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しろくま

しろくま写真

作者: 相沢ごはん

pixivにも同様の文章を投稿しております。


(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)

1.霊感はない


 研究室の扉を開くと、しろくまがいた。自分が一番乗りだと思っていた俺は少しがっかりする。

 白島大学の研究室の朝はそれぞれだ。夜が明けぬころに研究室に出てくる者もいれば、昼過ぎまで出てこない者もいる。研究室ごとに多少の違いはあるのだろうが、白島大学の大学院生たちは、だいたいが自分勝手だ。

「早いな、しろくま」

 そう言うと、

「あー、ちがうよ。ちがう。泊まりこみ」

 しろくまはのんびりとした口調で答えた。

「なんか急ぎの作業があったかな」

「んーん。あれだよ。一時間ごとに確認しなきゃいけないやつ」

「ああ、あれか」

 うなずいて、俺はロッカーから白衣を引っ張り出す。

「ヒオさん、それ、そろそろ洗濯したほうがいいんじゃない?」

 しろくまが俺の白衣を見て言った。

「白衣じゃなくなってきてるよ」

 俺は自分の白衣を見下ろしてみる。確かに、少し薄汚れているかもしれない。

「おまえも、毛がちょっと黄色っぽくなってるぞ」

 しろくまの腹のあたりを示して、

「しろくまじゃなくなってきてる」

 言い返すと、

「えー」

 呟きながら、しろくまは先程の俺と同じように自分の身体を見下ろす。

「やだなー。毛の中に汚れが入っちゃったのかなー」

 間延びした声で言うしろくまに、

「今晩あたり、いっしょに銭湯にでも行くか?」

 と提案すると、

「でも、おれ、お湯はちょっとねえ」

 しろくまはそんなことを言い、渋っている。

「水風呂もあるよ」

「本当? じゃあ、行こうかなー」

 他愛もない会話をしていると、次々に人がやってくる。

「おはざまーす」

 そう言って、入ってきたムジカは、

「ヒオさん。はい、これ」

 と、心霊写真を手渡してくる。信じられないことに、これは日課である。

 ムジカは学部生だが、小学生か中学生に見紛われるような幼い外見をしている。年中、膝丈のハーフパンツという服装と、黒い坊ちゃん刈りという髪型のせいもあるのかもしれない。ムジカはこの研究室の主である彦根先生のゼミに所属しており、よく研究室に遊びにくる。

「あんまはっきり写んないんですよねー」

 なんでかなーと言うムジカに、

「心霊写真て、だいたいそんなもんなんじゃないの」

 しろくまがもっともなことを言っている。

「おまえが毎日毎日心霊写真を持ってくるせいで、俺のデスクの引き出しが泡吹いてんだけど」

 ムジカに苦情を言うと、

「データは取ってあるんで、いらなかったら捨ててくださいよ」

 ムジカはけろりとして言う。

「捨てられるわけがないだろう」

 思わず言う。

「いや、こわいって。うかつに捨てたら、祟られたり呪われたりしそうじゃん」

「そんな非科学的なこと、あるわけないじゃないですかあ」

 ムジカは笑うが、だったらおまえが毎日毎日撮ってくる心霊写真は一体なんなんだ。

「もしかして、これ合成?」

 しろくまがムジカに尋ねる。

「あ、なるほど。合成なのか」

 なんだ、合成か。よかった、捨てよう。すぐに捨てよう。そう思っていたら、

「しろくまさん、なんて失礼な! マジもんですよ」

 ムジカがぷりぷりと怒って言った。

「やっぱ、マジもんなのかよ」

 捨てられないじゃないか。

「なんて非科学的な」

 俺としろくまは顔を見合わせる。

「ここ、ヨミちゃんの椅子の下に女の子がいるでしょ」

 ムジカが、俺の持つ心霊写真を示して言う。ヨミちゃんというのも、ムジカと同じ学部生だ。ムジカが示した写真には、学食で定食を食べているヨミちゃんの全身を真横からとらえた姿が写っている。その椅子の下に、なるほど、女の子らしき人物がまんまるにうずくまったような姿勢でもやっと写り込んでいた。

「この子がもっとはっきり写ればよかったんですけどね」

「霊がはっきり写っていいことなんてあんのか?」

「いいわるいじゃなくて、趣味なんで」

 そう言って笑うムジカの後ろに、いつの間にかヨミちゃんが立っていた。

「ふぶっ」

 ブーブークッションのような音を口から出して前のめりに倒れたムジカを、しろくまがさすがの安定感で抱きとめる。ヨミちゃんが、ムジカの背後から蹴りを入れたのだ。

「おまえの気味わるい趣味に、おれを付き合わせんなや」

 ヨミちゃんは抑揚のない低い声で言う。お人形さんのように可愛らしい顔からは想像のつかないような低音を、ヨミちゃんの口は発する。

「知らん間に心霊写真撮られてるとか、こわすぎるやろ」

 舌打ち交じりに言うヨミちゃんは、眉ひとつ動かさず、しろくまに抱かれたままのムジカの背中に再度軽く蹴りを入れた。

「痛いよ、ヨミちゃん」

 ムジカはしろくまの、黄色く変色しかけた腹にしがみついている。

「ヨミちゃんも、心霊写真こわいんだ」

 思わず呟くと、

「こわいでしょ、普通」

 ヨミちゃんは言った。

「ムジカが普通じゃないんだって」

 しろくまが笑う。



2.牛乳が好き


 がぽっと頭を外したしろくまは、脱衣場の床にそれを置き、次に胴体を脱ぎ始める。頭を外したしろくまのティーシャツと薄茶色の髪の毛は、汗でしっとりと湿っていた。

 皮を脱いだしろくまは、意外と痩せている。

「これ、中で洗ってもいいですか? 他のお客さんの邪魔にならないようにするんで」

 脱いだばかりの皮を示して、しろくまは番台さんに尋ねている。

「いいけど、床を濡らさないようにしてよ」

 番台さんが答えた。


 銭湯の浴場の隅で、しろくまはシャワーで自分の皮を洗い始める。

「手伝おうか」

 と言った俺に、

「んーん、だいじょうぶ。ヒオさんは先に入っててー」

 しろくまは笑って言った。薄茶色の髪の毛と、薄茶色の瞳と、真っ白な肌。皮を被っていないしろくまも、それはそれで色素が薄い。俺は先に頭と身体を洗い、湯船に浸かる。


「ヒオさーん、水風呂どれー?」

 しばらくして、皮だけでなく自分自身も洗い終わったしろくまが俺に声をかけた。

「そっちの」

「あ、これ?」

 しろくまは爪先からゆっくりと水風呂に浸かり、「うあー」と気持ちいいのかつらいのか判別のつかない声を上げた。

 浴場の隅に転がされたしろくまの頭と皮を見て、おじいさんがぎょっとしている様子を眺め少し笑ったのち、俺は目を閉じる。熱い湯に、固まっていた筋肉がほぐれていくような心地がして気持ちがいい。

「ヒオさん、こっちのは?」

 言われて目を開けると、しろくまが、水風呂の隣、小さな白濁の湯船を指差している。

「それは薬湯」

「はあん」

 しろくまは妙な相槌を打った。

「入るとどうなるの?」

 しろくまが言う。

「健康になるんじゃね?」

 俺は答える。


 脱衣場の大きな扇風機の前で、しろくまは俺が買ってやった牛乳を飲んでいる。その隣で、俺はコーヒー牛乳を飲む。

「あー、さっぱりしたー」

 しろくまは言った。

「そういや、おまえ徹夜明けだもんなあ」

「うん」

 しろくまはうなずき、

「ヒオさん、牛乳もう一本買ってー」

 と、ねだる。

「皮が乾くのに、まだ時間かかるんだって」

「へーへー」

 俺は販売機に小銭を投入し、窓を開いて牛乳を取り出す。

「ヒオさん、ありがとう。銭湯よかった。おれ、食わず嫌いだったねー」

 しろくまが言った。

「そりゃよかった」

 俺は扇風機の風に吹かれて丸出しになった、しろくまの、ゆでたまごのようにつるんとしたおでこを見ながら答える。



3.実は普通


 俺のデスクの引き出しが、とうとう閉まらなくなった。ムジカの持ってくる心霊写真が、増えすぎたのだ。昼休み、生協でアルバムを買ってきた俺は、不本意ながら心霊写真の整理をすることにした。

 研究室でひとり、せっせと作業をしていると、

「こんにちはでーす」

 タイムリーにムジカがやってきた。片手に生協のパン屋の紙袋を下げている。ここで昼食をとるつもりなのだ。

「なにしてんすか?」

 俺の手元を覗き込んで言うムジカに、

「おまえの趣味の心霊写真を整理してんの」

 答えておいて、俺はムジカの持っている紙袋を引ったくり、中身を確認する。

「チキンカツサンドもらうぞ」

「あ、ヒオさん、ひどい」

 そう言いながらもムジカはそれ以上の文句を言わなかったので、俺は遠慮なくチキンカツサンドを頂戴する。

「データはちゃんと取ってあるんだから、プリントしたものは捨てちゃっていいのに」

 ムジカはそう言うが、やっぱり捨てられない。これは気持ちの問題だ。

 なんとかアルバムにおさまった心霊写真を眺めながら、俺はあることに気付いた。

「おい、ムジカ。もしかして、これ全部同じ子?」

 ムジカの撮った心霊写真、今までこわくてまともに見ていなかったのだが、整理してみて初めて俺はそれに気付いた。

 被写体はやはりヨミちゃんが多い。しかし時々、俺やしろくまもメインで撮られている。いつの間に、と思いながらも、それらの写真すべてに写り込んでいるもやっとした霊が、どれも同じ女の子のように思えたのだ。

「わはんないんふよねー」

 ムジカはシュガーデニッシュを頬張りながら答えた。

「わかんないんすよ」

 飲み込んで、言い直す。

「もっとはっきり写ってくれればいいんですけどね」

 ムジカは一瞬、真剣な表情になり、「もしかしたらなんですけど」と言う。

「その子、オレの妹かもしんないんです」

 え、と思い、何かを言おうと口を開きかけた瞬間、

「そんなことより、ヒオさん、しろくまさんと銭湯行ったでしょ」

 話題を変えられてしまった。

「うん、行った」

「しろくまさん、どんな顔してました?」

 ムジカに言われ、あれ、ムジカはしろくまの顔を知らなかったんだっけ、と俺は内心で首を傾げる。しろくまの顔は、そんなに珍しいものでもないはずだ。

「別に、普通の顔だけど」

「超絶美形とか、超絶不細工とかじゃないんですか」

 ムジカは興味津々という様子を隠そうともせず、質問を重ねてくる。

「いや、いたって普通。まあ、いつもよりちょっと痩せてて、色素も薄いけど」

 えー見たいなー気になるなー、とムジカがうるさいので、

「そんな気になるなら、一度しろくまといっしょにごはんでも食べたら?」

 と言ってやる。

「へ、なんでですか」

 ムジカは気の抜けたような返事をした。

「ごはん食べる時、あいつ頭取るもん」

「えっ」

 そう叫んで、ムジカは、

「しろくまさん、学食にいるかなあ!」

 と研究室を飛び出して行った。

 俺は心霊写真のアルバムを、研究資料と一緒に本棚におさめる。



4.写らないこともない


 研究室の扉を開けると、ヨミちゃんがいた。ヨミちゃんは、俺が整理した心霊写真のアルバムをテーブルに開き、無表情に眺めている。

「ヒオさん、ようこんなにちゃんと整理しましたね」

 ムジカに聞いたのだろう。アルバムを捲りながらヨミちゃんが言った。ヨミちゃんの、お人形さんのようにぱっちりとしたまんまるい目が、くるりと動いた。その動作すら、なんだか人形じみて見えるのは、ヨミちゃん自身の感情の露出が乏しいからかもしれない。

「止むを得ずだ。引き出しが閉まんなくなったんだよ」

 俺は答える。

「しっかし、こんなにいっぱい写真撮られてるとは思わんかった」

 呟くように言うヨミちゃんは、やはり無表情だ。

「しかも、どれもこれも心霊写真やし」

 こわいなあ、とヨミちゃんは言う。

「あ、ねえヨミちゃん。それ全部、同じ女の子に見えるよね」

 俺の言葉に、ヨミちゃんは一度顔を上げ俺を見て、再びアルバムに視線を落とす。

「そうですかね。どうやろ。もやっとしててわかりにくいですけど」

 無表情にヨミちゃんは言った。じっくりじっくりアルバムを眺め、ヨミちゃんは息を吐いた。

「えー、わからんなあ。もっとはっきり写ってくれたらええのに」

「ヨミちゃん、ムジカと同じこと言ってるぞ」

「うわあ、ほんまや」

 ヨミちゃんは微かに顔を歪める。

「ムジカが言ってたんだけど、その子、ムジカの妹かもしれないって」

 何か知ってる? とヨミちゃんに尋ねると、

「そういや、ムジカが小学生のころ、妹さん事故で亡くなったって」

 ヨミちゃんは言った。

「はー、そうか。妹さんなんか」

 ヨミちゃんは、自分の肩の上や、脚の間に写り込んでいるもやっとした女の子を、大きな目でじっと見つめる。

「いや、まだ、『もしかして』とか『かもしれない』段階みたいよ」

 俺は、一応そう付け加える。なにせ、心霊写真はもやっとしているのだ。

「あ、ねえ、ヒオさん。これ、しろくまさんも写ってるでしょ」

 ヨミちゃんが、ふと気付いたように言った。

「白熊って、写真に写らへんことなかったでしたっけ」

「うわっ、なにそれ、なにそれ。こわい話?」

 俺は思わず身構える。

「いやいや、ちゃうくって」

 ちょっとパソコン借りていいですか、とヨミちゃんが言うので、俺はうなずく。

 ネットで何やら検索していたヨミちゃんは、

「ああ、赤外線カメラと雪の反射光っていう条件付きやった」

 と呟いた。

「なになに、どういうこと?」

 俺はパソコンの画面を覗き込む。

「体温が殆ど外に逃げないため、体から輻射される赤外線の量が非常に少ない。この特性から、赤外線カメラによる空中撮影の際は雪の反射光に遮られる為、ほぼその姿を捉えられないことが知られている」

 ヨミちゃんが、ウィキペディアの説明を読んでくれる。

「へー、そうなんだ」

 おもしろいな、と思っていたら、

「おもろいですよね。冬になって雪が積もったら試してみましょうよ」

 ヨミちゃんが言う。

「空中撮影って、どうやんの」

「屋上からいけるんちゃいます?」

「でもまあ、あいつ、しろくまの皮被ってるけど中身は人間だし、普通に写りそうだけどね、写真」

 そう言った俺を、

「えっ」

 と、いつもより数段階高いトーンで叫んだヨミちゃんが目を見開いて凝視してくる。

「なに、どうした?」

 あまりの勢いに、若干身を退きながら尋ねると、

「しろくまさんて、人間なんですかっ」

 ヨミちゃんは唾を飛ばしながら言った。

 知らなかったのか、と俺はヨミちゃんの頭に、ぽんぽんと手をのせる。



5.たまには怒る


 俺としろくまが作業をしている横で、彦根先生が煙草をふかしている。

「ちょっと、せんせー。いまから火気厳禁だからね」

 しろくまが言う。

「はーい」

 彦根先生は酒と煙草ですっかり潰れてしまった声で返事をした。しろくまは窓を開け、念のための換気に取り掛かる。

 彦根先生は、この研究室の主であり、ムジカやヨミちゃんの所属するゼミの担当准教授でもある。

「このアルバムなに? 見てもいい?」

 俺のデスクの上に出したままにしていたアルバムを見つけたらしい彦根先生が言った。

「どうぞ」

 俺はちょうど手が離せない作業をしていたため、何も考えずにそう答えた。

「ふーん、ヨミの写真がめちゃくちゃ多いな。ムジカが写ってんのが一枚もないよ。あー、そうか。全部ムジカが撮ってんのか。おまえら、今度、ムジカの写真も撮ってやれよ」

 彦根先生のひとり言が聞こえてくる。

「てか、これなんでどれも隠し撮りっぽいの?」

 半笑いな口調で言った彦根先生が一瞬黙り、

「おい、ヒオ!」

 俺のところへ駆け寄ってきて作業台を揺らしたものだから、検体がこぼれてしまい、午前中から必死こいてやってきた今までの作業が無駄に終わってしまった。

「先生、なんてことすんですか……」

 呆然としながら俺は彦根先生の白衣の襟首を掴む。

「ここまでくるのに、何時間かかったと思ってんですか!」

「そんなことより、ヒオ。これ、なんか女の子みたいなのが写り込んでる!」

 彦根先生は焦ったように俺にアルバムを見せてくる。

「ほら、この写真、ここ。うわ、あれ、こっちのも」

「全部心霊写真ですよ」

 気持ちを切り替え、こぼれた検体を拭き取りながら俺は答える。この先生に、いくら文句を言っても無駄だということを思い出したのだ。

「え、全部?」

 彦根先生は、アルバムをパラパラと捲る。

「本当だ。全部もやっとしたのが写ってる。なんでこんなの集めてんの」

「俺が集めてるんじゃなくて、ムジカが集めてるんです」

「なんで?」

「趣味で」

「趣味って、おい。ムジカは大丈夫なのか。ヒオ、おまえ、もっと明るく健全で素敵な趣味を紹介してやれよ」

 言いながら、彦根先生は煙草を咥え、マッチを擦った。あ、と俺が口を開いた瞬間、マッチがボフッと音を立て、一瞬で燃え上がり灰になる。

「あっつ!」

 彦根先生が叫ぶ。

「あっぶな……か、火気厳禁っつったじゃん!」

 しろくまが、珍しく怒っている。

「彦根せんせいは、せんせいなんだから、もっとちゃんとしてよ!」

「言ってることはもっともだが、しろくまの皮被ってるやつに言われると、なんだか釈然としないな」

 彦根先生は水道の水で指を冷やしながら、ぼそぼそとそんなことを言う。

「せんせい、これを機に禁煙したら?」

 しろくまが言った。

「したいとは思ってる。いつも、そればっかり考えてる」

 彦根先生はマッチ箱を白衣のポケットにしまいながら答えた。

 彦根先生がいないほうが作業が進むなあ、と思ったが俺は言わなかった。それなのに、

「せんせいがいないほうが作業が進むよねー」

 未だ腹を立てているらしいしろくまがこちらにナチュラルに相槌を求めてきたものだから、俺は目を泳がせてしまう。



6.やっぱり普通


「普通ですね」

 頭を外していただきますをしたしろくまを見て、ムジカが言った。

 夕暮れ時の学食。俺としろくまとムジカとヨミちゃん、四人で早目の夕食をとっている。この前、ムジカは結局しろくまの素顔を拝めなかったらしく、今日はしろくまの顔見たさに俺たちの夕食にくっついてきたのだ。ヨミちゃんもしろくまの中身に興味があるらしい。もくもくと定食を食べるしろくまのほうへ、ちらちらと視線を送っている。

「ほんまに人間やった……」

 ヨミちゃんが小さく言ったのを、俺は聞き逃さなかった。相変わらずの無表情だが、心なしかがっかりしているように見える。ヨミちゃんは、結構メルヘンなやつだったようだ。しろくまだけが、普通に飯を食っている。

「みんなでごはん食べるのって、はじめてじゃない?」

 しろくまが言った。

「そういや、そうだな」

 俺は答える。

「しろくまさん、好きな食べものはなんですか」

 ムジカがしろくまに尋ねる。

「いちごのショートケーキ」

 しろくまが即答する。

「イメージとちがう!」

 ムジカではなく、ヨミちゃんが声を上げた。

「イメージって?」

 しろくまがハテナマークの浮かんだ表情でヨミちゃんを見る。

「アザラシとか、食べないんですか」

 ヨミちゃんは小さな声で言った。

「え」

 と声を発して、しろくまは固まってしまっている。

「食べないよ、アザラシは」

 固まったまま、しろくまは言う。

「あんなかわいいの、食べられないよ」

 ヨミちゃんはおろおろと戸惑ったように俺を見た。

「どうした、ヨミちゃん」

 尋ねると、

「なんか、なんか、しろくまさんとちがうみたい。知らん人みたい」

 ヨミちゃんがしろくまと俺を交互に見ながら言う。急に人見知りが発症したらしい。そう言われれば、ヨミちゃんやムジカは皮を被っているしろくましか知らなかったのだから、中身とは初対面ではある。

「えー、なに言ってんの、ヨミちゃん。いつも会ってるじゃん」

 気安く言い、しろくまだけが普通に笑っている。

 ムジカがデジカメを構え、しろくまの素顔を撮影している。

「ちょっとムジカ、やめてよー」

 しろくまが言う。やっぱり中身を写真に撮られるのは嫌なのかと思っていたら、

「ムジカが撮ったら心霊写真になるんでしょ」

 と言ったので、写真自体が嫌なわけではないようだ。

「うまく撮れたらあげますね、写真」

 ムジカが無邪気に言っている。

「え、うまくって、おれが? 霊が?」

 しろくまが真剣な表情で聞いているのがおもしろい。

「そういや、ムジカ。おまえ、心霊写真以外に趣味とかないの?」

 彦根先生が言っていたことを思い出して尋ねると、

「趣味ですか」

 ムジカは幼い表情できょとんと言う。

「うーん。釣りですかねー」

「おお、すごい。素敵な趣味があるじゃないか」

 俺の言葉に、うはは、と笑ったのはしろくまだった。目を細めて笑うしろくまの顔を、ムジカがまたデジカメで撮影している。



7.子どもに好かれる


「ヒオさん。はい、これ」

 ピンボールのように研究室に飛び込んできたムジカに手渡されたのは、缶バッチだった。正確には、心霊写真でもあり缶バッチでもある代物だ。心霊写真を缶バッチに加工したものである。

「なにこれ、どうしたの。なんでこんなことになってんの」

 わけがわからなくてムジカに尋ねると、

「作ったんです」

 とのこと。

「作ったって? これを? 自分で?」

「はい。写真を缶バッチに加工できるおもちゃがあるんですよ」

 ムジカはにこにこと笑って言った。普段から幼い外見をしているムジカが、こんなふうに誇らしげに笑うと、ますます子どもっぽくなる。

「しろくまさんの写真、うまく撮れたんで。あと、やっぱこの子、ユメちゃんでした」

「ユメちゃん?」

「オレの妹です」

 そう言って、ムジカは自分のリュックサックにつけた大きな缶バッチを自慢げにこちらに見せてくる。俺にくれたものと同じものだ。そこには、笑う素顔のしろくまと、その隣で楽しそうに満面の笑みを浮かべてピースサインをする小学校低学年くらいの女の子がはっきりと写っていた。

「これ、昨日の学食の?」

 写っている女の子は、確かにどことなくムジカに似ている。

「はい! ユメちゃん、きっとしろくまさんが好きなんですよ。ほら、子どもってクマさんとかウサちゃんとか好きじゃないですか」

 ムジカは大きくうなずいて言う。うれしそうだ。

「やけに、はっきりくっきり写ってるけど」

「マジもんです!」

 ムジカは拳を握り、

「こんなにはっきり写ったの初めて! やっぱりユメちゃんだった! やったー!」

 と、その拳を振り上げながら飛び跳ねんばかりによろこんでいる。まるっきり子どもだ。

「おはようございます」

 そのタイミングで研究室に入ってきたヨミちゃんが、呆れたようなドライな視線をムジカに送っている。しかし、

「うわ、ヨミちゃん、それ」

 俺は気付いてしまった。

「ああ、個性的でしょ。ムジカにもらったんですよ」

「そうだろうとも」

 ヨミちゃんのバッグにも、しろくまとユメちゃんの缶バッチがつけられている。

「つか、なんで普通につけてんの」

「いや、もうここまではっきり写ってたら普通のスナップ写真みたいなもんでしょ。思い出をちょっとしたアクセサリーにしたようなもんでしょ」

 淡々とした諦め口調でヨミちゃんは言う。

「いやいやいや、なにそれ。わけわかんない。おまえら、わけわかんない」

「なになに、騒がしいな」

 また徹夜だったらしいしろくまが、のそのそと寝袋から這い出てきた。それはそうと、しろくまの皮を被った上に寝袋にまで入るって、どんだけだ。

「あ、しろくまさん!」

「おふあよう、ムジカ」

 あくび交じりの声で言うしろくまのもふもふの胸元に、ムジカがちょいちょいと缶バッチをつける。

「昨日の写真、うまく撮れてたんで缶バッチにしたんです。つけてあげますね」

 ムジカが言った。

「うまくって、おれが? 霊が?」

「両方!」

 ムジカは、わーいわーいと飛び跳ねながら、研究室を出て行く。

「うまく撮れてるの?」

 自分で自分の胸元を見ながら、しろくまが俺に尋ねる。

「うん。うまく撮れてるな」

 俺は答える。

 ヨミちゃんが持ってきたレポートの下書きを言付かって、とりあえず騒ぎは一段落ついた。ヨミちゃんは授業、しろくまは歯を磨きに出て行った。俺は彦根先生を待つ。程なくして研究室にやってきた彦根先生に、

「先生、ヨミちゃんのレポート下書きができたそうなんで、チェック……」

 言いかけた口が止まってしまった。彦根先生の白衣の右ポケットの部分に、件の缶バッチがつけられていたからだ。

「あー、はいはい。レポートね。早いねヨミは」

 言いながら、彦根先生はレポート用紙を受け取る。

「先生、それ。その缶バッチ」

「あー、これな。ムジカにもらった。いいだろ」

「いいですかね」

「こっちの、しろくまだろ? 女の子のほうは誰だか知んないけど、まあ、ふたりともかわいく笑ってっからいいじゃん」

 この前、自らがぎゃあぎゃあ騒いでいた心霊写真の子だとは気が付いていないようで、へらっと笑った彦根先生は、マッチを擦って煙草に火を点けた。

 その様子を見て、ああ、なんだ。そんなに大層なことではないのかもしれない、と俺は思ってしまう。

 ムジカにもらった缶バッチを改めて眺めてみる。確かに、ふたりともかわいく笑っていた。



8.癒されたい


「おれ、これから小鳥屋行くけど、ヒオさんも行く?」

 作業が一段落ついたらしいしろくまが、疲れた声で言った。

「あー、行こっかな」

 俺も疲れた声で答える。俺のほうも、先日失敗した作業が今日ようやく片が付いたのだ。

 器具を片付けているしろくまの胸には、ムジカにもらった缶バッチがついている。俺の白衣の襟にもだ。

「この研究室が、なんて呼ばれてるか知ってるか?」

 しろくまに尋ねると、

「彦根研究室でしょ」

 しろくまはきょとんと正式名称を口にする。

「オカルト研究室だよ」

 または、キメラ研究室。

「はあん」

 しろくまは、妙な相槌を打つ。

 小鳥屋というのは、しろくまの行きつけの店だ。その名の通り小鳥をたくさん販売している。何故かリクガメもいる。リクガメは一匹だけだ。しろくまは小鳥たちを、俺はリクガメのまるっこい甲羅を見て、心を陽の感情で満たし疲れを癒すのだ。

「ヒオさん、小鳥屋行ったあと銭湯行こー」

 しろくまが言った。銭湯を気に入ったようだ。

「うん、いいよ」

 俺はうなずき、白衣を脱ぐ。


 小鳥屋に入ると、ピチュピチュと賑やかだった声がピタリと止む。おもしろいことに、小鳥たちは皆、毎度毎度入店したしろくまに一度はビビるようだ。ビビり終わったらすぐにまた、ピチュピチュと賑やかになる。

「オカメインコ、モモイロインコ、ボタンインコ、セキセイインコ」

 しろくまが、小鳥のカゴに下げてあるプレートを順番に読んでいく。カタカナ習いたての小学生か、と思いながら、俺はリクガメのところへ一直線に向かう。

「小鳥はきれいでかわいいなあ」

 しろくまがうっとりと呟く声が聞こえたが、異変に気付いた俺はそれどころではなかった。

「リクガメがいない!」

 思わず上げた声に、カウンターの向こうにいた店長が顔を上げた。

「リクガメなら、こないだ売れちゃったよ」

 店長が言った。

「そんな!」

 俺のこの疲れて荒んだ心を、リクガメ以外の誰が癒してくれるのか。久々にリクガメに会えると思って期待していた分、がっかり度は半端じゃない。

「あの子は器量良しだったからね。そりゃ、きみが買わなかったら他の誰かが買うよ」

 店長の言葉に、俺はもっともだとうなずく。あの子は、本当にかわいいリクガメだったのだ。

「そんな顔しないでよ」

 そう言われ、自分がどんな顔をしているのか気になった。

「なんだかかわいそうだから、特別にあの子の写真をあげるよ」

 店長に手渡された写真には、あのリクガメのキュートな目とまるっこい甲羅が写っていて、それを見た途端に胸がじんわりと熱くなった。リクガメは写真でも、癒しの効能があるらしい。

「ありがとう、店長」

「どういたしまして」

 俺は礼を言い、写真を折り目がつかないように鞄に慎重にしまう。今度、ムジカに頼んで缶バッチにしてもらおう。

 しろくまは、オカメインコのカゴをじっと見ている。

「この髪型、かっこいいよね」

 しろくまが言った。

「それ、髪型なの?」

「ほっぺは赤くてかわいいし」

「それ、ほっぺなの?」

 羽毛に色がついてるだけじゃないだろうか。

「ヒオさんは、ちょっと理屈っぽいよね」

 そう言われ、俺は、むう、と口を閉じる。



9.モテないわけじゃない


「おれの好きな子が、しろくまさん紹介してほしいって言うんですよ」

 なんの前置きもなしにヨミちゃんが言った。俺とヨミちゃんは、昼休みを少し過ぎた学食でミニパフェを食べ終わったところだった。午後の一コマが空いていたらしいヨミちゃんに誘われたのだ。こういうことは珍しいので、何か相談事があるのだろうと予想はしていたのだが、ゼミや研究に関する相談だと思い込んでいたため、まさかの恋愛相談に驚いた。

「ヨミちゃん、好きな子いたんだ」

「いたんです」

 ヨミちゃんは無表情に言った。そして、

「うあー。いややなあ、こんな中学生みたいな会話」

 と照れたようにてのひらでほっぺたをこすっている。

「でも、なんでまたしろくまなんだろう」

 俺は疑問を口にし、しろくまの姿を思い浮かべてみた。

「ああ、そうか。女の子受けする外見ではあるのかもしれない」

「そっちの、くまくました外見じゃなくて」

 ヨミちゃんは言い、

「こっちなんですよ」

 と、俺の白衣の襟についている缶バッチを示した。しろくまの素顔とムジカの妹のユメちゃんの笑顔が眩しい缶バッチだ。

「こっちって、しろくまの中身のほう?」

「中身っていうか、それはそれで外見なんですけど」

 ヨミちゃんはもやっとした感じに眉根を寄せる。

「おれのカバンについてる缶バッチ見て、このひとかっこいいねって。紹介してほしいって」

「はあ」

 俺は気の抜けた声をもらす。

「かっこいいかな、しろくまって。かっこよくもかっこわるくもない普通の顔に見えるけど」

「まあ、見る人が見たら、かっこええんとちゃいますか。好みは人それぞれやし」

 少なくとも、ヨミちゃんの好きな子はしろくまの素顔をかっこいいと思ったようだ。

「どうしたらええんでしょう」

 ヨミちゃんは言う。

「紹介してほしいって言われて、ヨミちゃん、なんて答えたの?」

「本人に聞いてみるって」

「しろくまに?」

「しろくまさんに」

「じゃあ、聞いてみるしかないじゃん、しろくまに。嘘つくわけにもいかないし」

「ですよね」

 ヨミちゃんはしょんぼりとうなずいている。

「ところで、その子はしろくまがああいうやつだって知ってんの?」

「ああいうやつ?」

「普段はしろくまじゃん。しろくまって」

 そういえば、と思ってした質問だったのだが、

「え、あれ。どうなんやろ」

 ヨミちゃんは戸惑ったようにそう言った。

「ちょっと聞いてきます」

 ヨミちゃんは立ち上がり、走って行ってしまう。俺は手持ち無沙汰に空になったミニパフェの容器をスプーンでつつきながらヨミちゃんが帰ってくるのを待つ。

「ヒオさん!」

 しばらくして戻ってきたヨミちゃんが俺を呼ぶ。息を切らしながら椅子に座ると、

「考えさせてほしいって言われました」

 ヨミちゃんは言った。

「なにを?」

 まさか勢いで告白でもしたのだろうかと少し色めきだっていたら、

「しろくまさん紹介すんの。彼女、しろくまさんが普段はしろくまやって知らんかったみたいです」

 ヨミちゃんは言う。

「あ、そうなの」

「『えっ、あのしろくまの人なの?』って、驚いてました」

「あー、しろくまのこと自体は知ってたんだ」

「同一人物だとは思うてなかったみたいです」

 缶バッチの写真には、しろくまの顔だけしか写っていない。胴体も写っていれば一目瞭然だったのだが。

「ていうか、しろくまって有名なんだね」

「あれで無名なわけないでしょう」

 ヨミちゃんは息を整えながら無表情に言う。

「でも、とりあえずよかったね。猶予ができて」

 俺の言葉に、

「いや、それが」

 ヨミちゃんは答える。

「さっき、おれ勢いで告ってもうて」

「えっ!」

 時間差でやってきたサプライズに、素っ頓狂な声を上げてしまった。

「ごめん、大声出して。え、え、それで?」

「だめでした」

 ヨミちゃんは平坦に言った。

「顔の可愛い男は好みじゃないんだそうです」

 俺は、かける言葉が思いつかない。ヨミちゃんの好きな子は、はっきりすっぱりものを言う子だな、とヨミちゃんの顔を見ながら思う。ヨミちゃんは確かに、お人形さんのように可愛らしい顔をしている。しかし、ヨミちゃんは普段から愛嬌のかけらもない無表情なので、それに慣れてしまっている俺たちは、ヨミちゃんの顔の可愛さを、実は忘れがちだ。

「でも、おれのこと可愛いって言ってほめてくれたんで、それはちょっとうれしかったです」

 ヨミちゃんのその言葉に、俺は戸惑う。強がっているのかと思ったら、ヨミちゃんは本当にちょっとうれしそうにしているのだ。

「ヨミちゃんて、意外とポジティブだね」

「んなことないですよ」

 ヨミちゃんは言う。

 結局、しろくまには何事も知らされないまま、ヨミちゃんの恋は終わり、しろくまの恋は始まりもしなかった。

 そして俺は、誰か俺のこと紹介してほしいと言う女の子はいないのか、とヨミちゃんに聞こうかどうか迷い、結局やめた。いくらポジティブ思考でも、ヨミちゃんは傷心なのだ。

 俺は白衣のポケットから先日もらったリクガメの写真を取り出して、ヨミちゃんに見せる。とっておきのメンタルケアだ。

「なんですか、これ。かめ?」

 ヨミちゃんちゃんは不思議そうな口調で聞いてくる。

「癒されない? 元気出るでしょ?」

「いえ、べつに」

 やはり不思議そうなヨミちゃんに、

「俺は、リクガメ見てると癒されるんだけど」

 と打ち明けると、

「ヒオさんも結構変な人ですよね」

 そう言われてしまい、ショックを隠しきれない。



10.デジカメ持ってる


 ムジカの写真を撮ることになったのは、例の缶バッチを最後に、ムジカが心霊写真を持ってこなくなったのがきっかけだった。それに思い当たった俺は、パラパラとアルバムを捲りながら、確かにムジカの写真がないな、などと思っていた。ヨミちゃん、俺、しろくま、彦根先生、四人の写真はあるのに、ムジカの写真だけがない。

「なんとなく寂しいな」

 そう、しろくまに言うと、

「じゃあ、ムジカの写真を撮りに行こうよ」

 しろくまがどこからかデジカメを持ってきて言ったのだ。きっと、何かの折にロッカーに入れっぱなしにしていたに違いない。

 作業が一段落した俺たちは、単純に暇だった。

 俺としろくまは、朝の一コマ目が始まる前から、正門の影に隠れてムジカが来るのを待ち伏せしていた。

「きみたち、なにしてるの」

 不審に思ったらしい警備員さんに尋ねられ、

「友達がくるのを待っています」

「きたら写真を撮るんです。思い出のアルバムに入れるんです」

 ふたりで正直に答える。警備員さんは納得したのか、

「あまり、おかしなことはしないでくださいね」

 と、ゆるく注意だけをした。この大学でおかしなことをしていないやつを探すほうが困難だということを、警備員さんは経験上知っているのだろう。そもそも、俺の隣に立っているしろくまからして、もうすでにちょっと様子がおかしいのだから。

「遅いね。ムジカって、もしかして一コマ目の授業取ってないんじゃないの?」

 しろくまが言う。

「朝いつも研究室に遊びにくるのに?」

 そんな会話をしていたら、ムジカが正門に向かって駆けてきた。

「きたよ、ヒオさん!」

 しろくまが言う。俊敏には動けないしろくまに代わり、写真を撮るのは俺の役目だ。

「まかせろ!」

 言って、俺はムジカの前に飛び出し、連写モードでシャッターボタンを押す。

「撮ったぞ! 逃げろ、しろくま」

 俺たちは、背中にムジカの、

「え、なに? なんなんですかー?」

 という不思議そうな声を聞きながら、走る。走りながら、なんとなく逃げてしまったけど、なんで逃げたんだろう、と自問自答してしまう。

 研究室に戻り、しろくまとふたりで息を切らしながらムジカの写真のデータをパソコンに取り込み、連写の全てをプリントアウトする。

 ムジカの黒い坊ちゃん刈りが風になびいていて、躍動感は抜群だ。

「さすが、最近のデジカメはそんなブレないね」

 しろくまが言う。

「腕がいいんだ。腕が」

 と言ってみたが、

「ムジカの写真は心霊写真じゃないんだね」

 ナチュラルに無視された。

「撮ったのがムジカじゃないからかな」

 アルバムにムジカの写真を入れていると、彦根先生がやって来た。

「なんだ、それ」

 先生が、俺の手元の写真を覗き込む。

「ムジカの写真です」

 しろくまが言った。

「アルバムに入れようと思って」

「あの心霊写真アルバムに?」

「ムジカの写真がないって、せんせいも言ってたじゃない」

 しろくまに言われ、彦根先生はムジカの写真を一枚手に取り、

「なあ、なんでおまえらは隠し撮りっつーか、不意打ちみたいなことすんの?」

 と尋ねる。俺としろくまは顔を見合わせた。

「あれ、なんでだっけ?」

 しろくまが言った。

「さあ。なんとなくで撮り逃げしてきてしまったな」

 俺も答える。

「ムジカのこの顔、パパラッチが撮ったスクープ写真みたいになってんじゃん。写真撮らせてって、真正面から撮ればいいのに」

 彦根先生が言った言葉があまりにまともすぎて、俺たちの脳みそに届くのにしばらくかかった。

「記念写真を撮ろう」

 しろくまが、ぼそりと言った。

「おれとヒオさんとせんせいとヨミちゃんとムジカで」

「それだ」

 俺もうなずく。



11.記念写真を撮ろう


 夕方の研究室で、記念写真を撮った。

 俺がしろくまのデジカメのタイマーで撮ったものと、ムジカが自分のデジカメのタイマーで撮ったもの。前者のほうには五人写っていて、後者のほうには六人写っている。ムジカの妹のユメちゃんだ。

「やっぱ、ムジカのカメラでしか写んないのかな」

 しろくまが言った。ユメちゃんは、ムジカの横で両手を真上に伸ばし、わーい、という感じに笑っている。ムジカはその写真を見て、うへへ、と笑った。そして、

「朝、学校行く前にケンカしたんですよ」

 と唐突に言う。

「オレが小四、ユメちゃんが小二の時です。内容は覚えてないけど、たぶんとってもくだらないことだったと思います。いつものケンカでした。そのケンカが、ユメちゃんとの最後の会話で、ユメちゃんはその日の帰り道にトラックに撥ねられて亡くなりました。だから、ユメちゃんはオレのこと怒ってるだろうなってずっと思ってたんですけど、笑ってくれてたんで」

 ムジカは、記念写真を見て、それから、しろくまの胸の缶バッチをさわる。うへへ、と、しろくまが笑う。うへへ、と俺も笑う。うへへ、とヨミちゃんも笑ったけれど、顔を見ると無表情だった。それで笑っているつもりなのか。彦根先生は、「やめろよ、そういうの弱いんだよ」と、ぐずぐずと泣きながらティッシュで鼻をかんでいた。そんな俺たちを見て、ムジカも、うへへ、と笑った。

「しろくまさんと写ってる写真見たあと、次の写真では、ユメちゃん笑ってくれないんじゃないかと思うとなんかこわくて、ずっと写真撮ってなかったんですけど」

 ムジカは記念写真を見て、また、うへへ、と笑った。

「怒ってないね」

 しろくまが言った。

「うん。怒ってない」

 ヨミちゃんが言った。

 俺は記念写真を人数分プリントアウトして、みんなに配った。自分の分はアルバムに入れる。

「そうだ、ムジカ。このリクガメの写真、缶バッチにしてほしんだけど」

 思い出して、ムジカにリクガメの写真を渡すと、

「いいですけど、なんで?」

 と言われる。先日、ヨミちゃんに変な人だと言われたのがショックだったため、黙っていると、

「ヒオさんは、リクガメが好きなんだよ」

 しろくまが言った。

「へー、そうなんですか」

 ムジカは納得し、ヨミちゃんは、ぶへっ、と噴き出した。



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