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50.あなたが噛んだ人差し指が痛い

 灯香梨と雪奈、奏恵らが過日ニーナ・ニーナに押しかけてきて徹郎に参加を要請した二泊三日の旅行は、熱海温泉に決定した。

 比較的近いところで、真夏の砂浜と温泉を同時に楽しめるメジャーな場所といえば熱海が一番だろうということで決定したとの由。

 徹郎としては正直どこでも良かったのだが、幸い熱海にはCIA極東支局の秘密オフィスのひとつが置かれていることもあり、何かあればすぐに頼ることが出来るというのもあって、少しばかり気が楽だった。

 それにしても、よくぞこの直近からの申し込みで宿が確保出来たものだと感心した徹郎。聞けば、奏恵の祖父がこの近辺でそこそこ力のある地元の名士らしく、その影響力を駆使して無理矢理捻じ込んだというのが真相らしい。


(委員長……案外、強面なことやりよるな)


 新幹線の駅ホームで待ち合わせの最中、徹郎は朝食のサンドイッチを頬張りながら苦笑を滲ませた。


「やっほー。お待たせー」

「鬼堂君、早いねー」


 雪奈と灯香梨が、随分と露出の多い派手な格好で合流してきた。当然ながら周囲の目を引いて仕方が無い。雪奈が肌見せしたがるタイプなのは知っていたが、灯香梨までもがこんなに大胆な性格だったとは、少しばかり意外だった。

 更に少し遅れて礼司、裕太、奏恵の三人が連れ立ってエスカレーターを上がってきた。この三人はまだ比較的高校生らしい格好ではあったが、それでも随分と垢抜けたお洒落な服装でばっちりキメている。


「鬼堂……お前相変わらず、適当だな」


 礼司が幾分呆れた様子で徹郎を指差した。

 この日の徹郎は上も下も黒のスウェットジャージ。つまり、遠足の時と同じ装いである。着飾ることには全く無頓着な徹郎としては、変装を必要としない場合は大体いつもこのスタイルだった。


「これで全員、揃ったな」


 礼司がいう様に、今回熱海旅行に参加するのはこの六名だけである。他にも何人か声をかけたらしいのだが、いずれも都合が付かずに不参加となったらしい。

 それにしても、中々に豪勢な顔ぶれだ。絹里高校一年生の中でも、選りすぐりの美男美女が顔を揃えた格好となっている。

 こうして六人が連れ立って歩いていると、それだけで華になるのか、色々な方向から視線が飛んでくるのがよく分かった。

 そんな中で徹郎だけが変にアスリート然としている訳だから、微妙に浮いてしまうのは仕方の無いところであろう。


「ホント、鬼堂君ってお洒落に無縁だね……」

「俺はラノベ読めたらそれでエエねん」


 微妙な笑みを浮かべる灯香梨に、徹郎はいつものブレないスタイルで腕を組んだ。

 ともあれ、出発だ。

 六人は新幹線の三列シートに指定席を取っており、前後に三人ずつ分かれて乗り込んだ。


「俺ラノベモードに入るから、話かけんなよ」

「えー、徹っちゃんも一緒にトランプして遊ぼうよー」


 通路側の席に陣取った徹郎の頬を、隣席に腰を落ち着けた雪奈が人差し指でちょいちょいと突いてくる。

 そんな雪奈の指先に、徹郎は噛みついて応戦した。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い……徹っちゃん、噛むの無し」

「俺の聖なるラノベタイムを犯すこと何人(なんぴと)たりとも叶うこと(あた)わず」


 徹郎は憤怒の形相を向けてみせたが、雪奈は徹郎に噛まれた人差し指をぺろっと舐めて、間接キスだなんだとひとりで喜んでいた。


「くそー……おめぇら、見せつけやがって……」


 前の席から、裕太が悔しそうに睨みつけてきたが、既にラノベモードに突入している徹郎は全く気付いていなかった。


「鬼堂君は本当に、セクハラが服を着て歩いている様な男子高校生だね」


 奏恵が物凄く聞き捨てならない台詞をしれっと吐いてきたが、それすらも徹郎の意識の外だ。つまり今の徹郎はそれ程に、ラノベに集中しているという訳である。


(委員長の勉強に付き合わされるんやったら、せめてこの巻だけは読んでおかんとな……)


 この時の徹郎は、変な使命感に囚われていた。

 奏恵が夜這いしてでも勉強を教えて貰うなどと不穏な台詞を発していたから、もう今から備えておかなければならぬという腹積もりだった。

 尤も、女子の夜這いが勉強目的というのも、それはそれで如何なものかという気はしていたのだが。

 ともあれ、徹郎は雪奈からのちょっかい攻撃を耐えに耐え抜いて、熱海到着までに目標としていたページ数消化を何とかやり遂げた。

 そうして熱海駅ホームに降り立つと、旅行にやってきたという実感がふっと湧いてきた。


(今まではここに来るときも大概訓練とか臨時の任務補佐とか、そんなんばっかりやったもんなぁ)


 少しばかり懐かしい気分が込み上げてきた徹郎だったが、今回は仕事も任務も一切考えず、普通に旅行を満喫しようと気分を改めた。

 と、この時、灯香梨が少し塞ぎ込んでいる様な表情を見せていることに気付いた。新幹線を降車する時までは別段何ともなかったのだが、駅前に出たところで様子が変わっていた。

 一体、何があったのか。


「ん? あかりん、どした?」


 雪奈も気付いたらしく、小首を傾げて問いかけたが、灯香梨は何でもないと取り繕う様な笑みを浮かべて、慌ててかぶりを振った。

 だが矢張り、不自然さは残る。

 何か気になるものでもあったのだろうか。しかしこうして誤魔化そうとするからには、他のメンバーには直接関係しないことなのかも知れない。

 それを敢えて追及するのも、野暮だろう。

 徹郎はこの場では何もいわず、ただ横目でこっそりと灯香梨の態度を観察するにとどめた。


(まぁ……何ぞあったら、俺が動いたらエエだけの話や)


 徹郎はこの時、一瞬だけ諜報員候補生としての思考に戻っていた。

 仮にその懸念が外れていたとしても、それならそれで構わない。何事も杞憂に終われば、それに越したことは無いのだから。


「おーい、タクシー呼んだぞー。二台に分かれて移動なー」


 裕太がタクシー乗り場で手を振っている。

 一同はそれぞれの荷物を抱えて足早に駆け寄っていった。

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