれた、平坦な円形の土地だった。ちょうど街が一つか二つ入るほどの面積の大地の中央に、彼女は待っていた。
「遅かったね! にーさん! ボクったらもう数時間も待ってたよ!」
「そりゃあお前が早かったんじゃねぇか? ……にしてもまぁ……邪魔は入らなそうだが……」
おれは周りを見渡しながら考えた。わざわざこんなところに来る者もいないだろうが、おれとサタンが本気で拳を交えればここの山脈は綺麗さっぱり灰塵になっちまうぞ。
そしてこの土地の10倍程度の大きさの大穴ができるところまでは想像がつく。……いや、もっとか。勝負が一瞬でつくとしたらここも残るかもしれないが……いや、それもないか。
おれにしてもサタンにしても、渾身の一撃を放ったら大陸を越えて影響を及ぼすからな……。でもそう考えるとどこに行ったって最善の地なんてものは存在しないか。
「にーさん今、“こんなところで暴れたら地形変わっちゃうなぁ”って思ってるでしょ」
「正解。それが分かっててここを選んだんだな」
「まぁここが1番マシそうだったからね」
「……1番マシなのは“果ての地”辺りじゃねぇかな」
「あそこはダメ! 暑いもん! もう二度と行かないね!!」
サタンは本当に暑いところ、というか異常なまでに暑い“果ての地”が苦手なようだ。少し前までは血眼になって探していたというのに……現実を知るというのはなかなかに恐ろしいものなのだな。
「まぁそれはさておき。本当はどこでもよかったんだよ? ただ人が寄らない方が好都合だからここなんだ」
「?」
そう言うと、サタンは自身の魔力を練って何かしらの術を発動しようとしていた。常識外なほどにデカく濃い魔力が渦巻き、その嵐の中心で行われている繊細な魔力操作は、おれでさえ完全に知覚することはできなかった。
そして何より、サタンの魔力に影響されて、大気中の魔素までもがその魔力操作に働いているようだった。なるほど、強大な魔力を用いれば、ある程度魔素を支配することも可能らしい。もっとも、サタンはそれを認識しているようではなかったが。
「『神域召開』」
「『神々の園』!」
「ッ!?」
サタンが唱えるとその瞬間、彼女の魔力が波のように押し寄せ、それと同時に一つの世界を展開した。いや……特殊な領域を召喚したのか?
おれは咲き乱れる草花の上に立っており、果てしなく続く大地の向こうからは静かに川の声が聞こえる。空気は澄んでおり、心地よい風が吹いている。
天は遥か上空まで広がっていて、まさに楽園と呼べるような領域だった。
「どう? 神域から出なければ外に影響を及ぼすことはない。それでいて外から魔素は流れてくるからにーさんに不利ってわけでもないよ」
「すげぇな。お前は疲れないのか?」
「展開するのに少し魔力が必要なだけだよ。どうせ充分に戦える場所なんてないんだから、これくらいの負担は大したことないしね」
強いて言えば、この領域が能力によるものであるために『反魔法』は使わない方がいいってとこくらいか。
……いや、そもそもサタンほどの魔力出力であればそれも通用しないし、おれが不利になることは実質ないな。
「死ぬかもしれないんだ。遺言があれば聞いておこうか?」
「そうだなぁ……。悪くない人生だったよ」
おれは鞘から刀をゆっくり抜きながら、サタンの問いかけに答えた。




