番外編 先輩の春①
戸川桜と出会ったのは、涼花たち一年生の入学式の日だった。そう、まだ涼花とは知り合ってもいない時。あたしが初めて話した新入生は戸川さんだった。
「んっ・・・・・・。さつき、そろそろ入学式が始まるわ。」
「いいよ、そんなの。どうせ退屈なだけだし。亜季とこうしてる方が楽しいよ。」
そう言って、あたしのクラスメイト向日さつきが甘えた声でキスを求めてくる。
あたしは少し微笑み、その愛らしい唇に自分の唇を重ねた。
でも、軽くキスをしただけで、すぐに唇を離す。
「亜季?」
不満そうな顔であたしの制服を軽くつかんだ。
「ふふふ、今はここまで。さぁ、入学式に出ましょう。あたしたちがサボったってバレたら、あの山田先生に怒られちゃうわ。」
山田とは今年あたしたちのクラスの担任になった、40代くらいの女の先生で、いつも怒っているかのように、口がへの字に結ばれている。まるで、ブルドックのような容姿なのだが、犬のようにかわいらしいわけではない。一年の時から規則に厳しく、怖い先生と有名だ。
「でも・・・・・。亜季、モテるからいつまた二人になれるかわかんないもん。」
「大丈夫、すぐに二人きりになれるわ。」
「うそ。」
「本当よ。」
あたしはさつきの腰に手を回して、抱き寄せた。二人の体がぴったりとくっつく。
そして、耳元にこう囁いた。
「あたしは、さつきが大好きだから。」
「う、うん。わたしも亜季が・・・・好きだよ。」
触れ合っている肌から、さつきが熱くなっていくのを感じる。
できれば、ずっとこうしていてあげたいくらいなのだけれど。
そろそろタイムリミットが近づいていた。
「さつき、そろそろ時間だから行きましょうか?」
あたしはゆっくりとさつきから体を離した。
「うん、わかった。じゃあ、手、つないでいこう。」
「えぇ、そうね。」
これがあたしにとっての日常だった。
女の子たちと代わる代わるに過ごす毎日だった。最近はずっとこんな日が続いている。
そして、これからも同じような日々が続くのだろう。
だが、今日はなんだか頭が重い。
まるで、・・・・・・・・・半年前に戻ったみたいだった。
さつきが言ったとおり、入学式はとても退屈だった。何の面白みもない話をただ永遠と聞かされ続けた。そして、入学式が終わり、あたしたちのHRも終わって、今日はもう放課後だ。
「亜季、このあと何か用事あるの?」
さつきが子犬のようにあたしの机の前まで癒され笑顔でやってくる。
でも、今日はその笑顔を向けられるのがちょっと苦しい。
「ごめんなさい、さつき。今日はこのあと約束があるの。」
「そうなんだ。」
さつきの顔が悲しそうに歪む。あたしの心も少し痛んだが、それを意識しないように席を立った。
「また、今度ね。」
そう言って、あたしはさつきの頭をなでる。
「うん、分かった。」
そういうさつきの顔はまだ悲しそうだったが、いつものことなので、慣れたのだろう。
最初の頃より、だいぶ聞き分けが良くなっている。ちょっと前までは、絶対離れないとしがみついてきたものだ。
「それじゃあ、また、明日ね。」
あたしは、さつきに軽く手を振り、教室をでた。
実は誰とも約束なんてしていない。
ただ、今日は一人になりたかった。
あたしはなんて酷いのだろう。さつきは純粋に好意をよせていてくれるのに。他の子に関してもそうだ。あたしはこのままでいいのだろうか。
こんな中途半端な思いのままで。
今のままだと、またいつか誰かに辛い思いさせてしまうかもしれない。そうしたら、あたしは・・・・
今度こそ、あたしは・・・・・・。
「あれ、亜季?」
「えっ?」
そんな暗い考えばかりが浮かんでいたあたしを現実に戻してくれた声に振り返る。
「結子さん。」
それは、三年生の高坂結子だった。
「そんな怖い顔して、どこいくの?」
「えっ?そんなに怖い顔だったかしら。」
「うん、むちゃくちゃ。」
結子さんはあたしが一番話しやすいと思っている先輩だ。なぜ話しやすいのかといえば、彼女は絶対、あたしに恋をしないからだと思う。だから、すごく安心して話せる。
彼女とは、中学からの付き合いで、その人柄もあってか、敬語は使っていない。そのせいなのか、親近感があり、友達感覚で付き合える貴重な先輩だ。
「ちょっと、考え事をしていたのよ。」
「もしかして、嫌なこと?」
「えぇ。そう、かもしれないわね。」
「そっか、じゃあ、話しかけてよかったかも。」
「えっ?」
「だって、気分転換になったでしょ?」
無邪気な笑顔であたしをみる。
確かにあのままだったら、さらに思考が深みにはまっていたかもしれない。
「そうね、ありがとう。」
「うん、どういたしまして。じゃあ、うちはこれで。亜季、あんまり悩んじゃ駄目だよ。」
「ええ。」
結子さんは大きく手を振りながら、この場を去って行った。
前にもこんな風に結子さんに救われたことがあった気がする。
心の中でもう一度感謝の気持ちを述べた。
それから、あたしは気分転換に、グラウンドの端にある桜の木を見に行こうとしていた。
私たちの学校の周りには桜並木があるけれど、なぜかグラウンドの隅に一本だけぽつんと立っている桜の木。
あたしはその木が気に入っていた。桜が咲く時期じゃなくても、時々そこを訪れるくらいに。
なんだか孤独なその木が昔のあたしみたいだと思っていた。
いつものようにあたしは靴をはき、玄関を出た。今日は入学式だからか、周りには新入生と親らしき人たちが不安と期待を秘めた顔で溢れ返っていた。
あたしはそれをほほえましいと思いながら見つめた。一年前のあたしもこんな風に映っていたのかもしれない。今年はどんな年になるのだろうか。
高校に入ってから、あたしは一人でいることが、格段に少なくなった。周りにはいつもあたしを好きだと言ってくれる人がいたからだ。この一年生の中にもあたしに告白してくる子がいるのだろうか。
でも、あたしの答えはもう決まっている。その想いを必ず受けとめよう。
そう半年前に誓った。
もう、泣かせたくないと、あの苦しそうな顔はみたくないと、そう思ったから。
最初はそれでも気持ちの整理がつかなかったけど、今はもう慣れてしまった。
どんな女の子でもドンとこいだ。きっと、女の子は皆、可愛くて、純粋で、傷つきやすくて。
あたしを望むなら、望まれるかぎりそばにいよう。彼女たちのそばにいよう。
もしかしたら、これは今までずっと一人だったあたしへのご褒美かもしれない。たくさんの人に囲まれて、思われて、きっとこれ以上ない幸せなのだろう。
そんなことをひっそりと考え、あたしは周りの一年生たちの顔を眺めながら、ゆったりとグラウンドへ歩いていった。
グラウンドのすみにある桜の木に先客がいるのが遠くから見えた。
ゆらゆらと舞い落ちる桜吹雪の中にただひとり、たたずむ少女。
それはとても幻想的な風景だった。まるで、夢を見ているかのように。
だが、あたしの頬をうつ風がこれは現実なのだと告げていた。
綺麗な子・・・・・。
小さく横顔が見えているだけなのに、そんな事を思った。
あたしは何かに惹かれるように、桜の木に近づいていく。
その子は、じっと桜の木を見上げていた。こちらに気づく様子はない。
近づけば、近づくほど、その子が本当に端正な顔立ちをしていることがわかった。
可愛いというより、綺麗。
高校生のハズなのに子供っぽさがほとんどないようだった。
細いフレームのメガネをかけている、それがますます大人っぽくみえた。
サクッと茂っていた雑草を踏んだあたしの足音が鳴った。
彼女が振り返る。
正面から彼女と目があった。
真っ直ぐな瞳であたしを見つめる。そこには、強い意志が宿っているような気がした。なんだか、あたしの心の中をすべて見透かされているような気分になる、だが、目をそらすことはできなかった。
「こんにちわ。」
凛とした声があたしの耳に届いた。山の水のように透明で澄んだ声。
いつものように挨拶をすればいいだけなのに、あたしの唇は思うように動いてくれなかった。いや、唇どころか、全身が固まっている。何かに射られたように、ただ彼女を見つめることしかできなかった。
「あの?」
そんなあたしをみて、彼女が不安そうな声を出す。
あたしはなんとか喉を絞り出した。
「あ、あなたは一年生かしら?」
胸のリボンを見つけ、思いつくままにそう聞いた。
「はい、そうです。あの上級生の方ですか?」
「えぇ、二年生よ。」
少し落ち着いてきたあたしはそう答え、じっくりと新入生を観察する。
身体は細いが折れそうなどではなく、しっかりしている。運動部だったのかもしれない。身長はあたしと同じくらいだろう。その立ち姿には、強い存在感が感じられた。
そして、なんというか、若干胸も引き締まっていた。まぁ、あたしは大きすぎるよりは小さい方が好きだけど。
顔は目鼻立ちがしっかりしていて、モデルだといってもだれも疑わないと思うほどだ。
あたしはふと彼女の頭に目がいった。その艶やかな黒髪には桜吹雪の中にいたせいか、一枚の桜の花びらがついていた。
あたしは花びらに導かれるように、彼女に近づく。
「どうしたんですか?」
彼女が心配そうにあたしをみていた。
「動かないで。」
「えっ?」
そう言って、あたしは彼女の頭に手を伸ばす。彼女はその真っ直ぐな瞳であたしを見つめたまま、言うとおりに動かなかった。
ゆっくりと桜の花びらをつかむ、そして、それを彼女の目の前まで持っていく。
「ほら、とれたわ。」
なんだか嬉しくなって、頬をゆるめながら言った。
だが、ポカンとしている彼女の顔を見て我に返る。
はっ!!あたし、いつものクセでなにをしているのかしら?
あたしはいつも自然に女の子たちにしていた行為がなぜか恥ずかしくなって、慌てて手を引っ込める。
「ご、ごめんなさい。気になったものだから。」
「いえ、ありがとうございます。」
そう、ちょっとおかしそうに微笑んだ彼女をなんだか不思議な気分で見つめる。
なんなのかしら、この感じ。顔が少し熱くなる。これくらいのこと、いつもしているのに。
どうしてなの?まるで、いつものあたしじゃないみたい。どうしたらいいのか全然分からない。
なのに、あたしはこの場から、彼女の前から、去ることができない。あたしは木にでもなってしまったのだろうか、足に根が生えたみたいだった。
「この桜の木ってどうしてここに一本だけあるんでしょうか?」
突然、彼女がそんなことを言ってきた。桜の木に右手を当てて、慈しむように見上げている。
「さぁ、あたしには分からないわ・・・・。」
「そう、ですか。」
その声がなんとなく寂しそうに感じた。
「なんで、そんなこと聞くの?」
「いえ、なんだかこの木が自分のように見えて。だから、周りに何もないこの木が寂しいように感じたんです。・・・・・・・変、ですよね。」
彼女は俯きながら、そう答えた。
「・・・・変じゃないわ。あたしも時々そう思うことがあるもの。」
「えっ?」
「この桜の木はあたしにとって特別な木なのよ。」
「特別ですか?」
少し不思議そうに顔をあげて、あたしをみた。
「そうよ。」
あたしも桜の木に近づき、左手でそっと木をなでた。
「だから、ここにいるときは落ち着くの。」
彼女が無言であたしを見つめているのを感じる。そちらを見なくても、その力強い視線がわかった。
あたしは彼女に何か聞かれるのが少し怖くて、その瞳を見返すことができなかった。
その時、
「桜ちゃーん。」
遠くから誰かの声が聞こえた。後ろを振り返ると、30代くらいの女性がこちらを向いて、手を振っていた。
「そろそろ帰るわよ。」
彼女の母親だろうか?それにしては若すぎる気もするが。
「今、行きます。」
そう、隣から彼女の声が聞こえた。やはり身内のようだ。
彼女がこちらをみる。
「それでは、私はこれで失礼します。」
「えぇ。」
そう言って、あたしの横を通り過ぎる。その時、彼女からほのかに花の香りがした。
これが、戸川さんとの出会い。ただ気になる後輩ができたわってくらいに思っていたけど。このあと、あたしは何度も彼女と会うことになる。
そして、いつのまにか好きになっていたのだ。
でも、きっとこれは一目ぼれだったのかもしれない。
あの日、戸川さんと会ったあの時からあたしの心は彼女にとらわれているのだから。
さて、番外編でした。①とついているのですが、次回は本編になるので、続きは少し後になります。
今回は新キャラが二人でてきました。この二人は今後番外編でもっと活躍してもらいたいと思います。
ではでは、少し遅くなるかもしれませんが、また次回。