出撃:亥(いのしし)の場合
「……まあ、あまり出ないからね」
椅子から立ち上がり、亥は卯にそう言った。
「『大きな怪我をしない事』これが大事だ」
なるほど、卯は頷く。 「ちゃんと治るから」と言って、無理をしてどうしようもない怪我をするのはあまり好ましくない。 ……その話を聞いた際、誰かを思い出したような気がした。
亥は特殊な石に手を翳し、
「粉はそれなりに取れれば良いんだよ」
外に出るためのゲートを開いた。
×
そこは、ひらひらと粉雪の舞う世界だった。 小さく星の瞬く真っ黒な空と、黒っぽい土の地面が拡がっている。
「此処は、『治りかけ』の世界だ」
「治り、かけ」
降る白い雪を見上げながら、亥言葉を繰り返した卯に
「まあ、『腐り切った』世界とも言えるけど、」
亥は独り言のように溢した。
「流石に、これ以上酷くはならないからね」
×
亥は妖精である。
妖精でよくある特徴は『脳内が花畑』『すぐに調子に乗る』『嘘が吐けない』がある。
その真逆をいくのが、この亥であった。
だから、亥は周囲の妖精とは馬が全くと言っていいほどに合わなかった。 思考が認められず、存在を否定された。
長い間、国の為に骨身を惜しまず働いた亥だったが、その差に耐えきれずに、とうとう国から出て行くことにした。
妖精が国から出ると、周囲の濃い『穢れ』の所為ですぐに死んでしまう、と言われている。 仮に『穢れ』の所為で死なずとも、結局は徘徊する野生のバケモノ達に殺されるのが落ちだった。
しかし、どう言う訳だか、亥は生きていた。 それもそのはずで、亥はきちんと妖精の国から正の魔力が流れる方向を事前に調べており、そこから魔力を補充していた。
おまけに身体を鍛えていた為、一般的な『穢れ』程度なら、単体で仕留められた。
しかし、どんなに強くても、亥は妖精であった。
自分以上に力を持つモノや大きなもの達には勝てず、よく分からない組織に捕獲されてしまった。
その後、亥は組織から改造を受け体内に『穢れ』を混ぜられてしまい、力が各段に跳ね上がった。 ーーので、組織に従った振りをして突如組織に起こった襲撃の混乱に乗じて、内部から組織を破壊してやった。 良い扱いはされなかったし、別に思い入れも何も無かった。
その後、何故かその組織の幹部だった子に仲間に引き込まれたが、下らない組織の中で比較的自身に良くしてくれていたので、ついて行くことにしたのだった。 居場所を提供してくれると子は約束してくれた。
×
「粉雪の降る世界は、子が連れて行ってくれた世界の、すぐ隣の世界なんだ」
亥は白い息を吐く。
「ここは少しばかり寒いからね。 きちんと厚着しておくんだよ」
暗くて静かな世界を歩いていると、何故だか、とても心が冷えていくような感覚に陥る。 弱々しく鳴いた『ねこ』の声にはっと意識を取り戻し、卯は『ねこ』を撫でた。
卯は亥の頭部を常に守っている、猪を模した被り物を見た。
「猪の被り物はね、『御守り』なんだ」
視線を知ってか知らずか、亥は言う。 先を歩く亥は振り返らない。
「子が、『妖精達に見つからないように』って、作ってくれたのさ」
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「キミと一緒に歩きたかっただけなのかもねん」
結局、粉雪の降る世界で生き物に出会う事はなかった。
「あの子は、意外に寂しがり屋なんだよん」