後編
「なぜだ……なぜこうなったんだ──」
「自業自得ではございませんか? 殿下」
王城の執務室で頭を抱える彼に、私は蔑みの目を送った。
「誰が俺を裏切ったんだ! まさか……」
殿下の瞳が私を見上げている。
「裏切ったなどと、人聞きの悪い。私は最初から、殿下の味方などではないのですから」
「リヴィ……っ?!」
私を“リヴィ”と呼ぶ人物の、疑心と怒りに満ちた顔。むしろ怒っているのは、私の方なのよ。
「あなたに愛称を許可した覚えはございませんわ。グレゴアール王子殿下」
そう……私をリヴィと呼んでいいのは、この世でただ一人だけ。
その時、執務室の扉が開いて、二人の人物が現れた。
「兄上のやり方では国が滅んでしまう。だから俺が王位を継承する必要があった」
颯爽と登場するオスカー様。その後ろには、私の大親友カロラインの姿も。
「オスカー!! 貴様、よくも俺の王位継承権を!」
「兄上が悪いんでしょう。何人もの女にうつつを抜かし、高価なプレゼントを贈り続けていた」
「それがどうした! 贈り物くらい、なんの問題もないだろう!」
グレゴアール様の言い分に、オスカー様はハァッと息を吐き出して首を横に振る。
ああ、オスカー様のこんな表情も素敵よね。
「自分のポケットマネーでする分なら問題ない。けれど兄上は国民の血税を横領し、その金で豪遊していただろう」
「なっ、どこにそんな証拠が!」
グレゴアール様の怒りの声に、よくもまぁ被害者面できるものだと私は呆れる。
「それはもちろん、わたくしが証明できますわ。この二年の我がペレグリン領の納税額と、実際に納められた額を照査すれば一目瞭然ですもの」
私がグレゴアール様を見下すと、彼は顔を上げてニヤリと笑った。
まぁなんて悪そうな顔。悪い人なのだけれど。
「俺は証拠と言ったんだ。その納税証明書はこの世にもうなく──」
「これでございますわね?」
ペラリと毎月の納税を証明する紙を取り出してみせると、グレゴアール様の顔色が一気に悪くなる。
「それは燃やせと……!」
「まぁ、そうでしたの?! いつもあっちを頼むとしか言われなかったものですから、てっきり大事に保管しておけということかと」
「そんなわけがあるかー!!」
「きゃあ!」
なんて。驚いて見せたけれど、結果はわかっている。
私を殴ろうとしたグレゴアール様のへなちょこ拳は、オスカー様の鍛えられた手によって鷲掴みにされた。
「い、いたたたた!! やめろ、オスカー!!」
「兄上こそ、俺の婚約者に手を出すのはやめてもらおう」
「婚約者、だと?」
オスカー様が手を離し、グレゴアール様は右手をさすりながら笑っている。
「オスカー、お前はまだこの女を自分のものだとでも思っているのか? 自分から婚約破棄したくせに!」
「少なくともリヴィは、兄上の婚約者ではない」
「もう落ちる寸前だった! この女にいくら注ぎ込んだと思っている!! 俺のものも同然だ!!」
勝手に贈り物をしておいて自分のものと勘違いされるなんて、まっぴらごめんだわ。
「こう言っているが? リヴィ」
「そんなわけはありませんわ。わたくしはオスカー様の婚約者ですもの」
そう言ってオスカー様の隣に立って寄り添って見せる。オスカー様が優しく私の肩を抱いてくれるのは実に二年ぶり。
ああ、幸せ。
「オスカー、お前は……そこの男爵令嬢と結婚するんじゃなかったのか!!」
「うふふ、いやですわぁ。グレゴアール王子殿下」
後ろに控えていたカロラインが、口元を扇で隠しながら言葉を放った。
「わたしのような能のないただの男爵令嬢に、賢明なオスカー王子殿下が相手をするわけがありませんわぁ」
「カロライン、能がないなんて言わないで。あなたの演技にはわたくしも舌を巻いてしまったわ」
「あらぁオリヴィア様にそう言ってもらえたなら、他の女を寄せ付けない役を演じた甲斐がありましたわね。うふふ」
「演技、だと……?」
驚くグレゴアール様をよそに、私はオスカー様の美しい藍の瞳を見上げる。
「だけどオスカー様? カロラインに胸を押し付けられて、鼻の下を伸ばしてらしたわよね?」
ぷくっと頬を膨らませて見せると、オスカー様はほんの少し眉を寄せた。
「鼻の下を伸ばした覚えなんかないぞ。そう見えたか?」
「見えましたわ。わたくしにはないものをカロラインは持っていますもの。わたくしよりカロラインの方が、本当は……」
「それ以上言うな、怒るぞ。俺は君が婚約者になった時から、リヴィしか見えていない。裏切るわけもない」
「オスカー様……」
ゆっくりと唇が降りてきて、私はそれを受け入れた。
二年ぶりのキス。ああ、幸せ。
「ぐ、う……お、お前らぁ……」
恨みのこもった声に、オスカー様はさらに私を抱き寄せた。
「俺の婚約者だというのに、兄上はずっとリヴィを狙っていたな」
「それを利用させてもらいましたわ。グレゴアール様の不正を暴き、王位継承者の座から引きずり落とすために」
「すまない、リヴィ。そのために二年もつらい思いをさせてしまった」
「オスカー様、あなたのためならどんなことだって耐えられますわ」
ことの始まりは、国王陛下が体調不良で寝込まれた十年前に遡る。
当時十七歳だったグレゴアール様が本格的に国政に携わり始め、国はゆっくりと崩壊し始めた。
このままではいずれクーデターが起こってしまうだろう。それを懸念したオスカー様は、湯水のように湧き出てくるグレゴアール様のポケットマネーに着目し、不正を暴き王位継承権を剥奪させることを決められた。
仮初の婚約破棄や、ペレグリン侯爵家に潜入する計画を立てたのは私。
オスカー様には危険だし離れたくないと反対されたけれど、私はオスカー様に王位を継いでもらいたかったから、なんでもしたわ。
結果は見事大成功。
奥様と旦那様は、領民の血税がグレゴアール様に使い込まれていたことを知っていた罪悪感から、あんなに偏屈になってしまっていたのね。
王家からの圧力に逆らえず、見て見ぬふりを続けたことを罪と呼ぶにはかわいそうだけれど。オスカー様なら恩赦があるわ。本当は気が弱いだけの優しいご夫婦だもの。
「もちろん俺も、この二年間なにもしなかったわけじゃない。兄の息の掛かった者を少しずつ入れ替え、買収されていた者たちも突き止めた。不正に関与していた税務官も燻り出し、処罰を下す算段はつけてある」
「な、そんな、俺はなにも……」
「もう継承権は剥奪されたんだよ、兄上。そしていつまでも王族でいられると思わないことだ」
「……っ」
オスカー様の言葉に、グレゴアール様は池の鯉のように口を動かすだけで言葉は出てこない。
国民から税を搾り取り、まともな国政をせずに役人もやりたい放題。
それでもクーデターが起きなかったのは、オスカー様と私が走り回っていたからなのよ。感謝してもらいたいくらい。
「くそ……! せめてお前に貢いだ宝石やプレゼントを返せ! オリヴィア!」
見苦しく縋りついてくるグレゴアール様を、私はさっと振り払った。
「あれを売ってご自分のお金にするなどという浅ましいことはおやめくださいませ。あなたから頂いたプレゼントは当然、証拠として提出しておりますの。他に貢いでいた女性へのプレゼントも押収されているはずですから、どこに行っても無駄ですわ」
「勝手なことを!」
グレゴアール様がこめかみに青筋を立てている。勝手をしているのはどちらなのかと、私の血管もプチと音を立てた。
「元々あのプレゼントを買ったお金は国民の血税ではありませんか! いい加減になさいませ!! その分のお金は、いずれ国民に還元すると決めております!!」
「う……」
私の迫力が怖かったのか、グレゴアール様は肩を落として魂が抜けたようにへたり込んだ。
そんな姿を見下ろしていると、隣にいるオスカー様がおかしそうに、そして嬉しそうに笑った。
「ははっ、さすがだよ、リヴィ。俺の目に狂いはなかった」
「オスカー様……」
少し恥ずかしかったけど、オスカー様に喜んでもらえたのなら言った甲斐がある。
「ふふ、やっぱりオスカー様のお隣には、オリヴィア様が一番お似合いですわぁ!」
振り向くと、カロラインが屈託のない笑顔を見せてくれた。
彼女が協力してくれたおかげで、オスカー様に別の誰かを婚約者にあてがわれることもなかったのよ。感謝しかないわ。
「カロライン、ありがとう……二年もの時間を犠牲にしてくれて。オスカー様とは別れるという筋書きだというのに協力してくれたこと、感謝しかないわ」
「かまいませんわぁ! たかだか男爵令嬢だったわたしが、一時期でも王子様の婚約者候補だったなんて、箔がつきますもの!」
「ありがとう……でもカロライン、オスカー様に胸を押し付け過ぎでしたわ!!」
「わ、わざとじゃありませんわよぉ。わたし大きくって、寄り添うと当たってしまったんですわぁ!」
「……まぁその大きさじゃ仕方ないわね……」
「それよりわたし、懸想している方がいますの! すべてが終わったら、オスカー様がその方を紹介してくれる手はずになっていますのよ。楽しみですわ!」
「あら、そうだったのね! この二年、まったくお話もできなかったから、色々聞くのが楽しみだわ」
きゃあきゃあと二人で盛り上がっている間に、オスカー様の手配した騎士たちがグレゴアール様を連れて行った。
王族という肩書きも失い、どこかに追放されるのだろう。
この二年、さりげなく改心のチャンスを与えていたというのに変わることがなかったのだから、自業自得ね。
「すべての膿は出し終えた。だがこれからだ」
オスカー様の意思ある言葉に、私は首肯した。
国民の信用は落ちている。それを取り戻すためには、膿を出しただけでは回復しない。
藍色のオスカー様の瞳が、私の視線と重なる。
「リヴィ。国の繁栄と国民の幸せのために、俺とともに人生を歩んでほしい」
いつも国民の幸せを願っていたオスカー様。
その夢をともに歩めるだなんて、こんなに嬉しいことはないのよ。
「もちろんですわ。この国の民とオスカー様の幸せのためならば、わたくしはなんだって致しますわ」
「ありがとう、リヴィ。君のことも必ず幸せにする」
「オスカー様……」
降りてきた唇を、愛してるの言葉とともに受け入れる。
きっとこの国は平和を取り戻し、栄華を極めるに違いないわ。
賢人であるオスカー様が王となり、わたくしが支えていくのだから。
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