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28.見たことの無い風景

 やってしまった――灯香梨はアスレチックコース内の木椅子に腰かけたまま、ひとり項垂れていた。

 右の足首に強烈な痛みが走り、自力で立ち上がることもままならない。

 プチハイキングにやってきてまだ一時間も経っていないというのに、この有様だった。


(あたし……何、やってんだろう……)


 慰める京子と愛理の言葉が、右から左へと素通りしていってしまう。

 とんでもない大ポカをやらかしてしまったという自責の念が、更に灯香梨の心を深淵の底に叩き落としてしまった。

 ほんの少し前、灯香梨は京子や愛理と共に初心者用トラッキングコースを歩いていたのだが、途中で京子がアスレチックコースを発見、そっちにも挑戦してみようということになった。

 徹郎が見当たらない寂しさを誤魔化す為にも、そして一緒に遊んでくれている京子と愛理の心遣いに応える為にも、ここは余計なことを忘れて目一杯楽しもう。

 そんな思いで、威勢良くアスレチックコースへと突撃を仕掛けてみた。

 最初のうちは三人できゃあきゃあと歓声を上げながら楽しんでいた灯香梨だったが、ふとした拍子に、今日ここには徹郎が来ていないということを思い出し、その一瞬だけ集中力を欠いてしまった。

 それが折り悪く、ステップラダーを登り始めようとしたタイミングだったのだ。

 ステップを踏み損ねた灯香梨は思い切り右の足先を地面に押し付けてしまったのだが、その際足首が変な方向に向いてしまっていた為、全体重をかけてあらぬ方向に捻じってしまった。

 結果、ものの見事に捻挫してしまったという訳である。


「待っててね、あかりん! 助けを呼んでくるから!」


 そういって駆け出してゆく京子。

 愛理は灯香梨の付き添いとして、その場に残ってくれた。


「ホント……御免ね」

「良いよ、気にしないで」


 こんな時でも優しく微笑んでくれる愛理。灯香梨はますます申し訳無い気持ちで一杯になってきた。

 と、そこへ思いの他早く、京子が戻ってきた。そのすぐ後ろには随分と身長が高く、非常に体格の良い地元の若者らしき男性が続いている。上下ともに黒いスウェットジャージ姿で、黒いスポーツキャップとサングラスが緑の木々の間でよく映える人物だった。


「あ、こっちです……あの子です!」


 京子が懸命の表情で、その男性を案内してきた。男性は灯香梨の目の前でしゃがみ込むと、右の足首に軽く触れてきた。

 その瞬間、鈍い疼痛が走る。灯香梨は苦痛に顔を歪めた。


「あぁ、こらあかんわ。今日はもう、歩くのやめとき」


 一瞬、灯香梨は耳を疑った。京子と愛理も、まさかという表情で顔を見合わせている。

 目の前の男性はしゃがんだままサングラスを外し、スポーツキャップの鍔の上に掛け直した。


「軽く固定だけしとこか。ちょっとはマシになるやろし」

「え……えええええええええええ! き、鬼堂君? き、来てたの?」


 灯香梨の驚きに満ちた声が周囲にこだました。

 目の前でしゃがみ込んでいる男性は間違い無く、徹郎だった。


「え……うっそぉ、あんた、鬼堂だったの? 私てっきり、地元の学生さんかと……」


 確かに、こんなアスリート然とした格好でトレッキングコースを歩いていれば、普通は地元民がウォーキングか何かで訪れたと考える方が自然であろう。

 ところが徹郎は、そんなに驚くことかと逆に不思議そうな面持ちだった。


「別にこんなん、山ん中歩くのにおかしい格好ちゃうやろ」

「いや、そりゃあそうだけど……普通、遠足行くのにそんなアスリートみたいな格好して来る?」


 愛理が三人を代表して、想定外の服装で現れた徹郎に疑問を叩きつけた。

 しかし徹郎は尚も理解出来ぬといった様子で眉間に皺を寄せながら、ベルトポーチから包帯を取り出した。


「えっ……ていうか、遠足に包帯を自前で持ってくるひと、居るんだ……まぁ、今回に限ったら、凄く助かるんだけど……」


 感謝して良いのかドン引きして良いのか分からない様子で、京子が頬を引きつらせている。

 そんな三人の驚きを一切無視して、徹郎は灯香梨の右足首を固定した。手慣れているのか、物凄い速さで作業を終えていた。


「あ、ありがとう、鬼堂君……」


 灯香梨は涙が出そうになるのを必死に堪えていた。今日はもう会えないと思っていたからか、込み上げてくる感情を抑えるだけで精一杯だった。


「せやけど、まだこんな早い時間からリタイアすんのも気の毒な話やな……アレやったら、背中貸すで」


 その申し出に灯香梨のみならず、京子と愛理も驚きの表情で顔を見合わせていた。

 徹郎はサングラスを再び目元に掛け直し、しゃがんだままその場でくるりと方向転換。灯香梨に、その頑健で広く逞しい背中を向けてきた。

 灯香梨は困惑した。

 徹郎におんぶして貰えるなんてまたと無いチャンスかも知れないが、本当に甘えて良いのだろうかという罪悪感が込み上げてきた。

 そうして、このまま頼って良いのかどうかと逡巡しているうちに、京子と愛理が左右から耳打ちしてきた。


「甘えちゃいなって、あかりん」

「うん……今日の鬼堂は普通にイケメンだから、大丈夫だって」


 ふたりの言葉の意味がよく分からなかった灯香梨だが、少なくともこの場では、ふたりとも徹郎におんぶして貰うことを随分と勧めてきている様に思えた。

 それなら――。


「き、鬼堂君……そそそれじゃあ、お、お言葉に甘えて……」

「落ちん様に、ちゃんと掴まっててや」


 灯香梨は徹郎の背中越しに、その太い首筋へとそっと腕を廻した。

 直後、目線が一気に高くなった。


(うわぁ……これが、鬼堂君の世界なんだ……!)


 徹郎は190センチ近い長身である。一方灯香梨の身長は、160センチに若干届かない。

 そんな彼女の目から見て、徹郎に背負われた時の目線の高さは、まるで別世界だった。

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