69.戻れない道
ジェイソン・カリタニ上院議員はニュージャージー州選出で、若手のホープとして近頃めきめきと頭角を現しつつある。
徹郎も過去にアメリカ本土で訓練が行われた際に、何度か顔を合わせたことがあった。
(あぁ……あのひとね)
徹郎は穏やかな表情と柔らかい物腰が印象的だった渋みのある男性の顔を思い出していた。
日系三世のカリタニ上院議員は日本語が堪能で、自身のルーツがある神奈川県横浜市にも数年に一度の割合で足を運ぶことがあるらしい。
そのカリタニ上院議員は十数年前、横浜視察中にひとりの日本人女性と懇意になり、ほんのひと時ながら熱愛に溺れたのだという。
結果、その女性は妊娠し、誰とも結婚しないまま娘を生んだ。
それが愛那なのだという。
責任を感じたカリタニ上院議員は帰国後も密かに愛那とその母親に経済的支援を続けていたが、愛那が幼稚園に上がる頃に、母親は子連れのまま、とある日本人の会社経営者と結婚することになったらしい。
その会社経営者は湯梨埼という人物だったが、彼は未婚の母と愛那のふたりを心から大切に扱ってくれている様で、カリタニ上院議員としてもほっとひと安心だったそうだ。
ところが、このカリタニ上院議員には国内外含めてそれなりに敵が多く、彼の隠し子を狙う輩も次第に現れ始めているのだという。
学外であれば幾らでも守ってやれると語っていたカリタニ上院議員も、学内ではどうにもならないと頭を抱えていたところ、徹郎の存在を思い出したとのことだった。
「まさかとは思うが、最近はイランや北も、うちと同じく年少諜報員を養育しているとの情報がちらほら入ってきている。お前にはもしもの場合に備えて、湘慶学内で彼女を密かに護衛してやって欲しい」
「飽くまでも密かに、ですね。でもって、護衛区域は学内のみ」
愛那がカリタニ上院議員の隠し子であることを公にすることはタブーだ。だから徹郎は転校生として湘慶に通い、そこで同級生として彼女を守ることが求められている。
但し、方法は全て徹郎に一任されるとの由。
単なる同級生として遠目から見守るだけでも良いし、友人として接近しても構わない。何なら一気に近づいて友人以上の関係になっても構わない、などとカリタニ上院議員は語っているということらしい。
「いやいや、流石にそれは……」
「何いってんだ。お前、本国じゃあかなり評価高いんだぞ」
カリタニ上院議員も徹郎のことは気に入っている様だ、と真田は妙に真剣な表情だ。
これに対し矢崎オフィス長はいささか残念そうな顔つきだった。
「君にはうちの孫を是非に、とも思っていたんだがなぁ……誠に残念だ」
「おふた方とも、何をおっしゃってるんですか」
苦笑を禁じ得ない徹郎。どうも自分は周囲から過大評価される傾向にあると内心で溜息を漏らした。
しかし、悪い話ではない。この任務を全うすれば、成人後の諜報員としての配属先について、或る程度の便宜を図ってくれるというのである。
「承知致しました。お引き受けします。手続きや制服の手配は、お任せしても良いんでしょうか?」
「それはこちらでやる。住居はどうするね?」
愛那の写真を懐に収めながら訊いてきた矢崎オフィス長に、徹郎は今回も自分でやりますと応じた。
(せやけど、次はどういうスタイルで行こうかな……)
絹里高校では平穏な学生生活を送ることを第一とした為、極力周囲との接触を避ける陰キャぼっちスタイルを取っていた。
しかし湘慶ではその様な縛りは無い。必要なのは愛那の護衛任務を完遂することであり、一般人として静かに過ごせという条件は加えられていなかった。
(流石に、変装云々はもう面倒臭いな……)
という訳で、腹は決まった。
湘慶では素顔そのままで行く。但しクラスで一番の人気者で、学内でも屈指の美少女である愛那とは必要以上に接触しない。
恐らく彼女は相当数の取り巻きに囲まれているだろう。場合によっては、彼氏も既に居るかも知れない。そこに新参者の自分が下手に割り込んでゆけば、大なり小なり何らかの軋轢が生じる可能性がある。
そうなれば護衛どころの話ではなくなるだろう。
(願わくば……あっちが俺のこと忘れててくれたらエエんやけどな……)
もしも愛那の方から接触を取ってきた場合、下手に邪険な態度を取れば、それはそれで面倒なことになる。それ故、愛那が徹郎を単なる転校生、単なる一クラスメイトという認識で留めてくれるのが一番有り難い。
「しかし、孫が悲しむな……君のことを、相当気に入っていたみたいだからなぁ」
矢崎オフィス長がやれやれとかぶりを振った。
この点については、徹郎も申し訳ないという気分が強かった。
熱海旅行では彼女に、妙に気を持たせることをいってしまった。
それを自ら裏切る格好になってしまうのだから、気に病んでしまって仕方が無い。しかしこれは、任務だ。CIA局員には私情は許されない。
尤も、徹郎はまだ正規の諜報員ではないのだが。
「まぁ……孫には私の方から説明しておく。他の友人には、君の方から上手くいいくるめておいてくれ」
「その辺は、お気になさらずに。何となくですけど、大体上手い方向に傾いてる感じですので」
徹郎は、静かに笑った。
◆ ◇ ◆
そして再び、ニーナ・ニーナ店内。
目の前で裕太が言葉を失って、今も尚、呆然としている。沙璃耶も同様だ。
そしていつの間にか奏恵、雪奈、灯香梨、礼司といった面々までもが集まっていた。
「徹っちゃん……それ、マジのマジな話、なの?」
雪奈が勤務中であることも忘れた様子で、愕然と問いかけてくる。徹郎は極力表情を殺して、そうだと小さく頷いた。
「そんな……ボクはもう、オニテツとは会えないの?」
奏恵はいつものクールビューティーな凛とした表情からは想像も出来ない程の、泣き出しそうな顔つきだ。
徹郎は流石に困った表情で頭を掻いた。どうしても罪悪感が込み上げてくる。
が、今生の別れという訳でもない。同じ関東圏だから、その気になればいつでも会うことは出来るだろう。
「二度と会えんって訳でもないけど、まぁ、基本は皆さんさようなら、やな」
すると灯香梨がソファーの隣へと腰を落ち着けて、じっと食い入る様に見つめてきた。
「それってもう、決まっちゃったこと、なんだよね? あたし達じゃどうしようもない、ことなんだよね?」
心なしか、声が僅かに震えている。
感情を必死に押し殺しているのが、よく分かった。
そんな灯香梨に徹郎は、ただ小さく頷き返すしか無かった。
そして翌日以降、徹郎はニーナ・ニーナから姿を消した。それまで住んでいたマンションも引き払い、横浜市内に新たな住居を定めた。
絹里高校一年D組から、何かと物議を醸した陰キャぼっちのクラスメイトは、ほとんどの者には理由を知られること無く、ひっそりと姿を消した。




