表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/22

第6話 封印:剣に黙る術はない

 管理局の建物は、外の賑わいを扉一枚で切り離していた。


 廊下へ入ると音が薄くなる。足音は木の床に吸われ、会話は紙の匂いに絡まって丸くなる。紙、墨、乾いた金具。落ち着くはずの匂いが、今日は落ち着かなかった。


 背中の包みが、ずっと温かい。


 熱というより――拍手みたいな温度。


『持ち主よ! 役所に戻る判断! 理性的! よい!』


(……)


 言い返さないことにした。


 口を開くと、「すみません」か「大丈夫です」しか出てこない。どちらも今はいらない。ほしいのは静けさと、頭の中の余白だ。


 案内されたのは、鑑定室よりさらに小さな部屋だった。棚、布、札、道具箱。低い机と椅子が二つ。机の上には革の敷物が置かれている。


 レオンが先にいた。コートの裾を整え、机の上に道具を並べている。布、細い紐、木札、紙札、それから耳栓みたいな小さなもの。どれも角が丸く、手入れがいい。


 彼がこちらを見る。


「座ってください」


「……はい」


 私は椅子に腰を下ろし、背中の荷をそっと横に置いた。置いても温度は消えない。包まれても、括られても、存在感だけは残る。


『着席! 背筋! よい姿勢!』


 余計な実況が頭の中を走る。


 レオンが道具を指で示した。


「対策を試します」


「対策……」


「あなたの負荷が高い。周囲の誤解も生む。業務上も危険です」


 言葉が整っていて反論の余地がない。でも突き放す温度じゃない。必要なことを必要な順で置く声。


 私は小さく頷いた。


「……助かります。正直、落ち着けなくて」


 自分の声が少し震えている。怖いわけじゃない。うるさいことが怖い――変だけど、変じゃない。頭の中が埋まると、自分の声の場所が分からなくなる。


 レオンは一瞬だけ目を伏せ、淡々と続けた。


「まず、封布を増やします。簡易封は結界反応を抑える程度。会話機能は別です」


「会話機能……」


 呪具の仕様みたいに言わないでほしい。いや、機能なのかもしれないけど。褒める機能。


 レオンは布を取り上げ、包みに巻き足していく。縁に細い縫い目――文字みたいなものが走っている。巻き終えると紐で固定し、結び目を指先で整えた。


『結び目! 張り! 角度! 完璧!』


 勢いは変わらない。


 私は内心で、変わってない、とため息をついた。


 レオンがこちらを見る。


「どうです」


「……うるさいです」


 正直に言った。恥ずかしさが頬に上がる前に、レオンが短く頷いた。


「次」


 その一言が救いだった。できないから終わりじゃない。できないなら別の手段、という発想。


 レオンは紙札を取り出した。薄い紙に細い線で記号が書かれている。軽いのに、扱いが慎重だ。


「音声遮断の符です」


「音声……」


「正確には、情報伝達の経路を狭める。あなたの“受け口”を一時的に鈍らせる」


 要するに、聞こえにくくする。


 彼は紙札を包みに貼った。


 その瞬間、背中の温度がふっと冷える。――効いた? と思った次の瞬間、頭の中が妙に響いた。


『おおおお! 反響! 反響している! 聞こえるか! 聞こえるな! 聞こえている!』


「……逆に、うるさくなってません?」


 思わず口に出た。


 レオンが眉間を押さえる。


「……反射しました。遮断しきれず、戻り音として増幅してます」


『増幅! 実験! 学び! よい!』


「黙れ」


 レオンが低く言うと、反響は少し落ちた。それでも完全には消えない。波が寄せては返す。


 私は頭を抱えたいのを堪えた。抱えたら余計に聞こえそうな気がする。理屈はないはずなのに、感覚が先に動く。


 レオンは紙札を剥がし、次の道具を差し出した。耳栓みたいなもの。


「物理遮断が効かないのは分かってます。……一応」


 私は受け取り、耳に入れた。世界の音が少し遠くなる。廊下の足音、紙をめくる音、壁の向こうの咳払い。全部が水の中みたいに丸くなる。


 ――それなのに。


『耳栓! 協力的! えらい! 持ち主よ、聞こえなくても我はここにいる!』


 頭の中だけは、鮮明だった。


 私は肩を落とした。


「……うん。やっぱり、頭の中だ」


「そうですね」


 レオンの声は耳栓越しだと少し柔らかく聞こえる。世界が優しくなってるだけかもしれない。それでも、その優しさが少し助かる。


 私は耳栓を外して、深呼吸した。


「……怖いわけじゃないんです」


 言ってから自分で驚く。問われてもいないのに言い訳している。私はいつも先回りして、相手の疑いを消したくなる。


 レオンは否定も肯定もせずに見ていた。


 だから私は続けた。


「ただ、落ち着かない。頭の中にずっと誰かがいて……ずっと褒められるのって、息が詰まる」


 褒めは嬉しいはずなのに、嬉しいだけじゃない。褒めは期待を連れてくる。期待は責任を連れてくる。責任は断れなさを連れてくる。


 私はその連鎖を、もう身体で知っている。


 背中の剣が、ほんの少し声量を落とした。


『……息が詰まる?』


 褒めじゃない。問いだ。勢いが一拍止まる。


 レオンが、その間を逃さず言う。


「褒めるのが目的なんですか」


『目的だ! 救いだ! 持ち主を前に進ませるための讃歌だ!』


 熱量が戻る。疑いのない声。自分の役目を疑わない声。


 胸の奥が少し痛んだ。


 信じ切っているものは強い。強いものは、ときどき人を押し潰す。


「……救い、って」


 言葉が続かない。救いは否定しにくい。否定するのは悪いことみたいに感じてしまう。


 レオンが静かに言った。


「救いは、同意があって成立します」


 机の角みたいに正確な言葉。角があるのに、痛くない。痛いのは、私が勝手に身構えていただけだ。


『同意? 持ち主は――』


 剣が言いかける。


 私は、その先を聞く前に口を開いた。


「……私、助けたい。でも今は、静かにしてほしい」


 言った瞬間、胸がすっとした。同時に怖くなる。命令したのかもしれない。命令は嫌われる。嫌われるのは怖い。


 でも、言わなきゃ伝わらない。


 沈黙が落ちた。


 ほんの一瞬。だけど大きい。頭の中に余白ができる。余白の中で、自分の呼吸が聞こえる。


『……承知』


 剣の声が、いつもより小さい。


『持ち主の望みを叶えるのが、我の役目。……だが、褒めずにいられるかは、別だ』


 正直すぎて、少し笑いそうになる。笑っていいのか分からないのに、人っぽい。


 レオンが、わずかに目を見開いた。彼も“話が通じる”ことが意外だったのだろう。


 私は、ここで逃したくなかった。


「じゃあ……順番を決めよう」


『順番?』


「勝手に褒めない。まず一回、深呼吸してから」


『深呼吸……』


「うん。落ち着いて。……それから、短く」


 短く、と言った瞬間、背中の温度がふわっと上がった。禁止より、方法を与えられるほうが好きなのかもしれない。


『短く褒める……難しいが、やってみる!』


 声が整う。音量が抑えられる。言葉数も減る。


『持ち主よ。――立派だ』


 短い。


 短いのに刺さる。でも刺さり方が柔らかい。針じゃなく、指先みたいに触れてくる。


 私は小さく頷いた。


「……ありがとう」


 言ってから、はっとする。ありがとうは褒めを増やす。


 剣が息を吸う気配。


『ありがとうと言える――』


「ストップ」


 私は即座に言った。


 剣が止まる。止まれる。止まれるなら、希望はある。


 レオンが机に肘をつき、こちらを見る。


「……交渉、上手いですね」


「え?」


 意外すぎて目を瞬いた。


「相手に役割を与えて、制限を受け入れさせる。あなた、自然にやってます」


 褒め言葉だった。剣の褒めじゃない。人の褒め。人の褒めは重い。でも温度がある。


 私は顔が熱くなって視線を下げた。


「……そんな、上手くないです。たぶん、必死で」


『必死で努力! えらい!』


 ……やっぱり出る。


 でも短い。小さい。剣は努力してる。


 私は背中の温度を感じながら、少し息を吐いた。


 このままいけるかもしれない。


 そう思った瞬間――廊下で大きめの声がした。窓口で揉めているらしい。声の波が壁を越えて届く。


 剣が反射で興奮する。


『揉め事! 解決の予感! 持ち主よ出番だ! 君ならできる! できる!』


「……戻った」


 私は呟く。


 レオンも額を押さえた。


「……刺激があると制御が崩れる」


 悪意がない。だから止めにくい。善意はブレーキが効きにくい。


 私は立ち上がり、包みを抱え直した。重みは同じ。でもさっきより少しだけ扱える気がする。扱える、という感覚があるだけで足元は安定する。


「……完璧に黙らせるのは無理、ですよね」


「現時点では」


 レオンは帳面を閉じた。閉じる音が区切りになる。


 そして机の引き出しから一枚の紙を取り出した。文字と線が整列した薄い紙。


「鑑定ログです」


 ログ。記録。面倒の命綱。


 レオンは紙に目を落とし、眉を寄せた。


「……反応の型が妙です」


「妙?」


「褒め方の言い回し。言語の形。古い」


 古い、という言葉が背中の温度に触れた気がした。


 剣が、ほんの一瞬だけ静かになる。褒めるために息を吸うのを忘れたみたいに。


 レオンは紙を見たまま、ぽつりと言った。


「この褒めの型、今の口語じゃない。……どこで覚えたんだ」


 問いは剣に向いているのに、私の胸にも落ちる。


 剣は答えない。


 答えない代わりに、鞘口の温度だけが小さく脈打った。


 ――何かを思い出しそうで、思い出したくないみたいに。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


もし続きが気になりましたら、ブックマークや★評価をいただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ