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第48話 反撃:今だけ、が柔らかく刺してくる

 朝の市場は、昨日より少し落ち着いて見えた。


 湯の桶がある。

 椅子がある。

 交代札があり、出口には『今日は十分』が並ぶ。


 誰かが勝手に作った休憩所で、誰かが勝手に息を吐く。

 その勝手さが、この町には合っていた。


 ユイは市場の端で、その流れを眺めていた。


 指示しない。

 口を挟まない。

 守るのは“言葉”より“場”だ。


 場があれば、人は戻れる。

 戻れるなら、言葉は自然に出る。


 背中の剣は熱い。

 熱いけれど、焦りの熱ではない。落ち着いた熱に近い。


 そこへ、ミドリが小走りで来た。

 顔が硬い。けれど目は動いている。


「新しい札が出てます」


 ユイは頷いた。


「短い?」


「短いです。でも……優しい」


 ミドリは紙を一枚、差し出した。

 市場の紙と似ているのに、字の整い方が違う。


『焦らなくていい。……でも今だけ』


 次の一枚。


『休んでいい。……でもここだけ』


 優しい顔をしている。だから厄介だ。

 優しい言葉は疑われにくい。疑われない言葉は深く入る。


 ユイは紙を指で押さえ、息を吐いた。


「刺さらない顔で刺してくる」


 ミドリが頷く。


「はい。前より柔らかいです」


 柔らかい“今だけ”。


 それは叱る言葉じゃない。

 励ます言葉に見える。励ますふりをして、責任を増やす。


 レオンが帳面を閉じながら近づいた。

 視線がもう状況を捉えている。


「配布ルートは」


 ミドリがすぐ答える。


「市場の売り子だけじゃないです。倉庫で混ぜられてます」


「混ぜられる?」


「荷札に貼る紙の束に最初から紛れてます。倉庫から出る前に入ってる」


 レオンの眉がわずかに動いた。


「正面から止めたら揉める」


 ユイが言うと、レオンは頷いた。


「揉めれば噂になる。噂になれば相手が勝つ」


 合流点の町は、揉め事が増えるほど強くなる。

 人が集まり、流れになり、巻き込まれる。


「遮断はしたいが、正面は避ける」


 レオンはそう言って、市場の中央へ視線を戻した。


 “今だけ”は、怖い人を狙わない。


 狙うのは、真面目な人だ。

 家族がいる人。責任感が強い人。

 善意がある人。


 弱い人じゃない。

 むしろ折れにくい人を折る札だ。


 ユイの視線の先に、現場監督がいた。


 背が高い。声が太い。

 誰より先に動き、誰より先に怒鳴らない。


 怒鳴らない代わりに、全部背負う人。


 その腰に、札が貼られていた。


『休んでいい。……でもここだけ』


 監督はそれを見て、一度だけ笑った。

 笑って、また動いた。


 ――笑ったのが怖い。


 笑うのに息が浅い。

 浅い息は長く続かない。


 ユイは距離を取ったまま近づく。

 走らない。走れば目立つ。

 目立てば監督はさらに踏ん張る。


 踏ん張る人は、踏ん張りすぎる。


 荷の積み場では若い荷運びが声を張っていた。


「今だけ! 今だけ頑張れば!」


 声が揃いかける。

 揃うと危ない。


 湯を配る支部員の声が、少しだけ流れを削る。


「湯、あるよ」


 その声に何人かは足を止める。

 でも今日は、止まり切らない。


 “今だけ”が混ざっている。


 止まっていいと言いながら、止まらせない。

 休んでいいと言いながら、休ませない。


 監督が手を止めない。


 目だけが濁っていく。

 濁ると判断が遅れる。遅れると事故が増える。


 荷が一つ傾いた。縄がずれた。木箱が鳴った。


 監督が咄嗟に手を伸ばした。

 伸ばしすぎた。


 足元の濡れた板に、踵が滑る。

 体が前に持っていかれる。


 倒れる。


 監督は倒れそうになった瞬間も、荷を守ろうとした。

 守ろうとして、自分が折れる。


 背中の剣が熱く跳ねた。

 一回で区切りを作りたがる熱。


 けれど、ここで鳴らせない。

 鳴らしたら目立つ。

 目立ったら監督はもっと背負う。


 ユイは叫ばない。

 短く置く。


 監督の耳に届く距離まで歩いて入り、声を落とした。


「渡していい」


 監督の体が止まった。


 倒れかけた体がわずかに戻る。

 横の若い荷運びが支え、荷も落ちない。


 監督の目が揺れた。


「……何をだ」


 声は太いのに、かすれていた。


 ユイは繰り返す。


「仕事を、渡していい」


 監督が息を呑んだ。


 ユイは長く言わない。

 長く言うと重くなる。重くなると拒まれる。


 短い言葉は、相手に選ぶ余地を残す。

 余地があると、人は自分で決められる。


 監督の手が震えた。

 荷を掴む手じゃない。離すことを知らない手の震えだ。


「……渡して、いいのか」


 ユイは頷いた。


「ひとりで抱えなくていい」


 監督は喉を鳴らし、ゆっくり息を吐いた。

 吐いた息が長い。長い息は戻っている証拠だ。


 監督は若い荷運びを見た。


「……お前、ここ」


「えっ」


「交代だ。俺、湯飲む」


 若い荷運びが目を丸くする。


「いいんですか」


「いい」


 監督は桶へ向かった。

 向かう背中が、少しだけ軽い。


 椅子に座り、湯を飲む。

 飲み終えて目を閉じる顔が、泣きそうだった。


 でも泣かない。

 泣かない代わりに、肩が落ちた。


 ミドリが少し離れた場所で息を呑んでいた。

 泣きそうなのに、笑っている。


「……届きましたね」


 ユイは頷いた。


「折れやすい人を守る言葉が、必要だった」


 レオンが帳面に書く。


「対象は弱者ではない」

「真面目な管理者層」

「責任感が高いほど刺さる」


 ユイは市場の流れを見た。

 “今だけ”は消えない。柔らかく混ざる。混ざるほど見えにくい。


 完全に止めることはできない。


 でも、折れない支えは作れる。


 支部員がまとめている手順カードの束に、ユイは新しい紙を一枚足した。

 短い字で書く。


『渡していい』


 レオンが言う。


「手順カードに加えるなら、効果は広がる」


 ミドリも頷く。


「倉庫にも置けます。混ぜられる前に、こちらを混ぜる」


 ユイは小さく笑った。


「混ぜ返すんだね」


 ミドリが泣き笑いになる。


「はい……混ぜ返します」


 そのとき、支部員が急いで来た。

 隠す走りじゃない。知らせる走りだ。


「会談が決まりました!」


 レオンが目を上げる。


「場所は」


「公開の場です。広場の前。町の人も集まる形で」


 ミドリの顔が硬くなる。


「公開……」


 ユイは息を吸って吐いた。


 公開の場は、噂が一瞬で形になる。

 丁寧な言葉が一番強い場所だ。


 相手はそこを選ぶ。

 正しく見せるために。


 ユイは背中の剣を意識する。

 剣は熱い。でも暴れる熱じゃない。


 剣が小さく言った。


「……守る?」


 ユイは頷いた。


「守る。場を」


 剣が小さく返す。


「……褒める」


 ユイは湯の桶を見る。

 監督が椅子に座っている。若い荷運びが交代している。


 それだけで、この町は少し変わっている。


 “今だけ”は刺してくる。

 柔らかく、優しく、善意の顔で。


 だからこちらも、柔らかく支える。


 折れないように。

 渡せるように。

 帰れるように。


 ユイは短く言った。


「渡していい」


 その言葉を、町の誰かが拾うように。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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