遭遇そのさん。
「テメェらの頭は腐れてんのか」
一応でもお前らと同じ妖精じゃないのか、と喉から出かかった言葉を飲み込む。息を止め、また全身が軋むのを耐えた。
身体が軋むのは全身に絡みついている鎖の所為だ。鎖は俺の核である筈なのに、時折り俺の身体を破壊せんばかりに締めてくる。
特に、"哀しみ"を生じた時に。
「なんで俺が」
無意識に握り締めていた手を開く。
仔羊は会ってたった数日の、しかも俺の大嫌いな妖精だ。恩があるならまだしも迷惑しか被ってないのだから、助ける義理なんて全く無い。
妖精を相手するのはメンドーだし、こいつら程度に負ける気はしないが万に一つということもあるし。
どうせ、今日ここを離れるつもりだったのだから。
「俺がお前らの命令で、たった一匹の妖精ごときで出て行ってやらなきゃいけねェんだよ」
だから、
「テメェらを皆殺しにしたら出て行ってやるぜ」
だからこれは、指図されるのがただ気に入らないだけだ。
「ぼ、ぼくたちをころしちゃうと、のろわれちゃうんだぞ!いいの?!」
"皆殺し"の言葉に狼狽た一匹がそう叫んだ。
「……確かに、呪われるのは嫌だな」
妖精の呪いは非常に質が悪い。真綿で首を締めるような陰湿なものだし、強力な怨恨の感情で出来ているから呪われたら解呪出来ない。
これから自分がすることを考えて、思わず溜息を吐く。と、呼応するように鎖が身体と擦れる音がして、胸が強く締め付けられた。
どうやら俺は、大嫌いな妖精供のためにも哀しくなれるらしい。
「それに、最期の最後に抱く思いが"怨み"なのは、流石に不憫だ」
全てが終わった頃には哀しすぎて胸が押し潰されるどころか圧殺(というよりは絞殺だが)されるかもしれないと思うと、気が重くなった。
何で俺は"哀しみ"のバケモノなんだろう。
*
「嗚呼、かわいそうに」
溜息を吐く度に空気が、押しつぶすように重く、身を切るように冷たく、光を失ったかのように暗くなる。
魔法を使っているわけじゃない。ただ自分の穢れを溜息と共に吐き出しただけだ。
俺はかなり強い部類のバケモノだと自認している。強いバケモノは濃い穢れで構成され、濃い穢れは現実に影響を与える。
憤怒の穢れなら空気を灼熱に、恐怖の穢れなら空気を暗く薄寒いものに。
俺の穢れである"悲哀"は空気を冷やし、重く暗いものに変える。
妖精達は"悲哀"の感情に感化され、情動の痛みに耐えきれず泣きじゃくり喚いていた。
「兵士でも無いただの妖精の幼体が十数匹集まった程度で、バケモノの俺に微塵でも勝算があると思ったのか」
でもいくら構成物に感情が含まれてないとしても"感情"への耐性が低すぎるんじゃねェか?
「痛いか」
目障りだった正の魔力を吐き出す箱を、抱えている妖精ごと踏み潰していく。
「辛いか」
ぐしゃり、と箱の最後の一つを踏み潰した。魔力はかなり相殺されたが、逃げるには十分に残っている。
「苦しいか、どうなんだオイ。テメェらにはまだ舌も喉も残ってんだろうが」
何か喋ろうとした妖精の口に靴の爪先を突っ込んで地面に蹴りつける。
「お前らが仔羊に与えた暴力と比べてどうなのかは知ったことじゃねェし懺悔や問いの返事を求めてるわけでもねェんだよクソが」
口から爪先を外すと、色々な汁でベタベタになっていた。汚ェな。バケモノの皮で作った靴だから、後でしっかり洗わねェと正の魔力に負けて捨てる羽目になりそうだ。
「だが、かわいそうだからそろそろ終いにしてやるよ。俺は慈悲深いからな」
湖の方を向くと声を響かせるために大きく息を吸った。
「『emina,ertsonelonnarevlasetnem,atanutrof』」
その言葉に、風は無いのに湖がざわざわと嵐の海のように畝り始めた。
「悲しいが、これでお別れだ」
黒い波が、どろりと幾千もの手のように変化する。そして俺たちの居る岸へと大波となって勢いよく押し寄せ、そこにあった全てを巻き込み呑んだ。
氷のように冷たい水流は俺をすり抜けて妖精を縋るように掴む。そして寄せてきた時と同じようにざあっとすぐに引いていった。
「気を付けろよ、中はもっと寒ィからな」
湖に引き込まれていった妖精達に向かってそう呟いた。
悲哀の穢れに汚染された水の中は何処よりも寒い。光が翳る底へ行けば行くほど冷える。だから直ぐにでも凍死するだろう。いや、溺れるのが先なのか?
救いがあるとすれば、みんな一緒に引き込まれたところぐらいか。
少なくとも、孤独死はしないからな。
「まあ、どうでもいいな」
空を仰ぎ見れば端の所が僅かに赤いだけで、真上は星が瞬き始めていた。暗かったのは穢れの所為だけではなかったようだ。
「はあ……寒ィな」
肺の中から空気を吐き出し、白くなって昇っていくのを眺める。そうだ、吐き出した感情を回収しなければ。
「魔力は湖にくれてやるよ」
代わりに正の魔力の処理は任せたぜ。
ふと足元を見ると、仔羊だけがポツリと残されていた。穢れが混ざっていたから妖精だと判断されなかったのだ。
巻き込まれないだろうとは思っていたが、少し気の毒に感じた。
「一応殺めた事に変わりはない、が」
湖を振り返るが、水面は凪いだままだった。
どうやら呪いは発動しなかったらしいことに、今度は安堵の息を吐いた。