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2.途中下車 霧のむこうに 道がある

「では――南條悠真なんじょうゆうま様、これで冒険者登録、完了でございます!」


 間宮サヤカと名乗った受付嬢はそう宣言すると、カウンター奥の棚からちょっと豪華に見える革っぽい手帳を取り出して俺に手渡した。手帳の表紙には《冒険者手帳》と金色の文字が刻印されていて、開くと「ランク:F」「登録日:本日」「称号:旅人」と、これまた本気か冗談かわからないことが書いてある。


 そして、受付嬢は満足げに頷いて、不敵な笑みを見せた。


「ふふっ……また一人、新たな物語が始まりましたね」


 俺は曖昧に笑ってごまかしたが、心のどこかで「ま、いっか」と思っている自分がいた。ここに来てからというもの、何かと“まあいいか”が多い気がする。




「お~い、新入りくん、準備できた?」


 声をかけてきたのは、先ほどからロビーのベンチに座ってスマホをいじっていた青年だった。年は二十代前半、くせっ毛の茶髪に、動きやすそうなカーゴパンツとパーカーといった出で立ちだ。


「あ、はい。南條といいます。えっと……準備?」


「俺は藤原カイト。当ギルドの……まあ一応、冒険者? 地域振興課職員って肩書きも持ってるけど……。今日は俺がガイド兼任ってことで」


「よ、よろしくお願いします」


 彼は軽く手を挙げ、立ち上がると、奥から何やら道具を詰めたリュックを引っ張り出した。


「初クエストは、山菜採りだ。春の味覚ってやつだな。地元のばあちゃんたちが待ってるから、張り切っていこうぜ!」


「……本当にファンタジーな”冒険者ギルド”って感じですね」


「まあな。リアルで”こんなこと”やって許されてる町なんて、珍しいんじゃない?」


「カイトさーん? 新米冒険者の案内、よろしく頼みましたよ? ”先輩冒険者”として」


 サヤカさんだった。語尾に笑みはあったが、目が笑っていない。


「……っす、はい」


 カイトが軽く咳払いしながら姿勢を正す。


「えーっと……よし、任務開始だ。勇敢なる新米冒険者よ、ついてきてくれ」


 冗談なのか本気なのか、その境目がよくわからないまま、俺たちは出発した。




 森の奥にうっすらと白いものが見え始めた。


 霧だ。


 木々のあいだを薄い靄が流れている。風が吹くたびに、白いレースのように揺れて、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。


「……霧が出てきましたね」


「この辺は、昔から“霧が出やすい土地”でさ。町名の“霧坂”も、それが由来。朝晩に山に入ると、こうしてすぐに霧に包まれるんだよ」


 先を歩いていたカイトが、少しだけ振り返りながら言う。


「なるほど。町の名前見たとき、なんとなくそんな気がしてたよ」


「ふふ、地元のばあちゃんたちは、“霧の出る道は神様の通り道”だとか、“霧が濃い日は山の向こうに異界が開く”とか、そんな話をしてくれる」


「……なんか、ちょっとだけ期待しちゃいますね」


「まあ実際、迷いやすいから気をつけろって話なんだけどな」




 霧坂町の外れにある登山道入口には、古びた木製ゲートが設けられていて、そこに貼られている注意書きには《熊注意!》の文字がでかでかと書かれていた。


「熊……大丈夫なんですか?」


「大丈夫大丈夫。音鳴らしてれば出てこないし、これ使うから」


 そう言って彼が取り出したのは、いわゆる“熊鈴”だったが、なぜかドラゴンの意匠が彫られていた。


「……特注品だね」


「ギルドの職人じいさんの手作り。見た目も音も、なんか強そうでしょ?」


 強そうな音、というのがどういう意味なのかはよくわからないが、確かに心強い気はする。




 登山道は、なだらかながらも山道だった。もちろん舗装などされておらず、木の根が浮き出た斜面を登ったり、湿った落ち葉を踏みしめて進んだりする。


 東京ではもっぱらエレベーターとエスカレーターで生きてきた俺の足腰には、なかなかの試練である。

 だが、霧に包まれたこの静けさの中では、息が切れる感覚すらもどこか心地よく思えた。


 草と土の匂いが鼻に心地よい。鳥の声が耳に優しく、風が頬を撫でる。道端には、ふきのとうやタラの芽らしき若芽がひっそりと顔を出していた。


「ああいうのが、今日の“お宝”な。食えるやつだけでも覚えとくと良いよ」


 カイトは指差しながら解説してくれる。どこかガイドっぽく、でも“旅の仲間”としての距離感もあって、妙に居心地がいい。


 気づけば、心が軽くなっていた。


 いつの間にか、辺りを覆っていた霧も晴れていた。


 体は重い。だが、心は軽い。


 これが“冒険”というやつなのかもしれない。




 そんな折、カイトが急に立ち止まり、周囲に目をやった。一瞬で空気が張り詰める。


「……とまって」


「どうしました?」


「しっ……。音、聞こえた?」


 俺も耳を澄ます。すると、確かに、草を踏むようなざわざわした音がすぐ近くで聞こえる。


 カイトが手を上げて俺を制した。


「イノシシか何かかも。異世界なら魔獣かゴブリンか……動くなよ。……来るぞ」


 草むらが揺れた。


 息を呑む。




 ──出てきたのは、一匹の犬だった。


 毛並みは少し汚れているが、細身で長い足。どことなく、柴犬のような顔立ちをしている。


 犬はこちらを見て、尻尾をふった。


「……なんだ、お前かよ。野犬だけど、だいぶ人慣れしてるから害はないはずだ」


 カイトがゆっくりしゃがむと、犬は臆することなく近づいてきた。そして鼻を鳴らしながら、俺の足元にもすり寄ってくる。


「お、初対面なのに懐かれてるな」


「……動物は嫌いじゃないよ」


「テイマーの素質ありってか?」


 こうして俺たちは、“野生の使い魔”を伴いながら、山の上まで登った。




 山頂は思った以上に開けていて、そこからは霧坂町の全景が一望できた。


 田んぼ、小さな川、神社の屋根、学校の校舎と広いグラウンド。遠くにゆっくり動くトラックの姿も見える。


「……すごい」


 思わず漏れた言葉に、カイトが隣で微笑んだ。


「だろ? 初任務にしては、悪くない冒険だったろ」


 うん、と頷くしかなかった。


 気づけば、心を包んでいた霧も、もうどこかへ消えていた。

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