27.地元民ライクな男
絹里高校では毎年六月と十月に、遠足が実施される。
いずれも中間試験を終えてから一週間以内に行き先が決まるのだが、その決定権は各クラスの生徒らに委ねられることとなっている。
一年D組もその例外ではなく、中間試験明けの翌週火曜日には、ホームルームに於ける多数決によって奥多摩でのプチハイキングに決定していた。
とはいえ、これは飽くまでも遠足だ。
本格的な登山ではなく、麓の公園まで行って帰ってくる程度の軽い行程に過ぎない。その為、参加する生徒達も登山装備などは持参せず、日頃の普段着と軽い手荷物程度で済ませる運びとなっていた。
解散と集合は現地の最寄り駅前となっており、朝の九時半頃にはD組の生徒達がそれぞれ思い思いの格好で姿を見せ始めていた。
もう六月ではあるが、奥多摩は山岳地に属するだけあって、場所によっては随分と空気がひんやりしている。何も考えずに夏の装いのままで来ると、風邪をひいてしまう可能性もあった。
「鬼堂の奴、今日はどんな格好で来んのかな?」
薄い色合いのジャケットと細身のチノパン姿の裕太が、集まり始めているクラスメイト達の間に視線を走らせていた。
「そういえば鬼堂の私服姿って、家にいる時の部屋着以外は見たことが無かったな」
礼司はロングTシャツにスリムジーンズといういでたち。こちらもすっきりとした外観で、クラスの女子達からは大人気だった。
ところが、薄いグレーのパーカーとホットパンツ姿の灯香梨が、白いレディースキャップの鍔をくいっと押し上げながら不安そうに周囲を見渡していた。
「花辻さん、どうしたんだい?」
「えぇっと……その、もしかしたら鬼堂君、今日は来ないんじゃないかな、って思って……」
実は灯香梨、昨晩SNSチャット上で徹郎に対し、明日の遠足が楽しみだという旨のメッセージを送っていたのだが、それに対して徹郎からは、
『そらぁ楽しみやな』
などと、まるで他人事の様な応答が返ってきたのである。
その文面だけを見れば、確かに徹郎はこの奥多摩へのプチハイキングには参加する意思が無い様にも取れる。しかし遠足とはいえども、名目上は授業扱いだ。不参加となれば当然欠席となってしまう。
これまでどの授業に於いても無遅刻無欠席だった徹郎が、果たして遠足だからという理由だけで休んだりするだろうか。
「いやぁ……あいつなら、やりかねんか」
裕太も不安になってきたのか、腕を組んで本気で心配する素振りを見せた。
「あれぇ~? 三人共、変な顔してどうしたのぉ?」
と、そこへ薄手のブラウスの上からカーディガンを羽織った雪奈が、七分丈のスリムパンツに通した健康的な脚を小走りに動かして近づいてきた。
雪奈の近くにも、徹郎が居ない。教室に於いては、徹郎と一緒に居る確率が最も高い雪奈でさえ、この日は他の女友達らと行動していた。
ということは本当に、徹郎の現在地は誰も把握していないことになるのだろうか。
「あれれ? もしかして徹っちゃん、まだ来てないの?」
「うん、それが、まだ来てない……」
雪奈に答えながら、灯香梨は段々泣きそうになってきた。
今日は教室という限られた空間ではなく、麓とはいえ、奥多摩の開けた場所で徹郎と接する機会が得られると楽しみにしていた。
彼がどんなに陰キャぼっちを標榜していても、それは大勢のクラスメイトが居る教室の中だけの話だ。アウトドアなら、そこまで徹底的に孤立する必要も無い筈だろう。
ならばこの遠足でこそ、徹郎との心の距離をもっと近づけさせることが出来るかも知れない。
そんな期待を胸に、灯香梨は今日のプチハイキングに臨んでいたのである。ところが、肝心の徹郎の姿がどこにも見えなかった。
しかし、もう間も無く集合時間だ。
担任で引率係の恵津子が生徒達に対し、集まる様にと指示を出している。
「しょうがねぇよ……兎に角、集合場所行こうぜ」
裕太に促され、灯香梨はしょんぼりした表情のまま京子や愛理が待っている駅前広場へと足を急がせた。
恵津子は集まってきた生徒全員に大声で挨拶してから、この日のスケジュールや注意事項などを順に並べていった。
「まあ兎に角、危険の無い様にね。楽しむのは大いに結構。でも親御さんに心配かける様なことだけはしちゃ駄目だからね……はい、それじゃあお話はここまで。皆、存分に楽しんできてね~」
パンパンと手を叩いて自由時間開始を告げる恵津子。
生徒達は早速、仲良しグループ同士で集まって一斉にばらけていった。
「ほら、あかりん、私達も行こう」
「あ、う、うん……」
京子に手を引かれて、初心者用のトラッキングコースへと向かう灯香梨。その間も彼女の視線は、駅前広場から地元の土産物店が並ぶ通りへと、せわしなく走り続ける。
(鬼堂君……本当に今日は、来てないの……?)
灯香梨は、どうして昨晩のうちにちゃんと確認しておかなかったのかと、自分を責めた。
◆ ◇ ◆
生徒達を送り出してから、恵津子は漸く解放されたといわんばかりに大きく伸びをしながらベンチ方向に振り向き、そして思わず変な声を上げながら跳び退った。
「どわぁ……ど、どちらさん?」
振り向いた先の目の前に、黒い上下のスウェットジャージに黒いスポーツキャップ、更にはサングラスで目元を隠した頑健な体躯の男が、上から恵津子の顔を覗き込む様にしてぬぅっと顔を寄せてきていたのである。
いきなりこんな奴が目の前に迫ってきたら、驚くなという方が無理な話であろう。
「いや、どちらさんって……鬼堂ですけど」
「んえぇ? き、鬼堂? 君、本当に鬼堂?」
思わず二度、問い返した。それ程に目の前の男の印象は、普段教室で見慣れている彼とは明らかに異なっていた。
「っていうか鬼堂、君、来てたんだ」
「いや、さっきからずっとここにおりましたよ」
確かに、少し前から居た様な気はする。が、恵津子はこの黒ずくめの男を、てっきり地元民か何かかと思い込んでいた。クラスメイト達も、彼が鬼堂だとは気付いていない様子だった。
それにしても、他の生徒達はいかにも高校生らしい若くておしゃれな服装だというのに、目の前の黒ずくめの男はどちらかといえばアスリートに近しい格好だ。
とても遠足で皆とわいわいやろうという雰囲気ではない。
「そ、そうか、君は間違い無く鬼堂なんだな……で、どした? 遊びに行かないのかい?」
「いやぁ、その前にちょっと聞いておきたいことが」
いいながら徹郎はベルトポーチから遠足のしおりを取り出し、スケジュールについて幾つか不明点があると訊いてきた。
「あぁ~、君はそう解釈しちゃったのか。いや、そんな細かいことは気にしなくて良いよ。帰りの集合時間以外は、大体で良いから」
「あぁ、そうなんですね。ちょっとシビアに考えてましたわぁ……ほな、また帰りの集合時間に」
それだけいい残して、徹郎はふらふらと通りの向こうへと消えていった。




