殿下、婚約破棄してください
「殿下、婚約破棄してください」
「またかヴァイオレット! 何度も断っているだろう!」
私——ヴァイオレット・アーデンバーグは、この国の第一王子アルフレッド・ノードン・クララベル・イングラニア様と婚約関係にある。
しかし、それは恐れ多い事だ。私のような人間が、まさか王子殿下と婚約などと。
それに……
「殿下、どうかお願いします」
今日何度目かの懇願。ドレスと手袋の擦れる感覚は、もやは親しいものであるかのように思えてしまう。
「断る! これは私の望んだ事だ!」
殿下が周りから何と言われているのか私でもわかる。『色恋にうつつを抜かした愚王子』『色ボケ王族』『産まれてくる家を間違えた能無し』。とてもではないが、王子に対するものではない。
しかし、いくら不敬であっても、誰も咎める事などできない。私のような者に執着している事は事実なのだから。
私が迂闊だったのだ。
何の道理もわからなかった、幼い頃の私が。
◆
「私、将来はお姫様になりたいの」
「お、俺がしてやるよ!」
「ホント!? ありがとう!」
かつて、やんちゃ盛りのアルフレッド殿下は、よく王城を抜け出していた。
この国の支配者として求められる教養や能力は平民には想像もできないほどであり、幼い殿下は『息抜き』と称して城下の様子を見るのが日課だったのだ。
そうして貴族街に訪れた際、うっかり私なんかと出会ってしまった。
相手が王子であるなどと思わなかった私が口走った言葉を、殿下はいまだに覚えてくださっているのだ。
「約束を果たしに来た。私の妻となれ」
十年越しの告白は、強引なものだった。
王子として放たれた言葉に異をとなえられるはずもなく、私はその瞬間から王太子妃候補となってしまったのだ。
◆
思い出せば思い出すほどに、恥ずかしい記憶だ。
姫とは何なのかも知らず、ただたんに綺麗なドレスを着飾っている女の人程度にしか思っていなかった。貴族である自分が憧れるような相手ではないと、何も知らないでいたのだ。
「殿下、婚約を破棄してください」
「またかヴァイオレット! ダメだダメだ! 認められん!!」
どうにか今日もお願いしてみたが、また断られてしまった。
「まったく、兄上にも困ったものだ」
「……バーナード殿下」
第二王子バーナード・ベルクファスト・イングラニア殿下である。
その魅惑の顔に魅入られた令嬢は数知れず、周辺諸国で最も美しい王族であると評判の王子だ。
「どうやら怒鳴られていたようじゃあないか。貴女のような素敵な女性を蔑ろにするなど、男の風上にも置けないな」
「いえ、まさか。アルフレッド殿下は私のためを思ってくださったのです」
「貴女は見目のみならず、心まで美しいのですね。そして、なにものにも動じない強さを持っている。国母に相応しいお方だ」
「…………」
アルフレッド殿下はとても勘違いされやすい方で、時折このような言葉をかけられる。
婚約者を怒鳴りつける男だとか、私を無下にしているとか。
酷い言いがかりも沢山あり、損なお方だ。
私と婚約などしなければ、このような事にはならなかったというのに。
雨季の終わり頃、アルフレッド殿下が遠征に行く事になった。北の蛮族を相手に武勲を立て、王座に就く足掛かりとするのだ。
これはこの国では珍しくもない慣わしで、多くの貴族子息たちもそれに同行する。
私は、少し寂しく思っていた。
これでしばらく、殿下に婚約破棄していただけるようお話しする事ができないからだ。
「ヴァイオレット」
「……バーナード、殿下」
近頃、バーナード殿下が私に付き纏うようになった。
距離感も近い。仮にも婚約相手のいる身である私は、少なからず警戒してしまう。
「バーナード殿下、私はアルフレッド殿下の婚約者でございます。呼び捨てられるといらぬ誤解をする者もおりましょう」
「確かに。貴女は聡明だ、以後気をつけよう」
そういうが、このやりとりは三回目である。
「どうかなさったのですか?」
「いや、なに。兄上のいない間、貴女が寂しい思いをしているのではないかと」
そう言い、バーナード殿下は私の肩に手を伸ばす。
「おやめください」
「……っ」
私は一歩退いて、バーナード殿下と距離をとった。
突き出した右手は、手を差し伸べているのではない。ハッキリとした拒絶である。手袋にほんの僅かな感触でもあれば、私は不敬を承知で手をあげてしまうだろう。
「……とても思慮深いのだね。流石は国母となる女性だ」
「バーナード殿下も思慮のある方とお見受け致します」
「少し急すぎたかな? 今日はこれくらいにしておくよ。許しておくれ」
バーナード殿下はそう言ってその場を後にするが、その行為は決して収まるわけではなかった。
城だろうと、家だろうと、街だろうと、彼はどこかれ構わず私をつけ回す。ハッキリと口でお断りしても、何やら不思議に好意的な解釈をして笑顔になるのだ。
辛い毎日である。
アルフレッド殿下がいない事をいい事に、バーナード殿下が私の元へと足繁く通うのだ。不貞を疑われても仕方がない。それを恐れて、私はこのたびに周りに聞こえるよう拒絶した。
「はぁ……」
ため息、一つ。
貴族にあるまじき、気品にかける行為である。
しかし、それほどに私は疲れていた。アルフレッド殿下に会えない日々が、これほど疲れるのだとは思ってもみなかった。
殿下は、一体いつ帰るのだろうか。予定では一月ていどであると言っていたのに、もう二月を回ろうとしている。
「殿下……」
「呼んだかい? ヴァイオレット」
「…………」
何を思ったのか、バーナード殿下が後ろから声をかけてきた。最近城の中を歩くのが億劫である理由が、魅惑の顔をこれでもかと輝かせて近づくのである。
正直のところ、今すぐこの場から逃げ出したい。しかし、どうせ追ってくる事が目に見えているし、私の後を追うバーナード殿下を見れば仲良く散歩をしているように見えるかもしれない。
仕方なしではあるが、いつものように追い払う必要がありそうである。
「聞き間違いですわ、バーナード殿下。それと、私の事を呼び捨てるのはお止めください」
「ふふ、照れている君も素敵だ。すました顔の奥底に隠した表情が、私にはよく見えているよ」
「…………」
表情に出にくい性格でよかった。そうでなくては、蛆を見るような顔になっていたに違いない。
「バーナード殿下。私は幼い頃、暴漢に襲われそうになった事があります」
「どうしたんだい? 藪から棒に」
かつて、私が城下町を視察している時である。
貴族に恨みを持っている不埒者が突然襲ってきて、私を攫ってしまったのだ。
聞けば、どうやらその後は娼館にでも売り飛ばすつもりだったのだという。今考えても悪寒が走る。
その時は助けが間に合ったが、もしかしたら私はここにいなかったかもしれない。
「私は、その時に思ったのです。“自分の身は自分で守る”べきであると。守るだけの力をつけるべく、多少の護身術は身につけるべきだと思ったのです。そして今、私は自分の身を守らなくてはならないと感じております」
「はは……」
笑いが随分と渇いている。
口元が引き攣っているところを見るに、バーナード殿下は王族としての教育が不充分であるらしい。
どうやら私が本当に拒絶している事を理解したらしいので、私は踵を返して背を向ける。どうか二度と顔を見ない事を願って。そんな願いが叶わない事を予感して。
「ま、待ってくれ! 今日は本当に用があって声をかけたんだ!」
「……何か?」
私の勘はよく当たるらしい。少なくとも今日は。
私が問い掛けると、バーナード殿下は口元に気味の悪い笑みを讃えてこう言った。
「先触れが来た。兄上は明日にも帰るそうだ」
「! ……そう、ですか」
嫌な予感がする。
バーナード殿下の笑みが、より一層強くなった気がしてしまったからだ。
◆
「ヴァイオレット、お前との婚約を破棄する」
アルフレッド殿下が帰ると、すぐさま盛大に無事を祝われた。
此度の遠征は歴史的に見ても稀に見る大勝であったらしく、特に殿下は敵の大将首を持ち帰るという武勲を立てられた。これ以上にない大戦果である。
蛮族の大将は怪しげな呪いを使うと聞いていたので、無事で帰られて安心していた。
その戦勝祝賀会で私にかけられた言葉が、婚約破棄についてだった。
「兄上、何と愚かな!」
バーナード殿下が、芝居がかった口調で高らかに話す。
まるで狙いすましたかのように間がよく、ごく当然のように私の隣に立っている。
「このように素晴らしい女性のどこに不満があるというのか!」
「……不満も何も、婚約破棄はヴァイオレットの望みだ」
「なに!? ヴァイオレット、どういう事だ!」
恐ろしい大根役者。
しかし、こんな大根相手でも扇動されてしまう人間は少なくない。成り行きを見守ろうとする者の中には、私やアルフレッド殿下に訝しげな視線を送る者もいる。
邪魔くさい事この上ないが、邪険になどできない。こんなでも第二王子である。
「婚約の破棄、謹んでお受けいたします」
私の言葉を聞いて、バーナード殿下がニヤリと笑った。
気味が悪い。先日と同じ笑みだ。
「ならば、私の妻となってくれるか? 私ならば兄上よりも君を幸せにしてみせよう!」
「お断り致します」
「はぁ!?」
芝居がかった告白に周囲の人間が息を呑むより早く、私は返事をする。偽らざる、本音からの言葉だ。
「殿下!」
「なんだい?」
バーナード殿下が目を輝かせて私を見る。
「……アルフレッド殿下」
「なんだ……」
「殿下、お聞かせください。何故そんなにも悲しんでいらっしゃるのですか?」
会場の目が、殿下に向いた。
そこにいるのは、大戦果を立てた部隊の将を務めた男とは思えぬほどに弱々しい目をした殿下である。今にも泣きそうで、消えそうで、崩れそうな。
ここにいる全員が、その事に気がついていなかった。史上稀に見る大勝に目を眩ませて、一人の人間すら見ていなかったのだ。
「私は、悲しんでなどいない。其方に飽いたのだ。それ以上の意味などあるものか」
「いいえ、殿下。そのようなはずはありません。私は、殿下に愛されております」
「勝手な事を言うな! なぜそんな事がわかる!」
「殿下をお慕いしているからでございます」
「……っ!!」
幼い日のあの日。
初めて会った日。
あの日から私の愛は、ただ一人に向けられていた。
私が人攫いにあった時、救い出してくれた兵を率いていたのが殿下だ。私のために、私のためだけに、一国の王子がその身を危険に晒してくれた。
本当ならば、喜んではいけない。私なんかのために、殿下の身が危険に晒されるなど、本来はあってはならない事なのだから。
しかし、あまりに嬉しかった。泣き崩れた私に対してされた告白に、うっかりと応えてしまうほど。
「殿下。私が婚約を破棄してくださるようにお願い申し上げていたのは、お慕いしているからです。私のような者は、殿下のお側にいる資格がないと考えたからに他なりません。ですから、私は殿下の悲しむ理由をお聞きしたいのです。なぜ、今まで断り続けた私のお願いを、急に聞き入れてくださったのか」
「ははは!! それなら私が教えよう!」
「…………」
努めて知らないフリをしていたバーナード殿下が、とうとう声を出し始めた。
わざわざ私の視界に入るようにしてこちらを見るのは酷く不快であり、その上声まで出されたら愉快なはずがない。
手が出なかったのは、妃教育の賜物だろう。そういった意味では、殿下との婚約にも意味があった。
「兄上は蛮族の呪いにかかったのだ! 先触れから聞いた時はまさかと思ったが、今の様子を見て確信したぞ! 兄上! 貴方は本当に『子を成せなくなった』のだな!!」
会場中から、悲鳴が聞こえる。
第一王子が不能だなど、言うまでもない大問題である。
当然、王位を継ぐ事はできないだろう。代わりとして王位継承権一位を持つ事になるのは、第二王子であるバーナード殿下だ。これによって城内の権力図も一変する。貴族たちは、身の振り方にますます気をつけなくてはならなくなった。
「殿下、今の話は本当ですか?」
「……本当だ。私はもう第一王子ではない」
「そうだ! だからヴァイオレット! 私と共に生きよう! 私ならば、君を幸せにできる! 兄上には決してできない事だ! だから……!」
「お断り致します」
もう何度目かになるかわからないが、バーナード殿下を無視して話を進める。
「殿下……アルフレッド様」
「ヴァイオレット……すまない、私は君を王族にはしてやれなくなった……」
一番辛いのはアルフレッド様であるというのに、まだ私の事を心配してくれている。それも、十年以上前の口約束を気にして。
こんなにも愛おしい殿方には、今後絶対出会わないだろう。そう確信させるだけの何かが、私とアルフレッド様の間にはあるのだ。
「お気になさらないで。世間知らずの小娘が言った戯れ言ですから」
「しかし、あの時の君の眼は輝いていた。もう一度あの輝きを取り戻せるのなら、君は国母になるべきなのだ」
笑ってしまいそうになる。
この方は、あの時私が笑っていた理由を、お姫様になれるからだと思っているのだ。
私に笑顔を取り戻させられるものなど、たった一つしかないというのに。
「アルフレッド様、覚えておいでですか? 貴方様が私に告白なさった時、私は泣いていたのです」
「覚えているとも。あの時からだ、君が笑わなくなってしまったのは」
「そんな事はどうだって構いません。“これ”を覚えてくださっていますか?」
そう言い、私は手袋を外す。
あの日から人前では一度も外した事のない物だ。家族の前ですら、外す事に戸惑ってしまう。
私にとってそれほど大切な物だが、この場で取り去るべきであると確信していた。あるいは、この日のためにあったのかもしれない。
「——この傷を」
人攫いに乱暴されそうになった時、暴行を受けた傷跡だ。
貴族として育てられた私にとって体を許す相手は一生のうちで一人であり、強姦などあってはならない屈辱なのだ。なので力の限り抵抗し、そうして暴行を受けた際に右腕の小指から肘までを裂いてしまった。
その傷跡は生々しい記憶と共に残り、それ以来感情表現が苦手となってしまった。そればかりか『傷物の令嬢』などという不名誉なあだ名までつけられ、貴族社会での私は常に鼻つまみ者だ。
その傷跡を見せられた会場内の人間は、一人残らず不快感を露わにした。
目を逸らす者、瞑る者、顔を歪ませる者。わざわざ声に出して『アレが噂の』などと呟く者すらいる。
さらにその中でも最悪なのが。
「なん、だ! その醜い腕はぁ!?」
と叫び上げるバーナード殿下である。
世間知らずの王子様は、どうやら私の噂を知らなかったらしい。
「覚えている、覚えているとも! 私の助けが早ければなかった傷跡だ!」
「いいえ、アルフレッド様。これは私の誇りでございます。アルフレッド様が助けてくださった時、貴方はこう仰いました。『こうまでしてよく耐えた。其方は立派な貴族である』と。誰もが醜いと蔑むこの傷跡を、アルフレッド様だけがお褒めくださったのです」
「女子の肌についた傷の意味もわからなかった若輩の言葉だ」
「それでも、私はこれ以上になく嬉しかった。私の心は、いつまでもアルフレッド様のものでございます。だというのに、貴方は別の殿方と結ばれろと仰る。なんと酷い仕打ちでしょうか」
傷跡に慄く人々など、私の瞳には映らない。私の前に存在するのはただ一人、愛するアルフレッド様だけなのだから。
「私が婚約を破棄していただきたかったのは、私の存在がアルフレッド様の重荷になると考えたからに他なりません。国母となる人間が、こんな傷物ではいけないと」
「そんな事はない! 君は素晴らしい女性だ! その君を蔑ろにする者など、この私が斬り捨ててくれる!」
「それが、重荷なのです」
私自身より、アルフレッド様の方がずっと私の事を案じてくださる。
その事が愛おしく、それでいて居苦しくもあった。だから、身勝手と知りながらも婚約の破棄を申し出たのだ。
「しかし、アルフレッド様はもう王子ではありませんね?」
「……そうだ。この身に受けた呪いは、我が国では解呪できない類のものらしい」
「ならば、私にもう憂いはありません。アルフレッド様、私と一緒になってくださいますか?」
「…………ッ」
貴族としては、ありえない事である。
女性から男性への、逆告白など。
周りの人間は、目を見開いて驚いているだろうか。蔑んでいるだろうか。はしたない女であると。
しかし、私にはそれを見る事ができない。アルフレッド様しか、見えていない。
「もちろんだ……」
絞り出すような声で、アルフレッド様はそう言った。今まで生きてきた人生で、最上の瞬間である。
「なんと醜い夫婦だろうか!! この私を蔑ろにし、欠陥人同士で契りを結んだ! ある意味お似合いだ! しかし、次期国王である私に対していささか不敬ではないか!?」
「バーナード……」
バーナード殿下は、いつもの芝居がかった言葉で私たちを糾弾する。
醜いと、不敬であると。しかし、その言葉がすでに意味のないものである事には気がついていないようだった。私たちの愛は、そんな薄っぺらの言葉に傷つけられてしまうほど脆くはないのだ。
「貴公らの処分を今決めたぞ! 兄上、貴方には子爵位と領地を与える! 田舎の痩せた土地で、愛する傷物と共に過ごすがいい! 末代まで幸せにな! おっと、兄上が末代であった!」
バーナード殿下が周りを見る。笑えと言っているのだ。
「チッ……ノリの悪い奴らめ」
何を言うでもない観衆に苛立ちを覚えたバーナード殿下が吠える。
「バーナード」
「ん? なんだね兄上。弟の優しさに感動してしまったかな?」
「そうだな。優しい弟を持って、私は嬉しく思う。すぐに荷物をまとめ、明日にでも出立するとしよう」
「は、はぁ??」
思った通りではないバーナード殿下は、間の抜けた声を出す。
「行こうか、ヴァイオレット」
「はい、アルフレッド様。どこへでも」
アルフレッド様に手を引かれ、私は会場を後にする。
人々の視線に晒されるのは少し恥ずかしいが、愛する殿方の隣である事を思えば胸を張れた。
ポカンと口を開けるバーナード殿下の横を通り過ぎた時が、私が彼と顔を合わせた最後の瞬間であった。
◆
「馬鹿者が!!」
「ひっ!? ち、父上!」
翌日、アルフレッドとヴァイオレットが出立した後、バーナードは国王に呼び出されていた。
「アルの国王教育にどれほどの時間がかけられたと思っている! ヴァイオレットの妃教育にどれほどの手間がかけられたと思っておる! その二人を! 田舎に引っ込ませただと!?」
例え子が成せずとも、執務には何の問題もない。
国王は呪いを受けた我が子を、自らの城で働かせるつもりだったのだ。それほど、アルフレッドにかけられた教育は価値のあるものであり、何より不憫な息子を見捨てられるはずがない。
子を持たず、人を愛した事のないバーナードには、理解できない感覚であった。
「し、しかし父上……!」
「陛下と呼べ!」
「へ、陛下! あの者たちは私に不敬を働いたのです!」
「だからなんだというのだ! どうやら私は貴様を甘やかし過ぎたようだな!!」
国王は、子の成せない我が子を見捨てるほど人でなしではない。しかし、無能とわかった我が子に怒るくらいの分別はある。
「貴様からは王位継承権を剥奪する! 代わりの一位は我が弟ダグラス、二位はその長子フレデリックとする!」
「お、お待ちください陛下! 私にもう一度機会をお与えください! 今からでも二人を連れ戻します!」
「王族として下した沙汰が早々覆されてたまるか! アルたちには田舎で穏やかに暮らしてもらう!! 貴様のせいでな!」
「そ、そんな……!? ……これもあの生意気な女のせいだ!」
「貴様のせいに決まっておるだろう! その根性をどうにか叩き直す必要があるらしいな! これからは小間使いのように働かせるから覚悟をしておけ!!」
「そんなぁ!?」
◆
「ヴィオ、何を見ているんだい?」
「ああ、アル。私たちの領地を眺めていたの」
アルフレッド様は、私の事をヴィオと呼ぶようになった。それに合わせて、私はアルと呼ばせていただいている。
「小さな領地だ。土地も痩せて、なかなか作物も育たない」
「人もあんまりいないし、交易も盛んじゃない。特産物なんて一つもない」
「ああ、いい土地だ」
「私たちの楽園だわ」
穏やかな日である。昨日も、一昨日もそうだった。きっと、明日も明後日もそうだろう。
「私、幸せだわ」
「私もだ、ヴィオ」
たった一人、愛する者がそこにいる。
それ以外に何もなくとも、それだけがこれ以上にないほど幸せだった。
「さて、仕事をしよう。君とこうしてずっと一緒にいられなくて悲しいけれど」
「なら、私もお手伝いしましょう。それなら一緒にいられるでしょう?」
「……張り切ってしまうね。この痩せた土地を、一面の小麦畑にしそうになるよ」
「それは素敵ね。私たちの土地を自慢の土地にしましょう」
これ以上の幸福はない。
この時までは、そう思っていた。
しかし、仕方がないだろう。
この後、この地から温泉が湧き、国内唯一の温泉街として活気に満ち溢れる事になるなど、想像する事もできなかったのだから。
いくら私の勘がよく当たるとしても、これよりもっと幸福になるなどわかるはずがないのだ。