32.聖母の様なマッチョマン
屋内型レジャープールを出た奏恵は、徹郎と一緒に夕食を済ませて帰ることになった。
ところが、外に出た直後から物凄い大雨に見舞われてしまった。
所謂、ゲリラ豪雨というやつだ。
梅雨入りが近いということもあって大気の状態が非常に不安定だったのだろうが、それにしてもこの雨量は凄まじい。バケツをひっくり返した様なという表現をよく耳にするが、この降り方はバケツどころか、貯水タンクレベルだった。
路上では大勢の通行人が慌てふためいて、雨宿りが出来そうな場所を探して逃げ惑っている。奏恵も徹郎と並んで小走りに駆けて、手近にあったインターネットカフェに飛び込んだ。
「うわちゃあ……すっかり濡れちゃったね」
この日、奏恵は白いオフショルダーTシャツとデニムのホットパンツだったのだが、いずれもこの豪雨の餌食となってすっかり濡れ鼠となってしまっていた。
一方の徹郎は上下共に黒のスウェットジャージ姿で、こちらは撥水機能があるのか、然程に濡れている様子は無かった。
「ちょっと乾かしていった方がエエやろな。自分、そのままやったら確実に風邪ひいてまうで」
徹郎がいう様に、蒸し暑い屋外なら兎も角、エアコンが利いている屋内では間違い無く体が冷えてしまうだろう。
幸いここはインターネットカフェだ。個室を取れば、そこで衣服を乾かすことも出来る。
ところが受付カウンターで訊いてみると、二人席の個室がひとつ空いているだけだった。
「委員長、どうするよ?」
「うん……そうだね。君さえ良ければ、ボクは同室でも構わないけど」
奏恵の応えに、徹郎は微妙な表情を返した。そういう台詞は普通、男の方が口にするものらしい。
ともあれ、ふたりは余り広くない二人用個室を借りることにした。
それにしても、店員や他の利用客の視線がやけに自分に集中してくる。何か変なものでも付いているのだろうか。
「いや委員長。普通にブラ透けとるし」
「あ……」
廊下を歩いている最中、しきりに首を傾げていた奏恵だったが、徹郎に指摘されて漸く気付いた。
そういえば今日は、割りと派手な下着を身に着けていたのだったが、豪雨に悩まされていてそっちばかりに気が行ってしまい、すっかり忘れてしまっていた。
「ふ、ふふふ……そういうことを平気で口にするとは、中々メンタル強者だね、鬼堂君」
「何いうてんの。ここんとこ毎日ビキニばっかり着とったやんか自分」
だからもう見慣れたし、彼女の色気にも耐性がついたなどと放言する徹郎。奏恵としては、それはそれでちょっと複雑な気分だった。
せめて年頃の男子らしく、もう少しドキドキして欲しかったのだが。
それとも、自分には徹郎を刺激する程の色気が無いのだろうか。もしそうなら、ちょっと傷つく。
「セクハラ気にせんのやったら何ぼでもいうたるけど、委員長て、めっちゃエロいんやで」
そんなことをいいながら、徹郎は二人用個室のドアを開けて、先に奏恵を中に通してくれた。
「……もしかして、ここでボクとしっぽり致してやろうって魂胆かい?」
「童貞に何期待しとんねんな。もうエエから、さっさと脱ぎや」
いいながら徹郎は自身もスウェットジャージを脱ぎ始めた。口ではあんなことをいっておきながら、本当は襲う気満々なのではと頭の中がぐるぐるしてきた奏恵。
ところが徹郎は、脱ぎ捨てた上下のスウェットジャージを奏恵の足元に放り投げた。見ると彼は、中にTシャツとハーフパンツを着込んでいた。
「それ撥水機能付きで外はもう乾いてるし、中は最初から濡れとらん。委員長の服乾かしてる間だけ、それ着とき」
「あ……良いのかい?」
戸惑う奏恵に、徹郎はさっさと脱げと繰り返すばかりだ。流石にここまでいわれると、従わざるを得ない。奏恵は徹郎が後ろを向いている間にトップスとボトムス双方を脱ぎ、借りたスウェットジャージに身を包んだ。
「わぁ……暖かいんだね。それに、凄く大きい」
「こんだけ体格差あったら、ほとんど寝袋みたいなもんやろ」
いいながら徹郎は奏恵が脱ぎ捨てたオフショルダーTシャツを右手に、ホットパンツを左手に持ってエアコンの前に立ち、ばさばさと振り始めた。
少しでも早く乾かそうという発想なのだろうか。
「と、ところでさ、鬼堂君。さっき物凄くさらりと白状してたけど、君は本当に童貞なのかい?」
「そこ喰いつくところか?」
徹郎は全く動揺した様子も見せず、ただ妙な顔つきを返すのみ。逆に訊いた奏恵の方が照れてしまって、頬が真っ赤に上気してくるのが自分でも分かった。
「いや、だって……普通そういうことは、余りいわないんじゃないのかい? 男にとって、女性経験が無いのはプライドが許さないというか……」
「そんなプライドで飯食えるんやったら何ぼでも持ったるけど、実際はクソの役にも立たんわ」
逆に徹郎は、この手の下ネタを公然と口にするのはコンプライアンス的に問題となるから、余り親しくない女性の前では極力口にはしない様に努めているのだという。
ならば、奏恵に対してはセクハラだとは思っていないということなのだろうか。その方が寧ろ、少し傷ついてしまう。女として見て貰えていないという訳なのだから。
「そういう気遣いはな、好きな男にだけして貰っとき。自分も彼氏出来たら、烏合の衆がどんだけセクハラしても全然気にならん様になるから」
勿論腹は立つだろうが、しかし心が深く傷つくことはない、と徹郎はいう。
好きな相手、愛するひとにさえ大切にして貰えれば、他人の言葉なんてどうでもよくなる。それが徹郎流の人生哲学らしい。
成程と思う反面、やっぱり少しだけ寂しい。
今、目の前で奏恵の衣服を乾かそうと頑張っている同級生は、自分のことをどう思っているのだろう。
徹郎は口は悪いし柄も良くない。しかしその抜群の頭脳と万能さは、それらの欠点を補って余りある。
そして彼は、友人がどうしようも無い程に困っていたら何もいわずに、ただ黙って手を差し伸べてくれる。その時の彼は、自分からは決して見返りを求めようとはしない。
それは極端ないい方をすれば、無償の愛だ。ただ一方的に与えるだけの愛情だ。徹郎は、そういうことが出来る男だ。だからきっと、灯香梨や雪奈も彼に魅かれるのだろう。
今だってそうだ。エアコンの冷風の前に立ちはだかって奏恵の体が冷えるのを防いでくれているし、同時に彼女の衣服を乾かそうと頑張ってくれている。奏恵が頼んだ訳でもないというのに。
そういう気遣いが出来る男がこれから先、どのくらい現れるだろう。
(あ……何かな……ちょっと暑くなってきた?)
エアコンの温度設定は決して高くない筈なのだが、それでも奏恵は顔が火照って仕方が無かった。




