1.途中下車 風にまかせて 降りた町
鈍行列車のガタンゴトンという音だけが、規則正しく耳に届く。
俺はぼんやりと窓の外を眺めていた。山桜が風に揺れ、雪解け水がきらきらと光る。誰も乗っていない車両の中で、ただ車窓だけが季節の移り変わりを教えてくれる。
「それくらい、気合でカバーしろよ」
そう言った上司の顔が、しつこく脳裏にこびりついて離れない。
金曜の朝、体調不良を理由に会社を休み、その足で病院に行った。
医者の言うには「しばらく自然の中でゆっくり過ごしたほうがいい」とのことだった。たしかに、そうかもしれない。最近は鏡を見るたび、自分の顔が妙に平面的に感じられた。あれはきっと、自律神経がどうにかなっていたに違いない。
翌日、俺は気まぐれに旅に出た。
スマホもあまり見ない。目的地も決めない。ただひたすら、流されるように乗り換えを重ねて、今この車内にいる。
そして、列車は小さな無人駅に止まった。
霧 坂
初めて見る駅名だった。
窓の外には、のどかな風景が広がっている。田んぼに水が入り始め、白い花をつけた木がぽつんと立っている。空が広く、遠くの山にはまだ雪が残っている。
その光景が、やけに胸に響いた。
(……降りてみるか)
我ながら唐突だったが、体が勝手に動いていた。ドアが開くと、ひんやりした山の空気が鼻腔をくすぐった。
駅を出ると、そこには本当に何もなかった。
ポスト、タクシーが居ないタクシー乗り場、錆びた自販機。歩いているのは猫が一匹。観光案内板も設置されてはいるが、色あせて文字がほとんど読めない。
とりあえず、駅前の坂道をのぼってみる。何かあるかもしれないし、何もないかもしれない。
そんな気分で歩いていたところ、少し先に、比較的状態の良い看板があった。
木製の板に、白いペンキでこう書かれていた。
《冒険者ギルド 霧坂支部》
「は?」
思わず声が出た。
ファンタジーじゃないんだから、と思ったが、どう見ても書いてある。しかもその下には小さく、「地域活動拠点」とか「協力:霧坂町観光協会」などと、現実味のある単語が並んでいる。
観光協会の若手のおふざけだろうか。それを許容する町もなかなかのものだ。
看板が指す先にある建物は、古びた木造の元校舎のようだった。
(……行ってみるか)
今日二度目の、よくわからない衝動だった。
中に入ると、さらにわけがわからなかった。
広いロビーには木のテーブルと椅子、奥にはカウンター。壁には剣と盾の模様が描かれたタペストリーが掛かっていて、片隅には掲示板らしきものもある。
そしてカウンターの中には、いかにもなコスプレをした女性が立っていた。
「ようこそ、旅の方!」
言われて、なぜか背筋が伸びた。
「ぁ、はい! ……えっと?」
「ここは霧坂の冒険者ギルドでございます。お初にお目にかかります、受付の間宮サヤカと申します♡」
「……冒険者ギルドって、ファンタジー系の?」
「はいです! 冒険者登録もできますよ! 初回登録は無料! 地図と手帳がついてきますよっ」
どう見ても悪ノリが過ぎた観光案内所……そう思ったのに、帰る気にはなれなかった。たぶん、少しだけ面白そうだったのだ。
「……まあ、せっかくだし、登録してみようかな」
俺の口が、そう言っていた。