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39.坂の上の美女

 絹里高校、一学期の期末試験最終日。

 今回もそこそこ良い点が取れるであろうと内心で密かに確信しながら、徹郎は帰宅の準備を進めていた。

 するといきなり、奏恵がすたすたと早歩きで徹郎の席の際まで歩を寄せてきた。


「鬼堂君! キャストに行こう、キャスト! ドリンクバーのタダ券もあるし!」

「いやちょっと委員長……もう試験休みに入るんやし、何も俺みたいなんとつるまんでも……」


 そう、この日は金曜日。

 土日を過ぎれば、月曜から木曜までは試験休みだ。そして一週間後の来週金曜は一学期の終業式であり、その後は長い夏休みに入る。

 つまり事実上、今この瞬間から絹里高校の生徒達は待ちに待ったバカンスに突入するという訳だ。

 それなのに何故奏恵は、自分などに声をかけてくるのか。

 徹郎はただただ訝しげな表情で、疑問の視線を奏恵の美貌にぶつけるばかりである。


「答え合わせをしたいんだよ」


 いいながら奏恵は、鞄の中から今回の期末テストの問題用紙を何枚か引っ張り出した。そこには答案用紙に記入したものと思われる解答の文字が幾つも並んでいた。


「ボクは今回、とっても自信があるんだけど、やっぱり鬼堂君と答え合わせして、安心して休みに入りたいんだよ。分かるかな、この気持ち」

「いや、御免。全然分からん」


 すると今度は、雪奈が後ろの席から机越しにガバっと抱き着いてきた。否、性格にいえばその場で組み付きタックルを完成させたといった方が正しいかも知れない。


「徹っちゃん、か~く~ほ~」

「何やこの既視感は」


 そういえば中間試験終了時にも、奏恵と雪奈に捕まった。あの時徹郎はファミリーレストラン『キャスト』に拉致され、そこで謎イケメン誕生という余計なイベントまで発生させてしまった。


「っていうか自分ら、他にやること何ぼでもあるんちゃうんか……」


 事実上の長期休み初日を翌日に控えた週末だ。

 仲の良いグループ同士で遊びに繰り出すのが、若者のあるべき姿ではないのか。但し陰キャぼっちは例外とする。

 しかしどういう訳か、ふたりに加えて新たな刺客までもが舞い込んできた。

 裕太だった。


「うぉ~鬼堂~! 俺やったぞぉ~! お前に教えてもらった宮殿で、何とか乗り切ったぞ~!」


 などと喚きながら、左の脇から抱き着いてきた裕太。ふたりから胴をがっちり絡め取られては、流石に身動きが取れない。

 更に――。


「あ、鬼堂君。キャストって今日から納涼フェアが始まるんだって!」


 いつの間にか灯香梨が、奏恵の隣に佇んでいた。おまけに、京子と愛理の姿まである。一体何がどうなっているのか。そもそも、何故皆でファミレスに昼飯を食いに行く流れになっているのか。

 徹郎は承諾した記憶など欠片も無いのだが。

 ところがここで、徹郎に運が向き始めてきた。

 クラスの女子が雪奈を呼びに来たのである。どうやら別クラスの男子から大事な話があるから、これから裏庭まで来て欲しいとのことだった。

 この流れ、徹郎は知っている。告白タイムというやつだ。

 これから絹里の生徒は長い夏休みに入ろうとしている。恐らく多くの男子生徒が期末試験を終えた今、彼女を作ろうと躍起になっているのだろう。

 試験地獄から解放されて心が軽くなっているこの瞬間なら、どんなにガードが堅い女子でもオトし易い、与し易いと考えている連中が次々と湧いてきているに違いない。


「え~……ちょーメンドいんですけどー」


 雪奈はあからさまに嫌そうな表情を浮かべていた。が、流石に断る訳にはいかない。ここで応じなければ、この先何度も同じ相手から呼び出され続ける可能性がある。

 受け入れるにしろ断るにしろ、矢張りその場ではっきりと答えてやった方が良いということらしい。

 そしてこの告白呼び出しの流れは尚も連鎖し、灯香梨と奏恵も御指名を喰らっていた。


「え? えぇ~? あ、あたし?」

「う……ボクもか。ちょっとタイミング悪過ぎないかな。折角鬼堂君を確保出来たというのに……」


 困惑するふたり。

 徹郎は渋々教室を出ていった雪奈に続いて、灯香梨と奏恵の背中もぐいぐい押した。


「ほらもう、エエから早よ行けて。ひと待たせたらあかんよ」


 奏恵は仏頂面だが、灯香梨は微妙に涙目になっている様にも思えた。


「え? 俺も?」


 今度は裕太も目を白黒させていた。彼にも別クラスの女子から告白タイムの御呼出しらしい。雪奈を狙っていると徹郎に常々語っていただけに、その狼狽ぶりは見ていて気の毒な程だった。

 しかし例え男子であろうと、矢張り告白されたならばイエスなのかノーなのか、はっきり答えておかなければ後々厄介なことになるのは間違い無いだろう。

 ということで、裕太も困り顔を見せながら教室を出ていった。

 そして徹郎はひとり、ほっこりした気分で開放感に浸っている。


「自由って、エエな……今しみじみと、心の底からそない思うわ」

「んも~……ちょっとはあかりんの気持ちも考えてあげてよね」


 京子が頬を膨らませて軽く抗議してきた。同時に徹郎は、ヤバいと考えた。灯香梨の仲良しふたり組、京子と愛理が徹郎をこの場に足止めしようと考え始める可能性もある。

 ふたりが余計な思考に至る前に、早々に離脱するのが吉だ。

 という訳で徹郎は、告白タイムに呼び出されていった美男美女達の帰りを待つこと無く、さっさと下駄箱へと走った。

 中間試験終了時の様に、雪奈が障害となって立ちはだかっていることも無い。今回はスムーズに脱出を果たすことが出来るだろう。

 そうして校舎玄関を抜け、正門を後にし、校庭フェンス脇の坂道をのんびりと下る。

 これでしばらくは陰キャぼっちを演ずる必要も無く、久々に羽を伸ばすことが出来る筈だ――などと思っていると、後方で甲高い悲鳴が轟いた。

 見ると、同校の女子が自転車に跨ったまま、物凄いスピードで坂を駆け下りてくる。


「きゃあああああああああ! 誰か止めて止めて止めてぇ!」


 見た瞬間、徹郎にはすぐに分かった。その自転車は、ブレーキワイヤーが切れていた。

 恐怖に青ざめた運転者の女子生徒はかなりの美人だったが、周囲の下校中の生徒らは誰ひとりとして救いの手を差し伸べようとはしない。

 否、出来ないといった方が正しい。

 それ程に件の自転車の速度は猛烈に速かったのである。下手に止めようとすれば、救出を試みた者までが相当な衝撃を浴び、事故の巻き添えになるかも知れない。

 が、徹郎は迷い無く動いた。

 あの程度の速度と勢いを制止する技術は、諜報員養成訓練の中で何度も経験していた。

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