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蹲る

作者: 花村 流花


 今の世の中、親切のつもりで声をかけても、相手にとっては余計なお世話のようにその声を振り払われてしまう。世知辛い、の言葉で簡単に済ませてしまえばいいのかもしれないが、

場所が場所だけに黙って見過ごすことはできなかった。


 いつものように仕事帰りの電車を降り、改札に向かってホームを歩いていると、黄色い線ぎりぎりの場所にうずくまっている人がいることに気が付いた。夕方5時前の明るい時間帯なので、遠目に見ても若い女性だということは、服装やバッグですぐにわかった。具合でも悪いのだろうか、ホームの端に近い場所では危なすぎる、と丸まっている背中に声をかけた。

「大丈夫ですか?」

一声かけたが反応がない。周りの騒音で聞こえなかったのかと思い、もう一度声をかけた。

「大丈夫ですか?気分悪いんですか?」

こちらも背中を丸め腰を落とし、聞こえるようにはっきりとした口調で声をかけた。

 今度は聞こえたようなのだが、返ってきた言葉には棘があった。

「大丈夫です」

顔も上げず、まるで吐き捨てるかのような言い方にかなりむっとした。

普通だったら、なんでもなかったとしてもこんなふうに心配の声をかけられたらもう少し別の返答があってもよさそうなものだ、と私は思う。疲れて座り込んでいただけ、という程度ならバツが悪くてその場から立ち去るとか、会釈のそぶりをしてみせるとか。

 しかし彼女は、じっと同じ体勢ですべてを遮断し続けていた。ああ、きっと誰にも寄ってきてほしくないんだなと、それに大丈夫だと言っているんだし、しつこくするとかえって迷惑がられるかもとそのまま立ち去ることにした。

 改札へのエスカレーターに乗ってからホームを振り返ってみると、まだ同じ姿勢のまま女性はうずくまっていた。


 別の日、また駅のホームでうずくまる人を見た。あの女性、だった。あの時と同じ人だとわかったのは、腕に絡めているバッグが同じものだったからだ。

 徐々に女性の姿が大きく見えてくる。すると前方を歩いていた中年女性が、この前の私と同じように、女性のとなりにしゃがみこんだ。だがすぐに立ち上がり、一瞥してから去っていった。たぶん私と同じように、大丈夫だと突っぱねられたのだろう。

 他にも何人かの人がうずくまる背中に視線を送りながら、それでも足を止めることはなかった。私も、すぐ後ろを通り過ぎながら、彼女の丸い背中に視線を落としただけで、立ち止まることはしなかった。



 めずらしく職場の飲み会に参加して、駅に降り立ったのは夜の10時を少し回った頃だった。

闇の中に明かりがともる駅の風景は、懐かしいと思えるほど久しぶりに目にした。

 電車から降りてくる人の数も多い。足早に駅を出ようとする人の波の狭間に、見覚えのあるバッグが見えた。

・・あれ?あのバッグ・・

ベンチの横に立っている女性が肩からかけているのは、あのうずくまる女性のものと同じだ。もしかしてこの人が?と私は一瞬足を止めて女性の顔をまじまじと見た。

 すると、まるで私の視線に応えるかのように女性は私の方に体を向け、小さく頭を下げた。

「あの、先日は声をかけていただきありがとうございました」

丁寧に頭を下げた女性の声は、あの時のような棘はなく、細くて折れてしまいそうな繊細さがにじんでいた。

 少し、いやかなり驚いたが、せっかくの挨拶に応えないのは失礼だと思い、いえこちらこそ余計なことを、と顔の前で手を振って見せた。

 女性は、ガラス細工のような笑みを浮かべると、「お礼が言えてよかったです」ともう一度深く頭を下げた。私もつられて深く頭を下げた。

「では、さようなら」

頭の上で別れの挨拶が聞こえ、慌てて顔をあげると、もう女性の姿は消えていた。

え?どこいったの?もう行っちゃったの?とあたりを見回し前方のエスカレーターの方を見たのだが、あのバッグを肩にかけた女性の姿を見つけることはできなかった。


 翌日の仕事帰り。ホームの真ん中で立ち話をしている女性たちがいた。聞き耳を立てたわけではないが、横を通り過ぎる時、飛び込み、という言葉が聞こえた。

「昨日ここで飛び込んだ若い女性、私何度か見たことあるのよ」

「あら、そうなの?でもよく覚えてたわね、その人の事」

「だって、そこの黄色い線の辺りでいっつもうずくまってるんだもの、すっかり覚えちゃったわよ」

「ああ、そういえば、その人に声かけてあげてる人がいたの、見たことあるわ。何人か声かけてたみたいだけど、みんなそのままにして行っちゃってたから、ちょっと変わった人だったんじゃないのかしらね」

その会話を聞きながら、私はふらふらとその女性たちの輪に向かって一歩踏み出した。

「あの、その飛び込みって、何時ころのことですか?」

急に割り込んできた第三者に、女性たちは驚きの表情を見せたが、話し好きそうな口元はすぐに答えをくれた。

「昼間の1時過ぎくらいだって聞いたわ。あなたも見かけたことあるの?」

はい、となんとか答え、突然すみませんでしたと頭を下げてからゆっくりと改札をめざす。

その足は次第に重みを増し、どくどくと心拍数もあがり、背中には冷たい汗が流れた。

昼過ぎに飛び込み自殺をしたあの女性が、夜、このホームで私に礼を言った・・・

「あ?ちょっと待ってよ・・」思わず声に出して呟いた。

あの女性は、どうして「私」だとわかったのだろう。大丈夫かと声をかけたのが私だと、

なぜ判別できたのだろう。

うずくまる彼女は、顔を上げることなくずっと丸まっていたのに・・・



おわり


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