10.ワンダリング陰キャ
翌日以降も、徹郎は従来のスタイルを貫き続けた。
登校して自席に就き、朝のホームルームが始まる前に一時間目の準備をさっさと済ませる。
相変わらずクラスメイトの一部からは奇異の視線が飛んでくるが、しかしその中に含まれる感情には、どういう訳か別の色が混ざり始めている様な気がしないでもなかった。
(まさかあいつら、余計なこと喋ったんとちゃうやろな)
徹郎は前の方の席に居る礼司に目を向けた。すると礼司の方も徹郎からの視線に気づいたらしく、彼は黙って廊下を指差した。ちょっと向こうで話をしようという合図らしい。
矢張り何か喋ったのか――徹郎は再度釘を刺すべく無言で立ち上がった。すると、後ろの席で他の女子と他愛も無い会話に興じていた雪奈が、同じ様に腰を上げた。
「あー、ごめーん。ちょっと席外すねー」
などといいながら、徹郎の後に続いて廊下へと出てくる。
そんな雪奈の足音を背後に聞きながら、徹郎は先に出て待ち構えていた礼司の隣に歩を寄せた。
「あんだけいうたのに……要らんこと喋ったんか」
「いや、俺達は何もいってない」
礼司は複雑そうな面持ちで頭を掻いた。
すると雪奈が、礼司の為に助け舟を出してきた。
「えっとね、さっきあたしの友達から聞いたんだけど……先週、あたしら四人がぼっち君のマンションから出てくるとこを、他の子に見られてたんだって」
一週間前、徹郎は四人をマンションのエントランス外にまで態々足を運んで見送っていた。
その光景を雪奈のグループの女子生徒が偶々目にしていた様だ。
そして彼女の目撃談はじわじわと広がり、徹郎が高級マンション住まいであることや、クラスのイケメンふたりと学年上位の美少女ふたりが揃って遊びに行っていたことなどが大きな話題となっているとの由。
明らかに住む世界が違う筈の根暗なぼっちが、実はハイスぺ家庭の御曹司なのではという噂まで出回り始めている。
これには徹郎も頭を抱える思いだった。
更にいえば今この瞬間も、礼司や雪奈と廊下で普通に言葉を交わしている徹郎に対して、クラスメイト達から興味津々の目線が向けられている。
流石にこれ以上は、拙い。
「そんならしゃあないな……疑って悪かったわ、御免な」
「いや、それは別に良いんだが……しかし、そのうちバレるんじゃないか?」
礼司は、徹郎の陰キャぼっちスタイルがいずれ通用しなくなるといっているのだろう。
確かにそれは、拙い。拙いのだが、今すぐに対策が思いつく訳でもない。
「まぁそこら辺はまたおいおい考えるわ……取り敢えずここは解散。これ以上じろじろ見られんのも敵わん」
徹郎は踵を返して教室内へと戻る。勿論その際も矢張り視線はあちこちから飛んできているのだが、それ以上に徹郎が困ったのは、雪奈が徹郎の背中に両掌を当て、ぐいぐい押してきていることだった。
「っていうか自分、何してんのよ」
「飯友同士のスキンシーップ、だよ。気にせずに前を向くのだ、ぼっち君」
徹郎は内心で頭を抱えた。こいつ、ひとの話ちゃんと聞いてんのか、と。
◆ ◇ ◆
昼休みになった。
徹郎は今日も屋上へ足を向け、明るい陽射しのもとでさっさと昼食を済ませようと考えた。
ところが、何故かそこには本来居る筈の無い顔ぶれが普通に居揃っていた。
「……自分ら、ここで何してんの」
「え~? 何って、お昼だよ」
鉄柵の基礎部分をベンチ代わりにして腰を下ろしている雪奈が、さも当然の様に応じた。ミニスカートの裾から伸びる白い両脚を無造作に放り出し、菓子パンを一個だけ手にしている。
だがこの日は、彼女だけでは終わらなかった。その隣に、灯香梨までが居座っていた。
「良い天気だよね~……ってか、早くこっちおいでよ」
雪奈の隣で、ここに座れとばかりに自身のすぐ傍らの鉄柵基礎部をぺちぺちと叩く灯香梨。
そんな灯香梨に、徹郎は虚無の表情を返した。あれだけ学校ではぼっちを貫くと宣言していた筈なのに、何を考えているのだこの女子共は。
と、その時、階段室の奥から別の声が飛んできた。
「あれ~? あかりん、屋上に居たんだ~」
確認するまでも無く、灯香梨と同じ仲良しグループの女子達だった。
徹郎は咄嗟に決断した。ここは絶好のチャンスだ、と。
灯香梨も友人を無視することが出来ず、若干引きつり気味の笑みを浮かべて手を振っている。この瞬間、徹郎は踵を返して件の女子達と入れ替わる格好で階段を一気に駆け下りた。
少なくとも灯香梨は、追ってくることは出来ない筈だ。仲良しグループの友達を放り出してまで陰キャを追ったとなれば、後々学校生活が苦しくなるだろう。
そして雪奈も、あの場に釘付けとなっているものと考えられる。
ふたりが並んで腰かけている場面を灯香梨のグループの女子達があれこれと問いただすだろうから、その場を強引に突破しない限り、雪奈もあの場を脱することは不可能だ。
後は徹郎自身が新天地を求めて彷徨うだけである。
どこか、陰キャに相応しいランチスペースは無いだろうか。
(お……ここ良さげやな)
徹郎は校舎裏手の非常階段降り口に辿り着いた。
裏庭の日陰になる場所で、この季節にしては幾分冷える所為か、用事が無い限りはほとんど誰も足を運ばないものと思われる。
ひんやりと冷たい感触が伝わってくる非常階段の下から三段目に腰を落ち着け、徹郎はエコバッグの中から握り飯を取り出した。
(ここが安住の地……にはならんかな)
ほっとしたのも束の間、握り飯を喰い始めたところでふたつの足音が近づいてきた。
男女のペアだった。
後で知ったことだが、この日陰に覆われた校舎裏は校内でも有名な告白ポイントなのだそうな。
しかし徹郎は諜報員候補生。気配を断ち切るのはお手の物だ。
(あんな奴らの為に、こっちが態々退いてやる必要も無いしな)
誰がどこで告白しようが知ったことではない。徹郎はそのまま、握り飯を喰い続けた。