16章 Edmund
『クルーヴァディア王エトムント、その生まれ変わり』
その言葉が、言葉という名の引き金が、アナンの記憶をかき乱す。
(俺……俺、は……)
アナンはがくりと地面に膝をついた。普段なら気にも留めなかっただろう。むしろ、笑い飛ばしていたかもしれない。
だが、今の彼にはそれができなかった。
呼び起こされてしまった断片的な記憶があるから。
クルーヴァディア王国最後の王、エトムント=イルゼ=ミケーレ=イェリネクとしての。
(……このところ見続けていた夢。あれは……『俺』が、いや、『私』が……命を絶つ、その直前の記憶だ)
『覚えて』いる。クルーヴァディアが崩れた二千年前のあの日。
破られた城壁も、そこから覗く火の海も。
時が経てば経つほど悪くなる戦況。前線に立とうとする彼を涙ながらに止めていた側近達。
わかっていた。都の陥落は時間の問題だということ。自死か戦死か処刑、それだけが残された道だということ。そして、勝敗に関わらずクルーヴァディアの地はもう。
(……限界だった)
災害と戦争でボロボロだった故郷。最後に青空を見たのはいつだっただろう。
等身大の感情がこみ上げる。
誰かの死を悟ったこと。誰かの生を願ったこと。
そして、命を絶ったこと。王の家の血筋も誇りも、自らの手で断ち切ったこと。
絶望したこと。悔やんだこと。捨てたこと。諦めたこと。
(それが最期の、王としての役目なら)
そう思ったこと。
熱と血と涙。
棺代わりの『悲劇』。
忘れられた英雄への手向けの花。
伝承にも神話にもなれなかった英雄のエピローグ。
救われない亡国譚。
本当に?
(……違う)
クルーヴァディアが過去のものなら、今はなんだ?
誰かに追われる今はなんだ?
今もなお、元凶であり続けるクルーヴァディアはなんだ?
(例えこの身も名も朽ち果てても)
(なにかきっと)
(残るのならば)
そうだ。
これは、あの日繋いだ今だ。
あの日願った明日だ。
二千年の時を超えて、守りたい今日だ。
(――『私』は、約束をした。未来のための約束を)
『私達はきっと、クルーヴァディアを本当の意味では終わらせることはできない』
『だから、繋ごう』
『遠い未来で、同じ魂の下に生まれよう』
『この国が辿った道を往くものがないように。……クルーヴァディアを、蘇らせないために』
『約束をしよう。これを、その証に』
『そして、次の世で探そう』
『印を持って生まれる仲間を』
右目が熱を帯びていく。青い青い視界は全てを見通せそうだ。
『思い出したか、エトムント』
くつくつと嗤う男の名も、今ならわかった。ゆっくりと膝の泥を払って立ち上がる。
『今のお前はクルーヴァディアからは逃げられぬ。自ずから私の元へ赴き……そして破滅への道を辿るのだ! 物語はなるようになる。例えお前が何を選ぼうとも。このクルーヴァディアの大舞台で、新しき神は古き英雄を滅ぼす……なんと心躍ることか!』
彼、ルドルフは完全に自分の世界に入ってしまった。古い王を倒し理想郷を再興する、都合の良い御伽噺の世界に。
「……お前は勝手にその筋書きをなぞっていればいい。だが……」
まだわからないこと、思い出せないことは沢山ある。なぜクルーヴァディアは滅びなければならなかったのか。ルドルフはあの時何をして、今何を企んでいるのか。
一人分の二人、二人分の一人。
それでも。
予測不能な自分自身の中で、たった一つの確かなこと。
「今までもこれからも、私が、……俺が歩くのは、自分で選んだ道だ!」
例え結果が同じだったとしても。
彼はもう終焉を選ぶ王でも、運命に流される少年でもない。
道を選び、そして。
物語の結末を裏返す、主人公なのだから。
限界まで弓を引き絞る。
(見える)
ルドルフの分身とも言うべきこの球体の、どこをどう撃ち抜けばいいのか。手に取るようにわかる。頭の中で『見える』のだ。
願うように手を離す。放たれた矢は思った通りの軌道を描いた。例えるなら、夜空を裂く若き雷。
これを撃ち落としたところでルドルフ本人は別のところにいる。きっと大した損害にもならないに違いない。そんなことはわかっているのだ。
だが、いや、だからこそ。
この雷鳴は、宣戦布告だ。
ルドルフ総帥へ、《リンカーネイション》へ。
そして、クルーヴァディアへ。
どうせ同じ場所につくのなら。還る場所が一つしかないなら。
(……堂々と歩いてやろうじゃないか)
重い金属音を立ててそれは壊れ落ちる。終わりは意外にあっけないものだった。彼の嫌な笑い声が耳に残っていることを除いては。
突然自覚した自分であり他人である彼。大きすぎる存在に少しだけ戸惑う。
何もかもを思い出したわけではない。かつての自分の僅かな情報、感情、ルドルフの名前、そして約束。
右目の熱はまだ引かない。いや、それどころかかえって力を集めるように視界が澄んでいく。少なくとも当分の間は、印が残ったままなのではないかと直感的に思う。
(ああ、そういうことか)
右目はエトムントのもの、左目はアナンのもの。
もう一度、未来を見るための約束。
――『私』と『俺』の、盟約。
「全てが朽ちて枯れる時、それを絶望と呼ぶように」
「全てが生まれ変わる時、それを希望と呼ぶように」
「生きとし生けるもの、全てを唄う死のように」
「生きとし生けるもの、全てを廻る血のように」
「生きとし生けるもの、貴方に宿る印のように」
「……エト」
「あたしは……」
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