8章 Memories(2)
誰かが、呼んでいる。
「陛下、陛下!」
慣れない敬称を呼ぶいくつかの声は酷く慌てていた。
「何事だ」
自分の意志通りに口が動かない。それはまるで、出来上がった芝居を追体験しているような。
「東の塔に火がつきました。もうおしまいでございます」
なにもわからない。それでも火と言う言葉が思い出させるのはあの光景。
「……消火装置はどうした?」
装置? 聞きなれない言葉。
「あれは先の大地震の影響で全く使い物になりません」
「雨は……あてにならないな。もう何ヶ月も降っていない」
全く状況が飲み込めないなりに、なにか異常なことが起きているのだということだけはわかる。
「ああ、第一コアが壊れてはもうどうにもなりません。あんなことがなければこの大火事
だって起こらなかったでしょうに」
コア? いや、それよりも。大火事。その言葉が呼び起こす悪夢。
「陛下、陛下!」
駆け込んでくる誰かがもう一人。
「何事だ」
「神子様からのお言葉がございます」
神子。巫女のようなものだろうか。思い浮かべるのは彼女のこと。
「無駄だ、もう遅い。それに彼女だって……」
生暖かい嫌な汗が伝う。無駄? 遅い? なにが、どうして?
彼女はずっとそこにいるはずで。いや、それすらも。
書き換えられない劇はこんなにももどかしいのだろうか。
(……俺は)
もしもが、叶うなら。
(きっと)
「――! アナン!」
ようやくアナンは夢から醒めた。
(……夢か。ええと、俺は……)
「やっと起きた。さあ、交代で見張りの時間でしょ」
そうだ、今は深夜で、ここはキケに連れられて来た坑道の簡易宿泊場所で。傍にはイスフィがいる。火事も何もかも、全部夢の中のことじゃないか。
それなのにどうして。
(……こんなに手が震えるんだ)
「ほら、しゃきっとして!」
温かい手がアナンをこちら側へ連れ戻す。一つ瞬きをして、彼はようやく不器用に微笑んだ。
「……ああ、悪い」
部屋の外へ向かって据えられた椅子に腰かける。暗がりの中、彼女の顔は見えない。だからだろうか、無口な彼がすんなり夢の話を口に出したのは。
「……変な夢を見た」
「どんな夢?」
「俺は偉い立場の人間らしくって、陛下とか呼ばれているんだ。それで、どこか広い空間にいて、東の塔だとかが火事になっていて……」
話しながらもアナンは「それは火事のことが記憶に焼き付いて離れないからそんな夢を見るのだ」と現実的な返答をされるとばかり思っていた。だが、彼女の答えは予想だにしないものだった。
「……あたしも見た、変な夢。あなたのとは違うけど」
「え。……どんな?」
「そんなにはっきり覚えているわけじゃないわ。でも……なんだか悲しくて、怖くて、それでもなにか……希望みたいなものはあって……上手く言えないけれど、不思議な夢」
そう言って彼女は黙り込んでしまった。
悲しくて、怖くて、希望。濃紺の闇が肺に流れ込む。一秒はこんなにも長いものだっただろうか。
「……アナン?」
「なんだ」
静寂を断ち切る彼女の声に自然と心が安らぐ。
「あたし達……ずっと前からお互いを知っていた気がするの」
「そりゃそうだ、家同士赤ん坊の頃から交流があったじゃないか」
「そうじゃなくて」
きょとんとした顔で返事をするアナンをちらりと横目で見て、彼女は俯いた。
「……こうやって暗がりの中、二人で話したことがある気がするの。でも……」
小さく息を吐いて、彼女はなにもなかったかのように笑った。
「まあいいや、今のは忘れて。ただの夢よ。……さあ、ちゃんと見張っていないとね」
その横顔に何も返せないまま、アナンはそっと座り直す。先程よりも少しだけ彼女に近い場所に。
夜は更けていく。幼い夢のように。
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