11.再度の隔絶
五時間目が始まる直前に教室へと戻った徹郎。
そのまま自席に就くと、それまで他の席で仲良しグループの女子と会話に興じていた雪奈が、物凄い勢いで詰めよってきた。
「ちょっとぉ、ぼっち君……どこ行ってたんだよ~」
「昼飯喰いに行ってた」
徹郎はまともに取り合わず、教科書とノートを卓上に並べ始めた。
すると今度は別方向から、灯香梨が幾分むくれた表情で同じ様に詰め寄ってきた。
「もぅ、酷いなぁ鬼堂君。何も逃げることは無かったんじゃない?」
「いや、そらぁ逃げるやろ。あの女子連中は、あんたには仲の良い友達でも、スケコマシな俺にとっては敵やからな」
取り敢えず、こういっておけば理由付けにはなる筈だ。
ところが灯香梨は、そのことはもう解消済みだと意味不明な台詞を返してきた。
「谷岡君と桐島君がね、鬼堂君はホントはすっごいイケメンだから、態々力ずくで女の子を部屋に引っ張り込む必要なんか全然無いって話をしてくれてるの。あのふたりがいうとやっぱり、凄い説得力あるみたいだね。皆それで、完璧に納得してくれたよ」
その瞬間、徹郎は思わず凍り付いてしまった。
四人が徹郎の部屋を訪ねたことは既に周知の事実として広まってしまっているから、今更どうこういうつもりは無い。
が、徹郎の陰キャぼっちスタイルを根底から覆す様な話まで拡散させるとは、何を考えているのか。
あれだけ釘を刺しておいたというのに。
「あ、でもでも、谷岡君と桐島君を責めないで欲しいな。どっちかっていうと、あたしが皆に話して貰えないかなってお願いした様なものだし……」
つまり、元凶は灯香梨だという訳か。
徹郎は思わず天井を仰いだ。このままでは折角の防衛ラインが崩されてしまう、と。
しかし、すぐに発想を改めた。
百聞は一見に如かず、ともいう。
今クラス内に出回っているのは飽くまでも、礼司と裕太の言葉だけだ。
その一方で現物は相変わらず、黒縁眼鏡と野暮ったい髪型の陰キャぼっちオタクのスタイルを続けている。
これをこのまま維持し続ければ、いずれはあのふたりの言葉も実は嘘だったんじゃないかと認識される様になるだろう。
情報戦は諜報員の際たる武器だ。素人高校生如きに負ける訳にはいかない。
そうなると、邪魔になるのは矢張り、この美少女共だ。こ奴らが周辺に張りついている限り、現状打破は為らない。
ここはひとつ、正面突破を図るべきだろう。
「っていうか自分ら、もしかして俺に気ぃでもあんのか? どうしても付き合って欲しいんなら考えてやってもエエけど、もうちょっと誠意っちゅうのを見せて貰わんとなぁ。今の自分らで俺と釣り合おうなんて十年早いんちゃう?」
ここでズバリと切り込んだ。
その瞬間、室内がさぁっと冷たい空気に包まれた。あの陰キャぼっち野郎が、こともあろうに学年内でも上位十傑に入ろうかという美少女ふたりに対して、凄まじく上から目線でこんなけしからん台詞を発したのだ。
周囲からヘイトを稼ぐには、十分な効果があっただろう。
仮に灯香梨と雪奈が本当に徹郎を憎からず想っていたとしても、公の場で、こんなにも馬鹿にした様な形で発言すれば、ふたりは大いに傷つくかも知れない。
どう見てもキモオタ野郎の癖に、己の身を弁えぬ自意識過剰な発言で人気の女子ふたりを辱めた。これはもう完璧に状況を180度覆す一打になった筈だ。
そしてその効果はすぐに現れた。
「ちょっとさぁ……あんた、何様のつもり?」
まず灯香梨の仲良しグループの女子連中が詰め寄ってきた。
灯香梨本人は何故か頬を上気させて狼狽えているのだが、彼女の友人達は灯香梨を後方へ退がらせ、敵意剥き出しの表情で徹郎を取り囲んできた。
ここが勝負どころだ――徹郎は尚も不遜な態度で鼻を鳴らした。
「俺ホンマのこというただけやしぃ」
「うわ……サイッアク! 何それ、超キモいんですけど」
灯香梨の友人女子達は更に幾つか罵声を浴びせてから、微妙に涙目になっている灯香梨を匿う様にして距離を取っていった。灯香梨はそんな彼女らの為すがまま、徹郎の席から離れてゆく。
一方、雪奈については男子生徒らが彼女を守る盾になろうとしていた。
「なぁお前……谷岡と桐島が庇ってくれてるからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ」
「もし花辻や大塚に余計なちょっかい出したら、俺らが黙ってねぇからな」
クラスの男子生徒のほぼ全員が敵に廻った。
礼司と裕太には申し訳無いが、他者との関りを極力回避する為には、もうこうするしかない。
徹郎は尚も憎たらしい素振りを崩さず、男子生徒達をあからさまに無視する態度を貫いた。
その男子生徒らの壁の向こうで、雪奈が困惑の表情を浮かべている。
これ程の険悪な空気を作り出したのだ。如何に真後ろの席だとはいえども、雪奈も昨日までの様なフレンドリーな態度は取り辛くなるだろう。
(悪いけど、あんたらがどうしても離れるつもりが無いっちゅうなら、こうするまでや)
これでもう、愛想が尽きただろう。
灯香梨にしても雪奈にしても、ここ一週間程の間に少しばかり接触する機会が多かっただけだ。灯香梨が感じている恩義も、雪奈がいう飯友も、どうせすぐに消えてなくなる。
人間の感情などというものは、移ろいやすい。こちらが悪意を以て突き放せば、もう二度と近付きたくなくなるだろう。
伊達に十年もの間、心理戦の訓練を受けてきた訳ではない。
勿論、彼女らに申し訳無いという気持ちが全く無いかといえば、それは嘘になる。少しでも好意を以て接してくれようとしたことには、多少ならず感謝の念はあった。
だが、相手が悪い。
自分はいずれ、CIAの正規諜報員としてこの国の裏側で動くことになる。ここで下手に友人関係を築いてしまえば、彼女らにもいずれ不幸が忍び寄る。
(流石にそれは、申し訳無いわな)
自分は、陽の当たる世界では生きられない人間だ。
早い段階で決別しておく方が、後々気が楽というものであろう。