心の在処
弓使いの冒険者のアロウのところに、みなしごのシンが転がり込んだ最初の冬の出来事。
アロウの部屋は居心地がいい。でもまだ「ずっとここにいていい」という確信が持てないシン。
はやく。はやくなおして、かくさないと。
「なにしてる!」
鋭い声が外気を裂く。
――おわった。
絶望的な気分でシンは顔を上げた。
中庭に積もった雪を蹴立てて駆け寄ってくるアロウが見える。
井戸水を汲んだたらいを体でせいいっぱい隠してあとずさるシンを見て、アロウは数歩前で足を止めた。
「――シン」
「ご、ごめんなさい!すぐに元に戻すから!!」
嘘だ。元通りにするあてはない。
部屋の中も相当な惨状だ。見られたら……終わる。
この宿を出て、元の路地裏に戻らなければ。
なぜだか景色が滲んだ。
ただ元に戻る、それだけなのになぜだろう。
しゃくりあげた拍子に、えづいてしまう。吐くものも尽きて、口からこぼれるのはわずかな胃液だけだ。
たらいの中に押し込んだシーツは、吐しゃ物にまみれていた。
「ちゃんと片付けるから……ちょっとだけまって……たたかないで……」
頭を抱えるようにしてうずくまる。いくら優しい人間でも、こんな粗相を見逃したりはしないだろう。人間らしい振る舞いができなかったのは、シンなのだから。
「シン、何も悪いことをしてないから大丈夫だ」
「……え?」
アロウの声は、まだ優しいままだった。
「本当だ。大丈夫だから、それを置いてこちらにおいで」
差し出された手をシンは呆然と見る。
「で、でも……かたづけないと」
「片付けは後でいい。まずは治療しないと。お前は病気なんだ」
まだ戻れるのだろうか。あのあたたかい部屋に。
アロウが言ってることはよくわからなかったが、差し伸べられた手に一縷の希望を見てシンはすがった。
シンがそっと乗せた手をアロウはしっかりと握り返すと、抱き寄せた。
通じているかはわからないが、とにかく安心させるために声をかける。
「誰も怒らない。心配ないから、ゆっくり休むんだ」
熱でもうろうとしているシンは、ぼんやりとした目で荒い呼吸を繰り返していた。
厨房の勝手口が開いて女将が顔を出す。
「湯を運んどいたよ!ここはいいから、早く部屋入んな!」
「ありがとう!感染症だ、片づけは俺が後でする。部屋には近づかないでくれ」
「直接触んなきゃいんだろ、やっとくよ」
「すまない」
戸口へ向かいながら腕の中のシンを見下ろすと、すでに瞼を閉じていた。高熱で体が熱い。
真冬の流行病が町を襲っていた。治らないわけではないが、対症療法しかない。毎年それなりの数が命を落とす。シンは回復力が強いとはいえ、それで苦しさが減るわけでもないだろう。
むしろ寒空の下で無理に後始末をしようとしていたのがダメージになっているはずだった。
気付くのが遅れていたら、きっとひとり雪の中に出て行ってしまっていただろう。
「もう大丈夫なんだって、どうしたら伝わるんだ……」
シンの心はまだ、誰にも手を差し伸べられないままの、あの冷たい路地裏にあるのかもしれない。
やるせない気持ちで、アロウはシンを抱え直した。




