第6話 封印:剣に黙る術はない
管理局の建物は、外の賑わいを扉一枚で切り離していた。
廊下へ入ると音が薄くなる。足音は木の床に吸われ、会話は紙の匂いに絡まって丸くなる。紙、墨、乾いた金具。落ち着くはずの匂いが、今日は落ち着かなかった。
背中の包みが、ずっと温かい。
熱というより――拍手みたいな温度。
『持ち主よ! 役所に戻る判断! 理性的! よい!』
(……)
言い返さないことにした。
口を開くと、「すみません」か「大丈夫です」しか出てこない。どちらも今はいらない。ほしいのは静けさと、頭の中の余白だ。
案内されたのは、鑑定室よりさらに小さな部屋だった。棚、布、札、道具箱。低い机と椅子が二つ。机の上には革の敷物が置かれている。
レオンが先にいた。コートの裾を整え、机の上に道具を並べている。布、細い紐、木札、紙札、それから耳栓みたいな小さなもの。どれも角が丸く、手入れがいい。
彼がこちらを見る。
「座ってください」
「……はい」
私は椅子に腰を下ろし、背中の荷をそっと横に置いた。置いても温度は消えない。包まれても、括られても、存在感だけは残る。
『着席! 背筋! よい姿勢!』
余計な実況が頭の中を走る。
レオンが道具を指で示した。
「対策を試します」
「対策……」
「あなたの負荷が高い。周囲の誤解も生む。業務上も危険です」
言葉が整っていて反論の余地がない。でも突き放す温度じゃない。必要なことを必要な順で置く声。
私は小さく頷いた。
「……助かります。正直、落ち着けなくて」
自分の声が少し震えている。怖いわけじゃない。うるさいことが怖い――変だけど、変じゃない。頭の中が埋まると、自分の声の場所が分からなくなる。
レオンは一瞬だけ目を伏せ、淡々と続けた。
「まず、封布を増やします。簡易封は結界反応を抑える程度。会話機能は別です」
「会話機能……」
呪具の仕様みたいに言わないでほしい。いや、機能なのかもしれないけど。褒める機能。
レオンは布を取り上げ、包みに巻き足していく。縁に細い縫い目――文字みたいなものが走っている。巻き終えると紐で固定し、結び目を指先で整えた。
『結び目! 張り! 角度! 完璧!』
勢いは変わらない。
私は内心で、変わってない、とため息をついた。
レオンがこちらを見る。
「どうです」
「……うるさいです」
正直に言った。恥ずかしさが頬に上がる前に、レオンが短く頷いた。
「次」
その一言が救いだった。できないから終わりじゃない。できないなら別の手段、という発想。
レオンは紙札を取り出した。薄い紙に細い線で記号が書かれている。軽いのに、扱いが慎重だ。
「音声遮断の符です」
「音声……」
「正確には、情報伝達の経路を狭める。あなたの“受け口”を一時的に鈍らせる」
要するに、聞こえにくくする。
彼は紙札を包みに貼った。
その瞬間、背中の温度がふっと冷える。――効いた? と思った次の瞬間、頭の中が妙に響いた。
『おおおお! 反響! 反響している! 聞こえるか! 聞こえるな! 聞こえている!』
「……逆に、うるさくなってません?」
思わず口に出た。
レオンが眉間を押さえる。
「……反射しました。遮断しきれず、戻り音として増幅してます」
『増幅! 実験! 学び! よい!』
「黙れ」
レオンが低く言うと、反響は少し落ちた。それでも完全には消えない。波が寄せては返す。
私は頭を抱えたいのを堪えた。抱えたら余計に聞こえそうな気がする。理屈はないはずなのに、感覚が先に動く。
レオンは紙札を剥がし、次の道具を差し出した。耳栓みたいなもの。
「物理遮断が効かないのは分かってます。……一応」
私は受け取り、耳に入れた。世界の音が少し遠くなる。廊下の足音、紙をめくる音、壁の向こうの咳払い。全部が水の中みたいに丸くなる。
――それなのに。
『耳栓! 協力的! えらい! 持ち主よ、聞こえなくても我はここにいる!』
頭の中だけは、鮮明だった。
私は肩を落とした。
「……うん。やっぱり、頭の中だ」
「そうですね」
レオンの声は耳栓越しだと少し柔らかく聞こえる。世界が優しくなってるだけかもしれない。それでも、その優しさが少し助かる。
私は耳栓を外して、深呼吸した。
「……怖いわけじゃないんです」
言ってから自分で驚く。問われてもいないのに言い訳している。私はいつも先回りして、相手の疑いを消したくなる。
レオンは否定も肯定もせずに見ていた。
だから私は続けた。
「ただ、落ち着かない。頭の中にずっと誰かがいて……ずっと褒められるのって、息が詰まる」
褒めは嬉しいはずなのに、嬉しいだけじゃない。褒めは期待を連れてくる。期待は責任を連れてくる。責任は断れなさを連れてくる。
私はその連鎖を、もう身体で知っている。
背中の剣が、ほんの少し声量を落とした。
『……息が詰まる?』
褒めじゃない。問いだ。勢いが一拍止まる。
レオンが、その間を逃さず言う。
「褒めるのが目的なんですか」
『目的だ! 救いだ! 持ち主を前に進ませるための讃歌だ!』
熱量が戻る。疑いのない声。自分の役目を疑わない声。
胸の奥が少し痛んだ。
信じ切っているものは強い。強いものは、ときどき人を押し潰す。
「……救い、って」
言葉が続かない。救いは否定しにくい。否定するのは悪いことみたいに感じてしまう。
レオンが静かに言った。
「救いは、同意があって成立します」
机の角みたいに正確な言葉。角があるのに、痛くない。痛いのは、私が勝手に身構えていただけだ。
『同意? 持ち主は――』
剣が言いかける。
私は、その先を聞く前に口を開いた。
「……私、助けたい。でも今は、静かにしてほしい」
言った瞬間、胸がすっとした。同時に怖くなる。命令したのかもしれない。命令は嫌われる。嫌われるのは怖い。
でも、言わなきゃ伝わらない。
沈黙が落ちた。
ほんの一瞬。だけど大きい。頭の中に余白ができる。余白の中で、自分の呼吸が聞こえる。
『……承知』
剣の声が、いつもより小さい。
『持ち主の望みを叶えるのが、我の役目。……だが、褒めずにいられるかは、別だ』
正直すぎて、少し笑いそうになる。笑っていいのか分からないのに、人っぽい。
レオンが、わずかに目を見開いた。彼も“話が通じる”ことが意外だったのだろう。
私は、ここで逃したくなかった。
「じゃあ……順番を決めよう」
『順番?』
「勝手に褒めない。まず一回、深呼吸してから」
『深呼吸……』
「うん。落ち着いて。……それから、短く」
短く、と言った瞬間、背中の温度がふわっと上がった。禁止より、方法を与えられるほうが好きなのかもしれない。
『短く褒める……難しいが、やってみる!』
声が整う。音量が抑えられる。言葉数も減る。
『持ち主よ。――立派だ』
短い。
短いのに刺さる。でも刺さり方が柔らかい。針じゃなく、指先みたいに触れてくる。
私は小さく頷いた。
「……ありがとう」
言ってから、はっとする。ありがとうは褒めを増やす。
剣が息を吸う気配。
『ありがとうと言える――』
「ストップ」
私は即座に言った。
剣が止まる。止まれる。止まれるなら、希望はある。
レオンが机に肘をつき、こちらを見る。
「……交渉、上手いですね」
「え?」
意外すぎて目を瞬いた。
「相手に役割を与えて、制限を受け入れさせる。あなた、自然にやってます」
褒め言葉だった。剣の褒めじゃない。人の褒め。人の褒めは重い。でも温度がある。
私は顔が熱くなって視線を下げた。
「……そんな、上手くないです。たぶん、必死で」
『必死で努力! えらい!』
……やっぱり出る。
でも短い。小さい。剣は努力してる。
私は背中の温度を感じながら、少し息を吐いた。
このままいけるかもしれない。
そう思った瞬間――廊下で大きめの声がした。窓口で揉めているらしい。声の波が壁を越えて届く。
剣が反射で興奮する。
『揉め事! 解決の予感! 持ち主よ出番だ! 君ならできる! できる!』
「……戻った」
私は呟く。
レオンも額を押さえた。
「……刺激があると制御が崩れる」
悪意がない。だから止めにくい。善意はブレーキが効きにくい。
私は立ち上がり、包みを抱え直した。重みは同じ。でもさっきより少しだけ扱える気がする。扱える、という感覚があるだけで足元は安定する。
「……完璧に黙らせるのは無理、ですよね」
「現時点では」
レオンは帳面を閉じた。閉じる音が区切りになる。
そして机の引き出しから一枚の紙を取り出した。文字と線が整列した薄い紙。
「鑑定ログです」
ログ。記録。面倒の命綱。
レオンは紙に目を落とし、眉を寄せた。
「……反応の型が妙です」
「妙?」
「褒め方の言い回し。言語の形。古い」
古い、という言葉が背中の温度に触れた気がした。
剣が、ほんの一瞬だけ静かになる。褒めるために息を吸うのを忘れたみたいに。
レオンは紙を見たまま、ぽつりと言った。
「この褒めの型、今の口語じゃない。……どこで覚えたんだ」
問いは剣に向いているのに、私の胸にも落ちる。
剣は答えない。
答えない代わりに、鞘口の温度だけが小さく脈打った。
――何かを思い出しそうで、思い出したくないみたいに。
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