29.おんぶと抱っこ
当初徹郎は、この日の遠足はひとりでのんびりと散策する程度の予定しか立てていなかった。
(トレッキングコースいうたかて……訓練で走り回った原生林とかに比べたら、こんなん子供のままごとみたいなモンやで……)
そんなことを思いながら涼やかな樹々の間を歩いていると、見知った顔が必死の形相で駆け寄ってきた。
灯香梨の仲良しグループのひとり、京子だった。
彼女に、足首を痛めた灯香梨のもとまで案内された時点で、最初に立てた予定は大幅に崩れた。
(まぁエエわ……どうせ今日一日、やることなんて無かったし)
徹郎は灯香梨を背負い、極力彼女が楽になる様にと40度近い前傾姿勢を維持しながら、土産物屋やスイーツ店などが並ぶ駅近くの通りへと下りていった。
途中、灯香梨が耳元で申し訳無さそうに囁いてきた。
「あの……鬼堂君……その……あたし、重くない?」
「ん? いやぁ、軽いモンやで」
これはお世辞でも何でも無く、本心だ。
徹郎は諜報員養成課程の中で、アメリカ海兵隊沖縄駐屯部隊のサバイバル訓練にも特別に参加させて貰っていた。それは灯香梨の倍近い重量の装備を背負い、足場が劣悪な森林地帯を何十時間にも亘って移動し続けるという実に過酷な訓練だった。
あの訓練を経験していれば、灯香梨の体重など木の葉の様に軽く感じる。この程度ならば彼女をずっと背負ったままでも、三日三晩寝ずに行軍することだって可能だった。
だが流石にそんなことをしてしまえば、灯香梨の方が死にそうになるだろう。今日は飽くまでも、彼女が遊んで楽しむ為の脚役に徹しさえすれば、それで良い。
「あ、ねぇねぇ、あそこのジェラート食べてかない? めっちゃ美味しそうだよ!」
「ここ記念撮影スポットなんだって~。折角だから撮って貰おうよ!」
積極的に動けない灯香梨に代わって、京子と愛理が色々とリードしてくれた。徹郎は黙ってふたりについて行くだけで良かったから、楽なものであった。
(俺のアイデアで女子と遊ぶなんて絶対無理やけど、あのふたりに任せといたら大体OKやな……)
正直、陽キャの女子グループと遊び廻るなど考えたことも無かったが、今日は灯香梨の脚役だから、特に変な気負いも無く、ただ歩くだけに徹していればそれで良い。
灯香梨も足首の捻挫で一時は駅前の休憩所に引き返すことも考えなければならない状況だったが、こうして京子と愛理のふたりと一緒に色々と満喫出来ているのだから、きっと楽しめていることだろう。
そんなことを漠然と考えていると、京子と愛理が土産物店の中に飛び込んでいったところで、灯香梨が心配げな様子で呼びかけてきた。
「鬼堂君……ねぇ、鬼堂君ってば」
「ん? 何?」
徹郎は灯香梨の体調に異変でも生じたのかと一瞬身構えたが、灯香梨は全く違うことを訊いてきた。
「その……鬼堂君は、楽しめてる?」
「はぁ?」
一瞬、意味が分からなかった。何をそんなに不安視しているのか、理解が及ばなかった。
すると灯香梨は、もじもじした様子で更に言葉を続けた。呼吸が微妙に乱れているのは、背負われたままの姿勢でどこかに疲労が出ているのだろうか。
「あの、ね……その、あたしをおんぶさせちゃってるから、その……鬼堂君が全然、楽しめてなかったら……その、凄く、申し訳無いな、って……」
「またしょうもないこと、考えてからに」
徹郎は渋い表情で僅かに視線を後方に流した。
「俺は散歩大好き人間やから、こうして歩き回るのが普通に楽しいねん。それにひと背負うて歩くのが嫌やったら、もうとっくに適当なところであんた放り出して逃げとるわいな。せやから要らん気ぃ遣うなて」
「うん……うん……ありがと……ありがとね」
灯香梨は妙にくぐもった声を漏らしてから、徹郎の首に廻した両腕にぎゅうっと力を込めた。子供が親にしがみつく様な仕草だった。
「何? 俺を絞め落としたいんか? そんな程度やったら、全然足らんで。絞めるポイントもズレとる」
「んもう……そうじゃないってば!」
今度は徹郎の肩口を、ぽかぽかと叩き始めた。
この子、何がしたいんや――徹郎の頭の中には疑問符が大量に浮かんでいた。
◆ ◇ ◆
遠足先に、例の謎イケメン現る――そんな噂が、ちらほらと聞こえてきた。
(嘘……もしかして、徹っちゃん?)
雪奈は本能的に直感し、その噂の足取りを辿ってやろうと考えた。すると彼女以外にも、謎イケメン追跡に名乗りを挙げる者達が居た。
礼司と裕太だった。
「なぁ、あの噂……やっぱ、鬼堂かな?」
裕太が若干興奮気味に問いかけると、雪奈は半ば確信を抱いて、間違い無いだろうねと頷く。
「けど、今回は誰かをおんぶしてるって話だったが」
礼司曰く、その謎イケメンは上下ともに黒ずくめだったということらしい。そんな格好で誰かをおんぶしていれば、速攻で見つかりそうなものだ。
という訳で三人はすぐに捜索に走り、そしてあっさり見つけた。
余りに分かり易い姿だった為、態々必死に探し回る必要など無かった。
「あれ、おんぶされてるの……花辻じゃね?」
裕太が指摘するまでも無く、徹郎におんぶされているのは灯香梨だった。
この時、雪奈の胸中に浮かんだのは対抗心――ではなく、優越感だった。
(ふふ~ん……あたしなんて、お姫様抱っこして貰ったんだからね!)
何故か、にやにやが止まらない。
が、同時に頬が微妙に上気してきた。思い出したら、急に恥ずかしくなってきた。
「大塚、お前顔赤いぞ」
「う、うるさいなぁ! ほっといてちょー!」
灯香梨には優越感を抱いた雪奈だが、徹郎に対しては紛れも無く敗北感を抱いてしまった。
勿論、それは惚れた弱みという心地の良い敗北感ではあったのだが。




