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68.去りゆく男

 夏休みも中盤を迎えようかという頃。

 ニーナ・ニーナはここ最近、一部で客層が変わった様な気がしないでもない。

 最たる原因は、徹郎だ。

 彼が常連客として毎日の様にラノベ読書モードに突入すると、その周辺に礼司や裕太のイケメンコンビ、更には灯香梨、奏恵、京子、愛理といった面々までがたむろし始めたのだ。

 従来の常連客、例えば飯村兄弟などは相変わらずそれぞれのお気に入りの席で女性スタッフ相手に談笑する姿も見られるが、それ以外は微妙に足が遠退いている気がしないでもなかった。


(……ま、元々そんなに流行ってるって訳でも無かったし、これはこれで良っか……)


 いささか複雑な気分ではあったが、沙璃耶も徹郎の友人達と接するのは別段悪い気はしない。

 彼ら彼女らはイケメン美少女集団ではあるものの、決してそれを鼻にかける態度は見せず、普通のお客として来店してくれているのだから、店に何らかの損害を出している訳でもない。

 それに雪奈も、仲の良い友達が毎日詰めかけてきてくれるのが相当に嬉しいらしく、その可愛らしい笑顔がいつもニコニコ笑っているのは、沙璃耶としても華やいだ気持ちになることが出来た。

 そんな中、相席になっている徹郎と裕太のテーブルにオーダーされたアイスココアとアイスティーを持っていった際、気になる話を小耳に挟んだ。


「俺さ、最近……何か、ゆきっぺと良いカンジなんだ」

「ほぅ?」


 すると徹郎も意外だといわんばかりの表情で、手にしたライトノベルから面を上げた。

 沙璃耶も微妙に気になってしまい、仕事中だというのについついふたりの会話に耳をそばだててしまった。


「ここんとこさ、結構一緒に遊んでくれたりさ……ここの仕事終わって帰る時も、俺が送ってやろうっていったら凄く嬉しそうな顔してくれたりさ……それに……」


 裕太はそこで一旦、言葉を切った。妙に照れ臭そうに視線をずらし、いいにくそうな表情で頭を掻いている。沙璃耶は、良いから早く続きをいえと心の中で密かに唸った。

 そうして少しばかり間を置いてから、裕太は僅かに気合を入れた顔つきで再び徹郎に面を向けた。


「ゆきっぺ、お前のこと、あんまりいわなくなったんだ」


 今まで雪奈は、裕太との会話の中で徹郎の話題を出すことが結構な割合で多かったらしいのだが、ここのところは徹郎のての字も出なくなることが少なくないのだという。

 それよりも彼女は、裕太のことを色々と訊こうとしてくれているらしい。

 バンドではどんな曲を演奏しているのか、裕太が担当するギターはどんなに難しいのか、休日は何をしているのか、等々――そこに可能性を見出したというのが、裕太の心を更に勇気づけているということらしい。


(そっか……桐島君、キーナちゃんのことが好きなんだ)


 沙璃耶が把握しているところでは、当初雪奈は徹郎に気があるという雰囲気だったが、その雪奈の気持ちが裕太に向き始めているということなのだろうか。

 これに対し徹郎は、


「そらぁ……見込み大やな」


 と、こちらも微妙に嬉しそうな笑みを湛えていた。

 この徹郎の心理が、沙璃耶にはいまいちよく分からなかった。自分を好きでいてくれていた美少女が、友人とはいえ、他の男に取られることを何とも思っていないのだろうか。

 しかし徹郎のこの反応を見る限りでは、雪奈が裕太に心惹かれていることに対し、悪い感情は抱いていない様に思えた。


「ほんなら、俺もちょっと重大発表、せなあかんな」


 この時徹郎は、手にしていたライトノベルをテーブル上に戻し、幾分神妙な面持ちで裕太と向き合った。

 裕太はそんな徹郎のいつにない真剣な表情に気が引き締まったのか、こちらも背筋を伸ばして座り直した。


「二学期から、俺はもう絹里には()らん」

「……え?」


 呆然とする裕太。

 そして沙璃耶も全く同じ反応を示した。

 彼女は勤務中であることも忘れて思わずふたりが座しているテーブルに慌てて歩を寄せて、どういうことなのかと食い入る様な表情で徹郎の顔をじっと見つめた。


◆ ◇ ◆


 少し前。

 アメリカ本国に戻っていたCIAエージェントで徹郎のかつての上司であった真田亮一が、久々に日本へと姿を現した。

 年頭には三年後に会おうとの言葉を残して去っていった彼だが、まさか半年ほどで再び顔を合わせることになろうとは、流石の徹郎も予想だにしなかった。

 しかも現れたのは、ひとりではない。

 奏恵の祖父であり、熱海に置かれているCIA極東支局の秘密オフィスで長を務めている矢崎謙蔵も真田と共に徹郎の元を訪れたのである。


「ご無沙汰しております真田さん……せやけどまさか、オフィス長まで来られるとは、ちょっと意外でした」

「いや、急に済まんな。緊急の指令が出たもんでな」


 真田と矢崎オフィス長は徹郎を連れて駅前のカフェへと足を運んだ。

 そこで真田は本国から徹郎御指名で、とある命令が下されたと静かに語った。


「二学期から、横浜の湘慶(しょうけい)高校に通え」

「監視ですか? 護衛ですか?」


 徹郎の問いかけに、矢崎オフィス長が無言で一枚の写真を取り出した。そこに、キャラメルブラウンの艶やかなロングヘア―が美しい、目を見張る程に顔立ちの整った少女の姿があった。


「彼女の名は湯梨埼愛那(ゆりざきえな)、15歳。湘慶高校一年B組」

「湯梨埼……」


 どこかで聞いた覚えのある名だった。

 必死に思い出そうとして小首を捻る徹郎に、真田が苦笑を浮かべながら鷹揚に頷いた。


「お前が小学生該当年齢時代に、潜入訓練として通っていた学校の同級生だよ」


 ああ成程――徹郎は合点がいった。いわれてみれば、六年間一緒だった美少女の顔立ちが、そのまま成長した姿だったことに今更ながら気付いた。

 一般社会風にいえば幼馴染みに該当するのだろうが、徹郎の場合、あの小学生生活は飽くまで訓練の一環だったから、その様な感慨は微塵にも湧いてこなかった。

 しかし、その愛那が一体どうしたというのだろう。


「実はな……彼女はジェイソン・カリタニ上院議員の隠し子なのだそうだ」


 この時、真田と矢崎オフィス長は揃って渋い表情を浮かべていた。

 同時に徹郎は、そういうことかと苦笑を禁じ得なかった。

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