20.踏み出す為の覚悟
絹里に謎のイケメン現る。
中間テスト明けの月曜、そんな噂が校内にちらほらと流れ始めた。
(え……それってもしかして……)
灯香梨はその噂の発信源が徹郎ではないかと、すぐに疑いの目を向けた。
日頃は黒縁眼鏡と野暮ったい髪型で顔半分を覆い隠している徹郎だが、その本来の姿は、全学年に於いてもイケメンとして人気の高い礼司や裕太に決して引けを取らない程の美丈夫。
それが徹郎の素顔だった。その徹郎の素の姿を灯香梨は知っている。
(あの夜……あたしを助けてくれた時の鬼堂君は、心も顔も本当にイケメンだったもんね……)
更にいえば、その謎のイケメン男子とファミレスで同席していたのが雪奈と奏恵だったというのが、何よりも大きい判断材料だった。
中間テストが終わった直後、灯香梨は徹郎を捕まえ損ねた。その後で聞いた話によると、徹郎は下駄箱付近でふたりの美少女に捕まってどこかへ連れ去られたということらしい。
片方は間違い無く、雪奈だ。ここ最近、徹郎にぐいぐい行っているのは本人も認めるところだった。
しかしもうひとりが、すぐには分からなかった。
新たなライバル出現かとも思ったが、よくよく考えてみれば中間テスト直前、奏恵が徹郎に向けて直接、話をしたいと堂々と宣言していた。
これらの判断材料を考え合わせれば、雪奈と奏恵に同席していた謎のイケメンが徹郎であろうというのは、ほぼ間違い無い様に思われる。
そしてその説を、礼司と裕太も支持してくれた。
「あいつのぼっちライフも、そろそろ潮時なんじゃねぇの?」
「幾ら本人が逃げ回っても大塚さんがあれだけ追い掛け回してたら、いずれはバレるだろうな」
教室の隅で、何故かしたり顔で頷くふたり。
自分の仮説を支持してくれるのは有り難いのだが、漠然とした不安が湧き起こってくるのは何故だろう。
「花辻さんも、大変だね。ライバルがどんどん増えてしまって」
何故か寂しそうに笑う礼司。
しかし灯香梨としては、ライバル云々以前にもっと大事なことが頭の中にあった。
(あたし……まだ鬼堂君に全然、御礼が出来てない……!)
徹郎のことは確かに、素敵だと思う。
素顔はイケメンだし頭も良いし、更に料理も抜群に上手い。しかも高身長で筋肉質で、女子が憧れる要素満載だ。本人がぼっちを目指していなければ、間違い無く校内でもトップを争う程の人気者になるだろう。
灯香梨自身としても、徹郎に男性としての魅力を感じている。
もし彼と付き合うことが出来たなら、それはそれで嬉しい。
だが今抱えている問題は、そこではない。
(あたしは鬼堂君に、受け入れて貰えていない……彼があたしを遠ざけている限り、あたしはいつまで経っても鬼堂君に御礼が出来ない……!)
これは灯香梨の矜持の問題だ。
異性として意識する以前の話だ。ひととして、彼に恩返し出来ないのは罪だ、とも思う。
(鬼堂君は気にするなっていうけど……でもそんなの、あたしには無理だよ)
灯香梨はやっぱり、恩を返したい。
その上で、徹郎を自分に振り向かせたい。
雪奈の様に、どんなに拒絶されてもめげずに攻めてゆけるだけの積極性が欲しい。
だが悲しいかな、徹郎はいつも灯香梨の前から逃げ回ってばかりだ。一体どうすれば、彼に立ち止まって貰えるのだろう。
「ねぇ、あかりん。そろそろ帰ろうよ」
「早くいかないと、サービスタイム終わっちゃうよ」
仲の良い友人ふたり――国見京子と藤田愛理が声をかけてきた。
京子も愛理も、灯香梨のことを本当に大事に思ってくれている。だから、徹郎があの暴言事件で灯香梨を傷つけようとした時、真っ先に食って掛かって灯香梨を守ろうとしてくれた。
このふたりには本当に、感謝している。迷ったり弱ったりしている時には、いつも寄り添ってくれている。彼女らに塞ぎ込んだ気持ちを救われたことも何度かあった。
だが同時に、このふたりが最大の障害となっていることも事実だった。
灯香梨が徹郎に接触しようとすると、いつも心配げな表情でやめろと諭してくるふたり。
京子も愛理も本気で灯香梨のことを心配してくれている。だからこそ、彼女らの言葉を無下に出来なかった。そしてその状況が徹郎との間に更なる溝を生じさせる原因となっていることも、理解していた。
何よりも一番拙いのはその状況を改善しようともせず、ただ流れに身を委ねている自分自身だった。
徹郎に恩返しをしたい。でも、大事な友達を失いたくもない。
これは自分の我儘だ。都合の良い関係を維持したいだけの、逃げの思考だ。
(やっぱり、ふたりとはちゃんと話さなきゃ)
灯香梨は顔を上げた。
「御免……それよりもふたりと、ちょっと話したいことがあるんだ」
灯香梨が意を決して呼びかけると、京子と愛理は不思議そうな面持ちで、灯香梨の顔をじぃっと見つめ返してくる。
ここが正念場だ――灯香梨は漸く、腹を括った。
「どしたの? また随分、気合入れちゃって……」
京子が何やら不穏な気配を察したのか、若干不安げに灯香梨の顔を覗き込んでくる。
灯香梨はひと呼吸入れてから、ふたりの顔をしっかりと見つめた。
「あたしね……あたし、鬼堂君ともう一度、ちゃんと話したいんだ」
「え……あのぼっち野郎と?」
愛理が顔をしかめた。京子も愕然とした表情。だがこれは、既に想定していた反応だ。
灯香梨は尚も言葉を連ねた。
「ふたりが反対してるのは、分かってる。でも、あたしが鬼堂君に助けて貰ったことも事実だし、恩返しが出来てないのも、ずぅっと引っかかってるんだ」
だから、少しだけ時間が欲しい。徹郎への恩返しが終わるまで、待っていて欲しい。
そうして灯香梨は頭を下げた。
すると、ふたりは大いに慌てた。
「あ、ちょっとあかりん……そんな、変に気ぃ遣わないでよ!」
「そうよ……私達別に、あかりんがあいつと話したいってこと、怒ったりしないから」
京子も愛理も、ただ純粋に灯香梨のことが心配なだけだと口を揃えた。その灯香梨が覚悟を以て徹郎と向かい合うなら、支えになってあげたいともいってくれた。
「あかりんが、気の済むまでやってくれて良いんだよ……だってほら、私達、友達でしょ?」
「そうだよ。あかりんが自分の意志でやりたいっていうなら、うちらも応援するからさ!」
ふたりの気持ちが、ストレートに灯香梨の心の中に染み込んでくる。
やっぱり、友達ってものは良いものだ――灯香梨はうっすらと涙を浮かべながらも、笑顔を返した。
「うん……ありがと! あたし、頑張る!」
もうこれで、最後の一歩が踏み出せなかったことに対する自己弁護は不要だ。
ここから先はただ、前を向くだけだった。




