53.暴露された男
ホテル館内に戻った徹郎と灯香梨はそれぞれ男子部屋と女子部屋に戻ろうとしていたのだが、客室が並ぶ廊下で、大浴場から戻ってきた雪奈と奏恵のふたりとばったり遭遇してしまった。
雪奈と奏恵は最初は一瞬笑顔で手を振りかけたが、徹郎の極道スタイルに、その場でふたり揃って固まってしまった。
「え……徹っちゃん、何その格好……?」
驚いているのは間違い無いのだが、同時にちょっと笑いを堪えている節もある雪奈。
奏恵も似た様な反応を示しており、何故徹郎がこんな衣服を身に纏っているのか今すぐにでも訊き出したいという興味津々の表情がその美貌に張り付いていた。
「うーん……まぁ詳しいことは、花辻さんに訊いて。俺も風呂入ってくるから」
徹郎は何ともいえぬ表情で男子部屋に引き籠った。礼司と裕太はまだ戻ってきていないらしく、徹郎が室内に入っても静かなままだった。
一方の灯香梨は乾いた笑いを漏らしながら、早く女子部屋に戻ろうという雪奈に手を引かれていった。
「で、で、何があったの?」
既に布団が三組敷かれている和室の女子部屋で、雪奈が灯香梨を座らせながら妙につやつやした笑顔で訊いてきた。
灯香梨は一瞬どう答えたものかと迷ったが、どうせもう、頼明と顔を合わせることは無いだろうと判断し、熱海駅に到着してから徹郎に救出されるまでの経緯を全て包み隠さずに話すことにした。
そんな灯香梨の言葉に最初はふんふんと頷きながら耳を傾けていた奏恵だったが、灯香梨が過去に付き合っていた男が余りにもゲスな野郎に落ちぶれていたことに、怒りを発すると同時に呆れてもいた。
「何ともまぁ……人間って、一年でそこまで変わってしまうもんなんだねぇ」
奏恵が心底驚いた様子で腕を組み、何度もかぶりを振った。
灯香梨も正直、未だに信じられない部分はあったのだが、もしかすると付き合っていた一年前の時点から、頼明はああいう性格だった可能性はある。
ただ、彼の本性を灯香梨が見抜けていなかっただけだと考えれば、色々と合点のゆく部分もあった。
その一方で雪奈は、布団の上で腹を抱えて笑い転げている。
「て、徹っちゃんの……ヤクザって……に、似合い過ぎ……」
確かに、本物としか思えない程に徹郎のヤクザムーヴは余りに本格的だった。もし赤の他人ならば、灯香梨も信じ込んでいただろう。そして事実、頼明ら三人は確実に信じている様子だった。
「はぁ~……やっぱダメンズって、根っからそういうとこ、あるんだよね~」
ひとしきり笑ってから雪奈は涙を拭いつつ、妙に実感のこもった台詞を吐いて大きな溜息を漏らした。もしかすると彼女にも、過去に似た様な経験があるのかも知れない。
「でもさぁ~、ちょっと意外……あかりんって、もう経験してたんだぁ」
雪奈の意外そうな声に、灯香梨はもじもじしながら俯いてしまった。初体験が中学三年というのが早いのか遅いのかは兎も角、こうして改めていわれると気恥ずかしいものがあった。
「だ、だってさ……好きなひとに、求められたら……やっぱり、断れないよね? それにあたしも、好きなひとの為に尽くしてあげたいって、思ったのも事実だし……」
「うん、まぁ、良いんじゃない? 今はゲス野郎でも、その時はちゃんと付き合ってた訳なんだし……」
その点については、雪奈も特にどうこういうつもりは無いらしい。
誰がいつ、どんな相手に対して純潔を捧げるのかは、完全に個人の自由だ。他人があれこれ口を挟むのはお門違いだろう。
ところが奏恵だけは、少し微妙な表情を浮かべていた。別段灯香梨の初体験事情を非難も揶揄もする様子では無かったが、別のところで何か引っかかっているらしい。
「ん? どしたの、委員長」
「いや……鬼堂君ってあぁ見えて実は童貞だって話だから、そういう話が彼の耳に入ったりしたらどうなのかなって、ちょっとね……」
今度は灯香梨が、愕然と凍り付く番だった。
確かに年齢的には、その可能性も十分に考えられた。しかし灯香梨の中では、徹郎が未経験というのはどうにもピンと来なかったし、あの逞しい体格とすぐに結びつかなかったのも事実だ。
そして同時に、後悔とまではいかなくとも、自分の方が先に性体験を済ませてしまっている事実に、妙な後ろめたさを感じる様になってしまった。
ところが雪奈は、何故奏恵がそんな情報を持っているのかという点に食いついていた。
「え、え……ちょっと委員長、何でそんなこと知ってんの? それ誰情報?」
「いや、誰情報も何も、鬼堂君が普通にさらっと教えてくれたんだけど」
ぐいぐい迫ってくる雪奈に、奏恵は幾分引き気味ながら白状していた。
そして灯香梨も驚きを禁じ得ない。普通、年頃の男子が同じ年代の女子に対して、しかも別段付き合っているという訳でもないのに、そんなことを口にするものなのか、と。
大抵の男子は、そういう情報を公にするのは嫌がるものなのではないかというのが灯香梨の理解なのだが、徹郎は違うのだろうか。
そんな疑問に対し、奏恵は小さく肩を竦めた。
「鬼堂君は本当に変わってるよね。そんな下らないプライドで飯が食えるなら幾らでも持ってやるけど、実際は何の役にも立たないから馬鹿馬鹿しいだけだ、みたいなことをいってたよ」
「はぁ~、そうなんだぁ……っていうか委員長、そんな話が出てきたのって、一体どういうシチュエーションだった訳?」
尚も食いつく雪奈。
徹郎のことに関する情報なら、どんなことでも知っておきたいという心理なのだろうか。
尤も、灯香梨も矢張り同じく気になっているのは事実なのだが。
「あぁ……ちょっと泳ぎの稽古をつけて貰った後に、ふたりでネカフェに入ることがあってね……」
奏恵は何ともいえぬ変な笑みを浮かべて頭を掻いた。
曰く、ゲリラ豪雨で全身がずぶ濡れたなった為、二人席の個室で服を乾かすことになったとの由。そこで色々と話している中で、徹郎がしれっと己の童貞事情を口にしたのだそうな。
そんな状況にあっても徹郎が最後まで紳士であることを通し続けた事実に、奏恵は驚くと同時に感心もした、と妙に嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「はぁ~……やっぱ、そういうとこだよね。徹っちゃんが他のオトコと違うのは」
雪奈はどういう訳か、微妙に頬を上気させて明後日の方向に視線を泳がせていた。
この時、灯香梨は胸の奥に何ともいえぬ疼きを抱えている。
そして女子三人の徹郎を巡る奇妙な情報交換会は、まだまだ続きそうな気配を匂わせていた。




