第46話 追跡:水路の影と荷札の点
水路沿いの道は、暗い。
夜の湿り気が残っていて、石畳が薄く光っている。
光っているのに足元は見えにくい。滑る場所だけが、やけに分かる。
ユイは歩幅を小さくした。
急がない。けれど遅れない。
この町で一番危ないのは、焦って足を乱すことだ。
合流点の町は、夜明け前でも完全には眠らない。
遠くで荷が動く音がする。水車の軋み。縄の擦れる音。
言葉にならない息が、いくつも重なる。
人の影が増えている。
影が増えると目が増える。
目が増えると噂が増える。
ユイは帽子を深く被り、顔を上げないまま歩いた。
背中の剣は熱い。鳴らない。褒めない。
ただ、近いものを追っている気配だけがある。
角を曲がったところで、ミドリが先に待っていた。
暗がりから出てくる動きが、倉庫の人間らしい。余計な音を立てない。
「点印が揃ってきました」
ミドリは小さな荷札を何枚か出した。
紙の端、見落としそうな場所に極小の点。
点はひとつ。
でも、並べると意味が出る。
ユイは荷札を見つめた。
紙の色も湿り気も少しずつ違う。
それなのに点の位置が似ている。
「通る場所の印みたい」
ユイが言うと、ミドリは頷いた。
「はい。倉庫番号と対応してます」
「対応?」
ミドリは短く息を吸い、言葉を切り分けた。
「倉庫の札には番号があります。番号ごとに荷の通り道が違うんです」
「……いつもの道がある」
「そうです。人の癖です」
癖は隠しきれない。
隠しきれないから追える。
レオンが後ろから合流した。
足音が揃っていないのに違和感がない。意識している歩き方だ。
「どこまで読めた」
ミドリが荷札を指で押さえた。
「この点は市場裏の範囲。こっちは水門脇です」
レオンが帳面を開く。地図が描かれている。折れ目が深いが線は迷っていない。
「入口候補を三つに絞る」
レオンは指を三つ立てた。
「一つ。市場裏の地下階段」
「二つ。水門脇の保管庫」
「三つ。問屋街の床下通路」
ユイは地図を覗き込む。
線は細い。けれど町の骨が見える。
「危険が少ない順で行く」
ユイが言うと、レオンが頷いた。
「同意。今夜は“見つからないこと”が勝ちだ」
ミドリが小さく言う。
「市場裏は人が多いです。噂が早い。問屋街は……目が怖い」
目が怖い。
この町には、見えない境界がある。越えると空気が変わる。
「水門脇が先だね」
ユイが言うと、ミドリは頷いた。
「荷が落ちるなら、あそこが一番自然です」
水門へ向かう道はさらに暗い。
水路が太くなる。流れが速くなる。音が大きくなる。
音が大きいと安心する。
でも、安心が危ない。気配が紛れる。
水門が見えた。大きな木の扉。金具の鈍い光。
脇に小さな保管庫が並んでいる。
戸は厚い。取っ手が低い。
人のためじゃない。荷のための戸だ。
保管庫の前に影がいた。
動かない影。
現場の人じゃない。守る人の立ち方。
「警備が増えてる」
レオンが小さく言う。
ミドリが眉を寄せた。
「いつもはこんなに立ちません……荷が近い」
ユイは頷いた。背中の剣が熱い。
熱が増えるのは、近い証拠。
ユイは走らない。
走れば目立つ。目立てば噂になる。噂になれば警備が増える。
ただ普通に歩いた。
視線だけを使う。
戸の隙間。金具の擦れ。足元の木屑。
木屑が落ちている。新しい。湿っていない。
乾いた削り屑だ。つまり、ついさっき削った。
ミドリが小さく息を吸った。
「点印が……増えてます」
保管庫の壁に貼られた荷札。番号札の端に極小の点。
ひとつじゃない。二つ、三つ。
ユイは目を細めた。
点が増えるのは、目的地が近いとき。
迷わないように、間違えないように確認が増える。
「通る場所が固定されてる」
ユイが言うと、レオンが頷いた。
「固定してる。人が迷わないように。荷が迷わないように」
そのとき、背後の路地から足音がした。
揃っていない。巡回じゃない。
狙って近づく足音だ。
ユイは立ち止まらない。振り向かない。
振り向けば視線を拾う。拾えば追われる。
ユイは普通に歩いた。水門脇の道を、何も知らない顔で。
レオンも同じ速度でついてくる。
ミドリは少し離れて、倉庫の陰に溶けた。
追手の気配が近づく。肩に視線が刺さる。
走りたい。走れば離せる。
でも走れば、追う理由を相手に渡す。
ユイは走らなかった。
息を落とし、足の裏を確かめる。滑らない石を踏む。
前方の角で、支部員が見えた。桶を抱えている。湯の桶だ。
支部員は止まらない。歩きながら湯を配る。
「湯、ありますよ」
声は大きくない。
命令じゃない。責めない声。
通りがかった人が足を止める。
足が止まると流れが変わる。流れが変わると追手の動線がずれる。
追手の足が一瞬詰まった。
その一瞬で、ユイたちは角を曲がる。
角の向こうは細い道。壁が近い。目が届きにくい。
レオンが小さく言った。
「上手い」
「湯は守りにもなる」
ユイが言うと、レオンは頷いた。
足音が遠のく。追手は湯の流れに取られた。
路地を抜け、少し距離を取ったところでミドリが戻ってきた。
顔は硬い。でも目は冴えている。
「見られてました。問屋の人じゃない。羽組の警備です」
「増えてるな」
レオンが言う。
ミドリが頷いた。
「でも、点印は水門脇が一番揃ってました。ここが入口に近い」
レオンが帳面に印をつける。
「水門脇の保管庫。濃厚だ」
ユイは頷く。背中の剣が熱い。熱は増している。
「明け方に動きがある」
ミドリが言う。
「地下へ荷が落ちる動き。たぶん、保管庫の中から下へ落とします」
落とす。
荷車を使わず、音を減らす。地下へ運ぶには都合がいい。
レオンが即断した。
「明け方まで待つ。手順は置き続ける。事故を防ぐ。追跡は続ける」
ユイは短く言う。
「壊さない形で近づく」
そのとき、支部員が小走りで近づいてきた。
息は切れていない。急いでいるのに目立たない動き。
「ユイさん。これが……届きました」
差し出されたのは白い封筒。紙の質がいい。端が揃っている。
市場の紙とは違う。上の紙だ。
封筒には短い文字があった。
『会談のご招待』
名前も丁寧に書かれている。
それだけで逃げ道を減らす字だ。
レオンが受け取り、封を切る。
中の紙も白い。余計な飾りがない。文章だけが整っている。
「丁寧に話し合いましょう。町のために」
レオンが読み上げると、ミドリの肩が少し揺れた。
「トバリ……」
ユイはその紙を見る。
文字は柔らかい。
でも柔らかさが、こちらの自由を削る。
招待状は命令じゃない。
断ると噂になる。噂になれば追跡が難しくなる。
ユイは息を吸って吐いた。
背中の剣は熱い。拍手はしない。ただ静かに待つ。
ユイは短く言った。
「行くかどうかは、あとで決める」
レオンが頷く。
「優先は入口の確定。明け方の動きを押さえる」
ミドリが小さく言う。
「会談の時間をずらされるかもしれません。邪魔のために」
レオンは即答した。
「邪魔される前提で動く」
ユイは頷く。
止めない。
区切る。
帰れる形にする。
そのために、今は追う。
水路の影が濃くなる。
荷札の点が揃う。
地下へ繋がる口が、町のどこかで開いている。
ユイは足元を確かめ、静かに歩いた。
目立たない歩き方で、確実に近づくために。
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