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36.至福のひと口

 そして、翌週水曜日、六時間目。

 新しい班での家庭科は、初回の調理実習の日を迎えた。

 徹郎は自宅から米飯二合分と豚肉をタッパーに入れ、保冷バッグにて持参した。梅雨時のじめじめとした高温の日々が続く為、食中毒には最大限の注意を払わなければならない。

 それにしても蒸し暑い朝だった。

 絹里高校生徒の大半は既に衣替えを終えているのだが、徹郎も御多分に漏れず、ここ最近はトップスとして長袖の指定ワイシャツのみを着用している。

 半袖を着ないのは、筋肉を他の連中に見せない為だ。サイズはかなり大きめで余裕もあるから、張りに張った大胸筋が目立つこともない。

 しかし長袖そのままでは流石に周囲からも暑苦しいと思われて変に目立ってしまうから、手首のところだけを露出する形で腕まくりしている。この程度ならば、丸太の様な豪腕がバレることもないだろう。

 そうして五時間目が終わると同時に、早々に家庭科教室へと移動した徹郎。

 同じ班でも他の三人とは事実上の別グループだから、コンロや洗い場、調理台を先に確保しておかなければならない。

 次いで灯香梨と雪奈が、必要な分の場所を確保した。どうやら彼女らは今回、棒棒鶏(バンバンジー)に挑戦するらしい。


「げっ……ぼっち野郎に先に取られちまったよ。クソうぜー」


 後から移動してきた隆一が露骨に不機嫌そうな面を向けてきたが、徹郎は完璧に無視した。

 クラスの他の女子らと雑談することに気を取られ、移動が遅れてきたらしい。そんな隆一に対し、徹郎は馴れ合いも妥協も一切するつもりは無かった。


「はい、それじゃあ皆さん、早速調理にかかって下さい。今日は試食の時間も取りたいので、終業10分前には作り終えておく様に」


 家庭科担当教諭の号令がかかったところで、徹郎は早速具材の切り出しにかかった。

 まずは人参を手早くかつら剥きで丸裸にした上で、千切りから微塵切りへと切り進めてゆく。

 ここはもう、一切の手を抜かずに全力で臨んだ。

 そんな徹郎の手元からは小気味良い包丁の音がこだましているのだが、その間、周囲から驚きの視線が浴びせられている。


「鬼堂って……案外、器用だな……」

「え……何あれ……めっちゃ包丁上手いんだけど……」


 そんなざわめきが聞こえてくるが、集中している徹郎の耳には全く入ってこない。

 豚肉も切り終え、包丁を必要とする工程は数分とかけずに終えた。

 次いで卵を炒る。片手で卵を割る所作は慣れたものだが、その光景をもクラスメイト達は感嘆の声を漏らして眺めるばかりだった。


「めっちゃ調理師じゃん……」

「何か……格好良い、かも……」


 炒り玉子の完成直前に人参、玉葱、ピーマン、豚肉と合わせて炒めて具材にひと通り火を入れ終えた。

 最後に冷や飯と合わせて火を入れながら味付けしてゆく。ベースとなるのは醤油と鶏がらスープ、ごま油、塩コショウで、今回は少し薄味に仕上げる予定だ。

 徹郎はフライパンを何度も振るって、全体に満遍無く火が通る様に腐心した。


「わぁ~……徹っちゃん、やっぱり上手いねぇ……」

「鬼堂君が料理するとこ……いつ見ても凄過ぎて……ちょっとジェラっちゃうかな」


 雪奈と灯香梨は素直に感心しているが、隆一は驚くと同時に顔が引きつっていた。

 やがて家庭科教室内のその一角には、炒飯の香ばしい匂いが一気に漂い始めた。

 10分とかけずに調理を終えた徹郎は、味見用にと二皿に分けてから、早々に片付けへと着手した。


「あら、鬼堂君、早いわねぇ、もう出来たの?」

「あぁ先生、温かいうちに採点試食、お願い出来ますか」


 この日、家庭科担当教諭による試食が最初に行われたのは断トツの速さで、徹郎の炒飯だった。そのひと口目をレンゲで頬張った際、家庭科担当教諭は思わず目を見開いた。


「あらやだ……凄いじゃない鬼堂君。これ、お店で出せそうなレベルよ?」


 その高評価に、家庭科教室内は俄かにざわつき始めた。

 一方で灯香梨と雪奈は何故かドヤ顔。評価を受けているのは徹郎なのに、何故このふたりがそんな自慢げな顔をしているのか、全く分からなかった。

 その後、灯香梨と雪奈も棒棒鶏の調理を続けていたが、雪奈が洗い物を終えた徹郎の傍らにそっと寄ってきて小声で囁いた。


「ねぇ徹っちゃん……あたしもちょっと味見、したいんだけど……」

「ん? 炒飯?」


 問い返すと、雪奈は悪戯っぽい笑みを返してきた。そんな彼女に徹郎は何の気無しにレンゲにひと口分だけ取って、その口元に差し出してやった。

 その光景に、周囲がざわついた。


「えへへへ……はい、あーん」

「何がそんなに嬉しいねん……ただの炒飯やで、これ」


 呆れながら雪奈の口に、そっとレンゲの先を差し込んでやった。

 するとどういう訳か、灯香梨も物凄い勢いで寄ってきた。


「き、鬼堂君……あ、あたしも!」

「自分ら、そんなに炒飯好きやったんか……」


 徹郎は別のレンゲを取り出し、灯香梨にもひと口。


「あーん……」

「いちいち声に出さんでもエエやろ」


 凄まじく怪訝な顔の徹郎とは対照的に、灯香梨は心底嬉しそうだった。そして徹郎お手製の炒飯を口にしたその瞬間、ぱぁっと表情が明るくなった。


「わぁっ……ホントのホントに、鬼堂君の炒飯、すっごい美味しい!」

「だよね、だよね! せんせ~がお店でも出せるっていってたの、マジそのまんまだよね!」


 灯香梨と雪奈、揃って大騒ぎ。

 ひとり蚊帳の外の隆一は微妙に凹んだ様子で、黙々とピザ作りを進めていた。

 そうして何だかんだと調理実習は終了した訳だが、この日の採点試食で最高点を獲得したのは、満点を叩き出した徹郎の炒飯だった。

 尚、灯香梨と雪奈の棒棒鶏は第三位の得点で、隆一のピザに至っては結局時間内には完成せず、採点対象外という不名誉に終わった。

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