7.魔女と家庭教師
運悪く魔女の家庭教師に就任することとなったライネスは、初日から鬱屈とした気持ちで城へと出向いた。齢五十を手前にして恐れる者が、幼い少女だなんて。中々に滑稽な話であった。
死神皇帝が帰国してすぐに臣下へ婚約者を連れてきた旨を申告された際、一瞬にして城下町までその知らせは渡り、世間は喜ばしいニュースではあったものの、死神に妻が出来るのかと神妙な様子であった。
それでも、喜ばしい行事が増えることは経済が回ると知っているライネスとしてみれば、今回の婚約者に関しては良い兆しだと考えていた。
しかし同時に流れてきた、婚約者が魔女であるという話から城下町は不穏な空気に変わった。
忌むべき魔女が皇妃となる。しかも、死神皇帝と呼ばれる皇帝の元に。
ヴァルナ皇国は死神が治める大国。九年の間に全大陸に全勢力を行き渡らせた功績は臣下として民として誉あるはず事実であるというのに、皇帝の存在は恐怖の対象でしか無かった。
ただ、それでもライネスは皇帝に好感を抱いていた。かつてヴァルナ皇国を治めていた前王は、良政とは言い難かったからだ。大国故に納税額も多く困窮することは無かったが、生活水準が回復することもなく国費を無駄に削っていると批判していた。更に次期皇帝であった長兄クローディの評判は更に悪かった。美しい顔立ちをした皇子ではあったが、性格までは美しくない未来の皇帝にライネスは不安であった。
しかし突如現れた異母弟ジルによりクローディは国外追放。前皇帝は処刑された事により、ある意味ヴァルナ皇国に平和が訪れたとライネスは考えていた。
死神と呼ばれ畏れられるジル皇帝ではあったが、実際彼によりヴァルナ皇国は更に栄えた。治世こそ皇帝の素質であるとすれば、死神皇帝こそ史上稀な良き皇帝である。
だからこそライネスは、次期皇妃となられるクリスティーヌの家庭教師を募集している話に買って出た。
ライネスは学者であり、家庭教師の仕事も生業としている。教え子は多く平民から高い身分の者までいた。今回も城に仕えていた教え子の両親よりライネスのところに打診しに来てくれたのだ。
結果、ライネスは魔女と呼ばれるクリスティーヌによる面接で、気絶することも逃げ出すことも出来ず呆然と立ち尽くした結果合格した。
歳にして五十手前のライネスであったが、十二歳の少女を前にして震えが止まらなかったことは今でも覚えている。
ライネスは博識ではあったが魔術は知識として持っているだけで目の当たりにしたのは先日の面接が初めてだ。
見知らぬ存在が目の前にいる恐怖を初めて知った。
魔女が忌避される存在であることを改めて学んだ。
だが自身が怯え逃げることは見識ある考えに反する。
そういった意味では、ライネスはクリスティーヌに最も相応しい家庭教師であった。
「今日よりクリスティーヌ様の家庭教師をさせて頂きますライネスと申します」
「クリスティーヌです。よろしくお願いします」
人形のように可憐な少女からの挨拶を受け、それから勉強用の机に向かい向き合う形で座った。
いくつかの書類をまとめて持ってきた鞄は重い。その中から目当ての書物を見つける。
「皇妃教育とお聞きしておりますが、まずは一般教養を確認させて頂きます」
それからクリスティーヌに対しいくつかの質問を行った。習得している言語、地理、歴史、算術など。
聞けば一部に偏ってはいるがクリスティーヌは天才か、もしくはあり得ない時間を学問に費やした努力家であることが分かった。
魔術に使用する古代文字を習得していると聞いた時はライネスが教わりたいほどだった。地理も天文学は学者に匹敵する知識量であった。魔女とは、ただ闇雲に魔術を唱えているわけではないのだとライネスが教わる立場になってしまった。
だが、比較して一般教養は低かった。国の歴史や大陸史は乏しい。言語も博識ではあるものの、敬語や言い回しなどの使い方はそこまで高く無かった。
魔術を、魔術師の塔を中心に生きてきたクリスティーヌの生い立ちを、ライネスは彼女の知識から見た気がした。
「それではまず大陸史から始めましょう。地図を開きますが、皇国がどこにあるかはご存知ですか?」
机に広げた地図を見せれば、暫くクリスティーヌが考えてから一つの城に指を向けた。
「当たりです。ここがヴァルナ皇国。自然の要塞で守られた古城と呼ばれています。周囲の山脈をご存知ですか?」
「確かカーライル山脈と」
「そうです。カーライル山脈。東西に伸びた山脈の長さは隣国シャライ国をも超え、バレイ国まで続きます。更には河川の水源地でもあるためリンヒャ川、モルヴァラ湖、河川から流れて赤海まで続くのです」
「モルヴァラ湖はカーライル山脈が水源だったのね……」
「そうなんです。さてクリスティーヌ様。この赤海が何故赤い海と呼ばれるかご存知ですか? この海は
……」
どの生徒よりも真剣に授業を受ける少女の様子から魔女として畏怖するとこも見当たらず。
気付けば誰よりも集中してライネスは教師の仕事を全うしていた。
その日の夜、夕食の時間をジルと共に過ごしたクリスティーヌの声色は明るかった。
「沢山の事を学びました。今まで大陸史に目を向けたこともなかったのでとても面白いです」
「そうか」
「ジルの祖先にあたる方が、何故この地に建国されたかの歴史も大変興味深かったです。塔で占星術は学んでおりましたが、先生が仰っていた風水学は初めて聞きました。当時の呪術であったとか」
「そうだな。今では使われていない上に遠い国の知識だ。風化してしまったものだな」
「方角から地の利を活かした考え方、面白くて聞き入ってしまいました」
「そうか」
食事の間、ここまで婚約者の会話が弾むことは無かった。それだけ今日の授業が楽しかったのだろう。
「明日は皇城でのマナーを教わる予定です。しきたりに則った礼儀作法にも歴史があるとライネス先生は仰っていましたので、今からお聞きするのが楽しみなのです」
本当に知識を得ることがお好きな方なのだなと、側に控えていた侍女長の表情は穏やかだったが、それと反してベティの雲行きは怪しい。
黙って皇帝を見つめている表情が青ざめているのだ。
「ジル? どうしました?」
クリスティーヌもまた、ジルが普段と違うことに気づいたらしい。周囲の誰もが、何が違うのかなど分からないだろう。それほどに微々たる異変を、長年仕えているベティならまだしも。
婚約したばかりのクリスティーヌにも感じとることが出来た、ほんの僅かにだけ見える皇帝の不機嫌オーラ。
「そなたが家庭教師の話ばかりするので妬いただけだ」
流し見る瞳と共に投げかけられた言葉を、クリスティーヌは一瞬理解出来なかった。
が、ようやく落とし込めた言葉の意味を把握した途端。
幼い少女の顔が真っ赤に染まったのだった。
「そのようなこと……」
「私との会話では、そこまでそなたの気持ちを弾ませることは出来んからな。家庭教師の奴が羨ましいものよ」
「そんなことございません。私は皇帝とのお話が好きです」
それだけは、どれだけ恥ずかしさが勝ったとしても伝えなければならないとクリスティーヌは告げた。
全くそうとは見えない不機嫌な様子の皇帝は、幼き婚約者の言葉を聞いて不敵に微笑んだ。
「私との会話は楽しいか?」
「はい」
「家庭教師の話よりも?」
「はい」
皇帝の全ての問いに対し頷きながらクリスティーヌは続けた。すると皇帝がククッと笑い出した。
「すまない。あまりに健気故に揶揄ってしまったよ」
「揶揄ったのですか」
ひどい。こちらはずっと真剣に答えていたのに。
ブスッと拗ねる魔女の愛らしい顔に長い指を添えて皇帝の方に顔を向かせた。
「教師に妬いた事は事実だよ」
「…………」
クリスティーヌは今日、更に知識を得ることができたけれども。
この死神皇帝が何を考えているのかだけは、どれほどの知識を抱えたところで分からないだろう。