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3.室内狂騒

 いつもの朝。

 いつもの風景。

 変わり映えのしない顔ぶれ。

 徹郎は引き締まった筋肉の峰を幾分大き目に作った制服で覆い隠し、黒縁眼鏡と野暮ったい髪型で表情を消し去りながら、のんびりと緩やかな坂を上っていた。

 私立絹里高等学校は住宅街から少しばかり離れた、海抜の高い位置にある。

 裏山を背にした、小高い丘の頂にある様な位置取りだ。それ故通学には徒歩の他、電動補助自転車での使用が認められている。但し原付バイクでの通学はNGだ。その辺は他の一般的な高校と変わらない。

 徹郎が校門前に差し掛かると、朝練に勤しむ野球部やサッカー部からの気合のこもった声が聞こえてきた。

 体育館からはバスケ部かバレー部辺りが奏でる、ボールが床を打つ音が連続して響いてくる。

 彼らはいずれも、自分達の目標の為に日々充実した生活を送っているのだろう。

 それが世間一般でいうところの青春であり、学生の本分だということらしい。

 しかし徹郎には全く無縁の世界だった。

 彼が絹里高校に通う理由はただひとつ、成人になるまでの三年間を静かに過ごすこと。それ以外には何も無かった。

 学業はCIA在籍期間中に一流大学を卒業する程度には習得済みだし、今から新たに学ばなければならないことなど一切見当たらない。

 精々、人間関係の築き方を傍から見て観察する程度だ。徹郎自身は特に友人が欲しいという訳でも無いし、誰と関わることも無く、兎に角三年が過ぎるのを待つだけで良かった。

 そんな彼の姿は、見る者によっては空虚な学生生活だと訝しむ者が居るかも知れない。

 しかし徹郎にはCIAに復帰して、成人の諜報員として任務に就くという将来が既に定まっている。今更充実した学生生活を送りたいなどとは、微塵にも思っていなかった。


(とはいえ……あんまり浮きまくるのも拙いかも知れんのか)


 真田は徹郎に、高校生活は一般人に溶け込む為の訓練の過程だと思えと諭した。そういう意味でいくならば、普通の高校生として振る舞うことも重要な任務のひとつだ。

 しかしそもそも、普通の高校生とは一体どの様に定義されるのか。

 そこが徹郎には今ひとつ、ピンときていなかった。


(まぁ要するに、問題さえ起こさんかったらエエってことやろ)


 徹郎の中では、普通ではない高校生とは即ち、退学や停学を喰らう様な学生だという位置づけだった。

 であれば、兎に角目立たぬ様に静かに息を潜めていれば、それが普通の高校生だという結論に落ち着く。というよりも、それ以外にあり得なかった。


(幸い今んところは、俺に話しかけてくる様な奴もおらんし……まぁ出だしは順調やな)


 そんなことを考えながら下駄箱を通過し、廊下を進み、そして1年D組の教室へと入る。教壇がある前側ではなく、必ず後ろ側の出入り口を通るのがいつものルーティーンだった。

 徹郎が入室しても、いつもなら誰も気に留めない。

 クラスメイト達はお気に入りの友人達とグループを組み、それぞれの場所で他愛も無い会話に花を咲かせている。

 当然だが、徹郎には彼らと関わる理由は無い。徹郎自身、どのグループにも属しておらず、ただ同じ部屋に居るだけの赤の他人という存在感しか漂わせていない。

 ところが、この日は違った。

 徹郎が自席に到着し、鞄を下ろして机の横のフックに手提げ部を引っ掛けていると、突然離れた位置から物凄い勢いで近づいてくる足音があった。

 徹郎は、無視した。どうせ周りに居る他の生徒に用事があるのだろうと高を括っていた。

 が、その予測は外れた。

 足音の主は何故か、徹郎の机の脇で歩を止めた。

 それでも徹郎はその存在を完全に無視して、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。朝のホームルームまでにはまだ少し時間があるから、読みかけの英文小説にでも目を通しておこうと鞄に手を突っ込んだ。

 その時だった。


「あ、あの! 鬼堂君! き、昨日は……その、本当にありがとうございました!」


 突然、微妙に上擦った声が真横から飛んできた。

 聞き間違いか、或いは他の誰かへの言葉かとも思ったが、違う。間違い無く声の主は、徹郎の名字を口走っていた。

 徹郎は文庫本を開いたまま、黒縁眼鏡と野暮ったい前髪で表情を隠した面を、声の主の方にゆっくりと巡らせた。

 そこに居たのは、花辻灯香梨だった。

 ああそうか、と内心で合点がいった。そういえば昨晩、彼女がフードデリバリーサービスのアルバイトで問題を起こしていたところを、助けてやったんだなと今更ながら思い出した。

 灯香梨はダークブラウンの綺麗に整えられた髪をぴょんぴょんと跳ねさせつつ、ぺこりと頭を下げてきた。

 すると周囲から、驚きと好奇の視線が次々に飛んでくる。

 こんな展開になる予定は無かった筈なのだが、はて、どこで何が狂ったのだろう。


「花辻さん、あんなん別にもうエエからって昨日、いわんかったっけ?」

「いわれたけど、でもそれじゃ、あたしの気が済まないの!」


 一歩も退こうとしない灯香梨。

 徹郎は珍獣でも見る様な気分で、気合のこもった灯香梨の端正な顔立ちをじいっと眺めた。


「いやいや、あんたの気が済む済まんはどうでもエエねんて。俺見ての通り、こんなんやから。あんたみたいな陽キャに話しかけられても、どない対処してエエんかよう分からんし」


 せやから放っといて、と徹郎は手元の文庫本に視線を戻した。

 この時、教室内が微妙にざわついた。

 大半が徹郎の、ナチュラルな関西弁に興味を引かれている様な反応だった。


「だったらさ! あたしが勝手に、鬼堂君に何か御礼するの! それだったら別に良いでしょ?」


 灯香梨は机正面に廻り込み、何故かしゃがみ込んで顎先を天板にちょこんと乗せた。その仕草にどんな意味があるのか徹郎にはよく分からないが、取り敢えず面倒臭いことになってきたことだけは理解出来た。

 すると、しばらく遠巻きに眺めていた他の女子数名がやってきて、灯香梨の左右に立った。


「ねぇあかりん……昨日、何かあったの?」

「確か例の、何とかイーツっていうバイト行ってたんじゃなかった?」


 その女子生徒らは灯香梨の仲良しグループの連中なのだろう。あかりん、というのは恐らく灯香梨のニックネームか何かだ。

 だがそんなことは全く以て、どうでも良い。何故この陽キャ女子共が目の前に陣取っているのか。

 その現状が徹郎には全く理解出来なかった。

 そんな徹郎の仏頂面など一切無視して、灯香梨は昨晩の出来事――徹郎が灯香梨を自室に招き、ナポリタンとコンソメスープを作り直して彼女のアルバイトが事無きを得たという一連の説明を手早く伝えていた。

 するとその仲良し女子達のみならず、他のクラスメイト達から物凄く複雑な視線が飛んできた。大半は感心するというよりも、敵意に近いものがあった。


「え……じゃあさ、あかりんこのぼっち君の部屋に連れ込まれたって訳? 何もされなかった?」

「うわぁ……ちょっとそれ、どうなんだろ。あかりんを助ける口実に、何か下心あったんじゃない?」


 その反応を受けて、灯香梨は引きつった表情のままその場に凍り付いてしまった。

 一方の徹郎は、


(好き勝手いうとけ)


 と、まるでどこ吹く風だった。

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