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身の丈と身の程をお弁えあそばせ

 カフェテリアのテラスで友人たちと談笑していたローザは、廊下から聞こえてきた汚らしい声にうんざりと溜息をついた。聞き憶えのあるその声は、今学期からこの国に留学してきた自称近隣国の自称王太子・クズュムイルト・ゼノキアのもので。

「いやだわ、また……」

「あの方の従者も、権力を笠に着て傍若無人で……」

「陰口も噂話も、品がなくてよ」

 (たしな)めるローザに、少女たちは唇に手を当てる。

「言いたくなる気持ちは解りますけれども。

 今は、それどころではないわね。薄汚い野狐に絡まれた、憐れな兎さんを解放してさしあげなくては」

「ローザ様ばかりが矢面に立たれるのは、納得できませんわ」

 眉を下げる友人に、ローザは薔薇のような華やかな笑みで答えた。

「この学園であの方に物申せるのは、(わたくし)と、学園の理事を務めるお兄様しかおりませんもの。

 弱い犬がキャンキャン吠えているだけだと、様子見していたのだけれど……そろそろ、痛い目をみていただこうかしらね」

 近隣諸国どころか自国の歴史や文化、経済すら把握していないであろうお(つむ)の緩いゼノキアの自称王太子の、頭の螺子を締め上げてやるときが来たようだ。

「カルミア、供を」

「はい」

 背の高い黒髪の侍女を伴ったローザは、滑るような足取りでカフェを出た。すぐそこに人だかりができている。気配に気づいて振り返った生徒たちが、慌てて顔を伏せた。

「免礼」

 カルミアの声に、皆おずおずと顔を上げる。

「発言を許します。

 今度は何をやらかしたのかしら、あの方は」

「マクティユアーナ公爵令嬢、どうかイリューをお救けください!」

 栗色の髪の、わりと愛らしい顔立ちの少女が人波を割ってローザの足下に跪いた。

「免礼と言ったでしょう?

 お立ちなさいな、ドルシラ・ニーレント男爵令嬢。話を聴きましょう」

 差し伸べられた優美な手に、ドルシラと呼ばれた少女はぱっと顔を上げた。丸い頬の左側が赤く染まって腫れている。

「マクティユアーナ公爵令嬢が、私を御存じとは……!」

「あら、お兄様も私も、学園の関係者はほぼすべて把握しておりましてよ。

 ――ドルシラ・ニーレント男爵令嬢、少々、失礼をするわ」

 ローザは腫れた頬に指を触れ、魔力を流す。痛々しかった頬が、ローザの魔力で癒されていった。

「どうぞ『ドルシラ』とお呼びくださいませ、マクティユアーナ公爵令嬢」

「そう? では私のことも『ローザ』と」

「は、はいっ、ローザ様!」

 素直な様子のドルシラに笑みが洩れる。

 ローザはすぐに表情を改め、クズュムイルトが馴れ馴れしく抱き寄せる少女を見た。

「……彼女はイリューリア・カンフォッサ男爵令嬢ね。御家系は近々伯爵位と性姓(せいせい)を許される筈と記憶しているけれど」

 たしか、彼女の兄が国境の防衛で勲功を立てた、その褒賞の筈だ。爵位が上がり性姓が許されれば、彼女は『カンフォシアーナ』と女姓で名乗ることになる。

「子爵を飛ばして伯爵……どれほどの勲をお立てになったのかしら」

「セオノルト様――カンフォッサ男爵令息は、剣にも魔法にも秀でていらっしゃいますから」

 ドルシラの言葉に、ローザはカルミアを振り返った。

「セオノルト・カンフォッサ男爵令息について、何か知っていて?」

「彼はわたしより2歳(ふたつ)齢上」

 穏やかな声が割って入る。乳酪のように滑らかで、天鵞絨(ビロード)の如く耳に快い。

「お兄様」

「免礼」

 礼をとる生徒たちに、ローレンス・マクティイオートは微笑んで手を挙げた。ひらりと泳がせる指の先まで洗練された、生まれながらの大貴族らしい所作だ。高慢かもしれないが、決して傲慢ではない。

「現在は北方国境の防衛に出ている。非常に優秀な軍人だよ」

「学園にいらっしゃるなんて、珍しいこと」

「理事が学園にいておかしい理由はないだろう?」

「ですが、お兄様は宰相閣下の秘蔵っ子ですもの、王宮に詰めていらっしゃることが殆どでしょう?

 ――何か、お兄様が直々においでにならなければならないような事態がございまして?」

「ああ、まあね。

 陛下からの御命令だよ」

 ローレンスは、揉めている二人――正確にいうと、クズュムイルトの取り巻きが加担しているので多勢に無勢状態だが――を一瞥した。

「猶予しないほうがいいね。目に余る」

「お兄様が出ては、不必要に大事になってしまいますわ。私が収めます」

「では、わたしは控えていようか。万に一つもないとは思うが、おまえが抑えきれなかった場合の始末は任せるといい」

「頼もしゅうございますわ、お兄様。

『後始末』、宜しくお願い致しますわね」

 含みを持たせた言葉に兄の眉がわずか(ひそ)められたのを見届け、ローザは歩を踏み出す。

「クズュムイルト・ゼノキア殿、御機嫌宜しゅう」

「あ? また貴様か」

「サリスファリス王国が公爵家の娘ローザ・マクティユアーナ、ゼノキアよりの留学生クズュムイルト・ゼノキア殿に御挨拶申し上げます」

 心底不愉快そうなクズュムイルトを意に介さず、ローザは膝を折って完璧なカーテシーを披露した。正装でも盛装でもない、学園の制服だというのに、その優雅さ美しさに群衆の溜息が洩れる。

「マ、マクティユアーナ公爵令嬢……」

「御機嫌麗しゅう――というわけでもなさそうですわね。イリューリア・カンフォッサ男爵令嬢」

 す、と前に進んで手を伸ばしたローザを、取り巻きの一人が払い除ける。

「イリューリアは王太子様とお話し中だぞ」

「お話しするのに腰を抱く必要がありまして?

 それと、クロイド・モネンス子爵令息。あなたの爵位がカンフォッサ男爵令嬢より上であろうと、親族でも許婚者でもない異性を名で呼ぶのは無作法極まりなくてよ。()してや、カンフォッサ家はじきに伯爵位を下され、性姓を許される家柄。口を慎みなさいな」

 言外に “性姓を許されない家柄の分際で” と蔑みを含ませて片頬で笑う。ローザは家格や出自で相手を格付けするようなことは基本的にしないが、この手の輩にはこの対応が一番の挑発になると知っていた。案の定、クロイドと、恐らくは彼と同格かそれ以下であろう取り巻きが激昂するが、血の気の多い生徒の手はカルミアに簡単に捻り上げられた。

「クズュムイルト殿はともかく……この学園の関係者で、まだ私の侍女のことを御存じない方っていらっしゃったのね。

 カルミアは私の専属の侍女であり、専属の護衛でもあります。サリスファリス王国の騎士団でも最も勇敢で苛烈と謳われる【ネメア騎士団】を設立したオルテロッシァ侯爵家の令嬢でもあり、幼少時より厳しい軍事訓練を叩き込まれているの。並の騎士では、二、三人がかりでも敵わなくてよ。

 それと、彼女自身、伯爵の爵位を持っていますし、性姓で名乗ることも許されている。子爵や男爵の令息風情が、私の侍女に気安く触れないでいただきたいわ」

「ああ、この国では、高位の貴族は性別で名乗りが変わるんだったな。何のためなんだか、意味が解らんが」

「高位であれば誰にも許されているわけではございませんわ。公爵家であっても性姓を名乗れない家もございます。

 そうでしょう? ミリシラ・ガーガンテス公爵令嬢」

 嫌がって逃げようとしているイリューリアの肩を押さえつけていた女生徒の肩が跳ねる。

「わたしの友人を侮辱するか」

 怒りに頬を染めるクズュムイルトを、ローザは涼しい顔で()なした。

「事実を申し上げたまでのこと」

「貴様とて、ミリシラと同じ公爵家だろうが」

「ガーガンテス公爵家は過日の失態で家格を下げられておりますの。爵位の降格や剥奪にならなかったのが不思議なほどの重大な失態を犯したために……ね。

 筆頭公爵家の我がマクティーヤ家を、一緒にしないでいただけますかしら」

 フンと鼻で笑う。とても一国の王太子と相対しているとは思えない。

「カルミア、カンフォッサ男爵令嬢をお連れして」

「はい。

 カンフォッサ男爵令嬢、こちらに」

「下賤な召使の分際で手を出すな!」

 カルミアはクズュムイルトの癇癪をものともせず、イリューリアに絡まっている、王太子や取り巻きの腕を引き剥がしてイリューリアを解放した。半泣きのドルシラが、イリューリアに抱きつく。

「イリュー!

 ああ、よかった!」

「ドリー!

 ごめんなさい、わたしのせいでぶたれてしまって……!」

「大丈夫よ、イリュー。

 ローザ様が治癒を施してくださったの」

「え……」

 高位貴族を名前で呼んだ友に、イリューリアは戸惑う。ローザは小首を傾げて微笑んだ。

「私が許したの。

 あなたも、よろしければ『ローザ』と呼んでちょうだい」

「あ……ありがとうございます。

 ローザ様、私のことも『イリューリア』とお呼びください」

「ええ、喜んで。イリューリア嬢」

 ローザは、そっとイリューリアの両手を取った。

「強く掴まれたのね、痣が残っているわ……痛かったでしょうに」

 それよりも、恐怖が勝っていたかもしれない。そう思いつつ、ローザはイリューリアの傷も癒した。

 魔力を流しながら、イリューリアを観察する。朝焼けに浮かぶ金色の雲のような、ふわふわとクセのある淡い金の巻き毛は緩やかに背に流れている。よほど怖かったのだろう、うっすらと涙の幕が張ったその向こうには、鮮やかに萌える春の若葉と同じ新緑の(ひとみ)。華奢な肢体は凹凸に乏しく、まだ少女めいていたが、均整は取れていた。

「――そういえば」

 痣の消失を確認してイリューリアから手を離したローザは、ドルシラを振り返った。

「あなたに手をあげたのはどなたかしら、ドルシラ嬢?」

 問いの形をとりつつ、その視線はまっすぐにクズュムイルトを刺している。

「…………………………あ、あの……」

「ゼノキア王国王太子殿下です」

 怒りの滲む声で、イリューリアが答えた。

「だろうとは思っていましたが……何のひねりもなくてつまらないわね」

 ローザはつかつかとクズュムイルトに歩み寄った。間近に立つと、ローザが余裕でクズュムイルトを見下ろすようになる。なにせ、頭一つ分は身長差があるのだ。これはクズュムイルトが極端に小さいというわけではなく、ゼノキアの民は、そもそも小柄な者が多い。

 敢えて威圧するように見下ろすと、クズュムイルトはたじろいだ。

「……っ、な、何だ! 文句があるのか!?

 その小娘がわたしの邪魔をするから、身の程を思い知らせてやっただけだ!」

 ローザは無言で嫣然(えんぜん)と微笑み、何の予備動作もなく左手でクズュムイルトの横っ面を張り倒した。一応は打擲(ちょうちゃく)を警戒していたようだが、左が来るとは思わなかったのだろう。クズュムイルトは受け身もとれずに吹っ飛ばされ、取り巻きを巻き込んで派手に倒れた。

「私、左優勢の両利きですの」

「お嬢様、そのような輩のためにお手を煩わせずとも、私に命じてくだされば……」

「あら、このような品性下劣な輩のために、私のかわいい侍女を動かしたくはないわ。

 扇で殴ろうかとも思ったけれど、その扇を後で使うのも嫌だし、使ったがために処分しなくてはならなくなるのも嫌だしね。今日の扇は気に入っているから」

 カルミアは手巾を出してローザの左手を拭いた。

 無様に床に尻餅をついたクズュムイルトは、ドルシラの数倍腫れあがった頬を押さえて怒りに身を震わせていた。

「…………………………貴様…… “女だから” と大目に見てやっていれば図に乗って……!

 たかが公爵の娘のくせに! オレは一国の王子、しかも王太子だぞ! 国を通じて正式に抗議すれば、貴様も貴様の家もどうなるか、解っているのか!」

 クズュムイルトの言葉に、イリューリアもドルシラも――否、その場にいた殆どの者は蒼褪めた。筆頭公爵家であるマクティーヤ家はサリスファリス王国に於いて王家に次いで古く高貴な名門だし、国の規模も歴史もゼノキア王国の数倍はあるが、それでも、双方の王家を通じての正式な抗議が容れられれば、相応の処罰は免れまい。

 だが、当のローザも、(はた)で見守っているローレンスも、侍女のカルミアも、涼しい顔でクズュムイルトを見下ろしていた。

「…………………………はぁ」

 扇を広げ、その陰でわざとらしく嘆息する。

「本当に、御自身の国の成り立ちですら御存じないのね。呆れた……。

 確かに、学科の歴史では、そこまで詳細には教えられませんけれども、王族、それも次期国王となる王太子殿下でしたら『常識』の範疇でしてよ?

 それと、先ほどから私を貶める意味で『貴様』と(おっしゃ)っているのでしょうが、本来『貴様』は目上に対する敬称ですのよ。『御前(おまえ)』も同様にね。

 まあ、身分的に、下賤な輩が使う卑罵語に明るくなくても当然ですけれど」

「 “オレの国の成り立ち” って……何だよ……」

「端的にいえば【サリスファリスで罪を犯して追放されたならず者が居ついた所に建てた国】ということですわ」

「……は?」

「ゼノキアの王族の祖は、その連中を監視監督させるために派遣された模範囚でした。

 それが何を血迷ったか、見張りに付けられていた看守数名を殺害し、我が国からの独立と建国を宣言して、できた国がゼノキア王国よ」

「ちなみに、我が国は未だに貴国を独立国として承認していないことは知っているかな?」

 ローレンスが、やんわりと口を(はさ)んだ。

「だから、わたしも妹も、君のことを『王太子』だとか『殿下』だとか、一度も呼んだことはない。

 この学園に在籍している、我が国の王太子殿下や第一王女殿下が君に目通りしないのも、それが理由だよ」

 その場にいる、カルミア以外の者も知らなかったのか、驚愕が場を支配する。それまでクズュムイルトに(おもね)っていた取り巻きも、汚らわしげな視線を向けて後退(あとずさ)った。

「クズュムイルト・ゼノキア殿」

 ローレンスが、ひたと視線を据える。

「貴公は、留学先に我が国が指定された理由を聴いてはいないのかな?」

 クズュムイルトは、気圧され気味に答えた。

「…… “サリスファリスが留学を受け入れてくれた” と……」

「 “留学が認められた” “許可された” ではなく “受け入れられた” ――この言葉の違い、お解り?

“受け入れられた” ということは “『受け入れ先』を探さなければならなかった” 即ち “他に受け入れてくれる国が見つからなかった” ということよ」

 ローザの言葉に、クズュムイルトは絶句した。

 彼は今まで、自分が、自分の国が、周辺諸国から疎まれているなどとは、考えたこともなかった。確かに小国だが、国の大きさなど問題ではないと思っていた。大国であるサリスファリス王国に留学できたのも、自分が至極優秀だからだと思っていたし、なんならサリスファリスのほうから留学を乞われたと思っていたのだ。

「それで真摯に学業に勤しんでいれば、少しはゼノキアとの付き合い方も考えたのだろうけれどね」

「頭も素行も悪い取り巻きを随えて、なさることといえば気に入った女生徒に性的に絡むか、気に入らない男子生徒に暴力的に絡むか……。

 男子生徒に喧嘩を売るのは気晴らしでしょうけれども、手当たり次第に女生徒に接触して迷惑をまき散らすのは、留学の目的を『花嫁探し』と勘違いなさっているのか、それとも『旅の恥は掻き捨て』とばかりに女遊びに勤しんでいらっしゃるのか……。

 それならそれで、喜んで躰を開くであろう、取り巻きのミリシラ・ガーガンテス公爵令嬢やらヴィオレッタ・ルーケンシェット伯爵令嬢やらに留めておけばよろしいのに、わざわざ、嫌がっている女性に手を出そうとなさるんて……蛮人の考えることは理解できませんわね」

 すると、クズュムイルトを取り巻いていた数人の女生徒が小さく悲鳴を上げて、また後ろに退()がった。予想するまでもないことだが、『他国の王太子』の恩恵に与ろうと、関係を持っていたらしい。額を突き合わせてこそこそと話す声が漏れ聞こえてくる。

「嫌だ……」

「犯罪者の家系だったなんて……」

「道理で、アノとき乱暴だと……」

「最底辺の罪人が王族ぶって、貴族の娘を穢すなんて……」

 嫌悪に満ちた目を向けられたクズュムイルトが怒鳴る。

「何を言うか! 『貴族令嬢』とは名ばかりの淫売が!

 オレに言い寄ってきて誘惑したのはおまえらだろう!」

「はぁ……『同じ穴の狢』というか……『()れ鍋に綴蓋』というか……。ああ、鍋に蓋は一つですから、どちらかといえば茶器かしら? ポット1つにカップ1組なんて茶器のセットはありませんものね、茶器ならいくつカップがあっても当たり前だわ。

 まあ、人様の前にお出しできない失敗作揃いの不出来なカップのようですけれど。我が国の貴族の質も、ずいぶんと低下したものね。

 半面、カンフォッサ男爵家のような、国王陛下と王国に忠誠を誓い武勲を立てる、立派な貴族もいらっしゃるというのに」

「う、うるさい、うるさい」

 癇癪を爆発させたクズュムイルトは、取り巻きたちを見回した。

「だいたいおまえたちは、オレが “王太子だ” と喜び勇んで接触してきただろう!

 それに、その女だって!」

 そう叫ぶと、ドルシラが背に庇うイリューリアを指差す。

「にこにこと笑って、オレに相対してたんだ! 本気で嫌がってたわけじゃない、おおかた “自分の貞操はそんなに安くない” とアピールしたかっただけで、オレの寝室まで来たら、自分から股を開いたに違いないんだ!」

「自称とはいえ、一国の王太子とは思えない品性下劣なお言葉ですこと」

 ローザは扇の陰で眉を(ひそ)めた。

「『嫌よ嫌よも好きのうち』とはいいますが、それは双方に、相手に対する愛情があるのが最前提のうえでの、恋の駆け引きでしょうに。

 そもそも、他国の王族、しかも王太子だと思っている相手に声をかけられて、初手から邪険にできる者がいるとお思い? 自国の評判を落とさないためにも、当たり障りなく応じるでしょうよ」

「はい、そこまで」

 ローレンスが、ローザの前に進み出た。

「サリスファリス王国の廷臣として、国王陛下より託された」

 一瞬ざわめきが起こり、すぐに、水を打ったように静まり返る。国王からの勅書を、宰相の名代として、その秘蔵っ子が披露する。その意味を知らぬ者は、この場にいるサリスファリスの民の中に一人としていなかった。

「タネンファス」

 ローレンスに呼ばれた側近は、大仰な仕種できれいに巻かれた書類を取り出し、主に手渡す。受け取ったローレンスもまた、わざとらしいほどに恭しく広げて見せた。

「――は!?

 ゼノキア王家の……紋……!?」

 その紙の裏、全員から見えているそこに、薄い透かしで見慣れない紋章が浮かび上がっていた。上半身は翼を持たない双頭の禿鷲、下半身は蛇――異形のそれは、ゼノキア王家の紋章だった。

「これはゼノキアから――君の父上から届いた書状だよ。

 要約すると “貴国サリスファリス王国に於ける息子の悪評は(つぶさ)に聴き及んでいる。国から出せば少しは行状も改まるかと思ったが、(あらた)まるばかりのようである。ゆえにクズュムイルト・ゼノキアの王位継承権を剥奪、廃太子とし、次子カレンデュラ・ゼノキアを次代女王に指名する” 」

「ふざけるな! カレンデュラはまだ9歳じゃないか!」

「その9歳の幼女のほうが後継に相応しいと思われるほど、あなたの素行がよろしくないということよ。

 お兄様、他には?」

「ああ、そのまま王籍からも除籍するそうだよ。留学の世話だけは続けるそうだけれど、それはサリスファリス王国との契約期間が決まっているからだね。

 留学期間が終了次第、正式に除籍とのこと。最後の、親としての恩情で、遠縁の男爵家に養子に入る手筈を調(ととの)えているそうだ」

「遠縁……男爵家……それって、東の辺境の貧乏貴族のことなんじゃ……」

 クズュムイルトの顔から血の気が引いた。

「君の系属のことは知らないからね。

 その男爵家が、君が想像しているとおりなのか、また別の家なのかは知らないよ」

「『自称・王家』のお血筋が御自慢のあなたには我慢ならないでしょうけれども、庶民や賤民に堕とされずに済んで、まだよろしかったのではなくて?

 一応は、貴族の端っこに引っ掛かっていられるのですものね」

 つまらなそうにそこまで言うと、ローザは扇の陰で(わら)った。

「まあ、私の侍女や、ちょっかいをかけていたイリューリア嬢より下の身分――カンフォッサ男爵家は伯爵家に昇格することが決定していますから――になってしまいますけれども」

 クズュムイルトはぶるぶると身を震わせた。

「お……オレが……一国の王太子だったオレが……辺境の貧乏男爵、だと……!?」

「『男爵』ではないでしょう?」

 カルミアが呟く。

「いま現在、判明しているのは “男爵家に養子に入る” という情報だけであって、 “嫡子として迎えられる” とは限らないのでは?」

 クズュムイルトは絶望に染まった顔で、のろのろと周囲を見回した。ゼノキアから随った者は、多少なり忠誠心がある様子だが、サリスファリス王国の学園で得た取り巻きは一様に顔を引き攣らせて、後退ったり目を逸らしたりしていた。

「あなたが『異国の王族』『王太子』を売りにしていたから、彼らはそれを買った。

 その付加価値が失われるとなれば、あなたの相手をする意味がなくなるのは当たり前でしょう?

『あなた自身』を磨き、価値を上げることをしてこなかった――現状は、あなたの自業自得でしかありません」

「……っ、どいつもこいつも、オレをバカにしやがって……っ!!」

「ローザ様!」

「ローレンス様、お退がりください」

 懐から守り刀を取り出したクズュムイルトに、さすがにカルミアとタネンファスが些かの緊張を見せる。

 が――。

「無用」

「退がりなさい、カルミア」

 ローレンスは微笑んで無造作に手を振り、ローザは涼しい顔で前に出た。

「我が妹は、そんなに弱くはないよ」

「相手の射程にとび込まなければ使えない短剣を得物にしようと、思う時点であなたの敗北確定。

 それとも、体術の心得もない『お貴族様の小娘』と侮っていらっしゃるのかしら」

「ローザ様との体格差を考慮すれば、必ずしも悪手とはいい難いかと思われます」

「それもそうね」

 カルミアの言葉に片眉を上げる。

「けれど、実力差を測れない時点で、やはり『愚か』としかいいようがありませんわ」

「ローザ様、剣を――」

「ありがとう、タネンファス。でも問題ないわ。

 あなたはその剣でお兄様をお護りしてちょうだい。必要となれば、自分の剣を使います。

 私が専用の亜空間を持っていること、忘れていて? 王族の皆様やお兄様ほどの収容能力はありませんけれど、愛用の武器や、愛読している専門書や嗜好書の百冊程度は納められてよ。

 それに――」

「この状況で、何をごちゃごちゃとくっちゃべってんだ!」

 激昂したクズュムイルトが短剣を振って鞘を飛ばす。剥き出しになった銀色の刃を目の当たりにした周囲の生徒から悲鳴が上がったが、ローザは嘆息しただけだった。防御の構えすらしていない。

「私が、この程度の輩に後れを取ると思って?」

 ローザは扇を左に持ち替えた。

「……型も何もない、がむしゃらに突っ込んでくるだけの猪――いえ、猪のほうが、よほど(さか)しらかしら」

 繰り出された短剣の軌跡を扇の先で逸らし、そのまま短剣の腹に滑らせて手首を返し往なす。たたらを踏んだクズュムイルトの延髄を強かに打ち据えた。

「一応、急所は外してありますわ。御安心を」

 床に顔から突っ込んだクズュムイルトに、従者たちが慌てて駆け寄る。翻筋斗(もんどり)打つクズュムイルトを見下ろして、ローザは告げた。

「……そういえば、あなた方」

 目を(すが)めて、わたわたと手当をする従者たちを見る。

「クズュムイルト殿の護衛も兼ねているのではないの? どうして先ほどは、主を制して自分たちが制裁しようとしなかったのかしら?

 カルミアやタネンファス――私やお兄様の護衛は即座に反応して、私たちを護ろうとしていたというのに」

「ゼノキア家が求心力を失っている、ということだろうね」

 ローレンスが静かに言う。

「国を興したカスァニシス・ゼノキアは、罪人といってもそれなりにカリスマ性のある有能な人物だったらしいけど。

 惜しいね、真っ当な道を歩んでいれば、サリスファリス王国にとって有用な人材だっただろうに」

「カスァニシス・ゼノキアは先々代でしたかしら?

 つまり、クズュムイルト殿は『身上潰す三代目』ですのね。この無能さも然りだわ」

「誰が無能だ!?」

「少なくとも、あなたのお父様――ノマリエイト・ゼノキア殿は、そう思っていらっしゃるのでしょう。

 だからこその廃太子、だからこその王籍剥奪でしょうに」

「黙れ!」

 今度は腰の剣を抜いて斬りかかってくるクズュムイルトを、ローザは先と同様に扇で躱し、一撃を加えた。

「もうおやめになったら? 無駄に痛い思いをするだけでしてよ」

「……きさま……その扇、普通じゃないだろう……!?」

「御名答。

 これは骨に木ではなく、鋼を使った鉄扇ですの。東洋の商人からの貢ぎ物ですわ。

 その気になれば腕や脚の骨なんて簡単に砕けますし、打ちどころが悪ければ死にますわよ」

「それ以上ローザに挑もうというなら、我が国の高位貴族に害を及ぼしたとして、国を通して正式に抗議をすることになる――そうなれば、どうなるかな?」

 最前、自らが脅しに使った文言が、クズュムイルトに返ってくる。

「留学終了まで猶予されている王籍を、即座に剥奪されるでしょうね。さらに、男爵家への養子縁組の話もなくなって、市井に降ろされることになるかも」

 クズュムイルトはへたり込んだまま、仁王立ちの兄妹を見上げた。

「いま以上に状況を悪化させたくないのであれば、(つつが)なく留学を終えることに専念なさることね。留学期間中は、あなたが自称していらっしゃる『王族』の身分は保証されるのだから。

 尤も、もうあなたをもち上げる幇間(たいこもち)は、お国から伴った従者以外は誰一人としていなくなるでしょうが」

 クズュムイルトを取り巻いていた輪が、また遠ざかる。

「よろしくて?」

 ローザはクズュムイルトに歩み寄り、閉じた扇の先で顎を上げさせた。

「あなたは『留学』にいらしたの。学ぶためにいらしたの。

 お国にいらしたらできないような羽目を外すためではないの。

 粛々と学び修め、お国にお帰りなさいな。心を入れ替え行状を改めるなら、除籍も下位貴族家への養子縁組も、撤回してくださるかもしれなくてよ。王太子には戻れないでしょうけれどね」

 ぎりぎりと悔しそうに歯軋りするクズュムイルトに、ローザは不敵な笑みを向けて囁いた。

「身の丈と身の程をお弁えあそばせ」



 ―― 了 ――





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