10章 Marker(2)
ナタリーの剣を叩き落としたもの――恐らく斧のような武器が弧を描いて声の主の方に戻っていく。その場にいる誰もが呆然として男を見つめた。
先程の声の主は濃い橙色の瞳をした大男だった。日焼けした肌に残る傷跡と着崩した豪快な服装は数多の戦場を潜り抜けてきた傭兵といったところだろうか。
「な……なんなのよ、あんた」
男の登場はナタリーをいつもの調子に戻した。ぱっと五人の前から離れ、はじき落とされた剣を掴みかける。
「おっと、気を付けな、嬢ちゃん。俺の斧は毒着きだ。毒にやられるカワイ子ちゃんは見たくねぇからな」
「……」
男の言う通り、斧が剣につけた浅い傷からはぶくぶくと紫色の液体が泡立っている。見るからに安全なものではない。尤も敵の言うことなのだからでたらめの可能性だってあるのだが、それでもしっかり者の彼女は万が一の可能性を考えたようで、懐から代わりの短剣を取り出した。
「……どこのどいつだか知らないけど、私の邪魔をしないでちょうだい」
「お、来るか」
一気に場は張り詰める。この男が味方かどうかは定かではないが、少なくとも敵ではなさそうだ。ならば、とアナンとキケはイスフィ達を守る方向へ目的を変更しようとした。
「そりゃあ悪りぃな、俺は可愛い女の子は攻撃できないタチなもんで」
「……は?」
だが、男の口から出た言葉は全く想定外のものだった。彼はアナン達の側に着くつもりのようだが、それでいて今明らかに敵対しているナタリーを攻撃できないとは何事か。
「……舐めたこと抜かしてんじゃないわよ」
ナタリーもそう思ったのだろう、語気を荒げ短剣を手に男の方へ突進してきた。初めてアナン達と意見が一致した瞬間と言っても過言ではないだろう。
「……本当の目的も忘れて、純朴な嬢ちゃんだ。嫌いじゃないぜ」
先程の態度とは打って変わって、男は口角を上げてにやりと笑った。そのまま遊ぶ子供のように走り、アナン達から離れていく。ナタリーが迷わず後を追う一方、テームは敵の只中にいることも忘れて呆然と立ち尽くしていた。ある程度ナタリーと距離が取れた頃、彼はわざとらしく大声で叫んだ。
「……ん、少々ここは空気が悪りぃな? 対等に行こうや、嬢ちゃんよぉ」
「……!」
その一言でテームは何かに気付いたようだった。慌てて走り出した彼を見て、ナタリーも短剣をしまい跳ねるように急ぐ。だが、すんでのところで二人は間に合わなかった。
男が投げた斧は風を切って飛んでいく。その先にあったのは、茂みに隠された鉄製の機械。
それこそがアナン達に幻覚を見せ、魔力を奪った罠の本体。
がしゃん、という重い音が木々の間に響く。鎧に包まれた人間が死ぬときはやはりこんな音がするのだろうか。
『エラーコード50904、異常事態発生。緊急停止、緊急停止』
一瞬の後、先程の機械音声が割れるように叫ぶ。アナン達には心なしかその声がひっ迫しているように感じられた。
「あれ……」
一気に体が軽くなる。罠が破壊されたことで魔力を封印されていた状態も解除されたのだろう。いつの間にかキケの印は光り、ラーシュも刃の顕現した槍を持って立ち上がる。こうなってしまえば圧倒的にアナン達が有利だ。明らかに分が悪くなった二人は半歩後ずさる。ぷつりと小さな音を立て、ナタリーの通信機の電源が入った。
『……応答せよ、こちらオリヴェル』
「……オリヴェル様……! こちら、ナタリーです」
通信機の向こうの科学者の息遣いがノイズを作る。彼は明らかに機嫌が悪そうだった。
『どうやら派手にやってくれたようだね。……失望したよ』
「……申し訳ありません」
『まったくだ。攻撃に入るならこちらに一報入れたまえ。それで最低限の任務まで失敗するとは……。これだからがめつい孤児は困るね』
「……」
小言を聞き流しているのか、或いは唇を嚙み締めているのか。とにかくナタリーとテームはアナン達からの攻撃を避けながらなんとか飛行機体に乗り込んだ。
『まあいい、後処理はこちらでしておこう。さっさと帰還したまえ、無能共』
ひとしきり悪態をついて満足したのか、オリヴェルは一方的に通信を切った。その代わり、何かに火が付いたような音とカチカチという規則的な針の音が聞こえる。
「……まずい、火薬か?」
何かを察したキケはアナンとラーシュの腕をつかんであっさり身を引く。
「伏せろ!」
語尾をかき消すように、背後で醜い爆発音が上がった。煙のせいか視界が悪い。
燃え果てる村の記憶が脳裏を過る。轟音、熱風、瓦礫。無慈悲に壊す、全て。
……轟音、熱風、瓦礫?
「……妙だな」
いつまで経っても草が燃えたり木々が倒れたりする音が聞こえないのだ。
恐る恐る振り返る。
「え……?」
数日前に見た悪夢のような惨状はない。ただ微かな煙の臭いに支配されたいつも通りの森。
「……目くらましか……」
気付けば二人の姿はない。この隙にあの乗り物に乗って退散してしまったのだろう。地面にはご丁寧に毒付きの剣が放り出されていた。
危険が去ったと分かった途端に足の力が抜ける。神経を締め付けられるような状況で完全に忘れていた腕の痛みも戻ってきた。
「助かった……のか?」
アナンの声に、皆緊張の糸が切れたように声を上げた。
「よかった……本当に死んじゃうかと思った……」
「ご迷惑をおかけしました……その腕の傷、治療しますね」
「ちょっと待てユリア! まずは手を……」
「そうだ、この剣を解毒しないと……」
皆落ち着いたのか、或いは興奮しているのか、めいめいが喋りだした。そういえば先程の男に声をかけていない。アナンは慌てて男の後姿を追いかける。
「あの……さっきはありがとうございました。それで……」
まずはお礼、それからラーシュが聞きたそうにしている毒の種類、あとは……。
だが、アナンのまとまりのない話は皆まで言う前に男に伝わったようだった。
「ああ、あの剣だな。あの毒は偽物だから気にしねぇでいいぞ」
「……え?」
思わずアナンはあんぐり口を開けてしまった。先程の発言といい、彼は人の予想を裏切るのが得意なのだろうか。
「いや、やろうと思えば容易いもんよ。だがまあ……めんどくせぇからな。如何せん空気も悪ぃし」
「は、はあ……それじゃああの液体は?」
恐る恐る尋ねたアナンに、またもや彼は容赦なく想定外の答えを叩きつける。
「媚薬だよ」
「……え? び……」
「はっはっは、てめぇみてぇなガキには早えか」
初心というか偏った知識に依存しているというか、そういうきらいのあるアナンにとって、突然告げられるには刺激のある言葉だった。反応に困って息継ぎをする魚のように口を開けたり閉じたりする彼を、男は豪快に笑い飛ばしてまた背を向けた。
「じゃ、俺は行くぞ」
「あ、ちょ、ちょっと! せめてなにかお礼を……」
彼の言葉には辟易したが、本来の目的を忘れるわけにはいかない。だが、彼はその問いにも背を向けたままひらひらと手を振った。
「礼? いらねぇよ、そんなもん。ガキが払える分なんて高が知れてらあ。それより俺は魔物を狩って自警団から金貰う方がよっぽどいい。……だがまあ、名前くらいは教えてやるよ」
不意に彼はアナンの方へ振り向いて、不敵に笑った。獰猛な獣のように、或いは思慮深い猛禽のように。
「俺はヒューゴー=メイスン。流れの傭兵だ。あばよ、小僧」
そのまま男、改めヒューゴーはこちらへ興味を無くしたようにまたすたすたと歩き去っていく。
その時だった、アナンが彼の右肩にある痣のような印に気付いたのは。
木漏れ日に照らされる、彼の瞳と同じ色の濃い橙色の印。彼もまた、こちら側の人間だ。アナンの本能がそう告げていた。
「待ってくれ! その肩……」
だが、ヒューゴーは振り返ることなく足早に木々の向こうへ姿を消してしまった。
追いかけようとしたアナンの袖を、不意にラーシュの指が引く。
「アナン、それでこれは何の毒だって?」
「え、ああっと……」
そういえば元はと言えばこれが本題だったのだ。とはいえ、一国の王子ともあろう彼に俗っぽいことを言うのはどうにも憚られる。
「……危ないものではないらしい」
「……? そう、それなら良かった。一応浄化はして、持っていこうか」
言い淀んだアナンの態度に僅かに首を傾げたものの、彼は特に気にする様子もなく剣の方へ戻っていく。それを、今度は反対にアナンがラーシュを引き留めた。
「さっき助けてくれた人……ヒューゴーっていうらしいんだが」
「そうなの? そういえば彼にも一言……」
「いや、もう行っちまった。……それで、彼のことなんだが……」
要領を得ない語り口を、彼は怪訝そうな顔で聞いている。だが、次の一言でラーシュはその大きな瞳を見開いた。
「……肩に印があった」
八つの瞳が驚きを湛えてアナンを見つめる。水を落としたような静寂は晴れて、ようやくイスフィが声を上げた。
「え⁉ じゃあ……あの人が六人目ってこと?」
「多分……」
「もっと早く言って! 印を持った人ってあたし達に関係があるんでしょ? 追いかけなきゃ!」
慌てて立ち上がった彼女はさっそく木の根に躓きかける。アナンはなんとか彼女の手を掴んで受け止めた。鼓動が聞こえるくらい、限りなくゼロに近い距離。
「……落ち着け」
「……うん。……ありがと」
柔らかい手を離したくなくて、でもどこか恥ずかしくて。すっと互いの熱が離れていく。どうしてか誤魔化さなければいけないような気がして、アナンはわざわざ大きな声を出した。
「……ヒューゴーは自警団がどうのとか言ってたぞ。まだ罠があるかもしれない森をうろつくより、自警団の本部に行ってみたほうが早いかもしれない」
恐らく彼の言っていた自警団とは、アナン達が目指している町のものだろう。確か傭兵部隊もあったはずだとアナンは記憶していた。
「それが良さそうだな。町なら魔法防御は敷かれているはずだし、奴らも革命直後に隣国の大きな町を攻撃するなんて馬鹿な真似はしないだろう。アナンの傷が治ったら出発するか」
キケの言葉が終わるより前に、ユリアが駆け寄って治癒魔法を唱え始める。腕の立つ彼女なだけあって、傷はたちまち消えていった。感心して眺めているアナンの横で、イスフィが何か思い出したと言わんばかりにラーシュをつつく。
「……罠がどうとか言っていて思い出したけど、元はと言えばあなたが囮に引っ掛かったのが原因よね?」
「……それに関してはすまないと思っているよ」
年の近い少女に面と向かって責められる機会などなかったのだろう、彼のぎこちない反応はどこか可笑しい。
「過ぎたことは仕方ないけれど……だいたい、どうして泉になんか行こうと思ったわけ?」
イスフィの問いかけに、ラーシュは透き通った瞳をしばたたかせて子供みたいに微笑んだ。
「……見つかるんじゃないかって思ったんだ、僕の……」
お読みいただきありがとうございました!
ブックマーク、感想等はお気軽に!
誤字脱字がありましたら報告していただけると幸いです。




