イヤな男 《ヒューマンドラマ》
町の小さな花屋フラワーむさし。ここ二年ほど月に二、三度通っている。きっかけは些細なことだ。社会人になったばかりで心身ともに疲労が極限に達していたころ、下ばかり向いていた私の目にたまたま店先のポップが映った。
『花言葉は【勝利】!』
書いてあったのは、それだけ。でも疲れきっていた私の心には刺さったのだ。その花の名前も知らないまま買って帰り、家に着いてから花瓶がないことに気がついた。背の高い花だっからコップでは用が足りず、2リットルのペットボトルの中身をいくつものコップに入れ替えて即席の花瓶にしたのだった。
花は真っ赤で、見ているだけで元気になれる気がした。
それ以来ネットの花言葉辞典を見て、その時の気分に合う花を買うようになった。もちろん欲しいと思った花が必ず店先にあるわけではないのだけど、そんな時は店長さんから売り場に並んだ花の花言葉を聞いて、気に入ったものを買うようにしている。私の父親くらいの年齢の人だけど、話はいつも弾み親しい仲だ。
私がむさしを訪れるのはいつも水曜の昼下がり。仕事の休みが水曜なのだ。店員は毎回同じ顔ぶれ──のはずが、今日は違った。初めて見る、ちょっとチャラい雰囲気の男の子だ。そういえば前回来たときに、バイト募集の張り紙が出ていたなと思い出す。
店には彼とぼんやりと花を見ているひとりの客しかいない。この店員で大丈夫かなと思いながら、
「カキツバタはありますか。それで花束を作ってほしいんですけど」と声をかけた。
「カキツバタっすね。ありますよ」
男の子が私を見る。学生──二十歳前くらいかな。唇にピアスがついている。痛そうだ。
「用途は何すか?」
「あ、ええと、友達に贈るんです」
「なるほどー」
男の子は冷蔵のショーケースの中から紫色のそれを何本か手に取った。
「本数は。予算とか、合わせる花とか。誕生日用、それとも発表会?」
矢継ぎ早の質問にちょっとたじろぐ。
「発表会とか、特別なことじゃないんです。彼女、最近よくないこと続きで落ち込んでいるから、元気づけたくて」
「お、優しい。でもカキツバタを選ぶのは何か意味があるんすか」
「花言葉が『幸せは必ずくる』だから」
「なるほどー」
ふんっと、鼻を鳴らす音がした。
振り返ると先客がバカにしたような目で私を見ていた。三十路らしき男性だ。着ているものはおしゃれでしかも高そうだけど、表情はよろしくない。
しばらく見つめ合っていたけど、彼は
「花言葉に頼るなんてバカバカしい」
と言って目をそらした。
「好きなものは人それぞれっすよ」と男の子が言う。
見かけによらず、いいヤツらしい。私を見て、
「合わせるのどうします。俺、花言葉は分からないんですけど」
「あ、カキツバタが引き立てばいいです。あんまりヘンなものはないと思うんで」
「了解っす」
男の子はサクサクっと選んでいく。
そっと振り返ると男はよそを見ていたものの私の動きに気づいたのか、こちらを見た。
「──花言葉になんて頼っても何にもならないよ。幸せがほしいなら自分で掴みとれ」
またコイツは。イヤな男だ。
「意味を押し付けるより、友人の好きな花を贈るほうがずっといい」
「別にいいじゃないですか。気分を上げる、その一助にするんですよ」
「そんなもの。花を見て、ただ美しい、綺麗だと感じればそれでいいじゃないか。何故わざわざ意味をつける。気休めにもならない」
「ちょっとお客さん。他のお客さんに絡まないでくれるっすか」
チャラい男の子が手を止めて注意する。
男のほうは口を閉じ、ふいと顔をそらした。
と、その先、店の奥から店長が出てきた。手に花束を持っている。
「お待たせしました。すみませんね、うっかりいつものラッピング用品を店に出しておくのを忘れてしまって」
男は構わないよと静かに答えて会計をしている。花束は大量のキキョウだけで、黒いリボンが結ばれていた。
黒なんて初めて見る気がする。
というか『いつもの』ということは、彼も常連なのだろうか。
男は会計を終えると花束を丁寧に持ち、私を一瞥すると小さな声で
「失礼した」
と言って、店を出ていった。
「店長。何すか、あのお客さん。こっちのお客さんにめちゃくちゃ絡んでて。ああいうのは出禁にしたほうがいいっすよ」
「うん、まあ……」と店長は私を見た。「悪いね、イヤな思いをさせて。でも彼の前で花言葉の話はしないでくれるかな」
「なんすか、それ。おかしいっすよ。絡んできたのは向こうなのに、こっちが配慮しなきゃいけないなんて」
うーん、と店長は天井を見上げた。「彼は基本的に週末にしか来ないから、鉢合わせすることはそうそうないと思うんだけどね」
「今日は平日っすね」
「だね」
そう言った店長はカレンダーに視線を向けた。
「柳川くんも長く勤めるなら、覚えておいてもらったほうがいいか。あの人の奥さんがね、花言葉が大好きなんだよ。その時の気分に合った言葉の花を選んで買う」
「私と一緒ですね」
「そう。だから黙っていられなかったんだと思うよ。彼は元々花言葉とか、そういった意味付けが嫌いらしいけど」
男の子はまとめた花を私に見せる。うなずくと余分な茎を切り始めた。
「奥さんはね、白いアネモネとかデイジーを特に好んで買った。花言葉は《希望》だ」
店長の言葉が引っ掛かった。『買った』。過去形だ。男が受け取った花束には、見たことのない黒いリボン。
「彼からしてみれば、何の効果もなかったと罵りたい気持ちなんだ」
「よく分からないっす。どういうことっすか」と男の子。
分からないかと苦笑する店長。
「あの人の奥さんは病で亡くなった。奥さんは生きる希望を託して、その花言葉の花を買っていたけど、病に勝てなかった。だからあの人は花言葉が嫌いなんだよ」
「なるほど。でもやっぱり、他のお客さんに絡んでいい理由にはならないと思うっすけどね。一応、次からは気を付けるっす」
店長が私を見る。「悪い人じゃないんだ。傷が癒えないだけで。月に一度の墓参をいまだに欠かさないんだ。必ずキキョウを買うしね。多分、君に奥さんを見てしまったんだと思うよ」
「はい。──もし次に会うことがあったら、花言葉は口にしないようにします」
ありがとねと店長。
出来上がった花束は紫色のカキツバタとうっすら黄緑色のカーネーションをブーケ状にした華やかなものだった。男の子にお礼を言って受け取る。
「懲りずにまた来て下さいっすね」という言葉に、思わず笑う。
なかなかに楽しい子だ。これは看板娘ならぬ看板男子になるにちがいない。
それに対してあの男。
見ず知らずの人に文句をつけてしまうほど花言葉が嫌いだなんて。奥さんが亡くなったのがどのくらい前なのかは知らないけれど、もう少し心に余裕を持ったほうがいいのではないだろうか。
むさしを出てそんなことを考えながら歩く。いくらも行かないうちにふと思い付いて、足を止めた。山ほどのキキョウ。いつもそれを買うと店長は言っていた。
スマホを取り出し検索バーに、《キキョウ 花言葉》と入れる。
画面に映し出されたものを見て。
いたたまれなさに胸がしめつけられた。
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