†二人は空の下で楽しんでいる……多分†
「だああああ! また負けたっ!!!!」
埃と酒と濃い料理と泥の匂いが交わる昼間でも薄暗い酒場では、焼けた肌に無精ひげを生やし片目を眼帯で隠している大男が絶叫して目の前の丸テーブルを両拳でダン! と叩いた。叩かれたテーブルはガタンと大きな音を立ててグラグラと揺れ卓上に散らばっていたカードを床へと落とす
「ふふふふふ、また僕の勝ちですね。ではこのお金は頂きますよ」
ニヨニヨ顔をし お金の入った皮袋を手にするのはローレリアの名前を捨てたノア、彼女は裏路地の酒場に来ては男達と賭け事をしては金を巻き上げている
「くっそ、綺麗な顔した兄ちゃんだから世間知らずだと思ってたのに!!! なんであんた強いんだ」
唾を飛ばし怒鳴る男、普通の人間ならばここで萎縮してしまうだろう、だがノアは満面の笑みを向けている
「貴族を相手にすれば誰だってこうなりますよ、お兄さんはむしろ素直で可愛らしいです。あっちなんて卑怯な手を使いあれもこれもしては絶対に勝ちにくるんですよ。そしてそれでも勝てない場合は権力で負けを勝ちにしたりする。僕お兄さんと一緒にカードゲーム出来て嬉しいです、もっとしましょう。何を持ってるんですか出すもの出して下さい、むしろお兄さん自身でも良いですよ。一生僕の為に働きませんか?」
とても良い笑みである、すごく良い笑みである。目の前の男性はノアの言葉にヒクリと唇の端を震わせた。
「ああ、やめだやめ! 俺の負けで良い! あんたと一緒にいると碌な事なさそうだ!」
深い溜息をして片手を軽く振る男、目の前の相手が悪すぎる事をどことなく察したらしい
「おや残念です。お兄さんのように素敵な体の持ち主ならば力仕事とかお願い出来そうだったのに、じゃあこちらの酒代だけは僕が支払っておきますね、お兄さんから奪ったお金で」
「好きにしやがれ! くそが!」
男はフンと大きな声を出して酒場から出ていく、ノアは「ただ働きゲット出来なかった」と残念そうな顔をしていた
「ノア、そろそろ私達も行きませんか?」
酒場の片隅でギャラリーと共にこちらの様子を見ていたアーサーが近づいてはそう言った。
「うーん、もう少しお小遣いを稼ぎたかったけど、まぁいいか」
そう言って立ち上がる、肩にかかった髪を手で後ろへと払った時、他の男が酒瓶片手に話しかけてきた。
「おいおい、兄ちゃん二人勝ち逃げって訳には行かんだろ。次は俺だ」
その男を筆頭に他の酔っ払い達もノア達を囲む。
「さっき見たいにはいかねぇぞ」
「俺たちが全員相手だ」
「楽しいな」
ノア達を囲む酔っ払いの男達、今度は正々堂々と如何様をしてノアから金を奪う作戦のようだ。ノアの後ろに立っている男が酒に酔った赤い顔を醜く歪ませる
「お金がなくなったら女みたいな顔をしたお前の体で払ってもらうぜ、あんたなら男でもイけそうだ」
下品な言葉にアーサーが周りの男達を睨み「お前ら」と呟いた。
「アーサー駄目だよ、そんなに威嚇したら、せっかくの獲物なんだから優しくしてあげないと」
そう言ってアーサーを宥めるとノアは男達に視線を送る
「しましょうよ。楽しい事を――――」
ツンとした笑みをノアは彼等に向けた
「「「!?」」」
――――ヒヤリ……。彼らは一瞬にして動けなくなった。それはまるで自分の腕では太刀打ち出来ない魔物を前にした時の感覚、つまり死を悟った時と同じ感覚だ。体が恐怖で動かない、息が上手く出来ない、蟀谷に流れる汗がとても冷たくて気持ち悪い、酔いは一気に醒めてしまった
相手は女のような……、否、その辺の女よりも華奢で細い、しかも絶世の美形だ。正直言って見た事ない美しさだ。普通に目の前の子供が女でドレスを着ていれば貴族のお嬢様かなんかだと思うだろう。だが男の服を着てそしてこんな泥臭い酒場でゴロツキ相手に笑っている。優雅に笑う
その笑いの中に何か得体のしれない物があってその得体のしれない物に逆らってはダメだと全身が言っている。
ゴクリ――――誰かが喉を嚥下させて。誰かの汗が床のシミの一つになった。
「や、やっぱり腹がいてぇから、今日はなしだ」
「あー、俺も魔物退治した時の古傷がいきなり」
「女将ここに酒代は置いておくからな!」
酒場に居た男達は一斉にその場から逃げ去る。ノアは「あれ?」と首を傾げた
「折角の獲物が、てっきり力づくでお金を奪ったりするものばかりだと思って色々と考えていたのに」
「……」
アーサーは聞かない「色々って何」と聞かない。それから深い溜息をつくとカウンターで顔色を悪くしているお店の女将に視線を向けた
「ノア、失礼しますよ」
そう言って先程、男から巻き上げたお金をカウンターの女性に渡す。
「あの男性が来たらこのお金を返してください。見ていて可哀そうでした。因みに彼のお酒のお代はここからお願いします」
「へ?」
穏やかな音が聞こえるような雰囲気を纏い金髪緑眼のイケメン爽やかスマイルをお見舞いするアーサー、女将の悪かった顔色に紅がさして無意識にアーサーの言葉に頷く
「貴女のような素敵な女性がこのお店のマスターで良かった」
瞳を細めて美しい笑みを作り女将の両手を優しく掴むとその手の中にお金を置いた。そして止を刺さんばかりに女将の手荒れが目立つ指先に口づけの一つを落とす
「!!!!!!! sdふぁjふぃわおふぁ!!! あふyylうぇふぃおあ! 一億年の恋!!!」
女将はゆでだこになり鼻から血の噴水を作りその場に膝から崩れ落ちる、女将は「あゆ、あひゅぅ」と声を上げながらクラクラと目を回していた。
ノアはそれを見て「やるぅ」と唇を軽く窄ませる、そんなノアを見てアーサー顔を引くつかせてからノアの腕を取るとお店を出た。先ほどまで晴れだった空は曇り空で今にも雨が降りそうだ
「いくらなんでもやり過ぎです、彼らには彼らのやり方があるのですから猛獣が転がして遊ぶなんて事をしてはいけません」
少し怒った様子でノアを進言するアーサー、その言葉にノアは瞬きをして眉を八の字にした
「そうだね資源は大切にしなきゃね」
「違う、そうじゃない」
頭を抱えてアーサーは深い溜息をついた。それからノアに視線を暫し送る、彼の瞳の中にどこか拗ねた様子が伺えた
「……ノアは、そんな風に話せるんですね、知りませんでした」
「あ、うん。一応男装してるし言葉使いもこうした方がいいかなと」
キョトンと答えるノアにアーサーは顔を怪訝そうにした
「ギリ男装? はともかく。いつ、どこで、どのように、そのような言葉使いを覚えたのか、と聞きたい所ですが貴女の事です“昔読んだ本”とお答えになるのでしょう」
「分かってるならいいじゃん」
ニッコリと笑うノアにアーサーは頭を更に抱えた
「貴女と居ると本当に色んな事が馬鹿らしくなります」
「そうそう考えるだけ無駄ってね」
彼女の言葉に脱力するアーサー、本当にその通りなので ぐうの音も出ない
「はぁ、……雨が降ってきます、宿屋の方に行きましょう」
溜息一つでアーサーは気持ちを切り替えてそう言った。だがノアは首を左右に振る
「雨だよ、裏路地を歩こう」
彼女は人差し指を出すと軽く回した。彼女の指先から淡い光が出てアーサーとノアの二人の周りを囲み最後にパチンと弾けるように消える。
「これで私達は濡れない。因みに寒さも感じないから」
「何をなさるつもりですか」
「別にやりたい事をやるだけ」
ノアは歩き出した、アーサーが諦めた顔でその後ろをついていく。薄暗く汚い裏路地、匂いも臭くたまったもんじゃない時折野良犬が警戒するようにこちらに向かって唸る。ノアはそれを見ては空間魔法から骨付き肉を取り出して犬に向けて投げた。犬はそれを目にするなり口でキャッチしその場からさっさと立ち去る
そんな風にやり取りをしているとスラム街に辿り着いた。雨が降っている中 薄着一つで壁に寄りかかる者、何か危ない薬を飲んで笑っている者、靴を履かないでボロ布だけを身にまとい僅かな屋根に立っている子供、他にも危なげな雰囲気の人間達が居る、そしてその人物達は獲物を狙うかのように自分達に視線を向けていた
「このような所に何を」
「したい事をするだけ」
そう言って少し開けた場所に立ち止まる。スラムの者達はピリピリした雰囲気を保ちながらノア達にいつ飛びかかってやろうかと殺気だっていた
「ここで良いでしょう」
そうノアが呟くと彼女は空間魔法から大きなガゼボを取り出した。スラムの人間達はそれを見て目を見開き先程まで出していた殺気をヒュンと体の内に収めてしまう
「これじゃ暗いな」
ノアはどのように思われているのか気にせず光の魔法を使うとガゼボの中央に明かりを灯した。ノアは晴天の太陽が出ているような光具合に満足すると更に空間魔法から竈を取り出し、ある程度作ってあった料理をその上に置いた。竈に火を入れると良い匂いが漂い始める。何も入っていない腹が刺激されてスラムの人間達の口腔に唾液が溜まった
「食べたい人はここに列を作って並んで!」
とノアは大きな声を上げる、するとスラムの人間が戸惑い始めた
「今だけしか食べれないかもよ!」
空間魔法から木の器とスプーンを取っては促すようにそう言った。スラムの人間達はよそ者の突然の施しに動揺を隠せない、どうしようかと悩んでいた時、骨と皮だけのような子供が弱々しくこちらに近づいた、子供はかさついた唇を動かし問う
「お、お金、ない」
「お金は要らないよ」
子供に笑みを向けて笑うとノアは器にスープを入れて子供にスプーンと共に渡した。その時ノアは子供に対して何かをしている。それに気が付いたのはアーサーのみ
「ごはん食べて早く元気になるといいね」
手の中にある皿とスプーン、子供は渡された器とノア、そしてアーサーを見る、アーサーは「それは君のだよ」と言った。
子供は再度皿の中のスープを見る。見たことない程 具が沢山入ったスープだ、もしかしてお肉が入っているような気がする
ゴクリ――――唾液が口腔に溜まってそれを飲む、そして毒が入っていてもいいという気持ちで子供はスプーンを使わずに一口飲んだ
「!」
温かい料理に目をカっと開くと子供はスプーンを使いガツガツとそれを胃袋の中へと入れ込む。その様子を見ていた他のスラムの人間達がザワリと騒めきそして恐る恐るノアの所へと向かった。
ノアは笑みを向けながら彼らにスープを渡す、そして渡す時に何かをしている、時折割り込もうとしくる人間が居たが、ノアが何かを言えばまるで操られたかのように大人しくなった。
「何かしてます?」
「うん」
アーサーの言葉にニコニコと笑うノア、アーサーの胃が痛くなる
スラムの者達はノアの料理を食べて不思議と力が沸きそして穏やかな気持ちになった。痛かった古傷も、見えなかった目も見え、苦しかった呼吸もする事が出来て全てが楽になった。何がなんだか分からない。だが分からなくてもそれを疑問に思う事もない
「器の方は返さなくていいので他に食べたい人が居るならこちらに来てください、まだ料理はありますから、食事をしていない人がいたら連れて来てくれると助かるよ」
そんな風に声を数回程かけた後、食事を終えたスラムの人が動けないでいるスラムの人間を連れてきては食事をさせるようになった。そしてついにスラムの人々のお腹が全員満たされた。ノアはその事を知ると満足そうな顔をし竈と鍋を空間魔法に戻す
ガゼボの方は休憩している者達が居るので雨が止んだら消えるように設定した。スラムの人達は穏やかな顔をしていた
「行きましょう」
ノアはそう言ってその場から立ち去る、スラムの人々はただ満足そうな顔をしているだけでノアに感謝の言葉もない。むしろノアの存在を忘れているようだ、アーサーが怪訝そうな視線をノアに向ける
「何したんですか?」
「今日の事を忘れるように暗示をかけたの、それからやる気が出るよう気力回復の薬と体の欠損や病気まで治る薬をスープに入れたくらい。あとはそうね、希望はいくらでもあるギルドに登録して仕事を探すように催眠をかけて、少々の知識を与えたくらいかしら?」
「どうしてそのような施しを?」
「やりたいだけ、やりたかっただけ。普通こんな事したら根本を正さない限りまた同じ事の繰り返しだ、この偽善者! なんて言われるんでしょうね。だから忘れてもらう事にしたの、暫く食べなくても生きていけるようなのをスープに入れたし、その間にギルドに行って仕事さえ手にすれば今よりはマシになるでしょう」
「俺は貴女の考えている事が分かりません、このような事をして貴女に利益があるのでしょうか?」
「利益がある訳ないじゃない、あるのは私の身勝手なわがまま、さあ今度こそ宿屋に行きましょう」
ノアは瞳を細めて美しく微笑した、アーサーは彼女の横顔に瞬きをする。そしてそれ以上何も言わずに彼女の後ろをついていく