72.思い出の中の少年
私立湘慶高等学校は、九月に入って最初の月曜日に二学期の始業式を迎えた。
およそ二カ月弱ぶりに一年B組の教室へと足を運んだ愛那は、多くの見知った姿が笑顔で出迎えてくれるのをほっとした気分で眺めていた。
(また今日から、皆と一緒に過ごすことが出来るんだね)
愛那はこの夏休み期間中、高校生が巻き込まれる事故がやけに多いことに不安を感じていた。
それらのニュースの中には湘慶高校の生徒が関係するものは一件も無かったが、変に心配性な彼女は、どうにも我が事の様に思えてならなかったのである。
しかしこうして、また皆の笑顔を見ることが出来ると分かった時、愛那は心の底からの安堵感を覚えた。
「愛那っち、おはよ! ていうか、今日も朝からあっついね~!」
いつも元気一杯で笑顔を見せてくれる冨川由歌は、ミディアムボブが可愛らしいハツラツ系の美少女だ。彼女のテンションの高さは、周りをいつも明るくしてくれる。
愛那自身、由歌の明るさに助けられたことが何度かあった。否、愛那だけではなく、由歌の周りに居る皆が彼女の笑顔に感謝しているに違いない。
「やっほ~、湯梨埼さん、おっはよ~」
隣の席の国木田悠斗が、由歌に負けないぐらいの明るい笑顔で手を振ってきた。
同年代の男子の中では幾分幼い顔つきで背も低い方だが、彼もまたその爛漫な華やかさで周りを明るくさせることが出来る稀有な存在だ。顔立ちも幼い風貌ながら結構整っており、女子の間では評判が高い。
「よ~ぅ、お前らぁ~、元気してたか~?」
ライトな茶髪でノリノリな気分の東佳樹が、少し離れた自席から歩を寄せてきた。
彼はいつもテンションが高く、この日の朝も由歌や悠斗らと朝一からハイタッチを交わしている。
流石に愛那はそこまで派手なアクションを取ることは無かったが、それでもやや控えめな高さで手を掲げて、佳樹と朝のタッチを交わした。
「ん? おぉ~い、諒~、お前も久し振りだな~。こっちこいよ~」
佳樹が、教室出入口近くの席に登校してきた関山諒に声をかけた。
諒はいつも穏やかで口数が少なく、どちらかといえばクール系のイケメンだ。佳樹が太陽的な明るいイケメンならば、諒は月の静かな輝きを思わせる清楚系男子だった。
本来ならここに、紗季が加わる。
が、サボり常習犯である彼女は、どうせ授業が無いなら出るだけ無駄だとばかりに、今日もどこかで遊んでいるのだろう。
その紗季を入れたこの六人で大体いつも固まっており、外野にいわせれば、一年B組最強の美男美女グループということらしい。
確かに由歌も紗季も美人だし、諒、佳樹、悠斗はいずれ劣らぬイケメン揃いだが、自分はどうなのだろうと考える愛那。
鏡を見れば確かに、顔立ち的には結構イケてる方だと思う。
しかし愛那には由歌や悠斗、或いは佳樹の様な周囲を明るくさせる空気感を作ることは出来ないし、紗季みたいに異性を虜にする大人の色気も無い。
タイプ的には自分は諒に近いのかも知れないが、諒はそのミステリアスな雰囲気が女子の間でも人気だ。その一方で彼は頭も良く、女性を不快にさせない心遣いが誰よりも秀逸だった。
(でも、私はどうなのかな……?)
母親の過去に何か曰くがあるのは知っているが、自分自身、出生に何らかの暗い翳が付き纏っているのを常々感じている。
だからせめて学校では明るく振る舞おうと心がけているのだが、その作った明るさがどこまで通用しているのかがいつも不安で、グループの中でもひとり浮いているのではないかという危機感を抱くこともあった。
それでも、周りの皆はいつも優しく接してくれる。誰ひとりとして、愛那を不安にさせる様な態度を取ったことはこれまでただの一度も無かった。
(うん、そうだよね……考え過ぎだよね)
愛那は内心で自らに気合を入れ直した。
仲良くしてくれる友達が、こうして毎日自身の周りで華やかな空気を作ってくれている。もうそれだけで十分に幸せではないか。
今の学生生活だって、特段不満に思う様なことはひとつも無い。強いていえば、入学直後から色んな男子に立て続けに告白されまくっていて、それらを全て断り続けているのが多少気が滅入るぐらいか。
それらの男子はいずれも愛那の顔立ちだけを見て告白してきているらしく、取り敢えず可愛いから付き合いたいという念が溢れ出ているのに、随分と辟易し続けてきた。
今後もしばらくこの流れは続くのだろうかと多少もやもやする気分はあったが、それでも今、こうして周りを固めてくれる仲良しの皆が居てくれれば、きっと乗り越えてゆくことが出来るだろうと自らを奮い立たせた。
と、ここで予鈴が鳴った。
始業式の前に朝のホームルームがある。皆それぞれの席へと戻り、担任教師の入室を待った。
(今日からまた、いつもの日常……いつもの学校生活だね)
そんなことを思っていた愛那だったが、しかしこの日は少しばかり様子が違った。
(え……誰?)
中年男性の担任教師が、恐ろしく背の高い頑健な体格の男子を連れて教室に入ってきたのである。
その男子は素晴らしい程に顔立ちが整っているが、矢張り目を見張るべきはその分厚い胸板と、半袖の白いワイシャツから伸びる筋肉の塊の様な太い豪腕だった。
教室中が、一斉にざわめき始めた。
恐らく転校生なのだろうが、その規格外の鋼の様な体躯と、不機嫌そうな表情を浮かべている端正な顔立ちがクラス全員の興味を引いたのだろう。
「訳あって、本日から当クラスに加わることになった鬼堂徹郎君です。皆さん、仲良くしてあげて下さい」
この時、愛那の背筋に迸る様な衝撃が走った。
(え……鬼堂徹郎って……もしかして、あの徹郎君?)
その瞬間、愛那は思い出していた。
小学生の頃、六年間いつも同じクラスに居た、ひとりだけやけに体の大きな男子生徒。特段仲が良かったという訳でもないが、何かと優しくしてくれた不愛想な少年。
確か危ない所を何度か助けられたこともあった記憶が、今も脳裏に焼き付いている。
その面影が今、教壇上で紹介されている仏頂面の巨漢の中に伺うことが出来た。
(嘘……やっぱり、間違いない……あの、徹郎君だ……!)
以前から大きな少年だとは思っていたが、高校一年になった今、190cmに迫るであろう巨漢にまで成長していた徹郎。
その顔立ちも前々から素晴らしい程に整っていたが、成長した現在は更にその美しさに磨きがかかった様にも思えた。
しかしその徹郎は愛那に気付いた様子も無く、ただ不愛想に、もっといえば酷く機嫌が悪そうな態度で、ぶっきらぼうに自己紹介を告げるだけであった。
そしてこの日この瞬間から、愛那の中にそれまで感じたことの無い高揚した気分が芽生える様になった。




