昔々の誰かの話
長編(約一万字)。
さみしくてかなしいだれかの、むかしのおはなし。
──むかしむかし存在していた、ある国のお話。
その世界の中で一番大きい国は、魔術で栄えた国だった。魔術師を多く所持していたからだ。
理由は、その国にしか生えていない不思議な木のおかげだった。いつしか聖なる木と呼ばれていたその木は、数十年に一度花が実を結び、そこから"ミノコサマ"が生まれてくる。
"ミノコサマ"は、少なくとも一名、運が良ければ七名の少年少女を選び、強大な魔術師にしてくれる存在だった。
その子孫達のおかげで魔術師の適性が高い者が生まれやすい国になったのだ。
ところがある時から、聖なる木が枯れ始め、花が咲かなくなった。花が咲かないから、"ミノコサマ"も生まれなくなった。
それと同時に、生まれる魔術師が年々少なく、そして力が弱くなっていった。国の偉い人々は危惧していた。
「このままではこの国は滅んでしまう」と。
そんな中でようやく生まれた"ミノコサマ"は、手の上に乗るほどにとてもとても小さく、吹けば飛びそうなほど儚いものだった。
この国には、
「"ミノコサマ"のお願いは、できる範囲であるならば必ず叶えること」
という法律があった。"ミノコサマ"は十年も生きられないほど短命なため、快適にこの国にいて(あわよくば自分達のお願いを聞いて)欲しいという理由からだった。
だから、皆は"ミノコサマ"の言いなりになった。
だから、
「このこは、いらない!」
の言葉に、否の声を上げる者など居る筈が無かった。
*
どれ程の時間を此処で過ごしただろうか。暗く冷たい石の部屋で、格子が嵌められた窓の隙間から見える太陰を臥せたまま見上げた。
あの太陰が、もうすぐ太陽を食べて世界を闇で覆い隠す。
太陽が無くなってしまうと、悪い奴らがどこからかやってきて世界を滅ぼしてしまうらしい。
それを憂う"ミノコサマ"の心配を取り除くために、国を去ることになった私が最後の仕事として護国の儀式をする、ということになっている。
「(……痛い)」
護国の儀式をすれば、国どころかこの世から去るなんて"ミノコサマ"は知らなかっただろう。そうでなければ、心優しい"ミノコサマ"が賛成するわけがない。
闇に浮かぶ白い太陰に手を伸ばせば、腕に繋がれた鉄の鎖が擦れて静かな部屋に、じゃら、と音を響かせた。
その手はすっかり痩せ細っていて、放置しても数日のうちに餓死するだろうと察せる。儀式後の死体処理に困らないよう、ひと月ほど前から何も食べさせて貰えていないから。
床を這いずって、無造作に置かれた大きめの椀に近づく。そこに並々と注がれた、甘い匂いの少し冷たい果実酒を飲んだ。
食事の代わりに与えられているコレには、五感を鈍らせるための濃度が高い向精神薬が複数と、生命維持の薬が入っている。
味は分からない。余計なことを喋らないよう舌は取られてしまったから。ぐらりと眩暈がして視界が滲み、焼き潰された喉が引き攣る。
「(なんで私が、こんな目に)」
本当はわかっている。私が弱かったせいだ。心が弱かったから、誰かに認めて貰いたかったから、そこに付け込まれて身動きできなくなった。
身分が全てのこの国で、最下層の階級に生まれた私は、国のほとんどの者に疎んじられていた。
だから少しでも認められたくて魔術師になった。魔術師だけは、身分は関係無かったから。
質の良い、より多くの魔術が使えるようにと常に努力してきたし、上位階級の者に気に入られるようになんでもやった。
そしてこの国で一番の魔術師として、皆に必要とされるようになっていた。
だが、"ミノコサマ"が生まれた。
"ミノコサマ"は、潜在魔力が多く純真な少年達を力を与える存在として選ぶ。
そして、私は選ばれなかったどころか、不要と言われてしまった。
上位階級の者達も巨大な力を持つ貧民出身の私より、そこそこ強い力を持つ身分の高い複数を選んだ。
魔術師は増え、邪魔者は排除できて一石二鳥、というところだろう。
駒として国に人生の全てを捧げ望まれるままに力を、命を尽くした、その対価が処刑。
「(……わかっていた、こうなることは)」
私は秀才ではあっただろうが天才では無かったから、天災に成り得なかったから。
只人が強い力を持てばいつかは力を恐れられ、命を侮られるとわかっていた。
人は弱い生き物だから。
「(次に生まれるなら、人以外の存在になりたい)」
そうすれば今度こそ、弱さに付け込まれることも身分に振り回されることも無く自由に生きられるに違いないのに。
*
辺りが夜の様に暗く翳り始めた頃、牢から出された。
刑を執行する時が、とうとう来たのだ。
灯に照らされた絞首台までの路を歩く。首枷から伸びた鎖を引かれて、引き摺られる様に進む。
私の正面には選良達に囲まれた、空を見上げ不安そうにしている"ミノコサマ"が貴賓席に座っていた。
姿を見たのは今日が初めてだったが、声は知っていた。甲高い耳障りな声はよく聞こえるから。
それはぬいぐるみのような容貌をして、子供のような甘ったれた声で舌足らずな話し方をしていた。
声を聞いているだけで腹立たしかった。こいつが要らないなんて言わなければ、私がこんな目に遭うことは無かった筈だと、そう思っていた。
"ミノコサマ"からのお願いは、理不尽でも可能であるなら従わざる得ない。それでも、誰かしらは私を可哀想に思ってくれる者がいると思っていた。だが。
民衆は皆、まるで物のように私を見ていた。感情も何も感じさせない、伽藍堂な目で。
時折、『早くしろよ!』と急かす野次が聞こえる。
絞首台まで私を連れてきた者が、持っていた鎖の先を絞首台と繋いだ音を、呆然と聞いていた。
「(何を、期待していたのか)」
そんなことが、ある訳が無かった。
だって、権力主義の上位階級共は代わりがいる"私"のことなど、どうでもいいのだから。
思考停止している大衆は、私の死もただの催し物でしかないのだから。
「(莫迦だ)」
私はこんな奴らの為に死ぬのか。
「(本当に)」
この大衆の中、独りで。
悲しかった。悔しかった。怒りが湧いた。
けれど、もうどうでも良くなった。
初めから望まなければよかった。
自分を認めてほしいと、希求しなければ。
響いた角笛の音が合図だった。足元が抜け、短くも永いような浮遊感。───目を閉じる間際、眼前に映ったのは。興奮のために天を仰ぐ大衆と、"ミノコサマ"を向き媚びた顔をする上位階級の者達。誰も"私"を見ていない。誰かが私を見ていたことなんて、見留めていたことなんてただの一度も無かったのだ。だから一瞬だけ"ミノコサマ"と目が合ったのは、気のせいだ───そして喉が潰れて息が詰まり、頸部から刹那に生じた痛みが全身を鋭く貫いた。
途端に沸き起こる、地を揺らすような喝采。
「(本当に、莫迦だ。私も、……お前達も)」
軋んだ鎖の音だけが、"私"の存在を確かに──……。
*
迫る闇から導いてきた"夕星の魔術師"は死んだ。
"ミノコサマ"は小さい故に負の魔力に敏感で、死の臭いをさせている存在をどうしても許せなかった。
みんなが言うことを聞いてくれるのを良いことに"夕星の魔術師"を排除することにした。
自分の目が届かない範囲に追いやるのだろうと呑気に思っていたから、まさか"夕星の魔術師"を疎ましく思う者達によって殺されるとは思っていなかった。
自分のせいで人が死んでしまったと思い込んだショックで"ミノコサマ"は死んでしまい、とうとう聖なる木も枯れてしまった。
その国は"ミノコサマ"も聖なる木も無くしたが、相変わらず滅びずに一番大きい国としてあり続けた。
ある時、人口が増えすぎたため領土を広げようとした。仕掛けた所は永らく平和で軍を所持していなかった、弱小国だった。だが勝てた筈の侵略戦争に敗れ、国は崩壊した。
その弱小国には聖なる木の若木が生えていて、新たな"ミノコサマ"と、"ミノコサマ"が選んだ数人の強大な魔術師がいた。
*
コツ、コツ、と規則正しく石の床を踏む音が聞こえる。コツ、足音は私の近くで止まった。
『_____』
話しかけられているが何と言っているか分からない。
意味を脳で捉えられず言葉が溶けていく。
手足を枷と鎖で繋がれ、だらりと吊られた私は身動きがとれない。
顔を相手へ向けることも、可能な身体では無くなっていた。
聞き返そうとしたが、喉は乾いてひりつき、それでいて潰れているから空気すら通らない。
僅かに軋んだ鎖の音さえも、波の音に消されて聞こえなかっただろう。
『________』
相手はまた何か言った。
血のような臭いの、温い水が下からゆっくりと上がってくる。
波の立てる喝采のような音が、私を責めているようで耳障りだった。
何も見えない目は、とうに溶け出してしまったのかも知れない。
「____________________」
何かを呟いた相手は、来た道を引き返して行った。
水はゆっくりと上がっていき、私を溶かしていく。
ちょっとまって。
死んだのに、これからってどういう事?
*
ゆらゆらと揺れている。
暗く閉じた世界に、誰かの声が聞こえた気がした。
ゆっくりと目を開ける。
ここは、どこだ
失くなっていた筈の視界が、戻っていた。冥く濁った水の中に居るようだ。周囲の様子は分からない。
ただ、上から光が差して居るから、天窓か何かがあるらしい。
私の胸元から、黒い何かが染み出している。それが周囲を魚のように漂って、ゆっくりと足元に沈んでいく。
沈んだ黒い塊は長い間積もり積もって、吊られている私の足に届きそうになっていた。
動いてみようとすれば枷と鎖の重さを感じる。処刑は夢では無かったようだ。
だが、私の死を急かす声はもう聞こえない。" "の声も、何もかも。
水の中だからだろうか、寒い。
視線を上に遣ると、水面を照らす光が波に砕かれ揺らめいていた。
踠くようにそれに手を伸ばせば、身体に巻きついた鉄の鎖がさらに絡まり、締まる。静かな水中に、金属が擦れるざらついた音が響いた。
束のような光に触れると、それは"私"を射貫いた。
刃のように、鋭利な冷たさを持った光が"私"を斬り裂いて、体が崩れていく。
体から溢れた気体が、四散しながら昇っていった。
支えを失った鎖が"私"と混ざるように崩れた。
"私"が解けていく、溶けていく。
降り積もった黯い"何か"がまるで慰めるように、裂かれ崩れた"私"にそろりと触れた。
心の底から震えるほど冷たいそれが"私"に染みて染めていく。
哀れんでくれるなよ
悪態を吐いて、冷たさを受け入れるように意識を閉ざした。
全て溶けて消えて黒と混ざっていく。
"私"が解けていく、溶けていく。
*
「災難だったね」
「きみはとてもかわいそうな子だ」
「例え生まれ変わっても恒久に」
「そういう星の廻りに生んでしまった」
「あの妖精もかわいそうだけどね」
「君たちの言う"聖木の実の子"の事さ。他の場所ではそう呼ばれている」
「きみはそのままでは生きにくいだろうから」
「強く願ったものを三度だけ叶える約束をしたんだ、生まれ落とした時に」
「まず、一つ目を叶えた。残りも好きにすると良い」
「これがわたしにできるきみへの償いだ」
「ごめんね」
「きみを生んだのは、わたしなりにこの世界を救いたかったからなんだ」
「失敗してしまったけれど」
「"彼"が言った通りだったね。
因縁で定められてしまった業の果報は変えられなかった」
「叶える力をきみに預けておくよ。きみとは二度と相見えることはないから」
「わたしは、この世界にしか顕現できない」
「きみのこれからが良いものになりますように」
*
*
ゆめを見ていた。中みは思いだせない。
だれかが"わたし"に話しかけていた 気がする。
……そうだっただろうか?
"***"にいっていたのだろうか。
" "はいらないのに?
よくわからない。
とけていく。
とけだしていく。
" " とは だれ だろう か 。
*
*
きづいたら、ここにいた。
つめたいなかでゆらゆらとゆれている。
ゆっくりとめをあけるとなにもみえない。
てをのばせば、やわらかいものにふれた。
それはやぶれて、そとからあわくひかりがさした。
そこからぬけだすと、まぶしい。
あかるい、すきとおったみずのなかにいた。
うえからひかりがさしている。
みずからかおをだすと、つよいひかりがめをつきさした。
あつい、いたい、痛い!
急いで水に潜る。陽光はあんなに熱いものだっただろうか。痛みを恐れて、水中から見上げるだけにした。
水面から射す光はきらきらして綺麗だと思ったが、同時に忌々しいという気持ちも湧き上がった。
水中でも光が差さない場所に移動する。触れたらまた、先程みたいに痛い思いをするかもしれない。
少し離れて見ていた方が、ちょうど良い。
ここは何処だろうか。どこもかしこも石で出来ている。光に当たらないように注意しつつ泳いで探索する。
建造物の中らしいが水路だろうか、と思ったのは床に勾配のある広く長い溝があったからだ。
だが、造られた当時の水位よりも高い場所に水面があるらしい。水没した出入り口を見つけた。
水没してからかなり時間が経っているらしく、扉の枠の角も上へ続く階段も、すっかり丸く削られていた。
階段の先は外に続いているらしい。陽光が差し込んでいたため、引き返す事にした。
探検はすぐに終えてしまった。建物はところどころ崩れて、陽光を凌げる場所がほとんど無かったからだ。
陽光があるうちは活動できないから、そのうち消えるまでここから出るのは待つ事にした。
その間に自分の現状を把握する。今分かっていることは、陽光の中に出られないことと、記憶喪失であること。
なぜ記憶喪失だと思うかといえば、自分が何故ここに居るのか分からない。自分に関する記憶が何も無い。
出てきたあの黒い塊が卵か繭であれば、孵ったばかりだという事になり、記憶が無いのは当たり前だと納得できる。
だが、それにしてはある程度の知識があるし、思考が確立し過ぎている。
それに、自分の大きさに慣れていない。だから、記憶を喪失しているのだろうという結論に至った。
何か思い出すだろうかと自分の意識が覚めた場所に戻ると、黒い塊はどこにも見当たらなかった。
*
『_______________』
目を開けると、何者かが屈んで己を見ていた。
夜になっていたようで小さな星が空一面を覆っている。
空の中に太陰が見えないことに安心した、自分がいるのを不思議に思った。
何者かは何かを言っている。知っている言葉ではなかった。
大事そうに己を拾い上げると、柔らかく暖かい布で包んだ。
寒くて震えていた己を可哀想に思ったらしい。
しばらくそいつと旅をすることにした。
昼は持ち物や服の影に隠れ、夜に外に出る。
見た景色はどれも、興味深かった。
そして何故か、悲しかった。
*
『どうした?』
と世話を焼いてくれている男が聞く。
『泣いているのか?』
一月ほど一緒にいれば、その男の言葉や発音をある程度理解するには十分だった。
「なく、する、しない」
そう言い男を見ると、男は驚愕して己を見た。
「嘘だろ、喋った…」
己は首を傾げる。疑問に思ったときにコイツがする仕草だった。
「しゃべる、しない?」
「普通の動物は、人間の言葉を話すなんてできないんだよ!」
怒られてしまった。
そうか、予想はしていたけれど己は何か小さい動物になってしまっているらしい。
男は頰を掻く。困ったときにする仕草だ。
「あー...お前、前々から思ってたけど"穢れ"だな」
「けがれ?」
「そう呼ばれている、異形だ。普通の人間は異形を嫌う。無闇矢鱈に他人に近づくなよ」
「たにん?」
「自分以外の人のことだよ。俺にとってのお前とか。まあお前人じゃないけどな」
「おまえ、おれ。たにん」
己と人間を交互に指差す。
「お前、もしかしなくても"俺"が俺の名前で"お前"が俺がつけたお前の名前だと思ってるのか?」
「ちがう?」
「当たり前だろ!」
そう叫んだ男は自分のことを丁寧に教えてくれた。
「つまり、"俺"は自分のことを示す言葉。"お前"は相手に対して使う言葉な。首輪をしてるから、誰かのペットか何かだと思って名付けしなかったんだよ」
「これ?」
首にまとわりついていた、金属の鎖を指す。
「そうそれ。でもそれ苦しそーだけど平気なのかよ」
「へいき」
「ふーん……。そうだ! お前、名前は?」
「名前? しらない」
「無いってことか? あー、それじゃあどうしようもねーな。でも今更つけるのもアレだし、今まで通りでいいか」
絶対に人前では喋るなよ、と念を押され、旅を続けた。
変わったのは、たまに男と会話をするようになったことと、己にも意見を聞いてくるようになったこと。あとは新しい金属の輪をくれた。
「これ何?」
「お前が俺の知らんとこで売り飛ばされねーようにする為だよ。あと異形として退治されねーようにちょっくら守りの呪いをかけてんだ」
「ふぅん」
金属には、見た事があるような文字が彫ってあった。
「何だ? 興味あんのか?」
その日から呪いのことを少し教えてもらえることになった。
「お前、結構筋がいいなぁ!」
男は大喜びだった。なんでも、昔は呪いを人に教える仕事をしていたらしい。もっと難しいことも教えてもらうことになった。
あと、
「あ、後でちゃんと復習して自分のものにするんだぞ。忘れないようにな。これからは俺のことは師と呼べよ!」
とうるさかった。
*
「そういえばお前、飯食ってねぇな。今更気づいたけどよ」
「食う、って師が祈って口に入れてるやつか」
「そうだ。そうすることで自分の糧にするんだ」
「かて」
「糧ってのは自分のものにするってことさ。食う為には生き物を殺す必要がある」
「ふぅん」
「呪いをするには飯食わねーときついからな」
自分の中の力を使うんだ、と師は言った。
「食わなかったらどうなるんだ?」
「穢れは力の塊だからなぁ。縮むんじゃね?」
「縮むのか!?」
これ以上小さくなるのは困るので、食事はすることにした。
「しかし、穢れは何食うんだろうな」
師がくれたものはなんでも食えたので、食事を少し分けてもらうことになった。
*
ある国を旅しているときのことだった。
「なあ、アレは何だ?」
「お前、俺のことは師って呼べって言ってんだろーが。昔は素直で可愛げがあったのに、一体誰に似ちまったんだ?」
「学ぶ人間はお前だけだぜ」
「そりゃそうか! で、どれだよ」
「あの、人間みたいな、違うやつだ」
と、人間を干物にしたようなそれを俺は指差す。
「あれは、死体だよ。しかも嫌な死に方だ。体に黒い痣みたいなのがあるだろう。そうか、ここまで来ちまったのか」
と顔を少ししかめて、声をひそめる。
「したい? したいってなんだ。寝てるんじゃないのか?」
「息をしてねーだろ」
「いき?」
「息ってーのはこう、空気を吸って吐く、これだ。生き物が生きる為に必要なものさ。動物も、植物だって息をしてんだ」
「……俺はしてない」
「んじゃお前は生きてないか、もしくは死が無いんだろうな」
と苦笑した。
「"死"って何だ?」
「簡単なようで難しいこと聞くなお前は。……そうだな、俺の考えで言うなら、何もできなくなるのさ」
「動けなくなる、ってことか? お前もいつか"死"になるのか?」
「動かなくなるっていうのが正しいな、動く意思が無くなるんだから。生きていりゃあいつか死ぬんだよ。でも俺は運が良いかもな。お前が覚えている限り、俺は死なねーから、な」
ふうん、とよくわからなかったが俺は頷いた。多分俺には到底理解できないものなのだろうから。
「お前なぁ。まあ、いずれ解るぜ」
呆れながら、咳をした。
*
それから少しして、黒い痣が現れた。
痣が広がるに従って、寝込むようになった。いつか見たあのときの"死体"のように痩せ細っていく。
「これはなぁ、伝染病って言われているんだが、本当は呪いなんだよ」
病床に臥して、擦れた声で言った。
「俺のいた国も、この呪いで滅んだんだ」
咳き込んで、深く息を吸った。
「俺が旅することになったきっかけだ。この呪いを解く為に、正体を探す為に。ところでお前、"妖精"って知ってるか」
「ようせい?」
聞いたこと、あるような。腹の中かちらりと冷たくなったのを感じた。
「この世界には、"妖精"って言われている存在がいるんだ。俺にしちゃ穢れとそう変わらんが。いや、穢れの方がまだマシだな。穢れは悪いもんだって分かりきってるからな」
お前はなんか違うけど。と軽く撫でられた。触れてきた手はかさつき骨ばっていて、いつもよりも少し冷たい。
「妖精は穢れを浄化する生物兵器を造る存在だ。どーやってんのかは知らんが、それを知りたがった奴がいた」
「そいつが、妖精を殺したんだ。そのときに妖精が放った呪詛が俺の国を滅ぼした」
「ったくよぉ、呪うのは殺した奴とその親戚とか、関係者とか。せめて国までだろうに、妖精はこの世界を呪ったんだ。とんだ迷惑な奴だぜ」
と顔を歪め、吐き捨てる。
「解呪方法は無かった。見つからなかったんじゃあない。無かったんだ。そんときは絶望したな。今までの旅は無意味だったんだと」
「死のうかと思って、水辺を彷徨ってたらお前を見つけたんだ」
「お前と出会って、今までの旅はこの為だと思った。大袈裟に思うかもしれねぇが、俺は本当にそう思ったんだよ!」
「妖精は嫌いだが、お前に巡り合わせてくれた神には感謝しなきゃあな」
「この世界は、近いうちに呪いに侵されて滅びる。その前にお前は逃げろ。穢れは異世界から来たんだって話を聞いたことがある。世界を渡ることができるはずだ」
「お前は世界と殉死しないで、別の世界に行くんだ。そんで、渡った先がどんな場所なのかをいつか俺に教えてくれたら嬉しい」
「……いい加減、喋り疲れたぜ。……じゃあな」
そう目を閉じると、深く息を吐いて、息を止めてしまった。
「……なあ、何で息を止めるんだよ。"生きる"には息が必要なんだろ?なあ、」
頬をぺしぺしと叩く。毎朝起こす時と同じように。そしたら目を開けるのだと思って。そう、信じて。
「息を止めたらどうなるんだ」
"生きる"ために必要なら、止めたということは不要になったということだ。
『生きていりゃあいつか死ぬんだよ』
つまり"死"になったということだ。
「"死"って何だ? 何もできなくなる、って動けなくなることじゃないのか?寝ているのと何が違うんだ?」
寝ているなら、"生きる"ために閉じた目を開ける。そして起き上がり、旅をする。
"生きる"必要が無くなったなら?
『動かなくなるっていうのが正しいな、動く意思が無くなるんだから』
目を閉じたまま、目を開ける意思が無くなるということ。
横になったままで、起き上がる意思が無くなるということ。
起き上がれなければ、共に旅ができない。
「なあ、師」
俺はどうすれば良いか、わからなかった。
『俺は運が良いかもな。お前が覚えている限り、俺は死なねーから』
「俺が覚えていれば、"死"にならないのか?」
「どうすれば、忘れない?」
『自分のものにするんだぞ。忘れないようにな』
『糧ってのは自分のものにするってことさ』
『そうすることで自分の糧にするんだ』
そうだ。俺の糧にすれば、忘れない。
*
師を食った。
食ったら居なくなってしまった。
独りになってしまった。
でも、師は"死"にはならない。
俺が糧にしたから。
俺が、覚えているから。
*
莫迦かオメーは。食ってどーすんだよ?
いや、これは俺の教え方が悪かったな。
お前はただ、俺を忘れないために考えただけだもんな。
まあ、これはこれでいいかもな。お前と旅が続けられるからよ。
*
by妹。 許可は貰ってます。