17.ひとの話はちゃんと聞け
高校入学後、最初の中間試験が迫りつつある。
一年生での最初の試験だから、範囲などはたかが知れている。中学校教育の延長みたいな問題も数多く出されるということもあり、どちらかといえば今後の高校生活に於ける各定期考査への助走の様なものだ。
ところが――。
「うわー、おい、これマジどうすんだ」
「いや、どうするといわれても」
教壇近くの席で、裕太と礼司が英語と数学の教科書を開いて何やら問答している。
彼らは入学後、すぐにそれぞれの部活でめきめきと頭角を現し始めたが、学業の方はというと、余り芳しくない雰囲気が漂っていた。
そんなふたりに、周りの女子達があれこれとアドバイスを送ろうとしている。試験勉強にかこつけて、彼らにアピールしようという作戦なのだろう。
それ以外にも、教室内ではそれぞれの仲良しグループで集まり、試験範囲がどうだの、予想問題はどうだのと賑やかに騒ぐ光景が幾つも見られた。
しかし当然ながら、徹郎はそんな交流の輪の中には居ない。
そもそも、本格的な試験勉強などする必要も無かった。彼はCIAの訓練課程で高等教育を12歳の段階で終えており、今もその知識は完璧に残っている。
現時点で国内最高学府の入試を受験しても、ほぼ主席の成績で合格する自信があった。
それ故、教室内での半ばお祭り騒ぎに近しいこの現状を、
(そんな騒がないかんもんか)
などと幾分冷めた目で眺めていた。
別の見方をすれば、試験前のこの賑わいもまた友達同士のコミュニケーションのひとつ、といえなくも無い。仲の良いグループ内であぁでもない、こうでもないと論じ合うことで、また新たな繋がりを得たり、それまでの絆をより深めたりすることも出来るのだろう。
しかしそのいずれも、徹郎には全く無縁だ。関わろうという気すら起こらない。
(まぁ精々頑張りなはれ……)
まだ朝のホームルームまで時間がある。徹郎はひとり余裕をかまして、いつもの英文小説を手に取ろうとしたが、それよりも早く誰かが席に近づいてきた。
視線を上げないまま、徹郎は妙だと内心で訝しんだ。
雪奈は後ろの席で何かの教科書を開きながら、ぶつぶつと呟いている。暗記に集中しているのだろう。
では、今接近しつつあるのは誰なのか。
何となく、嫌な予感がした。
「ね、ねぇ、鬼堂君! こ、このページのここの部分、ちょっと、教えてくれないかな?」
灯香梨だった。
彼女は仲良しグループの友人達が送る物凄く心配そうな視線を背に受けながら、それでも妙に気合のこもった表情で頼み込んできた。
他のクラスメイト達からも、あんな奴に訊いて大丈夫かといわんばかりの不安に満ちた目線が浴びせられてくる。例外なのは礼司と裕太ぐらいであろう。
そんな中で徹郎は、まず灯香梨を一瞥してから、次いで彼女の仲良しグループの女子達に向けて顎でしゃくる仕草を見せた。
「俺に訊かんでも、あの子らに訊いたらエエがな」
「えっと、その、御免……あたしも、友達の皆もここら辺、全然分かんなくて……」
自信無さげに答える灯香梨に、徹郎はおいマジか、と訊き返しそうになった。
授業内容をしっかり聞いていれば然程に難しくはない筈なのに、何故揃いも揃ってこの体たらくなのか。
「自分ら先生の話、ちゃんと聞いてた?」
「う~ん……そのぅ……」
徹郎の心のツッコミは尚も止まらない。そこ、悩む必要あんのか、と。
ところがこの時、背中をつんつんと突いてくる感触が徹郎の注意を引いた。雪奈だ。
「あー、徹っちゃん、そこ、あたしも教えて欲しいかも~」
こいつもか――徹郎は露骨に渋い表情を浮かべた。が、雪奈の場合は分からなくも無い。彼女は背文字遊びや手紙爆弾などで、授業中の半分近くは徹郎相手に遊んでいる。
教師の話をろくに聞いていない場面があっても、決して不思議ではなかった。
(まぁこれぐらいなら別にエエか……)
内心で吐息を漏らしながらも、徹郎は黒板前に立って白チョークを手に取った。
すると灯香梨がぱたぱたと大急ぎで傍らに寄ってきて、真剣な眼差しで徹郎の手の動きを追い始めた。
「ほんなら最初に、授業で教えてもろた内容のおさらいやけど……」
まずオーソドックスな解法を説明。中学生卒業直後のレベルでも分かる様に、なるべく具体的に解説を加えてゆく。
すると灯香梨や雪奈のみならず、礼司や裕太、或いはそれ以外のクラスメイト達もふんふんと頷きながら徹郎の説明にじっと耳を傾けていた。
「……とまぁ、ここまでが標準的な解き方。せやけど実は、これには裏技もあってな……」
徹郎はCIA教育課程の中で学んだ解法を披露した。
すると、大半のクラスメイトはただ感心するばかりだったが、ひとりだけ、妙に興奮した様子で黒板に駆け寄ってくる姿があった。
矢崎奏恵、D組のクラス委員長だ。
長いストレートの黒髪と凛とした顔立ちで人気の女子生徒で、実は彼女も学年内トップクラスの美貌の持ち主である。このD組には美人が多いことで有名らしく、奇跡の1-Dなどと呼ばれたりしていた。
その奏恵が、徹郎の示す解法に物凄い勢いで食いついてきた。
「き、鬼堂君……これ、どこで習ったの?」
「いや、どこでって……別にこれぐらい、ちょっと考えたら思いつくやろて」
ところが奏恵は妙に熱っぽい表情で、じぃっと徹郎の黒縁眼鏡フェイスを凝視してくる。何をそんなに興奮することがあるのかと、徹郎は本気で訝しんだ。
「鬼堂君……君とは一度、じっくりお話したいな」
「その前に試験やろ。遊んでる暇無いんちゃうの」
徹郎はチョークを置いて教壇を下りた。
すると灯香梨が尚も追い縋る様にして、ちょこちょこと小走りで徹郎の後に続く。
「あ、あとね、こことここも……!」
「自分、ホンマにちゃんと授業聞いてたか?」
流石に呆れたが、こうなった以上は物のついでだ。徹郎は朝のホームルームが始まるまでの間、灯香梨の質問攻めに応じてやることにした。