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第3話 登録:悪さはしない(たぶん)

 管理局の中は、外の霧とは違う薄さで満ちていた。


 紙の薄さ。声の薄さ。息の薄さ。誰かの仕事が積み重なってできる薄さだ。木の床はきしみ、壁の掲示板には札と規定と注意書きが、同じ大きさの文字で整列している。


 整列したものを見ると、胸のざわめきが少し落ち着く。


 私は背中の荷を抱き直して、受付の前に立った。


 受付台の向こうに座っていたのは、暗い赤茶の髪をまとめた女性だった。私より少し年上に見える。笑うと目尻がやさしくて、でも指先がきれいに動く。書類仕事に慣れた人の手。


「いらっしゃいませ。ご用件は?」


 声は柔らかいのに、空気を整理する力がある。聞かれた瞬間、こちらも自然に要点を揃えたくなる。


 横に立つレオンが、簡潔に答えた。


「未登録呪具の拾得です。仮登録と鑑定をお願いします。拾得者はこの方」


「了解。……拾得者さん、お名前は?」


 役所の「お名前」は、ただの問いなのに背筋を正される。


「ユイ……です」


「ユイさんね。私はミレイ。窓口担当」


 名乗り方も書類みたいにすっきりしていた。丁寧だけど近すぎない。壁は作らないけど、線は引く。ちょうどいい距離。


 ミレイさんの視線が、私の背中の荷へ向いた。


「封布が巻かれてる。反応、強かった?」


「結界で反応しました。簡易封で弱めています」


 レオンが短く答える。


 ミレイさんは頷き、受付台の横の扉を開けた。


「こっち。鑑定台が空いてる」


 案内された部屋は小さかった。壁際に棚、中央に石の台。台の表面には細い線が刻まれていて、溝に淡い光が走る仕組みになっている。


 部屋に入った瞬間、背中の剣が封布越しにふっと温かくなった。


『おお……! 書類! 規定! 秩序! すばらしい職場!』


(職場って言うな)


 声は頭の中だけ。だけど反射で表情が固まる。


 ミレイさんが、私を一瞬見て軽く眉を上げた。


「……声がするタイプ?」


 気づくの早い。隠すつもりはないけど、見抜かれると妙に恥ずかしい。


「……はい。褒めてきます」


「へえ。面白いね」


 怖がってない人の言い方だった。肩の力が少し抜ける。


 レオンが真面目な顔で荷を台の上に置いた。


「中身を出します」


「ユイさん、触らないで。ここから先は手順」


「はい」


 私は両手を胸の前で重ねる。触りたくて触ってるわけじゃない。触らないほうがいいなら、触らない。


 レオンが布包みをほどく。


 白銀の鞘が、鑑定台の上に姿を現した。


 部屋の空気が、ほんの少しだけ硬くなる。


 怖い硬さじゃない。仕事の硬さ。光が増えるというより、影が整う。石の台の溝が淡く光り、剣の形に沿うように呼吸を始めた。


 ミレイさんが手袋をはめる。動きに迷いがない。


「じゃ、仮登録の前に鑑定。危険度の目安を取るよ」


 彼女は溝に指先を当て、短い言葉を唱えた。儀式というより業務連絡に近い声。溝の光が一瞬だけ強まり、鞘に沿って流れた。


『手際! 無駄ゼロ! 仕事ができる!』


(褒めるポイントが細かい)


 笑いそうになるのをこらえていると、ミレイさんがちら、とこちらを見た。


「今、笑いそうになった?」


「す、すみません……」


「いいよ。緊張がほどけるなら、むしろ助かる」


 “助かる”の言い方が、現場の人だった。萎縮されると手続きが詰まる。そういう現実を知っている声。


 レオンは帳面を開いて読み上げる。


「拾得呪具、仮番号付与。拾得者ユイ。監督封呪士見習いレオン。……ここまで問題なし」


「うん」


 ミレイさんは鞘をじっと見て、小さく首を傾げた。


「鞘の材が変。普通の鋼じゃない。……でも、凶悪さは薄い。むしろ――」


 言いかけて、言葉を選ぶみたいに一拍止まる。


「……きれいすぎる」


 それは私も思った。捨てられていたにしては、きれい。落とし物にしては、きれい。置いたように見えた理由が、ここで言葉になる。


 ミレイさんが目で合図すると、レオンが小さな木の棒を取り出した。先端に薄い符が巻かれている。


「接触検査。反応を見ます」


 棒で鞘の表面を軽く叩く。


 ――こん。


 乾いた音。


 鑑定台の溝が淡く鳴り、光の線が瞬いた。


『検査! 規律! わくわくする!』


 レオンが眉間に皺を寄せる。


「……封布で弱めても、声量が一定です。このテンション」


「テンションって言わない。業務」


 ミレイさんが軽く返す。二人の間に“現場の呼吸”がある。


 ミレイさんは次の道具――鏡みたいな薄い板を取り出した。表面に小さな文字が刻まれている。


「意図反応いくよ。……ユイさん、見てて」


「はい」


 ミレイさんは板を剣の前に立て、レオンに目配せした。


「レオン、意図を投げる。強すぎないやつ」


「了解」


 レオンが目を閉じて息を吸い、吐く。空気がわずかに締まる。“考え”がこちらに向いた感じがした。


 板が、じわりと青く光った。


 ――意図。何をしたいか。何をするつもりか。


 喉が乾く。


 剣は「悪さはしない」と言っていた。けれど言うだけなら何でも言える。道具は、嘘をつくこともある。


 ミレイさんが静かに言った。


「攻撃意図、軽く。対象は……『台の上の藁束』」


 脇に検査用の小さな藁束が置かれている。人じゃない。危険の少ない対象。


 レオンが意図を投げる。板の青が強まる。


 そして――鞘口が、すっと冷えた。


 温かかったはずの場所が霧より冷たくなる。空気が一瞬、きしんだみたいに感じた。


『……だめだ』


 剣の声が、低く落ちた。褒めじゃない。


『傷つける意図は、だめだ』


 短い。強い。子どもが頑固に首を振るみたいな拒否。


 板の青が、ふっと弱まった。レオンの投げた意図が、空振りしたみたいに。


 レオンが目を開ける。


「……拒否しますね」


「うん。攻撃意図を受け付けないタイプ。珍しいけど、危険度は下がる」


 ミレイさんは頷いて板をしまった。


 私は息を吐いていた。いつ息を止めたのか分からないまま、胸の奥が少しほどける。


 悪さはしない――少なくとも、“傷つけたい意図”には加担しない。


 ただ。


『持ち主よ! 見ただろう! 我は善! 善なのだ!』


(だから声がでかい)


 ミレイさんが、軽く笑った。


「悪さをしない、というより……悪意に加担しない。いい傾向。でもね、ユイさん」


「はい……」


「『悪さをしない』は免罪符じゃない。困らせない工夫は必要」


 言い方は柔らかいのに、言葉は真っ直ぐ刺さる。優しい人ほど必要なところで正確だ。


 私は小さく頷いた。


「……私、困ってます。ちょっと、すごく」


『困り! 救済! 救済を――』


 慌てた声。妙に子どもっぽい。


 レオンが深いため息をついた。


「……これ、会話可能ですね。頭の中限定で」


「そうだね。危険というより厄介。厄介は扱い方次第で事故る」


 ミレイさんは帳面にさらさら書き込む。ペン先が紙を走る音が、部屋の静けさに心地いい。


「仮登録、出すよ。携行は条件付き。ユイさん、いい?」


 条件付き。その言葉だけで肩が重くなる。


「……はい。お願いします」


「条件は三つ。ひとつ、由来が定まるまで携行を認める。ふたつ、監督者をつける。みっつ、定期点検」


 彼女はさらりと付け足す。


「破ったら回収。ここ、重要」


 怖い。でも必要な線だ。


 監督者、の言葉に私は視線をレオンへ向けた。レオンは帳面から目を上げずに言う。


「規定上、私が監督になります。……異議があるなら担当変更も可能です」


 異議なんて言えるわけがない。むしろ申し訳なさが先に来る。


「いえ……助かります。ありがとうございます」


 口に出してから、心の中で自分に突っ込む。監視されるのが助かるって何。でも、今の私には助かる。


 レオンは一瞬だけ顔を上げ、短く頷いた。反応が薄いのは、たぶん“仕事の顔”だ。


 ミレイさんが木の札を取り出した。表に紋章、裏に番号。中央に薄い溝。


「仮登録札。これを鞘に括り付けておく。結界反応が落ち着く。……ただし」


 札を指で弾く。軽い音。


「札は免罪符じゃない。何かあったら、すぐ来て」


「はい」


 私は両手で札を受け取った。木の軽さが妙に頼りない。でもその頼りなさが現実だ。


 札を括るのはレオンがやった。手つきが正確で、紐が一瞬で整う。結び目が美しい。


『結び! 精密! 職人芸! 有能!』


 声がまた弾む。


 レオンは何も言わず、眉間を押さえた。無言の疲れ。私は喉の奥で笑いを噛み殺す。


 ミレイさんが帳面に印を押す。


 ぽん、と乾いた音。


 手続きが形になる音だ。


「よし。仮登録完了」


 ミレイさんが顔を上げる。視線が私の背中――剣へ向かい、ほんの少しだけ眉が寄った。


「……ユイさん。拾った場所、もう少し詳しく教えて」


「え? はい。道の……石の陰で……」


 霧の朝。綺麗な布包み。置いたみたいな整い方。


 ミレイさんは頷きながら、棚の上段へ目を向けた。記録札が整列している一角。


 そこで、視線が止まる。


 ほんの一瞬。


 でも、確かに止まった。


「……やっぱり、似てる」


 仕事の声じゃない。個人の声。


 レオンが顔を上げる。


「何かあるんですか」


「反応ログ。昔、同じ“拒否の出方”があった」


 その言葉に、私の背中が少し冷える。


 同じものが、昔にも?


「今は断定できない。でも……由来調査、早めにしたほうがいい」


 ミレイさんは淡々と、だけど確かに言った。


 逃げ道が、少し狭くなる音がした。


 私は札を握り直す。


『持ち主よ。君は正しい道を選んだ。――立派だ』


 短い褒め言葉。


 その短さが、逆に胸に残る。嬉しいより先に、困るが来る。褒め言葉は居場所を少し動かす。足元が高くなる。高くなると、落ちるのが怖くなる。


「……私、これからどうしたらいいですか」


 ミレイさんが少しだけ笑った。


「まず深呼吸。次に今日の宿。明日の動き。焦ってもいいことない」


「はい……」


「それから、ひとつだけ覚えといて」


 机の上の紙を指で押さえる手つきが、人を落ち着かせる手つきに似ている。


「呪いは“悪”だけじゃない。偏り。願いが強すぎて、形が歪んだもの。悪さをしない呪いはある。でも、悪さをしないからって放っておけない。偏りは生活を削るから」


 偏り。


 ……この剣は、確かに偏っている。


 褒めることに、偏っている。


 私は頷いた。


「分かりました。……たぶん」


 レオンが小さく息を吐く。


「たぶん、じゃなくて分かってください。巻き込まれます」


 巻き込まれる。


 そう言われて背中が重くなるのに、不思議と逃げたいとは思わなかった。


 逃げるより、整えるほうが私の性に合っている。


 ――そう思ってしまう自分が、また厄介だ。


 ミレイさんが最後に、記録札の棚をもう一度ちらりと見た。


「……久しぶりだな」


 小さな声。


 紙とインクの匂いのする部屋で、面倒は正式に形になった。


 そして、形になった面倒は――たいてい、逃げられない。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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