8.死神皇帝の慈悲
拷問シーンがありますので、苦手な方は前半ご注意ください
ジルの目の前で、今まさに拷問が行われていた。
何処から雇われたか分からないが、視察のために外で出ていたジルを襲撃した暗殺者が居たため、取り押さえ城に引き摺り連れて来た。そして今拷問にかけているところだった。
目の前でおぞましい拷問を受ける男の低い呻き声、そして断末魔と共に飛び散る血がジルの頬に当たった。
急いで濡れた布巾を持ってきたベティにより清潔にされる。その間、ジルは微動だにせず拷問される男を眺めていた。
「答えないか」
ジルはどれほどの苦痛にも屈しない暗殺者に尋ねた。脂汗を滲ませ、至るところから液体を流す男は瞳だけで答えた。答えるつもりは無いと。
「そうか」
ジルは自身の愛剣を抜き、縄で縛られたままの暗殺者の元に向かう。男は自死出来ぬよう猿轡を噛ませていた。フーフー、と荒い息を立てていた暗殺者はジルの意思を理解し抵抗していた身体をダラリと解放した。
「長い苦痛によく耐えたな。お前は仕える主を違えたようだ」
ジルに仕えていれば殺されることも、拷問にかけられることも無かっただろうと、自ら拷問にかけよと命じた男は、そんな事を考えながら暗殺者を刺した。一思いに心の臓を突き刺した。一瞬で痛みが済むようにとの死神からの慈悲だ。
剣にかけられた暗殺者は一瞬の激痛の後、途切れる意識の中で痛みから解放されることに安堵した表情を見せながら命尽きた。
剣を抜き、力無く倒れた暗殺者をそのままにジルは血で汚れた剣を軽く振り払った。鮮血が床に飛び散る。いくら掃除をしても消えぬ血痕の後は幾多にも残っている。血生臭い部屋。耐えぬ拷問される者達。一体何人の者がこの部屋を訪れただろう。部屋は死霊によって埋め尽くされているような空気さえあった。
その時、閉め切られた部屋に遠慮した様子でノックがされた。
拷問中に人が訪れることなど無かっただけに驚いたジルは誰かと問いた。
「クリスティーヌです。こちらにいらっしゃるとお聞きしました」
「そなたか。入れ」
「ジル様!」
ベティが慌てた様子で叫んだ。何を動揺するのかと考え、そういえば遺体が転がっているままだったことを思い出した。
しかしその時には既に遅く、クリスティーヌは入室していた。彼女は、部屋に漂う血の匂いを察し足を止めた。そして周囲を見渡した。
ベティは慌てて彼女の視界に遺体が映らぬように隠していたが今更の行為だった。
ジルは剣を鞘に戻し、クリスティーヌの元に近寄った。
「すまない。暗殺者を拷問にかけていた。もう終えたが」
率直に現状を説明すれば、少しばかり驚いていた少女が納得をした様子で天井を見つめていた。
何故、遺体ではなく天井を見ているのか不思議であったが、彼女の言葉と行動によりその理由を知る事になる。
クリスティーヌが何か唱えると、手元が仄かな緑色に光り出した。それから淡い光は蛍のように部屋を彷徨い、それから消えた。
「何をした?」
「彼の魂を精霊に引き渡しました。道に迷っていましたので」
彼とは、暗殺者の事だった。
魂とは、先ほどジルが仕留めた暗殺者の魂。
クリスティーヌが唱えた魔法は、亡き魂を在るべき世界に引き渡すための手助けだというのか。
既に息絶えた暗殺者は、急ぎベティが片付けているところだった。
普段は鬱屈としている拷問部屋だったが、彼女の魔法を唱え終えると何処か空気が澄んだ気がする。
ジルは薄く微笑んだ。
「そなたは優しいな」
ジルに言われたクリスティーヌは少しばかり頬を染めてからジルに微笑み返した。
「ジルこそ慈悲深いではないですか」
周囲の兵は疑問に思っただろう。
拷問を行い、最後にはその暗殺者を殺した皇帝に対してかける言葉では無いと考えているのだ。
けれどクリスティーヌはそう思わなかった。彼女が導いた魂が、命を奪った皇帝に感謝の意を唱えていたからだ。
長らく拷問にかけられることも理解していた魂は、その痛みが長らえないように終わらせてくれた皇帝に対し感謝していたのだ。常人では考えつかない思考であるが、確かにクリスティーヌは見送った魂からの感謝を聞いた。
だから伝えた。彼女の夫となるべき男は優しいのだと。
しかし悲しいことに。
遺体にも恐れず、拷問にかける死神皇帝を優しいと述べる魔女の異名は悲しくも周囲に知れ渡ることになる。
クリスティーヌがヴァルナ皇国で暮らし始めて一月が経とうとしていた。季節は花開く春から新緑の季節へと移り変わっていた。新緑の時期は田植えの時期、畑に精を出す時期でもあった。農業を営む国民への状況報告書を確認していたジルは、そろそろだと決意した。
「クリスティーヌ」
「はい」
家庭教師との勉強を終え、皇帝の側で自習をしていたクリスティーヌは顔をあげた。最近仕事が忙しい皇帝と顔を合わせる機会が無いため、せめて様子を知りたいということから執務室で自習をする事を許可したのはいつだったか。
ジルとしても幼い婚約者が部屋に居るだけで穏やかな時間を過ごせることが出来た。これも彼女の魔法なのだろうか。
「そろそろ婚約発表と共に婚儀の準備を本格化しようと思う。結婚式は秋頃となるが構わないか?」
「はい。それまでに礼節や教養も間に合うと思います」
「そうか。苦労をかける」
正式に結婚が成されれば、この幼い少女にも仕事が任されることになる。勿論補佐は付ける予定ではあるが、想像以上に聡明である婚約者は、既に仕事に対する意欲を強く持っていた。
家庭教師からの評価はすこぶる高く、年齢からは想像つかない知識量は、成人男性を凌ぐと言われている。無知であった国の歴史も、王族として必要とされる礼儀作法も勉強中ではあるが、それも瞬く間に習得するだろうと評されている。
流石魔術師の塔のトップ候補だった少女。幼い頃より教育を受けていたとは聞いていたがここまでとは思わなかった。
死神皇帝は憂う。
彼女が優秀であればあるほど、手放す勇気がいるというもの。ただでさえ彼女との生活は居心地が良く、ジルは今までに感じたことも無いほどに心が安らいでいた。
いっそ手放さなくても良いとなれば、素直にさっさと結婚し、既成事実を作ってしまっても構わないかもしれない。
そんな事をボンヤリと思考しながら書面に目を通しサインをする。それから次に受け取る書類を確認する。その書類を読み終えたところでジルは顔を上げた。
「そなたに紹介したかった奴がそろそろ帰ってくるようだ」
「紹介したい方ですか?」
羽根ペンを走らせていたクリスティーヌが顔を上げた。
「どなたでしょう?」
「皇太子のオルセーだ。留学させていたが戻ってくるらしい」
オルセー。ジルの再従兄弟にして皇嗣である十六歳の青年だ。
皇帝であった父の従兄弟の子供と遠縁に近いが、親族が軒並み逝去しているヴァルナ皇国では、オルセーこそが皇帝に相応しいと声を上げる者も多かった。死神よりも由緒正しい生まれのオルセーの支持は厚い。
しかし当のオルセーはその事を良しとせず、皇帝への謀反を悪化させたくないと自ら志願して留学を行っていた。
どうやらジルが結婚相手を見つけたということで、祝いに来るのだろう。数少ないジルの信者でもある。
「ヴァルナ皇国の皇太子であり、ジルの再従兄弟ですね」
「そうだ。そなたに会いに来るのだろうな」
「お迎えする準備をしたいと思います」
やる気が見えるクリスティーヌを害したくなくて、ジルは頷いた。
クリスティーヌは真面目な性格で、皇妃としての立場を理解した上で行動しようとしてくれる。
まだ十二歳の子供が大人顔負けの提案や行動をしてくる姿は微笑ましくもあり、悲しくもあった。
もっと甘やかせればいいのに。
真綿で包み込み、何も恐れる者もないのだと安心しきって眠らせてしまいたい。
今まであり得ないほどの努力と苦労をしてきた幼き妻となる魔女を。
ジルは甘やかしたかった。
だが、クリスティーヌ自身がそれを良しとしない事を理解しているため口には出さない。
やりたい事を行動で動かせている間は問題ない。
彼女に生きる気力が見出せるのであれば沈黙するのみ。
それもまた、死神皇帝の慈悲であり、慈愛だった。




