30.努力のひと
暑さが増してきた六月後半の土曜日、徹郎は絹里駅前のカフェチェーン店へと足を運んだ。
個人用のスマートフォンを購入した際に立ち寄った店だったのだが、ここのアイスココアが思いの他、美味かったのである。
ファミリーレストラン『キャロル』の特製ココアが醸し出す濃厚な甘さも中々の絶品だが、このカフェが供する滑らかな味わいのアイスココアも、徹郎の中ではドが付く程のストライクゾーンに嵌っていた。
そしてお茶請けには甘みを抑えたシフォンケーキが、これまたよく合う。
(こらぁもう、週一で通わな損やな)
すこぶる上機嫌で窓際のおひとり様用ストゥールに腰を下ろした。
この日の徹郎は薄いストライプ柄のカジュアルシャツに、スリムなチノパンを合わせていた。前髪はいつもと違って左右に分け、細いフレームの伊達眼鏡で微妙に目元を誤魔化している。
傍から見れば高身長の爽やかイケメン系だ。まかり間違っても、絹里校内の野暮ったい陰キャぼっちには見えないだろう。
(これなら絶対バレへん筈や。今日ぐらいはひとりでゆっくりせんとなぁ)
ところがその直後、待ってましたとばかりに横合いから声をかけてくる者が居た。
「成程、隠れイケメン君はここのアイスココアがお気に入りと見た」
態々顔を確認するまでも無く、その正体は分かっていた。奏恵だ。
折角週末の優雅なココアタイムを満喫すべく、街行く同級生に遭遇しても絶対に気付かれまいとして素顔を晒してきたというのに、こんなにもあっさりと見つかってしまうというのは一体どういうことなのか。
「今日は洒落た格好をしてるじゃないか、鬼堂君。遠足の時も、それぐらい爽やかなスタイルで来ればよかったのに」
ベージュを基調としたオフショルダータイプのワンピース姿で、許可も無く隣の席に陣取る奏恵。
徹郎は鼻の頭に皺を寄せてじろりと睨みつけた。
「爽やかイコール正しいみたいないい方はどうかと思うで委員長。世の価値観はアルパカの毛ぇぐらい多種多様やっちゅうことを学びたまえ」
「ふふふ……その謎理論もますます磨きがかかってきたね」
可笑しそうにくすくすと笑う艶やかな黒髪のクールビューティーに対し、徹郎は心底嫌そうな顔つきでメンチを切りまくった。
「そういえば遅くなってしまったけど、中間テスト、学年一位おめでとう。流石のひと言に尽きるね」
「自分かて、僅差で二位やったやんか……」
徹郎はストローでお気に入りの味をじっくり堪能しながら吸い上げた。
一方、奏恵は頬杖を突いて徹郎の端正な横顔をじぃっと見つめたまま、アイスティーに口を付ける。
周囲からはちらちらと視線が飛んできているが、流石に場所が場所だから、何じろじろ見とんねんなどと啖呵を切る訳にはいかなかった。
「ところで鬼堂君、ちょっとお願いがあるんだけど」
「丁重にお断りや」
ほんの僅かにでも隙を見せてはならぬと、徹郎は速攻で拒絶した。
しかし奏恵はそんな反応すら想定済みだとばかりに、勝手に話を進めてゆく。
「実をいうとね、ボクは水泳が苦手なんだ。なのにあともう一週間もしたらプール開き……水泳の授業が始まってしまうだろう?」
だから何やねんと心の内で吐き捨てつつ、徹郎はシフォンケーキを静かに味わう。
その間も奏恵の独白に近しい呼びかけは続いていた。
「だから鬼堂君に、泳ぎの稽古をつけて欲しい。聞けば鬼堂君はご家庭に素晴らしい程のトレーニングルームをお持ちだそうじゃないか。そんなアスリート気質の君なら、きっと泳ぎの方もイケてるんじゃないかと思うんだよ」
確かに、泳ぎは徹底的に訓練されている。重装備のまま水中で複数の敵と格闘戦を演じることも可能だ。
しかし教えるのが上手いかどうかは、また別問題ではなかろうか。
第一徹郎は、水泳の時間は全て見学に費やそうと思っている。
通常の体育ならばジャージを着込んでしまえばこの鍛え抜いた筋肉を隠すことも出来るのだが、水泳は流石にそうはいかない。
陽キャ連中は、徹郎の長身に鋼の様な筋肉が浮かび上がっているだけで何かと騒ぎ出すであろうことが目に見えている。そんな奴らに付き合ってやるつもりは毛頭無かった。
「いや、俺もカナヅチやから水泳全部サボろうか思てんねんけど」
「……鬼堂君、山之内牧場のココア専用ミルクは知っているかね?」
いきなり話題を変えてきた奏恵。徹郎は内心で身構えた。
大体こういう話の持っていき方をする奴は、搦め手で攻めてくることが多い。恐らく奏恵も、そういう手合いのひとりだろう。
「実はボクの母の実家が北海道で牧場を経営していてね。そこで採れる牛乳がココアにはピッタリ合うんだよ。君がおうちで嗜むココアが、より美味しく飲める様になると思うんだけど、ボクの気の所為かな」
「稽古でも何でも、やらせて下さい委員長」
自分でも情けない程に、あっさり陥落してしまった。
◆ ◇ ◆
そしてその日の夕刻。
徹郎と奏恵は駅近くの屋内型レジャープールへと足を運んだ。
徹郎はダークブルーのハーフパンツスタイル水着を穿いてプールサイドに現れたが、その鍛え抜かれた筋肉美には周辺の女性客から熱い視線が次々と飛んでくる。
一方、奏恵は濃い紫を基調としたビキニだ。ふくよかな胸周りときゅっとくびれた腰のコントラストが美しいボディラインを演出している。見事なまでのモデル体型だった。
そして長い黒髪はポニーテールに纏めており、いつもとは違った色気を漂わせている。
「ここのプール、一応競泳用の50メートルプールもあるんだよ」
「いきなりそんなとこから行って大丈夫かいな。もうちょいお子ちゃま向けんところで慣れてからの方がエエんとちゃうの」
しかし奏恵は、それじゃあ意味が無いとかぶりを振った。彼女的には、最初からシビアな条件で始めた方が、学校のプールでも適応し易くなるということらしい。
「ふぅん……まぁ頑張るんは委員長やから、別にエエけど」
かくして徹郎レクチャーによる水泳講座が始まった。授業料は山之内牧場のココア用ミルク一カ月分の定期配送。徹郎も引き受けた以上は、きっちり最後まで面倒を見るつもりだった。
「ほんなら、始めるでぇ」
「ビシバシと鍛えてくれたまえ、鬼堂君」
傍から見れば美男美女のプールサイドデートなのだろうが、この日のふたりはストイックに泳ぎを極めようとするアスリート師弟だった。
ところが数分後には、奏恵はプールサイドのラウンジャー上でぜぇぜぇと青息吐息状態に陥っていた。
「き、鬼堂君……中々君は、ス、スパルタだね……」
「せやから、やめとけいうたのに……」
徹郎は呆れ顔を隠そうともせずに、トロピカルジュースをがぶがぶと飲んでいた。




