食レポの達人やってますが、「うみゃぁぁぁい!」「頬が落ちりゅぅぅぅ!」「肉汁がぁぁぁ!」みたいなリアクションはもうやりたくないです
樋口克也にとって、食レポタレントというのは天職だった。
元々はさして売れない三流タレントだった克也だが、ある番組での食レポが人生の転機だった。
高級店の限定スイーツ特集で、ガトーショコラを一口食べた瞬間、
「うんみゃぁぁぁぁぁい!」
克也は叫んだ。
これが共演者だけでなく視聴者からも大いに受けた。
それ以来、克也はあちこちの番組からオファーが殺到した。これは蜘蛛の糸だと感じた克也もその期待に必死に応えた。
番組内で何かを食べるたびに――
「うみゃぁぁぁぁぁい!」
「この美味しさ……頬が落ちりゅぅぅぅぅ!」
「おいひぃぃぃぃぃぃぃ!」
「舌がとろけりゅぅぅぅぅぅ!」
「このエビ……プリプリプリプリプリンセス!」
この食レポ芸というべきか、食リアクション芸というべきか、彼の持ち芸はお茶の間の爆笑を誘った。
克也は瞬く間に時の人となり、食レポの達人などと称され売れっ子タレントになった。
しかし、売れれば売れるほど、克也は自分の心の中に黒い何かが溜まっていくのを感じていた。
彼はもう、過剰なリアクションをすることに嫌気が差していたのだ。
今日も食レポの仕事があり、克也は最高級とされるステーキを頬張る。
「うみゃぁぁぁぁぁい! 肉汁がぁぁぁぁぁ! 肉汁が溢れ出りゅぅぅぅぅぅ!」
克也の食レポに共演者は大爆笑。ネット上でも「肉汁が溢れ出る」というフレーズが一時的に流行るぐらいの反響があった。
しかし、当の克也は味なんかよく分かっていなかった。どういうリアクションをするかで頭がいっぱいで味わってる余裕などないからだ。
もちろん、克也とてこのままでは自分が参ってしまうことが分かっていた。
マネージャーやプロデューサーといった関係者に相談したこともある。
ずばり、もっと普通の食レポをしていいかと。
答えはノーだった。
「ダメですよ。いっちゃ悪いけど樋口さん、トークもそこまでうまくないし、あのリアクションやめたら仕事なくなっちゃいますよ」
「普通の食レポ? どうしてもやりたいのなら、芸能界に居場所がなくなることも覚悟しておくんだね」
彼らの言うことはもっともだった。
他のタレントだって、何も自分のやりたいようにやって売れた人間ばかりではない。歌いたくもない歌を歌い、踊りたくもないダンスを踊り、やりたくもないギャグをやって、みんな自分の地位を築いたのだ。
需要があるなら供給する。それがプロの仕事なのだ。
克也が独り身なら、あるいは引退する道もあったかもしれない。しかし、彼は結婚しており、細々とやりたいことをやる道を選ぶわけにもいかない。
だから彼は今日もオーバーなリアクションをし続ける。
「おおお……これは! うみゃぁぁぁぁぁい! たまらなぁぁぁぁぁい!」
***
「ただいまー」
克也はマンションで妻である由香子と二人で暮らしている。
克也が売れない頃は由香子もパートで働き、むしろ克也が妻に食べさせてもらっていた。
あの頃を思うと、克也としては由香子には感謝しかない。
由香子が夕食を出す。
自宅では克也の食レポ芸もさすがに影を潜める。
克也は憂鬱だった。近日中に大きな仕事がある。しかも生放送のバラエティ番組。
克也に求められているのは、いつもの食レポ芸、それのみ。軽快なトークや共演者への気遣い、そんなもの求められてないし、そもそもできない。
自分に求められていることをやればいい。簡単な仕事だ。なのに気が重い。どうすればこの自分を覆う膜のようなものは剥がれるのだろうか。
すると、由香子が――
「克也、このところずっとおかしいよね」
ギクリとした。
慌てて「んなことないよ」と取り繕う。
だが、由香子は気にせず二の矢を放つ。
「もしかして、もうやめたい? あのリアクション芸」
あまりの直球に、克也は言葉を失う。
実は克也は、リアクションに嫌気が差してることを由香子に打ち明けたことはなかった。妻に弱い部分を見せたくなかったし、もし打ち明けて「収入のために頑張ってよ」などと言われようものなら、逃げ場がなくなってしまうと感じていたからだ。
だから、今までそういう部分は見せてこなかった。つもりだった。
「やめたいんでしょ」
上目遣いで見つめてくる由香子から、克也は目を逸らす。
「やめたいわけないだろ。俺はずっとあれで飯食ってきたんだぞ」
「克也って嘘つく時、絶対目を合わせないよね」
即バレた。これ以上の言い逃れは見苦しいと思い、克也は観念する。
「そりゃやめたいさ! 飯食って、わざとらしく『うみゃぁい!』とか叫んで、せっかくの料理なのにどうリアクションするか精一杯で味なんか感じやしない! リアクションするたび、心のどこかが削れていくような感覚になるんだ!」
堤防が決壊した川のように、独白は止まらない。
「だけど、やめられない! やめるわけにはいかない! みんな俺にリアクションを求めてるし、食レポ芸のない俺なんてなんの芸もない一山いくらのタレントに過ぎない。自分のやりたいようにやって売れるなんてのは、ごく一部の天才にしか許されないんだ! 俺はこれからもリアクションし続けなきゃいけないんだ!」
言いたいことを吐き出し、息を荒げる克也に、由香子は静かに言った。
「やめてもいいんだよ」
「いいんだよ……っていいわけないだろ。収入なくなっちまうぞ」
「二人で働けばなんとかなるでしょ。どうとでもなるよ。それより、私としては今のまま克也がタレント続けて、心が壊れちゃったりしたらそっちの方が損しちゃうし。嫌だよ、心が壊れちゃった克也を介護するなんて」
克也への思いやりというより自分のためでもあるというスタンスで、「やめてもいい」と言ってくれる由香子。
その心遣いが、克也にはありがたかった。
「ありがとう……」
「少しは楽になった?」
「ああ、やるべきことが決まったような気がするよ」
克也の顔は憑き物が落ちたようになっていた。
***
生放送のバラエティ番組当日。
克也もスタジオに呼ばれていたが、彼のトークやコメントに期待する共演者も視聴者もいない。
彼の舞台はグルメを扱うコーナーだけである。
番組は順調に進み、いよいよグルメのコーナー。
人気中華料理店のチャーハンがスタジオに運ばれてきた。
共演者たちがチャーハンを食べ、それぞれ「うまい」だの「パラパラでおいしい」だの、食レポをする。
だが、この瞬間だけは彼らは克也の前座に過ぎない。
「それでは樋口さん、チャーハンをどうぞ」
司会者の“フリ”で、克也がチャーハンの入った皿とレンゲを取る。
今彼がやるべきリアクションは――
「おいひぃぃぃぃぃ! 米がもうパラッパラパラパラパラパラダイスぅぅぅぅぅ!」
といったところか。
しかし、克也は――
「いただきます」
静かに一礼すると、チャーハンを夢中で口の中にかき込んだ。おいしい。番組中に食べる食事で、久しぶりに味を感じることができた。
なんのコメントもせず、黙々とチャーハンを食べ、そのまま完食してしまった。
司会者からコメントを求められても、
「おいしかったです」
の一言のみ。
共演者は唖然としている。
この空気、放送事故といってもいいだろう。
克也は「これで自分のタレント生命は終わった」と思った。
同時に清々しさも覚えていた。
番組が終わると同時に克也は由香子に電話をする。
「終わったよ、見てた?」
「うん、見てたよ。すっごくよかった」
「苦労かけるな」
「ううん、気にしないで。二人で頑張ろう!」
これから自分にどんなペナルティがあるか分からない。
だが、これでよかったんだ。生放送という逃げ場のない場所で、食レポ芸を捨てる決心をしたことに後悔はなかった。
楽屋に戻り、一人静かにペットボトルのお茶を飲む。
彼の予想ではおそらくマネージャーがやってきて、「なんてことをしたんだ」と叱られる。そして、番組関係者に謝りに行くことになる。だが、克也はもう決心していた。リアクションを続けるつもりはないし、それを強要されるならいさぎよくタレントを辞めると。
まもなく予想通り、マネージャーが血相を変えてやってきた。
「樋口さん!」
「ん?」
「大変なことになってますよ!」
そりゃそうだ、と克也は思った。大変なことをしたんだから。生放送に泥を塗り、事実上の引退宣言と取れるほどのことを。
「さっき、黙々とチャーハン食べてたでしょ」
「食べたね」
「その様子が大反響で……」
「だろうね」
「『美味そうだった!』とか『チャーハン食べたくなった!』みたいな声が殺到してて……」
「え?」
意外な展開になった。
話を聞くと、どうも克也が黙々とチャーハンを食べる様子が、妙に視聴者の心に響いたらしい。余計なリアクションがなくてよかったとか、あんなにうまそうにチャーハン食べる人初めて見たとか、そんな声がネットで溢れてるらしいのだ。
「過剰なリアクションより、やっぱり自然体で食べる方がおいしく感じますよね! 新たな境地を開いてくれましたよ!」
新たな境地を開いたも何も、自分としては普通にチャーハンを食べただけなのだが、どうもそれがいい方向に働いたらしい。
視聴者としても克也のリアクション芸に笑いつつ、どこかマンネリに感じていた部分があったのかもしれない。
「これからもこの調子でお願いしますね! 多分ますます仕事増えますよ!」
「ど、どうも……」
克也は戸惑いつつも、とりあえず収入がなくなることはなさそうだと安堵した。
それからというもの、克也の食レポは変わった。
過剰なリアクションはせず、普通に食べて、率直な感想を一言漏らすだけ。
これがなぜか視聴者の胃袋を掴むのだ。半ば廃れてた店が克也のおかげで蘇ったなんて事例も起こってしまった。
共演者に尋ねられることがある。
「樋口さんってホントおいしそうに食べますよね~」
「コツとかあるんですか?」
コツなど教えようがない。克也は普通に食べてるだけなのだから。
ある休日、克也は由香子の作ってくれたご飯を食べながら、問いかける。
「なぁ、俺の食い方ってそんなに美味しそうに見えるか?」
「んー、私にはよく分からないな。綺麗に食べてくれるなとは思うけど」
「だよなぁ」
首を傾げる夫婦。
しかし、普通に食べていればいいのだから、克也にとってはこんなに簡単な仕事もない。
やはり克也にとって食レポタレントというのは天職だったようだ。
おわり
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