1 鍵付きの本
新作です。
よろしくお願いします。
俺は長く闇の世界で暮らす人間だった。
そんな世界の人間から見て「なんてゆとりのある仕事なんだ」と思った職業がある。
一日中椅子に座ってボーっとしているだけの仕事。
時々来た客の相手をするだけ。
エールを飲みながらの奴も見かけた。
なんて自由なんだ!
当時の俺はその「商人」という職業に憧れた。
朝起きたら相棒の餌やりから始まるのが俺の日課だ。
俺の相棒は四匹の犬達と水牛系の“ホーン”と呼ばれる使役獣が二匹だ。
犬達は時間になると呼ばなくても、餌の臭いに釣られて自然と集まって来る。
一応は柵で囲われた土地に建てられた家だから、普段は番犬として柵内を放し飼いしている。
柵の中に入ろうという恐れ知らずがいるならば、命の代償の覚悟がいる。
うちの犬の胃袋は底無しだから、恐らく骨も残らない。
山で四匹の子犬を拾って来たはずなんだが、成長するにつれてどんどん巨大になっていき、今じゃ後ろ足で立たれると俺の身長を超えるほどだ。
倉庫の隅にある獣舎へと向かうと、そこには荷車を引く使役獣の“ホーン”がニ頭いる。
ホーンは荷役用に訓練された魔物で、軍隊でも使われている極一般的な使役獣である。
水牛の様な体形の一角獣で、鎧のような硬い皮膚で体中が覆われている。
獰猛なところもあるが、比較的おとなしい草食である。
そこで餌を足し掃除をする。
その後に今度は自分の朝食を簡単にすます。
俺の家はアーレの街から少し離れたビーンズという村にある一軒家だ。
柵で囲われた敷地内には、家の他にも先ほどの獣舎に加えて倉庫、そして大きな木が生えている。
木の高さは四階建ての建物くらいはありそうだ。
この家、元々は調剤士が住んでいたらしく、ここで調剤したポーションをアーレの街へ卸していたようだ。
だが不幸なことに盗賊に襲われて一家は惨殺されたとか。
長く空き家になっていたところを俺が購入したという訳だ。
この家の裏手にある倉庫だが、調剤の材料や出来上がったポーションなどを保管していたところらしい。
俺はその倉庫に荷車やカート、そして屋台を保管している。
荷車はだいぶ荒事に耐えてきたもので、修理に次ぐ修理であちこち継ぎ接ぎだらけだ。
人はオンボロ台車と呼ぶが、俺にとっては立派な移動要塞である。
荷車の周囲を硬い板を張り巡らし各所に監視窓もあり、天井の上には小型バリスタが据えられている。
まるで軍隊用の戦闘車の様なのだが、この荷車は商人の俺が使う輸送用のもの。
あくまでも商業用だ。
そして家を出る頃にはちょうど陽が昇る。
そこで俺は倉庫から屋台を持ち出す。
一人で引っ張れる大きさのものだ。
俺は朝日を浴びながら荷車を引っ張り、アーレの街へと向かって行く。
途中、見知った人たちと挨拶を交わし、たわいもない会話を交わしつつ到着した場所、そこは街の中央広場の俺に割り当てられた露店の区画だ。
露店を開くにも中々許可がおりず、この場所を勝ち取るにもかなりの苦労と金が掛かった。
役人への賄賂などの手回しも大変だったな。
そしてやっと手に入れた露店の俺の割り当て区画なんだが、中央広場の端っこも端っこで、これは広場の外ではないかと言う様な悲惨な場所であった。
ここで営業してみた実感したんだが、中央広場の露店の中でも人通りが最も少ない場所だな。
だがしょうがない、場所を貰えただけ良い。
もらえない商人も沢山いる。
そこで俺は屋台を止めて水平に固定すると、開店の準備に取り掛かる。
屋台の折り畳みテーブルを広げ、中に詰まった商品を綺麗に陳列していく。
大きなものは張った紐から吊るして値札と共にぶら下げる。
今は鍋や食器を扱っているが古着もいくつか売っている。
売ってはいるんだが、これが全然売れない。
多分、この広場では俺の店が一番売れていない。
俺の周囲にも沢山の露店がある。
それこそゴザを引いただけのみすぼらしい店もあるのだが、それでも俺の店よりも売れている。
ダガーにショートソードやロングソードなどの剣関係の露店。
それに丸盾やバックラーなどの盾専門の露店などもある。
それこそ食品を扱う露店になると多数あって、どこの店もそこそこ売れているように見える。
どう見ても俺の店が一番売れていないのだ。
露店のような小さなスペースでは扱える商品には限りがある。
だから多くの露店は種類を狭めた専門店となる。
広く浅くよりは一点特化の方が人は集まるようだ。
そんな中での俺の店は非常に珍しい。
種類の全く違うものを売っているからな。
一日の売り上げがゼロの時も結構ある。
しかし俺は焦らない。
俺はスローライフに憧れてこの商売に入ったのだ。
金の問題ではない。
椅子に座り、店番をしながらのんびりするこの平和な時間。
仕事中にエールを飲んでも誰にも文句を言われない。
何て幸せなんだろうか。
この贅沢な時間を過ごすために俺は商人の世界へ入ったのだ。
しかしそんな生活も長続きはしない。
さすがに金が減っていくばかりでは生活が成り立たない。
理想の生活では食っていけないのだ。
それが最近になってやっと理解してきた。
商人が楽して稼いでいるなんて考えた俺が馬鹿だった。
これこそ俺の望むスローライフだ……と思ったんだがなあ。
そろそろ陽が沈む頃、さて店を畳もうかという時。
今日も売り上げ無しで終わるかという時だった。
「やあ、間にあったようだ。店じまいするとこすまないが、携帯食を売ってくれるかい?」
鍋や食器と服しか売っていない露店で携帯食を売ってくれという客。
こいつは客じゃない、伝達屋だ。
言い換えれば俺に仕事の依頼を持って来た迷惑な奴。
「携帯食を売ってくれ」というのは合言葉みたいなもんだ。
「ほら、携帯食だ」
俺はぶっきらぼうに携帯食の包みを渡す。
すると男は支払いの金と一緒に丸めた布を差し出した。
その布に依頼内容が書いてあるのだが、俺はそれを突っぱねる。
「止めてくれ。俺はもう、そういうのは卒業したんだ」
すると伝達屋は小声で言った。
「俺は伝達屋でそれを運ぶのが仕事。文句は差出人に言ってくれ」
それだけ言ってさっさと立ち去ってしまう。
確かに当然の言い分だ。
俺はため息をつきながらその布を丸めてポケットにしまい、いそいそと店じまいを進めた。
俺は店の屋台を片付け始める。
すでに店を畳んで帰って行く商人も沢山いる。
そんな中で一人の行商人のお年寄りの婆さんが俺の前を通る。
何気なく俺はその婆さんを見ていると、突然バランスを崩して倒れそうになる。
何とか転ばずに持ち堪えたのだが、その婆さん、背中の荷物の一部を地面へとブチめけてしまった。
地面には三冊かの本が散らばる。
本を売っているのか。
行商人で本を売るのは珍しい。
本は高価な品。
それを無防備な行商人、それも年寄りが一人で売っているのは危険がある。
誰かがその落ちた本を奪って逃走する可能性がある。
俺は急いで婆さんに近づき地面に落ちた本を拾い上げる。
「婆さん、大丈夫か。こんな高価な物を一人で売りさばいているのか。危ないぞ」
そう言いながら落ちた本を婆さんに渡していく。
「あら、あら、すまないねえ」
婆さんは俺の忠告など耳に入っていない様子だ。
落ちた三冊を重ねて婆さんに手渡す。
しかしそこで手にした本の一冊に目が留まった。
その本だけ鍵が付いている。
鍵付きの本は確かに珍しい。
こんな行商人の婆さんが扱えるほどの代物ではない。
店舗持ちの商人が棚に飾って販売するような品だ。
俺は一目見てその本が欲しくなった。
まさかこの俺が本に興味を持つとは思わなかったんだがな。
「なあ婆さん、この本も売り物なのか」
そう聞いてみると婆さんはニコリと笑みを見せる。
「ああ、売っているよ。買うかい?」
「幾らで売る?」
「そうさね、大銀貨三枚でいいよ」
破格の値段である。
「その前に中身を確認してからでも良いか」
「それは残念だねえ。鍵が無くて中身を見られないのさ」
そういうことか。
表紙には題名さえ書いていない本。
中身が確認出来なければ、値段のつけようがない。
下手したら何も書いていないかもしれない。
しかし、それでも俺はこの本が気に入ってしまっていた。
「そうか、大銀貨三枚だな――ほら、これで良いか」
「ほっほっほっほ、これはこれはありがとよ」
婆さんはその鍵付きの本を俺に手渡した。
俺は大喜びでその本を受け取ると、直ぐに本を撫でてその感触を味わった。
革表紙のしっかりした造りの本のようだ。
かなり古い本のようだが、素人目に見ても比較的綺麗に保存されているように感じる。
俺はウキウキした気分で自宅へと向かった。
帰宅したのはちょうど陽が沈む時間。
家に着くと四匹の犬達が俺を出迎えてくれる。
四匹が一斉に俺にのしかかって来ると、さすがに俺は耐え切れずに仰向けに倒れ込む。
するとどうなるかと言えば、四匹がこぞって俺の顔に群がってペロペロ始める。
あっという間に俺の顔はベトベトだ。
この平和な時間も大分慣れてきた。
俺は鞄から本を取り出すと棚にそれを置く。
後で自力で鍵を開けられるかやってみよう。
しかし何故かそれっきり、その本の事を忘れてしまった。
本日中に三話ほど投稿します。
第5話くらいまではアクション控えめです。