第2話 検問:持ち物は正直に
霧の中で、検問所だけ空気が少し硬かった。
乾いた紙の匂い。墨の匂い。金具が擦れる匂い。人が集まると、空気は自然に“輪郭”を持つ。霧の柔らかさが押しのけられて、そこだけ現実がはっきりする感じ。
門の手前、結界柱が青く息をしている。
背丈ほどの石の柱。細い溝に淡い青が流れていて、灯りというより呼吸みたいな光だ。静かなのに、目を逸らしにくい。
旅人たちは列を作って、順番に荷を開けて見せている。笑い声もあるし冗談もある。でも結界柱の前だけ、みんな声が少し小さくなる。
……私も、そうなる。
背中の重みを、意識しないようにしながら列に並んだ。
布に包んだ長いもの。触れた瞬間、頭の中で褒め言葉が弾けた、白銀の鞘。
落ち着け。拾ったものは拾ったものだ。届けるだけだ。正直に話せば、正しく扱ってもらえる。
そう思っても胸の奥に針が立つ。
嫌な予感じゃない。面倒の予感。
しかも、こういう予感は当たる。
『持ち主よ! 列に並ぶ姿勢! 礼節! 秩序! 美しい!』
(静かにして)
口に出さずに念じる。
声量は変わらないのに、妙に嬉しそうに弾む。褒めること自体が呼吸になってるタイプだ。止めろと言われるほど勢いづくやつ。
『おお! 無言の制止! 大人! 余裕!』
(余裕があったら苦労しない)
内心で返しながら、順番を待った。
前の旅人は干し肉と薬草を見せて笑っている。検問係は手早く頷き、結界柱の青は静かに流れたまま。次の人も、次の人も、問題なく通っていく。
そして――私の番。
「次の方。荷をこちらへ」
検問係の声は淡々としていた。慣れている声。毎日同じことを繰り返す人の声は、感情が薄いぶんだけ信頼できる。
私は背中の紐をほどこうとして、指が少しもつれた。
『緊張! 真面目の証! 好ましい!』
(今は本当にやめて)
布袋を下ろす。革の小袋を開ける。修理品の金具を見せる。頷き。
干し果実も見せる。頷き。
手紙も見せる。頷き。
最後に――背中の長い包み。
一瞬だけ迷った。
迷った自分が分かって、余計に困る。迷いは表情に出る。表情は疑いを呼ぶ。疑いは面倒を呼ぶ。
だから、迷うのをやめた。
正直に言う。それしかない。
「……これも、見せます」
布包みをほどこうとした瞬間。
結界柱が、ちり、と鳴った。
小さい音なのに、周囲の会話が一拍だけ切れる。視線が集まる。淡い青が、少しだけ強くなる。
検問係の目が、私の背中に向いた。
胸の針が「やっぱり」と言った。
「結界反応あり。荷を――」
言いかけたところで、別の足音が近づいた。
革靴が石畳を踏む音。急がないのに速い。迷いがない。仕事ができる人の足音だ。
「こちらで対応します」
若い男の声。
検問所の脇から現れたのは、制服のコートを着た青年だった。紺に近い暗色。胸元に小さな徽章。腕に細い腕章。紙の匂いがしそうな鞄。
背が高く、痩せ型で、姿勢がいい。灰色の目が霧の中でもぶれずにこちらを捉える。
「封呪士見習いのレオンです。反応が出た荷を確認します」
丁寧なのに断言。選択肢を残さない断言。でも威圧じゃない。必要な線を引く声。
私は喉の乾きを飲み込んで頷いた。
「……はい。拾得物で……」
「拾得物?」
眉が、ほんの少し動く。疑いじゃない。確認だ。
私は息を吸って、要点だけを切り出した。
「街道で見つけました。綺麗な布に包まれていて。触ってしまって……だから管理局に届けようとしてました」
言い終わった自分の声が少し早いのが分かる。焦りは信用を削る。でも止めると詰まって、もっと怪しくなる。
『正直! 誠実! 勇気! 拍手!』
(拍手すな)
頭の中の拍手が、霧より濃くなる。
レオンは遮らずに聞いていた。目線は鋭いのに、追い詰めない。必要な情報だけを拾っている。
「……分かりました」
短く言って、布包みに視線を向ける。
「中身を見せてください。こちらで開けます」
私は頷きかけて手を引っ込めた。言われた通りにしたほうがいい。変に自主的に動くと誤解を招く。
レオンが布をほどく。
白銀の鞘が顔を出した。
その瞬間、包みの中から熱がふっと上がった。
『おお……! 制服の似合う者! 責任感! 信頼! 良い!』
私は反射で口を押さえた。声は外に出ないはずなのに、体が先に反応する。恥ずかしい。
レオンは剣をまじまじと見て、表情は変えなかった。変えなかったけれど、目だけが少し細くなる。結界反応の理由を理解した目。
「未登録の呪具ですね」
淡々とした声。
私は肩が縮む。
「……拾っただけです。使ってません。使うつもりも……」
「拾得の主張は理解します。ただ、規定上、未登録呪具の携行は違反です」
正確すぎて逃げ道がない。けれど突き放す温度でもない。規定を伝える声だ。
私は唇を噛んだ。違反。罰。面倒。全部、思った通りに来る。
「……すみません。どうしたら……」
「逃げないでください。管理局へ同行してもらいます」
レオンはそう言って、剣に触れないまま小さな厚布を取り出した。縁に細い文字みたいな縫い目が走っている。
「簡易封布です。反応を弱めます」
布を鞘に巻く。結界柱の青が、ほんの少し落ち着いた。呼吸が浅くなるみたいに。
検問係がほっとしたように頷いた。
「ありがとう、レオン。助かった」
「いえ。……本来なら、ここで止める案件です」
硬い言葉。でもその硬さは、私ではなく状況に向けられている気がした。
私は頭を下げた。
「本当に、すみません。私……」
「“知らなかった”は理由になりません」
言い切ってから、レオンは一瞬だけ視線を逸らした。言い切った自分に、少しだけ疲れた顔。
「ただ、届けようとしていた点は評価します。……そのまま通すのは無理ですが」
評価します、が意外で胸が揺れる。
そして、頭の中がここぞとばかりに盛り上がる。
『評価! ほら見ろ持ち主よ! 君は認められた! この男、目利き!』
(目利きって何の話)
内心でツッコミを入れつつ、私は口元だけを引き結んだ。笑うと余計に変に見える。
レオンが私を見る。
「……今、何か“聞こえました”?」
ぎくり、と心臓が跳ねた。
「え? い、いえ……」
言い訳を組み立てる前に、頭の中の声が勝手に跳ねる。
『聞こえているのか! 素晴らしい感受性!』
私は反射で口を押さえた。今度は本気で。
レオンは一瞬目を見開き、眉間に浅い皺を寄せた。呆れと困惑が混ざった顔。
「……頭の中に、声がしますか」
問いじゃない。確認だ。
私は観念して、小さく頷いた。
「……します。褒めてきます。ずっと」
言った瞬間、顔に熱が集まる。こんなこと、誰に言えばいいのか分からない。
レオンは短く息を吐いた。
「なるほど。厄介ですね」
『厄介! だが正しい! その判断力、見事!』
「黙れ」
低い声。
――え。
私は驚いてレオンを見た。口に出したのは私じゃない。なのに、誰に向けた言葉か分かってしまう。
剣の声が、ぴたり、と止まった。
止まったのは一瞬だけ。それでも、頭の中が静かになる。空気が薄くなるみたいに、余計な音が消える。
『……おお。叱責。強い意思。良い……』
止まってない。止まってないけど、さっきより小さい。
それだけで助かる。音量って大事だ。
レオンは眉間の皺を残したまま、私に向き直った。
「今のはあなたに言ったんじゃありません。……いや、あなたにも言っていい。無茶をしないでください」
「……はい」
反射で頷く。無茶の自覚はある。でも無茶のつもりはない。困っているものを放っておけないだけだ。
レオンは封布を巻いた鞘を布に戻しながら言った。
「管理局へ。事情聴取と仮登録をします。拾得者として協力義務があります」
「……協力します」
声が少し震えた。怖いからじゃない。自分の生活が、もう“いつも通り”じゃなくなる予感がしたからだ。
レオンは頷き、検問係へ簡単に告げる。
「拾得呪具。仮登録のため移送します。対応は私が」
検問係は「気をつけて」とだけ言い、列はまた動き出す。旅人たちの視線が少しずつ離れていく。霧が、また柔らかさを取り戻す。
私とレオンは検問所の脇道へ入った。
石畳が湿っていて、靴音が小さく響く。封布が巻かれているとはいえ、背中に呪具を背負っている事実が重い。
レオンが歩きながら淡々と言った。
「名前」
「……ユイです」
「ユイ。年齢と所属」
「えっと……鍛冶町の工房で、手伝いを」
「工房。……拾った場所をもう一度」
仕事の質問が続く。私は答えながら、横顔を見る。若いのに仕事の顔が板についている。規定を盾にするんじゃなく、規定で人を守ろうとしている――そんな感じがした。
でも疲れてもいる。目の下に薄い影。徹夜明けの人の影。
『責任感! だが休め! 休息もまた――』
(あなたが言うな)
口には出さない。出したら、完全に変な人だ。
霧の向こうに管理局の建物が見えてきた。木造の壁と、掲げられた紋章。門ほど大きくはないのに、妙に安心感がある。
レオンが言った。
「ここから先は手続きです。分からないことは聞いてください。……勝手に動かないでください」
「……分かりました」
私は頷く。
背中の剣が封布越しに熱を持った。拍手みたいな温度。
『見よ、持ち主よ! 制度の中へ! 秩序の中へ! 君は――』
「黙れ」
レオンがもう一度、低く言う。
剣の声が、ほんの少しだけ小さくなった。
私はその小ささに救われながら、管理局の扉へ向かった。
扉の向こうで、紙の匂いと墨の匂いと――きっと山ほどの“面倒”が待っている。
でも、面倒の中には、たぶん、ちゃんとした道がある。
私は深呼吸をひとつして、扉を押した。




