5.再始動 心の荷物 置いていく
段ボールをガムテープで留め終えて、スマホを耳にあてる。
古びたアパートの一室。
剥がれかけた壁紙と、生活感が無くなっていく部屋の中で、俺は母に電話をかけていた。
「あ、おっか、オレ。急で悪いんだけどさ、会社辞めたんだわ。で、荷物そっちに送らせてもらうわ」
『…えっ!? あんらまあ……そいがん、どうしたんさ? 会社、辞めてまったんけ?』
「うん、まあ…いろいろあって。ってか、前も言ったけど、ブラックでさ。心身大事」
『あ~、そんがんね……そっかや……』
ダンボールの中には、使い古したマグカップ、少し色あせた漫画、どこかの観光地で買ったまましまっていた木彫りの小物。
どうでもいいような、それでもなんとなく捨てきれなかった“今まで”が詰まっている。
『いや~、あんたが前から言ってたもんね。あっこは長く勤められるとこじゃねえて思ってたんよ、かかも』
「んでさ、とりあえず、霧坂町ってとこに住んでみようと思って。田舎だけど、空気がきれいでさ」
『きり……霧坂? あら~…なんか聞いたことあったような、なかったような……んまぁ、そんな町あったんだねぇ。……自分で決めたんだろっか、ならいいさね。なんでもやってみんば分からんし。でもね、いいかい? 困った時ゃ、いつでも帰ってきていいんだよ。家は、いつでもあんたの帰るとこだよ』
「ありがと、かか。…また連絡するわ。みんなにもよろしく言っといて」
『うん、体だけは気ぃつけてね。んじゃ、荷物届いたら連絡すっけね~』
通話を切ったスマホを見つめる。
これは”逃げ”じゃない。
自分らしい生き方を見つける──そう、決めただけのことだ。
――そして、数日後。
俺は再び、霧坂町のホームに立っていた。
木造の駅舎は前と変わらず、ほんの少しだけ、春めいた風が吹き抜ける。
「旅先」だった場所に、今度は「移住者」として降り立つ。
そんな小さな違いが、妙に心をくすぐった。
駅の前には誰もいなかったが、ベンチの陰から、のっそりと立ち上がった影がある。
細身の四肢。少し汚れた毛並み。くりっとした目と、ピンと立った耳。
「……おまえ、もしかして……」
そう口にした途端、そいつは尻尾をブンブンと振った。まるで「遅かったじゃねーか」と言っているみたいに。
「……ははっ。やっぱ、おまえだったか」
初めてここを訪れたとき、森の中で出会った野犬──いや、“使い魔”だったか。
ギルドでは勝手に「伝説のテイマーを待つ犬」として扱われていた。
俺はそいつの頭をひと撫でして、言った。
「名前、つけてなかったな……。よし、今日から“ジン”ってことでどうだ?」
尻尾の動きが一段と勢いづいた。
それだけで、なんとなく嬉しくなった。
ジンと並んで坂道を歩く。向かう先は、古びた木造校舎――冒険者ギルド。
“帰ってきた”という感覚は、まだ少しこそばゆい。
扉の前で深呼吸し、少し気恥ずかしさを抱えながらも扉に手をかける。
……もし、忘れられてたらどうしようか、なんて思いつつ、ギルドの扉を開けると――
「――あっ! ちょうどよいところへ!!」
ロビーに響く、テンションMAXな声。
そこには、ファンタジーな衣装で受付に立つサヤカが、満面の笑みでこちらを指さしていた。
「ユウマさん! 緊急クエスト発動中ですっ!!」
「……あー、うん? 緊急クエスト?」
俺はジンと顔を見合わせ、苦笑した。
どうやら、慌ただしい“再始動”になりそうだ。