3.魔女による家庭教師面接
一年の半分は肌寒い気候が続くヴァルナ皇国。
朝露に濡れる針葉樹。肌寒さに朝方の吐息は白い。季節は春先ではあるが、周囲に花が咲くことも無い。
ただ、青々とした芝生だけが春らしさを物語る。街に降りれば気候の安定した国から仕入れた花が売っているため、民はそこまで季節の侘しさを感じはしない。
しかし皇城は例外であった。
皇城に生花は飾られない。女主人が不在であるため、城内の装飾を執り仕切る者がいないからだ。
九年前、皇妃が居た頃は華美な程に皇城は彩りに満ちていた。有名な画家を招き肖像画や背景画を描かせて飾らせていたこともあった。
生花は華やかで香り良いものを仕入れさせていた。
それだけで国費を随分贅沢に使っていたものだが、それもまた皇族の権威を象徴するために必要不可欠であると、当時の皇帝も許容していた。
九年の時を得た今、城内には一切の絵画も生花も存在しない。生花はまだ分かる。花はすぐに枯れるもの。新たに仕入れない限り美しさは消え去る。
しかし絵画に描かれる春の彩りは永遠に残るはずだというのに、城には一切の絵が飾られていなかった。
かつて、華やかだった皇城を知っていた隣国の使者が恐れながら現皇帝のジルに尋ねた。
当時華やかに飾られていた絵画はどうされましたか、と。
使者が見た絵の中には著名で、今では入手する事も困難とされる絵画が飾られていたことを覚えていた。
あわよくば買い取らせて貰えないかと相談したかったのだが、皇帝は思い出したように彼へと告げた。
「血がな、絵に飛び散ったから処分した」
絵画はそこら中に飾られていた。
今は彩りの全てが失われた長い廊下を歩いていた使者は。
その後、二度と城には訪れまいと誓った。
「そういうわけで、今後クリスティーヌ様のお仕事には皇城内の装飾や使用人の管理というものがございます」
皇妃の間で髪を梳かして貰いながら、クリスティーヌは侍女長の話を聞いていた。
クリスティーヌの髪は人形のような灰色の髪で、長く梳かし甲斐のある髪をしていた。
皇城に訪れた時、少女は長い髪を三つ編みに纏めていた。今朝もまた、一人で三つ編みに編んでいるところだったので、急いで侍女長が少女の髪を櫛で梳かし出したところだった。
金色の瞳に灰色の長髪。
侍女長が想像する魔女そのものの姿に、初めこそ恐れたものの、見た目は美しい美少女であるクリスティーヌに怖さは失せた。それも、侍女長が長年皇帝に仕える経験故かもしれない。
若き侍女達は皇帝の婚約者となる少女の世話を泣いて嫌がった。いくら少女の姿をしても魔女は魔女。魔女は忌むべき者だと認識しているのだ。
大陸に魔女の数は少ない。聞けば魔女は悪魔を使役するという。神を信仰する侍女達には悪魔にも近しい魔女が恐ろしく映るのだろう。
このままでは侍女の退職願いや異動願いが多発するだろう未来を考えて、侍女長は静かに溜め息をついた。
「近々、クリスティーヌ様には皇妃としての教育を行う家庭教師がお付きになります」
「家庭教師ですか」
クリスティーヌは、後頭部で長い髪をされるがままに纏め上げられながら侍女長の話を聞いた。生まれてから今まで三つ編み以外の髪型をしたことがなかったため、自分の髪がどのようになっているのか、何をして出来上がるのか分かっていない。
「家庭教師候補の方を明日お呼び致しますので、気に入った方をお選び下さい。側仕えの侍女につきましては当分は私が致します」
先日、到着したばかりである皇帝の婚約者に関して宰相から押し付けられる形で側仕えを命じられた侍女長だった。暫くは専任することになるが、時期を見て少女と年齢が近い侍女を探す予定だ。
侍女長から見たクリスティーヌは子供らしからぬ反応ばかりする、大人びた少女だった。更には死神と呼ばれる皇帝を前にしても怯えるどころか対話を続けられるというのだから信じられない。侍女長ですら、死神皇帝の放つ気迫に慣れるまで数年を要したというのに。
死神皇帝は、二十歳で前皇帝を弑逆するまで皇城に足を踏み入れたことも無い皇帝の婚外子であった。皇帝からも、皇妃からも忌み嫌われていた孤独な皇子の存在を侍女長は知っていたが、彼を初めて目にしたのは皇帝殺害以降のこと。
初めこそ恐怖で震えが止まらなかった。しかし、彼は死神という名とは裏腹に臣下に対しては誠実であった。不満があるからと使用人を虐めていたような前皇帝に比べれば好感が持てるほどだった。
しかし安堵した矢先に彼は血に濡れる。臣下の中に裏切り者がいると分かれば、有無を言わずに殺害した。冤罪ではないかと嗜める声も、やりすぎではないかと諫める声すらも聞き入れる事なく刃一つで全てを終わらせてしまう。
だから周囲は恐怖する。いつ、彼が常に帯刀している剣先を向けられるのかと。
せめて心の凍る死神皇帝が、この幼き婚約者によって心を解してくだされば。侍女長は願わずにいられなかった。
「あの、頼みがあります」
ようやく出来上がった編み込みに髪飾りを付けていた時、少女が聞いてきた。
「家庭教師を選ぶ方法なんですが……」
頼まれた侍女長は、何故少女がそのような頼み事をするのか分からなかったが。
とりあえず命に従い、家庭教師を選抜していた係の者に少女からの命令をそのままに報告した。
翌日。
三人の家庭教師候補が皇妃の間に訪れた。
皇城に訪れてから二日が経ち、侍女に世話をされることにも少し慣れた。それでも、長い髪を纏めて後頭部に飾り付けるのは重すぎるため、いつも通り三つ編みをベースとした編み込みを頼み、長い髪を綺麗に纏めて下ろしていた。
髪を下ろせば幼さが際立つので侍女長としては遠慮したかったが、まだあどけない少女の願い事だ。仕方ないですね、と軽口を言いつつ髪を編み込んだ。
その、編み込んだ髪から一本だけ灰色の髪をクリスティーヌは抜き取った。
それを掌に乗せ、呪文を唱えれば。
小さな風と共に現れたのは、手のひらに乗るサイズの小悪魔だった。
皇妃の間に居た者全てが悲鳴を上げた。
侍女長は腰を抜かし立ち上がれない。
若き侍女達は一斉に部屋を逃げ出した。
近衛兵は信じられない者を見て、恐怖で震えている。
残された家庭教師のうち、一人は失神した。
もう一人は何が起きたのか分からないまま立ち尽くしていた。
もう一人は。
「この悪魔がっ!」
怒声と共に懐から小刀を取り出し、クリスティーヌに向かい刃を振りかざした。
悪魔に驚いて警護を怠っていた近衛兵が止めろと叫ぶ。慌てて家庭教師の男を止めようと走るが、遅い。
侍女長は恐ろしさから目を閉じた。
しかし、閉じてから何も物音がしなかった。
恐る恐る目を開き、その場の光景に目を疑った。
手のひらサイズだった小悪魔が、その長い尻尾で小刀を振りかざしていた家庭教師の首を絞めていた。
突然首を絞められた上に宙吊りとなった家庭教師の口元から泡が垂れる。手に持っていた小刀はカランと床に落ちた。
クリスティーヌは表情を変えずその光景を眺めた後、ひたすら硬直したままであった一人の家庭教師を見た。
「どうやら貴方しか家庭教師を務められないようです。お願い出来ます?」
一人は失神し。一人は刀を振りかざして今、悪魔によって殺されかけている。
必然的に残った家庭教師は選ばれた。多分、異論は許されない。
侍女長はそこでやっと理解した。少女が候補者と同時に対面して面接を行いたいと言ったのだ。
それが今、この場の切っ掛けであった。
いっそ気絶をすれば幸せだったのかもしれないと侍女長は選ばれた家庭教師に同情した。
それと同時に、この少女に仕える己自身にも、同情の視線が注がれている事を理解していた。
それから数分後。
「これが悪魔か」
「契約をすれば使役できるようになります」
騒ぎを聞いて駆けつけた皇帝ジルに、クリスティーヌは召喚した小悪魔を見せていた。
騒動により襲ってきた家庭教師は尋問されることになった。今頃は、先日ジルに案内された拷問室にでも居るだろう。
選ばれた家庭教師と挨拶を交わすだけで今日は終わった。教師による講義は明日からを予定している。
「ふむ。悪魔らしい顔だが愛嬌がある」
「そうでしょう。悪魔は契約さえ交わせばとても正直者です」
魔女は自身の魔力の量に応じて悪魔を使役出来る。
使役する際には呪文によって契約を交わす。契約に必要な物は魔女自身。具体的には身体の一部、魔力の一部を悪魔に贄として提供する。
クリスティーヌは抜き取った灰色の髪に魔力を込めて小さな悪魔と契約し、悪魔を召喚した。
世間で魔女は恐れられる立場だ。家庭教師といえど魔女を恐れる者もいるだろうと思い、試す形で悪魔を使役してみたが。
「まさか謀反者を捕らえるとはな。大儀だ、クリスティーヌ」
悪魔の尻尾を掴みながら皇帝が魔女の名を呼んだ。
初めて名前で呼ばれたことに気づいたクリスティーヌは、胸の奥が仄かに暖まる感覚に包まれた。
魔女の塔に住んでいた頃も、長老しか彼女の名を呼ぶことは無かった。
だからこそ、未来の夫に名を呼ばれる事は心地が良かった。
「ありがとうございます……それより皇帝。悪魔が嫌がっております」
クリスティーヌの意思から反しないとはいえ、悪戯に尻尾を掴まれたり羽根を広げさせられたりしている悪魔が迷惑そうに皇帝から離れたがっていた。
「そうか。いや、便利だと思ってな。私も召喚をしてみたいが」
「皇帝の魔力が暴走したら魔神を呼びかねませんのでお薦めはしません」
「魔神か。せめて呼び名の通り死神でも来たら面白いのだが」
全く冗談に聞こえない二人の会話に、やはり兵は寒気がした。何より、悪魔を召喚している部屋にいる事自体が恐怖である。
「呼び名といえば、そなたはいつまで私を皇帝と呼ぶのだ」
「え……?」
手元で悪魔と遊んでいたクリスティーヌが顔を上げた。間近に迫る男性の顔。長い黒髪がクリスティーヌの頬に触れる。
「名で呼んで構わない。ジル、と」
「ジル様」
「夫婦となる間柄に様付けは必要ないだろう」
「このような歳も下の少女に呼び捨てられたら……」
皇帝に相応しくないと、揶揄されるのではないだろうか。
不安が顔に出ていたのか。悠々とした態度で皇帝が笑う。
「馬鹿にする者がいれば、その場で切り捨てれば良いだけのこと」
彼の意味する「切り捨てる」が、関係を切り捨てることなのか。身体自体を斬り捨てることなのかは分からない。
恐ろしい事を仰る方だと、側に仕える侍女長は震えていたのだが。
彼女が仕える幼き婚約者は。
「では、ジルと……」
とても恥ずかしそうに死神皇帝の名を呼んだ。
死神と呼ばれる皇帝を呼び捨てた時の魔女の顔を見た侍女長は。
初めて彼女が年頃の少女に見えたのだ。
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