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あなたの一番大事なものは、何ですか?

作者: 琴乃葉

沢山のお話の中から見つけてくださりありがとうございます!

誤字報告ありがとうございます!


「今日も遅刻……いえ、キャンセルかしら」


 壁の時計を見ながらため息をついた私に、侍女は困ったように眉を寄せ、もう何杯目かになるか分からない紅茶を注ごうとする。

 それを手で制し、私は侍女に本を持ってくるように頼む。


「ルフレお嬢様、こちらでよろしいでしょうか?」


 手渡されたのは、隣国パレスティアで発売されたばかりの魔法書。翻訳をされるのを待たずに隣国から直接取り寄せたものだ。


「ありがとう」

「それでなくても難解な魔法書ですのに、異国の言葉で書かれたものを読まれるだなんて、さすがカーファン伯爵のご息女ですわ」

「あら、文法はこの国と似ているからそれほど難しくないのよ」

「私にはくにゃくにゃとした文字の判別すらつきません」


 子供の頃から私の世話をしてくれている侍女は感心したかのように頬に手を当てたあと、時計に視線を向ける。


 時刻は間もなく午後三時。待ち合わせは一時だったからもう二時間の遅刻だ。来ればの話だけれど。


 婚約者であるフルオリーニ・バーナー様は聖騎士として聖女オクタヴィア様に仕えている。聖女様はこの国、ナディスを魔獣から守る結界を張ってくださっていて、彼女のおかげで私達は平和に暮らせているのだ。


 聖女様はもとは平民で、小柄で可憐な容姿をしている。ピンクブロンドのフワフワの髪に、大きなオレンジ色の瞳は小動物を連想させ、庇護欲誘う容姿に惹かれる男性も多い。


 そんな聖女様にお仕えする聖騎士は憧れの職業だ。

 聖騎士は四六時中聖女様を護衛する。そのため、騎士の中から聖女様が直接選ばれるのが慣例となっていた。


 大抵はベテラン騎士が選ばれるそうだけれど、今の聖女様が選ぶのは自分と歳の近い若い男性が多い。しかも、全員が整った顔立ちをしているので、その選別に違和感を覚える人は少なくない。


 ただ、国を守る聖女様を悪しく言うのはタブーなので、皆がその違和感をぐっと飲み込んでいる。


 栄誉ある聖騎士に選ばれたフルオリーニ様はバーナー家の長男で、二十三歳。

 黒髪にエメラルドグリーンの瞳の彼は、均整の取れた顔立ちと鍛えられた体躯で女性からとても人気がある。


 対して私はヘーゼルナッツ色の髪にグレーの瞳と容姿が地味だ。

 今年二十歳になったので結婚を具体的に進めたいけれど、フルオリーニ様が忙し過ぎてまだ何も具体的に決まっていない。


 婚約してもう十五年も経つ。

 結婚したら嫡男であるフルオリーニ様を支えながら伯爵夫人の仕事を義母から学ぶ予定だ。


 この国の貴族女性は結婚するまで働くことはあっても、結婚後は仕事を辞め家庭に入る。

 貴族として生まれたからには、後継ぎを産むのが務めであり、一生独身を貫くのは許されない。

 つまり、婚約候補となりそうな男性にはすでに婚約者か妻がいて、愛情有無にかかわらず私にはフルオリーニ様と結婚するしか道がないのだ。

 

「もう、来ないかもしれないわね」

「ですが、今日はルフレお嬢様のお誕生日ですよ。いくら聖女様が大事とはいえ、あまりに酷すぎます」


 侍女が膨れっ面で時計を睨む。と、その神経を逆撫でするかのように時計が三時を告げる鐘を鳴らした。


 ボーン、ボーン、ボーン と三回それが鳴るのを聞いて、私は席を立つ。もう来ることはないでしょう。

 せっかく新しいディドレスを着て、髪も結い上げてもらったけれど仕方ない。窓に映る私の瞳には諦めの影が落ちていた。


 八時から私の誕生日を祝うパーティが開かれる。

 それまでふたりの時間が欲しいと言ったのは私で、だったら街にプレゼントを買いに行こうと言ってくれたのはフルオリーニ様だ。


 最近はお茶会のたびに聖女様から呼び出しがあり、紅茶が温かいうちに帰ってしまう。それはまだましで、当日キャンセルも当たり前。指折り数えたら三回に二回はキャンセルされていた。

 ここまで来ると乾いた笑いが出てしまう。


 それに対し「少しは私との時間を作って欲しい」と頼んだこともあるけれど、「聖女様のお呼び出しだから無理だ」と言われ、さらには「自分の婚約者が聖女様の筆頭聖騎士になるかもしれないんだから、応援するのが普通だろう」と怒られてしまった。


 フルオリーニ様の言うことは間違っていない。でもそうなると、これから私はずっと我慢を続けなくてはいけないわけで、一生誰の「一番」にもなれないのだ。


 客間を出て、気分転換に庭を散歩しようと玄関に向かっていたら、玄関先から従者の声がした。続いてブーツの足音がする。

 もしかして、と私は駆け出した。


「フルオリーニ様!」

「ルフレ、淑女が走るものではない」


 嬉しくて駆け寄った私に、フルオリーニ様は眉を顰める。いけないと足を止めゆっくり歩くけれど……他に言うことはないの? と思ってしまう。


「来てくださらないかと思いました」

「急遽、聖女様に仕事を頼まれたからな。支度はできているか?」


 謝罪の言葉もなく、フルオリーニ様はエメラルドグリーンの瞳で私の姿に目を通す。

 頭上に輝く夏の太陽と同じオレンジ色のデイワンピースは、義理の姉と選んだ品だ。

 可愛いの一言を待っていたのに、私に向けられた言葉は冷やかだった。


「オレンジ色は聖女様の瞳の色だ。聖騎士の婚約者なのだから、その色は今後着ないように」

「でも、オレンジは私が好きな色です。聖女様に会うさいに着なければいいと思うのですが?」

「駄目だ。どこで誰が見ているかもしれないんだから、常に聖女様を敬う行動をすべきだ」


 フルオリーニ様はそう言うと、私をエスコートすることなく馬車に乗り込んでいった。

 

 ――えっ? なんで私がそこまで聖女様に気を遣わなくてはいけないの?

 聖女様が出席されるパーティでは、聖女様にまつわる色を着てはいけないという暗黙のルールがあるのは知っている。

 正直、そこまでの気遣いが必要? と思う令嬢も多い。だって、前の聖女様のときはそんな決まりはなかったもの。


 そこに加えプライベートでも着るな、は無理がある。そんなことしたら、王都からオレンジの服が消えてしまう。


 納得できないけれど、忙しい中会いに来てくれたフルオリーニ様の機嫌を損ないたくないので、諸々の気持ちを飲み込み、私は御者の手を借り馬車に乗った。

 

 誕生日のお祝いにリクエストしたのは、フルオリーニ様の瞳と同じ色のイヤリング。少し大人っぽいデザインが欲しいな、と思いつつ窓の外を眺めていると、馬車はバーナー伯爵家御用達の宝石店を通り過ぎてしまった。

 

 いつもと違う宝石店に行くのだろうかと訝しんでいると、馬車が停まる。促され降りた先にあったのは、なぜか靴屋だ。


「あ、あの。私は誕生日プレゼントにイヤリングをお願いしたと思うのですが」

「それは覚えている。だが、まずは聖女様に頼まれた品を買いたいんだ」


 現状を飲み込めないでいる私を置いてフルオリーニ様は店に入ると、店主にエメラルドグリーンの靴を出すように頼んだ。

 聖女様が着る服は白だと決まっている。アクセサリーも色を持たないダイヤか真珠だ。

 昔からの決まりらしく、現聖女様もそれを守っている。ただ、靴の色に規定はない。

 

 唯一、自分が好きな色を選べる靴に、フルオリーニ様の瞳の色を選ぶ理由を勘ぐらずにはいられない。

 複雑な気持ちで立ち尽くす私の前で、フルオリーニ様は店主が用意した二十足以上の靴を吟味し始めた。

 

「ルフレ、女性の意見を聞かせてくれないか?」

「はい。そうですね、今はリボンや花のワンポイントがあるのが人気です」

「そうか、ではこれと、これと……」


 そう言って、フルオリーニ様は候補を三分の一にまで絞った。

 私は時計を見る。時刻は四時。誕生日パーティの支度を考えると五時半までには邸に着きたい。

 となると、街を五時には出なくてはいけないわけで。


「あの、そろそろ宝石店に行かなくては、時間がありません」

 

 私の言葉に、フルオリーニ様は不機嫌顔で振り返った。


「今、俺が何をしていると思っているんだ。聖女様の靴を選んでいるんだぞ。黙って待っていろ」

「……申し訳ありません」


 見かねた店員さんが椅子を持ってきてくれ、そこに腰掛ける。時計の針がカチカチと進むのにフルオリーニ様はいつまで経っても靴を決めかねていた。

 何度か声をかけようと思ったけれど、また怒られるだけだと我慢する。

 

 聖女様の靴を選ぶフルオリーニ様の顔は真剣そのもので、それだけ聖女様が大事なのだと伝わってくる。

 そうして五時十五分前にやっと靴が決まった。


「もうこんな時間か。移動時間がないから近くの宝石店でいいだろう?」

「は、はい!」


 この辺りにある宝石店は、いつも行く宝石店より小さく手頃なものが多い。どちらかと言えば平民向きなのだけれど……

 ここで不満を見せてはいけないと、私は笑顔で答える。

 

 フルオリーニ様は店を出て首を巡らせたところで、斜め向かいにある宝石店へ向かった。

 不満がないわけではない。でも、フルオリーニ様が選んでくれるのなら、何でも嬉しい。

 そう自分を納得させ入った店内は、私をさらにがっかりさせるものだった。


 並んでいる宝石は子供っぽいデザインか、マダムがするようなデザインばかり。なぜか両極端な品揃えに首を傾げてしまう。

 値段が平民向きなだけあって、品質もそこまでよくない。


 いや、この店が悪いわけではない。ただ、私の好みではないのだ。

 そう言おうと思ったけれど、フルオリーニ様は迷うことなくショーケースに向かい、出迎えた店主に「これ」と言った。

 店主が取り出したのは、アクアマリンのネックレス。それに「えっ!?」と思わず声が出てしまった。

 だけれど、そんな私にフルオリーニ様が気づくことはない。


「店主、これを頼む」

「はい。ありがとうございます。包装を致しますので、少々お待ちを……」

「いや、時間がないのでそのままでいい」


 ラッピングしようとする店主をフルオリーニ様が制する。店主が戸惑うような視線を私に向けてきた。困惑顔が、それでいいのかと聞いているようだ。


「あ、あの。フルオリーニ様、私が頼んだのはエメラルドのイヤリングです」

「だが、この店にエメラルドのイヤリングはない。だったらこれでいいだろう?」

「それなら、違う店を……」

「五時半から聖女様と食事をすることになっている。時間がない。プレゼントなんてなんでもいいだろう」


 そう言うと、フルオリーニ様は硬貨を店主に渡し時計を見た。

 ちょっと待って、今なんて言った?


「あ、あの。今夜は私の誕生日パーティです。聖女様との食事は違う日では駄目なのですか」

「駄目に決まっているだろう。俺は聖騎士なんだぞ」

「聖騎士の仕事が聖女様と食事を摂ることなのですか? それはフルオリーニ様でなくては駄目なのですか?」

「聖女様が俺とふたりで食事をしたいと言ってくれた。もしかすると筆頭聖騎士候補にと考えてくれているのかもしれない。そんな大事な食事会を他の聖騎士に譲るはずないだろう?」


 苛立たし気に言うフルオリーニ様に、目の前が真っ暗になっていく。


 聖女様の靴を選ぶとき、フルオリーニ様は沢山の時間をかけ真剣な顔をしていた。リボンのほうが聖女様に相応しい、いや花のモチーフも愛らしい。でも派手過ぎるのも、しかしこっちの方が似合いそうだと呟きながら選んでいた。


 それなのに、私への誕生日プレゼントは店に入るなりすぐに決めてしまう。

 店内を回ることもなく、エメラルドのイヤリングがないのならと手近にあったネックレスを選ぶのに必要な時間は、三十秒もなかっただろう。

 おまけに、包装すらしてくれないなんて。

 聖女様の靴を買ったときは、包装紙の色からリボンの結び方まで悩んでいたくせに。


 いままでの悲しい思いや、悔しさが一気にこみ上げてきた。

 自分が惨めで情けなくて、だから絶対口にしないでおこうと思っていた言葉が、つい口から出てしまう。


「フルオリーニ様は、私と聖女様、どちらが大事なのですか?」


 絶対に言ってはいけないと思っていた。聖騎士は大切な仕事だから、それを邪魔するような言葉を口にしたくない。してはいけない。

 でも、どうしても問わずにはいられなかった。


 案の定、フルオリーニ様は険しい顔で私を睨む。


「自分が何を言っているのか分かっているのか?」

「はい。でも聞きたいのです」


 ここまできたら私も引き下がれない。覚悟を決め次の言葉を待っていると、大きな舌打ちが聞こえた。


「そんなの聖女様に決まっているだろう。そもそも自分と聖女様を比べろなんて、身の程知らずにもほどかある」


 鋭い言葉が私の心をえぐる。はらはらと涙が零れてきた。

 分かっていた。フルオリーニ様が聖騎士の仕事を、聖女様を大事にしているのは知っている。

 だからせめて私()大事と言って欲しかったのに。


 泣き出した私を鬱陶しそうにフルオリーニ様が見る。そうして店主に馬車を呼ぶように頼んだ。


「時間がないから、俺はここから直接教会に行く。馬車を呼んだからルフレはそれでひとりで帰れ。あぁ、それから……」


 フルオリーニ様は私の手を取ると、ぞんざいな手つきでネックレスを握らせる。そうして、早足で立ち去って行った。

 ひとり残された私は、そっと手のひらをひろげる。

 アクアマリンのネックレスは、涙の雫のような形をしていた。



 


 

 誕生日パーティの翌日、私はお城の敷地の一角にある魔法学室の扉を開けた。


「おはようございます」


 挨拶をすると、あちこちから「おはよう」「おはようございます」の声が返ってきた。

 部屋は広く、木製の仕切りで三つに区切られている。仕切りの場所は日によって変わり、自分の席というものはない。

 でも、おおよそ座る位置は決まっていて、私はいつもの場所に向かった。

 

 魔法学室は、魔法薬、魔道具、魔法書の解析の三つの部署からできている。

 そのうち私は魔道具を扱うチームに所蔵してる。


「ルフレ、昨日は楽しめたかい?」


 そう言って前の席に腰掛けてきたのは、隣国バレスティア出身のグラディス・アルテア侯爵令息。

 私より三歳年上で、昨年からこの魔法学室に在籍している。


「おはようございます」


 答えつつ、一昨日までしていた研究結果を書き留めた書類を棚へ取りに行く。ごく自然に振る舞ったつもりだけれど、グラディス様はそんな私の様子にいつもと違うものを感じたようで。

 お昼休みになると同時にランチに誘われ、北にある庭のベンチに座ったところでどうしたのかと聞かれた。


「別に、なにもありませんよ」

「そんなことはない。昨日、誕生日パーティだったのだからもっと浮かれているか、もしくははしゃぎすぎて疲れていてもおかしくないのに、ルフレの目は朝から悲しそうだ」


 私は無言でサンドイッチを頬張り、咀嚼する。そうしてゴクンと飲み終わったところで、実はと切り出した。

 多分、誰かに聞いて欲しかったんだ。


 一部始終を話すと、グラディス様は難しい顔で眉間を押さえた。


「隣国から来た俺だから言うけれど、聖女様は少し横暴すぎないか?」

「しっ、いくらこの国の人でないとしても、言っていいことと駄目なことがあります。私だからいいですけれど、誰かが聞いていたら国際問題になりかねませんよ?」

「大丈夫、誰もいないのを確認してから言っている」


 そう言われ周りを見ると、確かに誰もいない。

 お城の北側に位置するここは、人通りが少ない。北門を出て大通りを渡ればすぐに教会で、そこには聖女様がいる。だけれど、教会関係者がお城に来ることは滅多にないし、花壇ひとつないこの庭は馬車で通り過ぎるだけだ。


「ひとつ、聞いてもいいか?」

「はい、なんでしょうか?」

「ルフレの話を聞いたところ、フルオリーニ殿はこれからも聖女様を優先させるだろう。それでいいのか?」

「仕方ないと思っています」

「それは、それだけ彼のことが好きという意味だろうか?」


 そう聞かれ、私は首を傾げる。

 以前は好きだったように思う。一緒にいて楽しいし、この人と結婚したら幸せになれると思っていた。

 だけれどいつ頃からか、それはもう叶わないだろうと、諦めている。


「好き、ではありません。嫌いでもありませんが、仕方ないというのが正直な感想です」


 素直に答えれば、グラディス様は難しい顔で考え込んでしまった。


「そこまでして結婚しなくてはいけないのか?」

「当然です。貴族として生まれたからには、結婚しないという選択肢はありません。今、フルオリーニ様と婚約解消しても、後妻ぐらいしか選択肢はありませんし。そもそも貴族の結婚なんて、どこもよく似たものかと思います」


 私の両親は仲がいいけれど、大抵は割り切った夫婦関係だ。夫や妻、もしくは両方に愛人がいるのも珍しくないし、子供を産んだあと妻は離れで暮らし別居状態だという話も聞く。

 もちろんそれなりに良好な夫婦関係を築いている場合もあるけれど、どこかで割り切っている人のほうが多いだろう。


「結婚しなくてもいい。そんな生き方があれば、迷わずその道を選ぶのですけれど」


 ため息交じりに零した私の言葉に、グラディス様が「では」と言ったときだ。

 北門から聖騎士の服を着た男性が現れ、まっすぐ私に近付いてきた。


「フルオリーニ様、どうしたのですか?」

「聖女様の私室から庭が見えたから来たんだ。その男は?」


 いきなり現れたフルオリーニ様は、牽制するかのようにグラディス様を見る。

 何か誤解しているのかもと考えると同時に、聖女様の私室ってなに? とも思った。


 聖女様には侍女がいる。聖騎士といえど私室に入ることはないはずだ。なのに、私室? いったいそこで何をしていたの?


 そんなことに気を取られていたら、グラディス様を紹介するのが遅れてしまった。

 グラディス様は立ち上がり、自身で名乗ると、私の同僚だと説明した。


「そうでしたか。ところでルフレ、今晩先輩夫婦から食事に誘われたんだ。聖騎士の妻としての心構えを聞けるいい機会だから、時間を作ってくれ」

「はい、分かりました。五時に仕事が終わるので、北門で待ち合わせでもいいでしょうか?」

「分かった。では迎えにくる」


 フルオリーニ様はそれだけ言うと、踵を返して教会へ帰っていった。

 先輩夫婦との食事会、とはいったい?

 今までそんなことはなかった。フルオリーニ様の考えは分からないが、奥様と話ができるのは私にとってもいい機会だ。

 どんな風に心のモヤモヤに折り合いをつけて生活しているか聞きたいし、他にも参考になる話があるはず。

 だから、食事会は嬉しいのだけれど。


「急にどうしたのかしら?」


 首を傾げる私の横で、グラディス様は眉間を寄せフルオリーニ様が出て行った北門を睨んでいた。


「グラディス様? どうかしましたか?」

「いや、ところで俺の国の話をしてもいいか?」


 グラディス様とは比較的仲が良いけれど、プライベートの話はあまりしたことがない。


 この国ナディスと隣国バレスティアの国境には魔獣が住む森があり、我が国は聖女様が魔獣から守ってくれている。

 それに対し、バレスティア国は騎士団が魔獣を退治していた。

 魔獣が大量に押しかけて来ると被害も大きくなるらしく、国をあげて対策に取り組んでいるらしい。


 グラディス様が我が国に来たのもその一環で、魔獣対策の魔道具作成に繋がる知識を学んでいる。というところまでは聞いていたけれど、具体的な話を聞いてはいない。

 だから魔獣対策についての話だとばかり思っていただけに、グラディス様が口にした内容は私にとって意外なものだった。




 夕暮れ、フルオリーニ様と一緒に訪れたのは、王都の西にある一軒家だった。

 迎えてくれたのはアルテア夫妻、夫でありフルオリーニ様の先輩のアラン様は男爵家の次男らしい。


 ブロンドの髪に、少し垂れた赤い瞳のアラン様は三十歳と聖騎士では最年長らしい。

 すれ違う人が思わず二度見してしまうほど整った顔をしていて、身長も高い。鍛えられた体躯は彫刻のようだ。

 フルオリーニ様が精悍な容姿に対し、アラン様は優男風。それでいて鋼の肉体なので、聖女様が気に入るのも分かる、と思わず納得してしまった。

 

 妻のカルティさんは栗色の髪のおしとやかな美人。ただ、少しやつれ疲れていそうに見えた。

 その原因は、おそらく彼女のスカートをぎゅっと握り締めている双子の男の子と女の子でしょう。二歳ぐらいかな?

 くりくりの丸い目と、フワフワの髪が可愛らしい。


「たいしたおもてなしができなくてごめんなさい」


 申し訳なさそうに言うカルティさんに、私はとんでもないと首を振る。


「こちらこそ突然訪ねてきて申し訳ありません。何かお手伝いできることはありますか?」

「じゃ、料理を並べるのを手伝ってくれるかしら。赤ちゃんをあやしていたら、そこまで用意できなかったの」

「えっ、赤ちゃん?」


 さらに赤ちゃんまでいるなんて。アラン様がゆりかごを指差すのでそっと近寄れば、すぅすぅと眠っていた。


 私とカルティさんで料理を用意し、食事を始める。でもカルティさんは子供達にご飯を食べさせてばかりで、自分が食べる余裕はない。それに対しアラン様はフルオリーニ様とお酒を飲み出した。


「カルティさん、私が食べさせても大丈夫でしょうか?」

「ありがとう。助かるわ。自分で食べられなくはないんだけれど、危なっかしくて」


 スープをひと匙掬い、パンを両手で持って食べる子供の口元にもっていけば、素直に口を開けはむっとスプーンを咥える。小さな口が動くさまがとても可愛い。


「カルティ、スープを温め直してくれないか。冷めている」

「あら、ごめんなさい」


 食べているのはダイニングで、部屋の隅に調理台がある。そこに魔石の入ったコンロがあり、カルティさんは鍋を火にかけると席に戻ってきた。

 子供にスープをあげようとするカルティさんにフルオリーニ様が声をかける。


「カルティさん、ルフレに聖騎士の妻としての心構えを教えてやってもらえませんか。彼女、俺が自分へのプレゼントより聖女様の靴を先に選んだのが気に入らないらしく、ずっと怒っているんですよ」

「そんな! 私、怒ってなんて……」


 いきなり何を言い出すのだろう。

 たしかにお店では口調が強かったけれど、そんな説明では私が全面的に悪いように聞こえてしまう。


 黙っているカルティさんに対し、口を開いたのはアラン様だ。


「それはいけないよ。聖女様はこの国を守ってくれている。婚約者や妻へのプレゼントより聖女様の願いを優先するのは聖騎士として当たり前だし、プレゼントなんていつでも買ってもらえるんだから、そこは理解をしなくてはいけない」


 そうじゃない。

 私だって普段のプレゼントだったら、あそこまで言わない。

 でも、あの日は私の誕生日だったんだ。ずっと前からプレゼントを買いに行く約束をしていたし、パーティについても何ヶ月も前から伝えていた。


 でも、滔々と聖騎士の妻としての心構えを語ってくるアラン様に口を挟むことができない。


「カルティもそう思うだろう?」

「たしかにあなたの言うことは正しいけれど、でも、ルフレさんの言い分も聞いてあげたらいいのではないかしら」


 唯一この場で私を庇ってくれたカルティさんは、私にどうなの? と意見を求めてくれた。

 促され「実は」と口を開こうとしたときだ。大きな音がコンロの近くから聞こえた。


 一斉にそっちを見ると、ちょっと目を離したすきに立ち上がった男の子が、コンロの前に置いた台に乗っている。


 そして、その足元には鍋が転がりスープが床に散らばっていた。


「ヘンリー!!」


 真っ青な顔でカルティさんが立ちあがり、続けて私達も後を追う。

 男の子はびっくりしたのか泣きじゃくり、カルティさんの首にしがみついた。手が赤いので、素手で鍋に触ったのかもしれない。


「あなた、水を出して」

「わ、分かった」


 流し台には小さな樽が置いてあり、そこに蛇口が付いている。それをひねって出てきた水で男の子の手を濡らす。


「水が足りないと思うから、裏の井戸から水を汲んできて」


 カルティさんに言われ、出て行こうとする。

 でも、扉を開けたとたん、そこで立ち止まってしまった。扉の向こう側で、男性が驚いた顔で立っている。いきなり扉が開いて驚いたのだろうその人は、聖騎士の服を着ていた。


「どうした。息子が火傷をしたから水を汲みに行くところなんだが……」

「聖女様がお呼びです。なんでも欲しいお酒が見つからないそうで……、あっ、フルオリーニも一緒だったか。お前も聖女様に呼ばれている」


 私とカルティさんは目を合わせる。「断るよね」と思っていると、ふたりは揃って脱いであった上着を羽織る。

「ルフレ、馬車を残していくからそれで帰ってくれ」

「カルティ、俺は行くから後は頼む」


 当然のように出て行くアランさんを、思わず呼び止めた。


「ま、待ってください。子供が火傷をしているんですよ。せめて水を汲んでからでも……」

「聖女様が第一だ。井戸はここから百メートルほど行った場所にあるから、ルフレが汲んできてくれ」


 そう口走ると、アラン様とフルオリーニ様は出て行ってしまった。


「あ、あの。井戸水を汲んできます」

「ありがとう。バケツはそこにあるわ」


 カルティさんが指さすバケツを抱え、水を汲みに行く。

 井戸を探していると親切なおじさんが声をかけてくれたので事情を伝えれば、医者を呼ぼうと言ってくれた。

 そのあとは、そのおじさんの奥さんも駆けつけてくれ、女の子と赤ちゃんの世話を買って出てくれた。


 男の子の手当を終え、子供達を寝かしつけたときにはもう日が変わっていた。

 疲れ果てた子供達はぐっすりと眠り、すぅすぅと寝息を立てている。


「カルティさん、大丈夫ですか? 何か飲み物を作ります」

「ありがとう。でももうすぐしたら授乳の時間だから……」

「でも、カルティさん、何も食べていませんよね。パンとミルクを用意します」


 お節介かと思いつつ食べ物を用意してトレイに載せ持って行くと、カルティさんは突然俯き、肩を震わせた。

 

「見たでしょう? 聖騎士は自分の子供より聖女様を優先させるの。夫が聖騎士になったのは結婚後で、それまではとても優しかったのよ。でも、彼は変わってしまった。私がないがしろにされるのは、まだ我慢できるの。だけれど……子供だけは。私、今日のことを一生忘れない」


 悲痛な声に、胸が痛くなる。

 聖騎士とはそこまで聖女様に仕えなくてはいけないのだろうか。

 そもそも聖騎士は十数人いて交代制で任務に就いているのだから、勤務時間外のふたりを呼び出す必要はないのだ。

 お気に入りのアラン様とフルオリーニ様を頻繁に呼び出すのは、公私混同も甚だしい。しかもその理由が、お酒を探して欲しいなんて、ふざけているとしか思えない。


「まだ結婚していないのなら、引き返せるわ。よく考えて。家族より大事なものがある夫を、あなたは許すことができる?」


 涙で赤く腫れた目で私を見据えながら、カルティさんが聞いてくる。

 その問いはまるで「あなたはまだ逃げられる」と言っているようだった。









*フルオリーニ


 アラン先輩と食事をして、三ヶ月が経つ。

 アルテア夫妻の様子を見て学ぶことがあったのだろう。あれからルフレは俺の仕事に何も言ってこなくなった。


 聖女様に仕える俺の仕事に理解を示したようで、お茶会の回数を減らそうと提案してくるほどだ。

 デートの途中で聖女様に呼び出されることがあっても、あっさりと送り出してくれる。

 以前は文句こそ言わないが、悲しそうにしたり不満が垣間見れたが、今はそんな様子もない。


 昨日も予約したレストランに着いた途端に、聖女様からの呼び出しがあった。謝罪する俺に「気にしないで行ってきて」とあっけらかんと言い、「それなら友達と食事をしてもいい?」と聞いてくる。


 レストランは人気店で、予約をしたのはルフレだ。駄目だという理由はないので頷けば、嬉しそうに笑った。


 食事に誘いたい友人は近くにいるらしく、最近いろいろと相談に乗ってもらっていたのでこの機会にお礼をしたいらしい。

  

 すべてが順調に進んでいる。

 筆頭聖騎士になれるのはひとりだけ。今のところ俺かアラン先輩のどちらかだろう。

 なぜか現聖女様になってから筆頭騎士の座は空いたままだし、聖騎士の入れ替わりも多い。聖騎士の任期は一年とされていて、毎年三分の一が解任され代わりに新人が入ってくる。


 忙しくも順調な日々を過ごしていると、実家から手紙が頻繁に届くようになった。

 内容はルフレとの仲を問うものだ。

 もともとルフレとの婚約は、双方の亡き祖母が親友だった縁で決まった。

 両親も、すでにルフレを娘のように可愛がっているから、なぜ今更そんなことを聞くのだろうと不思議に思いつつ、適当に返事を書いて送った。


 すると、また手紙が届く。それには前回以上に強い筆跡でルフレを大事にしなさい、よく話し合いなさいと書かれていた。

 意味が分からないが、両家で話し合いをするらしく、その日時も書いてあったので、おそらくいい加減に結婚話を進めなさいということだろう。


 筆頭騎士になったら結婚するつもりだったが、年齢的に両親が急かしてくるのも分かる。

 だから、出席すると返事を書いたのだが……。


 話し合い当日、聖女様からカフェに行こうと誘われてしまった。

 教会に住んでいる聖女様だが、外出はもちろん許されている。日々結界を張るのに疲れているせいか、カフェに誘われるのはよくあることだ。


 おれは話し合いに行けないと手紙を書き、聖女様と一緒に出かけた。


 聖女様はとても可愛らしい。

 小さな口でケーキを食べる姿は小動物のようだし、甘えるように俺を見上げる顔は庇護欲を誘う。


 でも、俺が愛するのはルフレだけだ。聖騎士の中には聖女様に横恋慕する奴が毎年何人かいるが、彼等は揃って翌年聖騎士を解任されている。

 聖女様は男好きだと噂されているけれど、それは噓だ。

 聖騎士が一方的に好意をもって言い寄るから、頻繁に聖騎士を交代させなくてはいけない。むしろ被害者だろう。


 聖女様との食事を終え部屋まで送り届けた俺は、懐中時計を見る。

 今なら食事会に間に合うかもしれない。

 俺の実家はここから馬車で半日かかるが、話し合いは王都にあるカーファン邸で行われているので、馬を飛ばせば十五分で着くだろう。


 両家が集まっているというのに、欠席するのは少々気まずい。

 仕方ないな、と厩に足を向けると、厩の前にあるベンチで背を丸め座っているアラン先輩を見つけた。


「どうしたんですか?」

「あぁ、フルオリーニか」

 

 男の俺から見ても整っている顔がやつれている。

 身体も一回り小さくなったように思えた。


「疲れているようですが、大丈夫ですか?」

「実は……いや、なんでもない」


 アラン先輩は何かを言いかけ、そして口を閉じた。それから大きなため息を吐き項垂れる。


「あの、本当に大丈夫ですか? 話を聞きますよ?」

「……お前は、聖女様が毎年聖騎士を大勢入れ替えるのはどうしてだと思う?」

「どうしてって……。聖女様に横恋慕する輩がいるから、ですかね?」


 俺の返答に、アラン先輩は再度大きなため息を吐く。


「おれもそう思っていた。だけど、そうじゃなかったかもしれない」

「えっ、それはどう言う意味ですか?」

「それ以上は言えない。お前も知っているだろう。聖騎士は、聖女様に関する任務を公言してはいけない」


 もちろん知っている。

 引き継ぎに必要な事柄以外は秘密厳守とされている。


 聖騎士だけでなく侍女も聖女様と過ごす時間が多い。そうなると聖女様のプライバシーはあってないようなものだ。

 だからせめて、教会の外の人間から聖女様のプライバシーを守るために作られた決まりで、任務に就くにあたり誓約書にサインもした。


 アラン先輩はのっそりと立ち上がると、飲みに行かないか、と誘ってきた。

 断るべきだと思えたが、正直今は結婚の話を進めたくない。それより筆頭聖騎士に任命されるのが、大事だ。

 

 今、カーファン伯爵邸に行けば結婚を迫られるかもしれない。だから俺はアラン先輩の誘いにこれ幸いと頷いたのだ。


 アラン先輩と飲みに行った数日後、例年より早く聖騎士の選定が行われ、アラン先輩が解任された。

 ひとりとぼとぼと教会を後にする後ろ姿に、もしかしてあの日、自分が解任されると知って落ち込んでいたのではと思った。


 そしてアラン先輩が去ったことで、俺はさらに忙しくなった。

 理由は、今まで急に呼び出しをされるのはアラン先輩と俺だったのが、俺のみ指名されるようになったからだ。


 寮に帰ることよりも、教会にある休憩室で仮眠を取る回数が増えた。

 やっと休みが取れ寮に帰っても、両親から届いた手紙を開けるのも面倒なほど疲れ切っていて、ほとんど寝て過ごした。

 当然ながら、ルフレと会う時間もなかったが、俺が忙しいのを知ってか連絡はなかった。

 多分、アラン先輩の奥さんから聞いたのだろう。そう考えると、ふたりを会わせてよかったと思う。

 

 今はアラン先輩もまだ複雑な気持ちだろうし、俺からは連絡を取ってはいない。

 でも、時間が経って落ち着いた頃にルフレに会いに行こうと考えている。


 そんな忙しい日々を送る俺を気遣って、聖女様が最近できたカフェに行こうと誘ってくれた。


「無理ばかり言っているお詫びに、ご馳走したいの」

「お気遣いありがとうございます。ですが、聖女様から頼りにされるのは私の喜びですので、ご心配は不要です」

「そうかもしれないけどぉ。じゃ、私が食べたいから付き合ってくれる?」


 上目遣いで甘えるような声を出す聖女様に、俺はもちろんだと頷く。

 歳は俺よりふたつ年上だけれど、仕草も話し方も可愛らしい人だ。


 そうして訪れたカフェで、俺は意外な人物を目にした。

 偶然にも、案内された席の隣に座っていたのは、ルフレと以前見かけた同僚の男だった。







 諸々が一段落した私は、今まで相談に乗ってくれていたお礼もかねてグラディス様をカフェに誘った。


「季節のタルトがお薦めらしいです」

「今はラフランスか。みずみずしくていいな。ではそれにしよう。ルフレはどうする?」

「では私も、同じものにします」


 ふたりでメニューを覗き込み、飲み物は紅茶とアップルティーを頼む。

 注文したメニューが届いたところで、私は改めて頭を下げる。


「この度は、グラディス様には本当にお世話になりました」

「改まらなくていい。俺はたいして何もしていない。全部、ルフレの努力の結果だろう」

「ふふふ、自分でも結構頑張ったと思います」


 そう言ったところで、カフェのドアベルが鳴る。人気店なのでさっきからお客さんはひっきりなしに出入りしていた。だから気に留めていなかったのだけれど。


「ルフレ、ここで何をしているんだ!?」


 突然名前を呼ばれ振り返ると、私の後ろで顔を真っ赤にしたフルオリーニ様が立っていた。

 その隣には、当然のように聖女オクタヴィア様がいて、甘えるようにフルオリーニ様の袖に指をかける。

 だけれど、そんな仕草にフルオリーニ様は気付かないようで、私に向かってビシッと人差し指を立てた。


「俺が忙しくしているときに、他の男とお茶をするなんて何を考えているんだ!」

 

 突き出された指を私はポカンと見つめたあと、ゆっくりと首を傾げる。


「私が誰とお茶をしようとフルオリーニ様には関係ないです。それより大事な聖女様がお待ちですよ。お席に座られたらどうですか?」


 私が隣の席を指差すと、聖女様は申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「私がフルオリーニを頼るのが気に入らないのかもしれないけれど、こんなふうに浮気するのは良くないわ」

「浮気! ルフレ、お前やっぱりその男と!!」


 聖女様の勘違いにフルオリーニ様が怒りだす。勝手に妄想を膨らまされても困るのだけれど、人目のある場所で聖女様に反論するのはこの国のタブーだ。

 仕方なく口を噤んでいると、隣国から来たグラディス様はそれが気に入らないのか眉根を寄せた。


「俺は隣国出身ゆえ無知で申し訳ないのだが、この国では、お茶を飲んでいるだけで恋人と思われるのだろうか? あれ、でもそうなると聖女様とフルオリーニ殿はどうなるんだ?」

「俺は聖女様の護衛で来ているだけだ」


 グラディス様は、胸を張るフルオリーニ様から私へと視線を戻すと、促すように軽く顎を上げた。

 これはおそらく「最後に言ってやれ」ということだろう。

 このまま黙っておくつもりだったけれど、それならとグラディス様に便乗することにする。


「グラディス様、聖女様のためにダンスの相手をしたり、靴やドレスを揃えたり、夜に呼び出され晩酌を一緒にするのもすべて、聖騎士の大事なお仕事なのです。そうですよね、フルオリーニ様?」

 

 こうやって改めて口にすると、どこが仕事だと言いたくなるような内容だ。

 フルオリーニ様もそう思ったらしく、気まずそうに視線を逸らす。でも、ひとりだけ私の嫌味が通じなかった人がいた。


「そうよ。私のために働くことが聖騎士の喜びなのですから」


 傲慢極まりないセリフに、カフェにいたお客さんがこっちを盗み見る。

 たしかに私達は聖女様に守られている。でも、いくらなんでもその言い方は、横柄というものだろう。

 オクタヴィア様の聖女としての資質には、皆が疑問を抱いている。

 口にこそ出さないが、汚い言葉でいえば……


「男を侍らせて楽しんでいるのかと思っていました」

「なっ! ちょっとあなた、今なんて言ったの?」

「なんのことでしょう?」


 グラディス様が爆弾発言をし、さらにすっとぼけた。


 聖女様の発言でざわめく周りに気を取られていたフルオリーニ様は、グラディス様の言葉を聞き逃したらしく、怪訝な顔をしている。


 怒り狂う聖女様の前で澄ましているグラディス様は明らかに確信犯で、私は笑いを堪えるのがつらいほどだ。


「とにかく、辞めたアラン先輩の分も働き忙しくしているというのに、他の男と会っているなんて聖騎士の婚約者として相応しくない行いだ。反省しろ!」

「……忙しいのですか?」

「そうだ。ろくに寮に帰れないほど忙しい。ルフレはいずれアラン先輩の奥方のように俺を支えるのだから、もっと自覚を持った行動をしてくれ」


 ……これはもしかして、何も知らない?


 前の席に座るグラディス様に目線で問いかけると、彼もまた複雑な顔をしていた。

 そんな私達のやり取りに、フルオリーニ様はますます苛立ちを露わにする。


「何をこそこそしているんだ。今更口裏を合わせようとしても遅いぞ」

「そうではなく。どこから話せばよいのかと思いまして。とりあえずアラン様についてですが……あっ、座られますか?」


 私達が案内されたのは四人掛けのテーブルだったので席は余っている。

 素早くグラディス様が立ち上がり私の隣に移動する。そして、さっきまで自分が座っていた席を手のひらで差す。


「どうぞ、よろしければ聖女様もいかがですか?」

「……わ、私は。ちょっと用事を思い出したから帰るわ」

「えっ、聖女様、それでしたら俺も帰ります。護衛がいなくては危ないです」

「その必要はないわ。それじゃ」


 聖女様はなかなか勘のいいかたのようで、分が悪いと知るとさっと店を出ていってしまった。

 呆気に取られたフルオリーニ様に再度座るよう伝えると、不承不承と私の向かい側に座った。


「……それでアラン先輩がどうしたんだ」


 椅子に斜めに腰掛け威圧的に腕を組む。虚勢を張っているところ申し訳ないが、これから話すのはフルオリーニ様にとってかなりショックな話だろう。


「まず、アラン様の奥様、カルティさんですが、実家に戻られました」

「えっ?」

「それでお姉様の嫁ぎ先の商会で働きながら、子供三人を育てています」

「えっ、ちょっと待ってくれ。既婚の貴族女性が働いているのか?」


 この国で貴族女性が働くのは未婚のときだけだ。一般的には、お城や行儀見習いとして高位貴族の侍女をする人が多い。


 ただ、カルティさんの場合ご実家は広い土地を持つ豪農で、それなりの財産はあるけれど爵位は持っていない。平民だけれど、領主であるアラン様のお父様とも交流があり、ふたりの結婚が決まったそうだ。


「カルティさんはもともと平民です。だから働くことに抵抗はないと仰っていました」

「でもそれなら、せっかく貴族になれたのに、離婚して平民に戻ったというのか? 聖騎士の妻だなんて名誉ある立場を捨てて、どうしてそんなことをする必要があるんだ」


「何を大事かと思うのは人それぞれです。カルティさんにとって、火傷した子供より聖女様を優先する夫は必要ではなかったのでしょう」

「なんて無礼な! 聖騎士の妻としての自覚がない。聖女様がどれだけこの国に尽くしておられると思っているのだ。それを支える仕事の尊さを分かっていないなんて、聖騎士の妻として相応しくないのはカルティのほうだ」


 そう言うと思った。アラン様同様、フルオリーニ様にとっても大事なのは聖女様だ。


「それはフルオリーニ様の価値観です。たしかに、聖女様の仕事はご立派ですし、私達はその恩恵を受け生活をしています。聖騎士の仕事も尊重されるべきものでしょう」

「それなら!」

「ですから、聖騎士の妻にはそれらを理解する人がなればいいと思います。カルティ様にとって一番大事なのは子供だった。それもまた間違いではありません。だから、カルティ様は離婚を決心されたのです」


 何を優先するかは人によって違う。大事なのはその価値観を尊重し、時には共有することだ。

 自分の価値観を押し付けるべきではないし、押し付けられた価値観を受け入れる必要もない。


「……もしかしてあの日、落ち込んでいたのは」


 フルオリーニ様は何か心当たりがあるらしい。


「離れていって当たり前のことをしておきながら、実際にいなくなって落ち込むなんて馬鹿げていますよね。だったら始めから大事にすればよかったんです」


 思わず辛辣な言葉が出てしまったのは、子供の火傷の手当をしながら涙を堪えていたカルティさんを思い出したから。あの瞬間、カルティさんは離婚を決心したのかもしれない。


「あと、さきほどから私を婚約者であるように仰っていますが、私たちの婚約は先日解消されました」

「えっ?」

「私の誕生日のあとにバーナー伯爵様宛に手紙を書きました。聖女様を優先するフルオリーニ様を支えるのは、難しい。私は私を一番大事にしてくれる人と結婚したいので、婚約解消をしたいと伝えました」


 もちろん先に両親に話をし、手紙を書く許可をもらった。

 返事には、聖騎士の仕事の重要さを理解して欲しいの一文の他に、「ただしフルオリーニの振る舞いは目に余るので正すように注意する」とも書かれていたのだけれど……以降もフルオリーニ様の態度は変わらなかった。


 そこで両家で集まって婚約を継続するか解消するかの話し合いが行われる予定だったのだけれど。


「フルオリーニ様は聖女様を優先して、両家の話し合いに来られませんでした。私の父は大変立腹し、バーナー伯爵様は息子の無礼を詫びてくれました。そして、その場で私達の婚約解消が決まったのです。それについてはバーナー伯爵様から知らせがあったと思うのですが……?」

「……もしかして、あの手紙か?」


 呆然とフルオリーニ様が呟く。どうやら心当たりがあるらしい。おおかた、忙しさにかまけて読まずに放置していたのでしょう。


「だ、だが。俺と婚約解消してルフレはどうするつもりだ? 貴族女性がいつまでも独身ではいられない。後妻か……」

 

 とそこでフルオリーニ様の視線がグラディス様に留まる。

 そして次の瞬間立ち上がり、グラディス様の胸ぐらを掴んだ。


「お前がルフレを唆したんだな! 俺と婚約しながら他の男と通じるなんて。ルフレが不貞をするような女だとは思わなかった!!」


 唾を飛ばさんばかりの勢いに、私も慌てて立ち上がる。でも、それより先にフルオリーニ様の拳がグラディス様の頬を目がけ振り下ろされた。


 ガツンと鈍い音に目を瞑り、おそるおそる開ければ、グラディス様がフルオリーニ様の拳を手のひらで受け止めていた。

 まさか止められると思っていなかったのか、フルオリーニ様の顔が悔しそうに歪む。


「誤解です。私とグラディス様はただの同僚です!」

「同僚?」

「はい。だって、少し前までフルオリーニ様と婚約していたのですよ? 唆されていませんし、お付き合いもしていません」


 私の言葉に少し冷静を取り戻したのか、フルオリーニ様は胸ぐらを掴んでいた手を解いた。

 それでもまだ肩で息をしている。

 私はフルオリーニ様を落ち着かせるように、ゆっくりと言葉を続ける。


「私はバレスティア国で魔法学の研究をすることにしました。バレスティア国では既婚、未婚問わず働く女性が多いそうです。両親も私の選択を認めてくれました。ただ、バレスティア国の研究所で働くにはバレスティア語で書かれた試験に合格しなくてはいけなかったので、グラディス様に教わっていました」


 説得はすんなりとはいかなかったけれど、私の望む生き方はこの国にないと何度も説明した。

 始めは渋っていた両親だけれど、最終的には許可をしてくれたのだ。


「住み慣れたこの国を出ていくのか?」

「何かを得るときは何かを捨てるときと昔から決まっています。私は自分らしく生きるために、住み慣れた国を離れることにしました」 


 フルオリーニ様の唇が「捨てる」と動く。

 そう、私はあなたを捨てたのだ。


「私の人生に、私を大事にしてくれない人は必要ありませんから」


 とどめとばかりに言った言葉に、フルオリーニ様はへなへなと椅子に座り込んだ。

 店内を随分と騒がせてしまったので、食事どころではない。

 私は店員さんを呼ぶとタルトを持って帰りたいと告げた。グラディス様は素早く「迷惑料だ」と言って彼女に銀貨数枚を手渡した。


 席を離れる私に続くように足を踏み出したグラディス様だけれど、ふと何かを思い出したようで足を止め身を屈めると、茫然自失としたフルオリーニ様の耳元に顔を近づける。


「ところで、聖女様に誘惑された聖騎士が何人いるか知っているか?」

「えっ!?」

「筆頭聖騎士の座がいつまでも空席なのはおかしいだろう。その座を狙い多くの聖騎士が彼女に仕えた。世の中にはね、自分の存在価値を確かめるように男を篭絡し、手に入ったとたんに捨てる女がいるんだ」


 それは、とても小声だったので、側にいる私とフルオリーニ様以外は聞こえなかったと思う。

 言葉の意味を理解しかねていると、背中に手が当てられる。


「ルフレは深く考えなくていいよ。あなたには関係ない話だ」


 そう言って、私は促されるままにカフェをあとにした。

 最後に振り返ると、フルオリーニ様は頭を抱えるようにしてテーブルにつっぷしていた。

 少しの罪悪感が込み上げるけれど、私が彼の手を取ることはもうない。


「後悔しているのか? 今ならまだ戻れると思うが……」


 グラディス様の言葉に私は首を振って答える。

 万が一フルオリーニ様が聖騎士を辞めるから復縁してくれと言ってきても、私はもう彼との未来を描けない。


「いいえ、私はバレスティア国で研究者になると決めましたから」

「それは良かった。もっとも『戻る』と言われても行かせるつもりはなかったが」

「えっ?」


 グラディス様の青い瞳が甘く細まる。これは、もしかして……

 戸惑う私に、グラディス様は手を差し出してきた。


「近くの公園でタルトを食べよう」

「はい」


 いつもの調子で話すグラディス様は、それでもどこか嬉しそうだった。







 *数年後


「グラディス様、早く支度をしないと、陛下の謁見に遅れてしまいます」

「分かった。でも、謁見にはルフレだけが行けばいいと思うのだが。魔獣除けの魔道具を作ったのはルフレだ」


 面倒くさそうにジャケットを羽織るグラディス様を、魔道具研究室の皆が苦笑いする。


 先日、やっと成功した魔獣除けの魔道具は、高さ一メートルほどの鉄柱に魔法陣を組み込んだものだ。

 それを、魔獣が住む森をぐるりと囲むように一キロ間隔で地面に打ち込む。

 鉄柱同士が反応しあって、魔獣はそこから先には行けないという仕組みになっている。


 これを考案したのは私だけれど、作成したのは研究室のメンバー全員だ。改めて行われる報奨の席には全員で出席するけれど、今日はひとまず功労者である私とグラディス様の二人が陛下に謁見することになっている。


「そういえば、ナディス国の聖女様がしでかしたそうだぞ」


 室長がタブロイド紙を手渡してくれた。そこには、聖女様が皇女様の婚約者と深い関係になり、皇女様が公の場で婚約者と聖女様を断罪したと書かれていた。

 その流れで、聖女様と複数の聖騎士の関係も露見したらしい。


「もしかしたら聖女様は失脚されるかもしれないな」

「まさか。そんなことをしたら魔獣が森から出てきてしまいます」

「でも、この魔道具があれば大丈夫だ。聖女の力も最近衰えてきているらしいから、もしかしたらルフレの母国から注文が入るかもしれないな」

「……それはない、と思いますよ? 多分」


 答えながら、あり得るかもと思ってしまった。

 聖女様の力が弱まった話は、両親からの手紙で知っていた。


 理由は不明だけれど、聖女様が好みの聖騎士と親しい関係にあるのが問題なのではないかという憶測が流れた。

 それが原因という根拠はないが、その噂がきっかけとなり聖女様のせいで婚約解消したとか、離婚したという人が声を上げだしたとか。


「これでルフレの作った魔道具が決め手となり聖女様が解任されたら、数年がかりで仕返しできたというわけだな」

「そんなつもりで作ったわけではありません」


 フルオリーニ様は未だに独身らしく、時折未練タラタラの手紙が届くが、彼にも仕返しをしたいなんて思わない。だってもう、私の人生に関係ない人だもの。


「それなら良かった。ところで、謁見が終わったらプロポーズする時間をくれないか?」

「はい?」

「それとも報奨式でいきなり跪くのとどっちがいい?」


 とんでもない二択をグラディス様が提案してきた。

 呆気に取られていると、身支度を終えたグラディス様が研究室の扉を開ける。


 そう、ここは研究室。

 当然、私達の会話を皆が聞いていて、あちこちから笑いが漏れている。


 私達が付き合っているのは公認だから、誰も驚きはしない。というか、私が一番驚いている。

 興味津々という視線を全身に感じ、暫く考えたすえ私は答えた。


「でしたら、今この場で求婚していただいてもいいですか?」

「……喜んで!」


 青い瞳が細まり、グラディス様がゆっくりと跪く。

 差し出された手を私が迷いなく取ったのは、言うまでもない。



最後までお読みいただきありがとうございます!

9ヶ月ぶりの投稿。久しぶりすぎて、前書き、後書きを書くのを忘れていました。2時間経ってやっと気づいた…。

初めましての方も多いかと思います。よろしくお願いします!


一万文字でサクッと終わらせるつもりが、倍の文字数になっていました。

面白かった、楽しめた、スッキリしたなどなど、思ってくださった方、ぜひ★やブクマをお願いします!


長編の投稿を始めました。こちらは5回死に戻りを繰り返した主人公の物語。

「その婚約破棄、聞き飽きました」

https://ncode.syosetu.com/n6483kl/


回帰のたびに起こるフェンリル襲撃を防ごうと策を練りながら、回帰の原因を探っていきます。

ぜひぜひ、お読みください!!

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― 新着の感想 ―
主人公の国を捨てるともとれる描写が怖い。グラディス様スパイでは?結局何を学びに来たのか明言されてないし、現役の聖騎士も知らない聖女情報に詳しい。それに普通に考えて国境を境に日々魔獣に襲われる危険地域と…
やるなら大々的に逆ハーレム作れば良かったのにね それで魔獣害による被害でなくなるならみんな賛成しただろうに 他国から国防の要が輸入されると思っている主人公もちょっとお花畑かもw
>「離れていって当たり前のことをしておきながら、実際にいなくなって落ち込むなんて馬鹿げていますよね。だったら始めから大事にすればよかったんです」 この言葉、私が最後まで理解できなかったアランとフルオ…
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